第51話 夜の密談と未来の話
夜の帳が下り、宿の部屋にはようやく静けさが戻っていた。
昼間の買い物と着替え騒ぎの余韻が残るものの、今はそれぞれが落ち着いた時間を過ごしている。
レオンは窓辺に腰を下ろし、冷たい夜風を感じながら、ぼんやりと明日の予定を考えていた。この街で次に受けるクエスト、装備の手入れ、それから――。
「レオンさん」
控えめな声が背中越しに届く。振り向くと、リリアがいつもの元気さを少し抑えたような表情で立っていた。
「ちょっと、お話してもいいですか?」
「もちろん」
レオンが椅子を勧めると、リリアはちょこんと腰掛ける。
何を話すのかと見守っていると、いつの間にかセリナとサフィアも寄ってきて、自然と輪ができた。
「改めてですけど、今日のクエスト、お疲れさまでした」
リリアはきちんと頭を下げる。
「リリアのおかげで、進行もスムーズだったよ。ありがとう」
「……ちゃんと、役に立ちました?」
「もちろん」
レオンが迷いなく答えると、リリアは安堵の笑みを浮かべた。
「でも、専属受付嬢って名乗るからには、もっとできることがあるんじゃないかって、思うんです」
「……欲張り」
セリナが横からぽつりと呟く。
「でも、その気持ち、大事ですよ」
サフィアが優しく頷いた。
リリアは両手を膝に置き、ぎゅっと握りしめる。
「私、みなさんと一緒にもっともっと強いパーティを目指したいんです。だから……専属受付嬢として、サポートも情報収集も、何でも全力で頑張ります!」
その言葉に、レオンは静かに微笑む。
「リリアがそこまで考えてくれてるなら、俺たちも心強い」
「……無理はしなくていい」
セリナが小さな声で付け足す。
「ありがとうございます。でも、もう決めたんです」
リリアはぎゅっと拳を握る。
「それで……皆さんにお聞きしたいことがあるんです」
「なんだ?」
「レオンさんたちは、これからどんな冒険がしたいですか? 最終的に、どんな冒険者になりたいですか?」
リリアの瞳には、純粋な好奇心と、少しの不安、そして大きな憧れが混ざっていた。
レオンは一瞬考えたあと、窓の外に目をやる。
「俺は……まだはっきり決めてるわけじゃない。でも、みんながいてくれるなら、どんな道でも進んでいける気がする」
その言葉に、セリナの耳がぴくっと反応し、サフィアはそっと目を伏せる。
「じゃあ、私もついていきます!」
リリアは満面の笑顔で宣言した。
「俺たちの冒険は、これからだな」
短い夜の語らいは、それぞれの未来への小さな一歩となる。
輪になって話していたはずなのに、気づけばセリナとサフィアは、気を利かせて少しだけ距離を置いてくれていた。
残ったのはレオンとリリア、ふたりきり。
リリアは、いつもの明るい笑顔を封じ込めたまま、まっすぐレオンを見つめていた。
「レオンさん」
真剣な声。
「私……レオンさんのこと、好きです」
その瞬間、レオンの心臓が跳ねる。けれど、リリアはそこで言葉を終わらせなかった。
「助けてもらって、優しくしてもらって、何度も救われました。だから、私にとってレオンさんは特別な人なんです」
小さな両手を胸の前でぎゅっと握りしめる仕草が、余計にその想いの強さを伝えてくる。
「でも……それだけじゃなくて」
リリアの視線が、レオンの奥を覗き込むように揺れる。
「レオンさんって、何かを隠してますよね」
その言葉に、レオンの息が詰まる。笑顔の裏に隠していた勘の鋭さ。このまま誤魔化しても、きっとリリアには伝わってしまうだろう。
「……そうだな」
レオンは目を伏せ、苦笑いを浮かべながら天井を仰ぐ。
「隠してるっていうか、言えなかったんだ」
「聞かせてください」
リリアの声は震えていたけれど、逃げる気配はない。
「リリアには、知る権利がある」
そう覚悟を決めると、胸の奥にしまい込んでいた本当の自分を、少しずつ言葉にし始めた。
「……そうだな」
レオンは、窓辺に寄りかかりながら、小さく息を吐いた。
「隠してるつもりはなかったんだ。ただ、無暗に言えることでもなくてな……」
リリアの真剣な瞳が、まっすぐレオンを見つめている。
セリナとサフィアも静かに耳を傾けていた。
「実は――俺は、アストリア王国の王子なんだ」
部屋の空気が、一瞬で凍りつく。
「……え?」
リリアの口から、息の漏れるような声がこぼれた。
「王子って……あの?」
「そうだ」
レオンは苦笑しながら頷く。
「王宮の発表で『病気療養中』って言われてるだろ? あれは建前だ。本当は、俺が自分で王宮を出てきたんだ」
信じられないような、でも信じたくないわけじゃない。リリアの表情は驚きと混乱、そしてほんの少しの期待が入り混じっていた。
「そんな……でも、なんで?」
その問いに、レオンは少しだけ目を伏せる。
「俺には、どうしてもやらなきゃいけないことがある。でも、王子として生きてる限り、絶対に叶わないことなんだ。だから……俺は王宮を出た」
「……レオンさん」
リリアは何度か瞬きをして、まだ整理しきれない頭で、必死に言葉を探していた。
「わたし……すごい人を好きになっちゃったんですね」
レオンの胸が、じんわりと温かくなる。
けれど、リリアはそこで立ち止まらなかった。ぎゅっと両手を握りしめ、顔を上げる。
「それでも……私の好きなレオンさんは、私を助けてくれたレオンさんですから」
レオンの視線が、リリアの真っ直ぐな瞳を捉える。
「ありがとう。リリア」
その言葉に、リリアは破顔した。
セリナもサフィアも、何も言わず、ただ静かにそのやりとりを見守っていた。
「これで、全員がレオンのことを知ることができたわね」
静かな声でそう言ったのは、サフィアだった。どこか安心したような、優しい微笑みを浮かべている。
「でも、これで終わりじゃないわ」
サフィアはレオンに視線を向け、少しだけ真剣な表情に変わる。
「レオン、あなたは王子であり、私たちの大切な仲間でもあります。この先、旅を続ける中で、もしかしたら新しい仲間が加わることもあるかもしれない」
レオンは黙って頷き、サフィアの言葉を待つ。
「だけど私は知ってるの。レオンは、どんな相手でもちゃんと受け入れて、守ってくれる人だって」
その言葉はまるで、昔から知っているサフィアだからこそ言えるものだった。
「サフィア……」
レオンは照れ臭さを誤魔化すように、わざとらしく頭をかく。
「……ああ」
少し照れた笑顔のまま、それでも言葉は自然と口をついて出た。
「俺は王子でも冒険者でもなく、俺自身として、みんなを守る」
その宣言に、セリナが目を細める。
「……それでいい」
サフィアも安心したように微笑み、リリアは目を潤ませながら力強くうなずいた。
「私も、レオンさんを支えます!」
ぎゅっと拳を握るリリアの笑顔は、少し泣きそうで、でもとても誇らしげだった。
寝る前の静かな時間。
一連の騒動の余韻が残る部屋で、それぞれが明かりを落としながら寝る準備を整えていた。 レオンはベッドに置きっぱなしになっていた衣服をまとめて片付け、ブランケットを整えようとした時――。
「……あの、レオンさん」
小さな声が聞こえてきた。
振り向くと、リリアが耳まで真っ赤に染めながら、もじもじと指先をいじっている。
「どうした?」
声をかけると、リリアは勇気を振り絞るように口を開いた。
「あ、あの……その……」
視線はあちこち泳いで、うまく言葉が出てこない。それでも、最後は意を決したように顔を上げる。
「わ、わたしの順番なので……今日は、隣で寝てもいいですか?」
その瞬間、レオンは思わず吹き出しそうになるのを堪えた。真剣なのに、恥ずかしさで頬を染めて目を逸らす仕草が可愛すぎる。
セリナとサフィアも、特に驚く様子もなく、「ふん」「そうね」とだけ言い残し、それぞれさっさと自分のブランケットに潜り込んでしまう。
「もちろんだよ。俺たちも寝ようか」
レオンがベッドのブランケットを軽く持ち上げると、リリアはぱっと顔を輝かせた。けれど、すぐに恥ずかしさが押し寄せたのか、頬を赤らめながら、そっとベッドに滑り込む。
ブランケットの中で、リリアは小さく丸くなり、遠慮がちに端の方へ寄る。時折、寝返りを打つたびに、レオンとの距離を意識しているのが伝わってくる。それでも、ほんの少しずつ、ブランケットの端がレオン側へ寄せられていく。まるで、無意識のうちに少しでも近づきたいとでも言うように。
(リリア……)
そんな健気な様子が、まるで小動物みたいで、思わず口元が緩んだ。
「緊張してる?」
「……す、少しだけ」
小さな声で答えるリリア。
「大丈夫。もう仲間だろ。俺もリリアを頼りにしてるし」
「……はい」
レオンの言葉に安心したのか、リリアはほっとしたような笑顔を見せる。それでも恥ずかしさは残っているようで、枕に顔を半分埋めたままだった。
こんなに近くで、こんな表情のリリアを見るのは初めてだ。今日という日を経て、リリアの気持ちも、想いも、きちんと受け止めることができた。
「おやすみ、リリア」
「おやすみなさい、レオンさん」
小さく揺れるピンクブロンドの髪。横顔には、嬉しさと恥ずかしさがほんのり混じっていて――。その可愛らしさに、レオンも思わず胸の奥がくすぐったくなる。
静かな夜の温もりに包まれながら、リリアの鼓動と、レオンの鼓動がほんの少しだけ重なる夜だった。
◆◇◆◇
レオンたちが宿で夜を迎えた頃、王宮の一角、豪奢ながらも落ち着いた雰囲気を持つ宰相の私室。
分厚い書類が積まれた机の前に座る宰相の前で、一人の男が背筋を伸ばして立っていた。男――宰相の腹心が、低い声で報告を始める。
「……捜索の進展ですが、未だ確かな消息は掴めておりません」
宰相は組んでいた指を軽く動かし、ふっと瞳を閉じる。
「……そうか」
思った通りだ。王子が姿を消してからすでに数週間――これほど長く王宮の目を欺き続けるとは、さすがは王の血を引く者といったところか。
「ただし――」
腹心が、言葉を選ぶように続ける。
「近年、冒険者登録をしたレオンという名の剣士が数名おりますが……」
その瞬間、宰相の指がわずかに動く。
「ほう……レオンだと?」
言葉の端にわずかな興味が滲む。
「ですが、王子の名をあやかって付けられた者たちも多く、偶然の一致と考えられます」
なるほど。レオン王子が生まれた際、多くの貴族や庶民がその名を我が子に与えた。レオンという名は王国において、決して珍しいものではない。
それゆえに、腹心は「王子とは関係ない」と判断し、今まで報告を後回しにしていたのだろう。
「……フン」
宰相は小さく鼻を鳴らし、冷ややかな目で腹心を見つめる。
「つまり、お前たちは王子に繋がる可能性すら考えず、適当に捜索を続けていたというわけだな」
氷のように冷たい声音に、腹心の額にじわりと汗が滲む。
「も、申し訳ありません……しかし、王子がそのままレオンという名を名乗るとは思い難く……」
「貴様の推測など聞いていない」
低く、鋭い声が突き刺さる。
「結果を持ってこい」
その言葉に、腹心はビクリと肩を震わせる。
「は、はいっ!」
素早く頭を下げると、腹心は足早に部屋を後にした。
扉が閉まり、静寂が訪れる。
宰相は乱雑に積まれた書類を見つめながら、ゆっくりと椅子に身を沈める。
(レオン王子……もしや、本当に)
指で机を軽く叩きながら、思考を巡らせる。
「……面白い」
かすかに笑みを浮かべながら、宰相は暗い瞳を細めた。




