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第57話 儀式の阻止と少女の救出

 レオンたちは岩陰に身を潜め、目の前の光景を見つめていた。

 洞窟の奥――そこには、不気味な光が揺れる祭壇があった。粗末な石で作られたそれは、血にまみれ、周囲には見るも無残な死体が転がっている。


 その中央、縛られた少女が横たえられていた。

 ――裸のまま、両手両足を拘束され、意識を失い、微かに小さく震えている。


 その光景を目にした瞬間、レオンの胸に怒りと嫌悪が込み上げた。全身が瞬間的に熱くなり、剣を握る手に無意識に力がこもる。


(……なんてことを……)


 ただの略奪ではない。これは、明らかに邪悪な意図のもとで行われた儀式。


 転がる死体の表情は恐怖に歪み、いくつかはすでに朽ち始めている。少女だけが、まだ生きている。だが、その身に残された温もりが消えるのは、時間の問題だった。


 怒りを抑えつつ、レオンは低く呟く。


「……ふざけるな……」


 鋭い視線を祭壇へ向ける。その前で、怪しげな呪文を唱える異形のコボルトがいた。


「……あれが、今回の黒幕か」


 レオンは、祭壇の前で怪しげな呪文を唱える異形のコボルトを睨んだ。

 通常のコボルトよりも背が高く、深紅のローブを纏い、顔には奇妙な呪印が刻まれている。杖を手にし、低く唸るように詠唱を続けていた。


「シャーマンね。魔術を使う厄介な相手よ」


 サフィアが静かに言った。彼女の表情も険しい。


「……少女、まだ生きてる。でも、弱ってる」


 セリナが鼻をひくつかせ、低く呟く。

 レオンは歯を食いしばった。時間がない――儀式が進めば、取り返しがつかなくなる。


「急がないと……儀式が進めば、手遅れになる」


 そのとき、祭壇の周囲に張られた魔法陣が淡い赤光を帯び始めた。


「まずい、そろそろ始まるわ!」


 サフィアの声が緊張に満ちる。

 さらに、その横で斧を手にした巨大な影が動いた。


「……ウォーロードか」


 レオンが睨む。

 通常のコボルトとは比べものにならない。武闘派の上位種、コボルト・ウォーロード――鎧をまとい、筋骨隆々の体躯を誇るコボルトだ。

 その周囲には、儀式を護衛する数体のコボルトが槍を構えて待ち構えている。


「……強敵」


 セリナが低く呟き、短剣を握り直した。

 レオンは剣を構え、一瞬だけ息を整える。


「よし、あいつを止める! いくぞ!」


 刹那、レオンたちは岩陰から飛び出した。

 祭壇の上で、シャーマンの詠唱が最高潮に達しようとしていた――。




 レオンの合図とともに、サフィアが素早く詠唱に入る。


「風よ、舞い上がれ――《ダストストーム》!」


 サフィアの手から解き放たれた魔法が洞窟内に風を巻き起こし、祭壇周囲の砂塵を一気に巻き上げた。視界が揺らぎ、コボルトたちは咄嗟に目を覆う。


 その隙を逃すはずもなく――。


「……一撃」


 セリナは素早く短剣を逆手に持ち替え、次の瞬間、一本のナイフを無造作に投げ放った。


「ギャウッ!」


 ナイフは一体のコボルトの首筋に突き刺さり、短い悲鳴を上げた。その声を合図にするように、セリナは影のように疾走した。

 もう一体のコボルトが反射的に振り向くが――遅い。


 セリナの短剣が閃き、音もなく喉を掻き切る。最後の一体も逃れる間もなく、背後から刃が突き刺さり、血の泡を吹いて崩れ落ちた。

 砂塵の中、冷たい光が閃き、護衛のコボルトたちは沈黙する。


 レオンも迷いなく突っ込む。


「これで儀式は終わりだ!」


 砂塵の中、レオンの剣がシャーマンに向かって振り下ろされる。


「グギャッ……!」


 シャーマンはとっさに防御の魔法を展開するが、詠唱の途中で妨害されているため、完全な防壁にはなりきれていない。剣が浅く肩を裂き、黒い血が飛び散る。


 だが――。


「グルルル……!」


 不気味な唸り声が響く。風と砂塵の向こうから、一際大きな影が迫ってきた。

 鎧を纏い、巨大な斧を構えたコボルト・ウォーロードが、ゆっくりと前に出る。赤い目が光り、全身に殺気をまとわせていた。


「お前がボスか……」


 レオンは剣を握り直し、冷たい視線で睨み返す。

 ウォーロードの唇が歪み、獰猛な笑みを浮かべた。


「……上等だ!」




 轟音とともにウォーロードの斧が振り下ろされた――!

 レオンは瞬時に剣を構え、刃を交差させて受け止める。しかし、圧倒的な重量がそのままのしかかり、足元の岩が軋んだ。


「くっ……重い……!」


 レオンは押し込まれながらも、なんとか踏みとどまる。しかし、ウォーロードの力は並のコボルトとは一線を画す。単純な力比べでは分が悪い。


(まともにやり合ってはダメだ……隙を作るしかない!)


 その瞬間、影が疾走する。


「……隙あり!」


 セリナが低く構え、一瞬でウォーロードの側面へと回り込んだ。短剣が閃き、その脇腹を狙う――。


「……ッ!」


 刃がウォーロードの皮膚に突き刺さる――はずだった。

 しかし、次の瞬間。


「硬い……!」


 短剣の先が弾かれ、わずかに皮膚を裂いただけで止まってしまう。ウォーロードの皮膚はまるで鉄のように分厚く、鋭い一撃ですら通らない。

 ウォーロードはすぐにセリナの存在を察知し、反射的に肘を振るった。


「……ッ!」


 セリナは即座に身を引くが、かすっただけで体が弾かれるように吹き飛ぶ。


「セリナ!」


 レオンが呼びかけるが、その隙を突いてウォーロードの攻撃が再び襲いかかる。レオンは剣を横に払って受けるが、衝撃で腕が痺れる。


(まずい、時間をかけると不利になる……!)


 そのとき、サフィアが後方から詠唱を終えた。


「雷の矢、敵を討て――《スパークショット》!」


 閃光がほとばしり、ウォーロードの体を貫いた。


「グルゥゥ……ッ!」


 雷撃をまともに受け、ウォーロードの巨体が一瞬硬直する。だが――。


「……まだ、動くの?」


 サフィアの表情が険しくなる。ウォーロードは確かにダメージを受けたが、想定よりも軽傷だった。


「やっぱり……このクラスだと耐性があるわね」


 ウォーロードは苦痛に顔を歪めながらも、すぐに態勢を立て直す。瞳に宿る殺意は、先ほどよりも増していた。


「時間をかけるわけにはいかない……何とか隙を作る!」


 レオンが剣を握り直し、改めてウォーロードに向かい合う。

 しかし、そのとき――。


「……グギ……グギギ……」


 背後、祭壇の方から、聞き覚えのある不気味な声が響いた。


 レオンたちがウォーロードと戦っている間に――。

 シャーマンが、再び立ち上がろうとしていた。


(……まずい!)


 そして、再びウォーロードの斧が再び振り下ろされる。

 レオンはすでにその動きを読んでいた。巨大な武器の特性上、一撃が重い代わりに隙が生まれる――それを狙う。


(次の一撃……そこが勝負だ!)


 ウォーロードが咆哮とともに全力で振りかぶる。

 その瞬間、レオンは踏み込んだ。


「ここだっ!」


 鋭く突き上げる剣が、ウォーロードの喉元を正確に貫く。


「グ……グァァ……ッ!」


 ウォーロードの目が見開かれ、口から血が溢れる。レオンは力を込め、刃をさらに深く押し込んだ。やがて、ウォーロードの巨体が膝をつき、そのまま地に崩れ落ちる。


 レオンは息を整える間もなく、次の脅威に目を向けた。


「サフィア!」


 合図と同時に、サフィアはシャーマンに狙いを定める。シャーマンは再び詠唱を始めていた。

 だが――。


「雷の矢、敵を討て――《スパークショット》!」


 サフィアの詠唱が先に完成し、指先から雷弾が放たれる。


「ギギ……!」


 雷弾が一直線にシャーマンの胸を貫いた。電流が全身を駆け巡り、シャーマンの体が痙攣する。だが、かろうじて意識を保ち、まだ完全には絶命していない。

 そのとき――。


「……終わり」


 影のように疾走したセリナの刃が、容赦なくシャーマンの喉元を切り裂いた。


「ギ……ギャ……」


 シャーマンは最後の苦しげな息を漏らし、その場に崩れ落ちた。しばらくしても動く気配はない。


「……仕留めた」


 セリナが短剣を振り払い、血を落とす。

 レオンは警戒を解かず、ゆっくりとシャーマンの死体に近づいた。


「……一応、調べておくか」


 サフィアも頷き、シャーマンの身体を検証する。

 ローブは焦げ、皮膚は焼けただれているものの、胸には黒ずんだ刺青のような紋様が浮かび上がっていた。


「……この紋様、ただの魔術師じゃないわね」


 サフィアが慎重に観察しながら呟く。

 レオンはシャーマンの手元を確認し、骨のような短杖を拾い上げた。その表面には、意味不明な文字や幾何学模様が刻まれている。


(……これは)


 一瞬、レオンの脳裏に過去の記憶がよみがえった。貴族護衛の依頼で遭遇した、謎の術者。

 奴が残した奇妙な刻印――まるで意味を持たないかのような歪な文字と、見る者に不安を抱かせる不気味な幾何学模様。

 その時は深く考える余裕もなく、ただ不可解なものとして処理した。だが――。


「これが、偶然だとは思えないな……」


 レオンは短杖をじっと見つめた。

 あの時の術者と、ここで倒したシャーマン。姿形も違い、関わる勢力も異なる。だが、刻印はあまりにも酷似している。


「レオン?」


 サフィアが不思議そうにレオンを覗き込む。


「いや……」


 レオンは一度言葉を飲み込み、短杖を慎重に布で包む。


「この刻印、以前にも見たことがある。貴族の護衛をしていた時に……」


 そう言いながら、彼は考えを巡らせた。


(貴族襲撃の術者と、このシャーマンが繋がっているとしたら……単なる盗賊や野盗の類とは違う、もっと大きな何かが動いている可能性がある)


 だが、今は確証がない。


「……今はこの子を助けるのが先だな」


 レオンは、祭壇に横たわる少女に視線を向けた。何者かは分からない。だが、この場所にいるということが、すでに異常だ。


(この少女が何者で、なぜここにいたのか……その答えは、後で探るしかない)


 レオンは短杖を荷物にしまい、仲間たちを見回した。


「ブルーヴェイルに戻ろう。ここに長居はできない」


 サフィアとセリナが頷く。


 戦いは終わった。だがレオンの心には、新たな疑念が残ったままだった。




 戦闘が終わり、洞窟の中には静寂が戻った。

 セリナがすぐに祭壇へ駆け寄り、縛られた少女の体に手を伸ばす。


「……すぐ、解く」


 少女の肌は氷のように冷たく、手首や足首には縄の跡がくっきりと残っている。力を込めずとも、少女の衰弱しきった体は崩れ落ちそうだった。


「……軽い」


 慎重に縄を解き終えると、少女の体はぐったりと力なく横たわったままだった。

 サフィアが近づき、迷わず仮眠用の布を取り出し、少女の体に優しくかける。


「まずは、これで少しでも寒さを防がないと」


 レオンもすぐに膝をつき、少女の顔を覗き込む。


「……ひどく衰弱しているな」


 サフィアが彼女の額に手をかざし、静かに呪文を紡ぐ。


「澄み渡る風よ、心と身体に安らぎを与えよ――《リフレッシュ》!」


 柔らかな光が少女を包み込む。疲労を軽減し、精神の乱れを整える補助魔法ではあるが、癒やすほどの力はない。それでも、衰弱した体にはいくらかの温もりを与えることができたはずだった。


「大丈夫、少しは楽になったはずよ」


 だが、少女は依然として意識を取り戻さない。かすかに息をしているが、まるで魂が抜けかけているようだった。

 セリナがそっと彼女を見下ろし、眉をひそめる。


「……服、ない」


 レオンは少女の髪を払うと、その顔をじっと見つめた。


(この子、一体何者なんだ……?)


 服は剥ぎ取られ、所持品もなく、身元を示すものは何もない。セリナが慎重に少女の体を調べたが、首飾りや指輪、衣服の布切れすら見つからなかった。


「……身元のもの、ない……」


 レオンは唇を噛み、静かに立ち上がった。


「……とにかく、ブルーヴェイルに連れて帰るしかないな」


 しかし、彼の脳裏には疑問がこびりついて離れなかった。


(なぜこの少女がここにいる? ただの偶然か? それとも……)


 洞窟の奥にまだ何かがあるかもしれない――。だが、今はそれを調べている時間はない。

 レオンは、布にくるまれた少女を抱え、静かに洞窟を後にした。セリナとサフィアもそれに続く。


 夜の闇が、彼らの背を押すように包み込んでいった――。

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