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第5話 冒険者ギルド

 朝の冷たい空気が街路を包む中、ブルーヴェイルの冒険者ギルド前に掲げられた大きな看板が目を引く。「冒険者ギルド」と力強い書体で刻まれた文字は、まだ薄暗い朝の光の下でもはっきりと読み取ることができる。

 通りにはぽつぽつと人の姿が見えるものの、この時間のギルドはまだ静かだ。そんな入り口の前で、レオンは一歩踏み出すかどうか迷うように立ち止まった。


「……ここが冒険者ギルド、か」


 自分に言い聞かせるように、小さくつぶやく。


 夜通し歩き続け、ようやくブルーヴェイルへ辿り着いた。疲れは体に残っているが、それでもここに来ると決めていた。何もかもが初めての場所。それでも、自分の力で生きていくために――まずは手に職をつけなければならない。その入り口としての冒険者登録。

 看板に掲げられた「初心者歓迎」の文字に、わずかに期待を抱きながら、レオンは思い切って扉を押した。


 きぃ、とわずかに軋む音とともにドアが開く。


 広々としたギルドのホールには、朝早いためか数名の冒険者らしき人影があるだけだった。壁に貼り出された依頼書を眺める者、カウンターで手続きをする者。


 そのカウンターの向こうには、一人の女性が立っていた。白いブラウスに黒のベスト、膝上丈のタイトスカートという制服は清潔感があり、胸元には小さなギルドのバッジと名札が光っている。名札には「リリア」と書かれていた。

 彼女は耳にかかるほどのピンクブロンドのショートボブヘアを、無造作に下ろしている。瞳は深いグリーンで、朝の光を受けてどこか活き活きとした輝きを帯びていた。


 リリアは誰かの手続きを終えたばかりなのか、カウンターに置かれた書類を整え、顔を上げる。そして、新たな客を探すように視線を巡らせた。その瞬間、レオンと目が合い、彼を捉えたリリアが小さく微笑む。


「おはようございます。冒険者登録をご希望ですか?」


 はつらつとした声が、静かなギルドのホールに心地よく響く。


 レオンは思わず姿勢を正し、ぎこちなく微笑み返した。


「はい……初めてなんですが、よろしいでしょうか?」


 リリアは書類の束をさっと取り出し、手際よく机の上に並べる。


「もちろんです。では、こちらの用紙にお名前と、わかる範囲でのご経歴を書いていただけますか? 職歴や得意分野があればそちらもお願いします。それと、登録には銀貨一枚が必要になりますので、準備をお願いしますね」

「は、はい。えっと……」


 レオンは促されるままにペンを手に取り、書類に視線を落とした。名前の欄には「レオン」と書き込んだが、経歴欄にペン先を当てたまま、動きが止まる。


 リリアが少し首を傾げた。


「どうかしましたか? もし経験が少なくても、登録はできますよ」

「……あ、いや。すみません。正直、これまで大きな仕事をしたことがないんです。旅の途中でちょっとした力仕事をしたくらいで……」


 リリアは書類を見やすい角度に少し傾け、申し訳なさそうなレオンの表情を窺うように目を細める。

 それから、ふっと微笑んだ。


「大丈夫ですよ。冒険者って言っても、いろんな仕事がありますから。やってみないとわからないことも多いですし、まずは『自分に何ができるのか』を知ることから始めましょう」

「……ありがとうございます」


 レオンは少しホッとしたように息をつき、ペンを走らせる。字を書く手はまだ慣れないが、何とか最低限の記入を終え、書類をリリアのほうへ差し出した。


「えーと……『レオン』さん。経歴欄はほぼ空白っと。特技は……『剣』と『軽い魔術』?」


 リリアがさらりと書面を確認しながら、レオンに視線を向ける。

 レオンは少し気まずそうにうつむいた。


「剣は、それほど上手ってわけじゃ……ただ少し、教わったことがあるだけで。魔術も……魔術師と呼べるほどじゃありません。小さな火を灯すとか、風を起こすくらいしか……」


 そう言いかけたところで、リリアが首を振った。


「いえいえ、冒険者ギルドでは小さな火を扱えるだけでも重宝されますよ。洞窟調査とか、野営のときに火起こしができるのは大きなアドバンテージですし」

「そんなもん、ですか……?」

「ええ。例えば薬草採取の依頼で山へ行くとき、ちょっとした魔術が使えるだけで安全度がぐんと上がるんですよ。火種の確保とか、音や光で獣を追い払うとか。だから、その特技、ぜひ活かしてくださいね」


 リリアの明るい声に、レオンは少し驚きつつもうなずく。


「……ありがとうございます」


 リリアはぱたんと書類を閉じ、軽やかに判を押す。


「よし、登録完了です。これで、あなたは正式にブルーヴェイルの冒険者ギルドに所属することになりました。登録証は……はい、こちらです」


 彼女が取り出したのは、小さな革のカードケース。その中には「レオン」と名前の入った紙が収められ、ギルドのシンボルマークが押印されていた。


「この登録証、なくさないようにしてくださいね。報酬の受け取りや依頼の受付で必要になりますから。それと、依頼はあちらの掲示板に詳しく書いてあるので、後で見てみてください」

「わかりました。ありがとうございます……えっと、お名前をうかがっても?」

「私ですか? 私はリリアといいます。ここのギルドで受付をしています。困ったときは、いつでも声をかけてくださいね」


 リリアの穏やかな笑顔に、レオンは少しだけ微笑み返した。


「よろしくお願いします、リリアさん」


 そう挨拶を交わしたところで、ギルドのホールを見回していたレオンの目に、壁際の掲示板が映り込んだ。数多くの依頼書が貼られており、「伐採手伝い」「薬草採取」「魔物討伐」など、簡単そうなものから危険そうなものまで様々だ。


「……あれがみんな、仕事なんですね」


 レオンがぽつりと呟くと、リリアが軽く頷く。


「はい。初心者向けの依頼も多いので、まずはどの程度の難易度かをチェックするといいですよ。依頼にはランクがあって、EランクやDランクは初心者向け。一方でAランクやSランクになると、相当な実力者じゃないと難しいお仕事になります。CランクやBランクはその中間ですね。Cランクはそこそこ腕が立たないと厳しいですし、Bランク以上ならベテランとして通用するレベルです」

「なるほど……。最初はやっぱり、Eランクから始める方がいいんですよね?」

「そうですね。Eランクの依頼は比較的安全な案件が多いです。ただ、報酬はやっぱり低めですね。例えば『薬草採取』なら、一回集めても数枚の銀貨程度だったり……でも、その分危険は少ないので、まずはそこから実績を積んで、ギルドにあなたのことを知ってもらうのがいいと思いますよ」


 リリアはそう言いながら、レオンの登録証を指し示す。


「それに、ギルドでは基本的に自分のランクより上の依頼は受けられません。難易度が高い依頼を、実力が伴わない人が請け負ってしまうと、大事故になりかねませんから」

「……なるほど。ギルドもちゃんと管理してるんですね」

「ええ。ですから、無理のない範囲で着実に実績を積むのが大事なんです」


 リリアは説明を続けながら、指で登録証の表面を軽くなぞる。


「冒険者ランクはEからD、C、B、A、そしてSの順に上がっていきます。基本的にはギルドの基準に沿って依頼をこなしていけば、昇格試験や特別審査を受ける機会が与えられます。大きな功績を残したり、難しいクエストを一定数こなしたりすると、ギルドの方から昇格を打診されることもありますよ」

「自分の実績次第で上がれるんですね」

「そうです。Bランク以上になると、指名依頼が舞い込んでくることもあります。あなただからこそ頼みたいという依頼主が、ギルドを通じて指名してくるんです。ただ、そうなるには相応の実績と信頼が必要ですけどね」

「指名依頼、か……それはすごいですね。でも、その分責任も重そうだ」

「ええ。報酬は高いですけど、失敗が許されない案件も多いです。でも、レオンさんはまずEランクからのスタートですから、いきなり心配する必要はないですよ。まずは基本的な仕事からこなして、慣れていきましょう」


 リリアはそう言いながら優しく微笑む。冒険者としての生き方を何も知らないレオンには、その言葉が頼もしく感じられた。


「本当にありがとうございます。何もわからないので、また困ったら相談させてください」

「もちろんです。さ、ほかに何か質問があれば、いつでも聞いてくださいね。お力になれる限り、手伝いますから」


 リリアが微笑みながら軽く会釈すると、レオンも思わず穏やかな気持ちになった。


「はい……ありがとう、リリアさん」


 そうして、一通りの説明を受けたレオンは、改めて掲示板に目を向けた。


 一番下の方に貼られたEランクの依頼は、確かに比較的安全そうな内容が並んでいる。しかし、その中には「魔物が出没する地帯での探索手伝い」といった、危険を感じさせるものもある。レオンは思わず眉をひそめた。


(いくら難易度が低いとはいえ、全く危険がないわけじゃない……)


 だが、ここで稼ぐしか道はない。どんなに小さな依頼でも、やるしかない。

 そう心の中で決意を固めたその時、背後から別の声が飛んできた。


「おーい、リリアちゃん! 悪いけど、これよろしく頼むよ!」


 振り返ると、浅黒い肌をした屈強な男が、カウンターの端に依頼書の束を置いていた。どうやら依頼の報告に来たらしい。リリアは「はいはい」と手際よく書類を確認し始める。慣れた様子からして、彼女は日常的にこうして忙しく対応しているのだろう。

 リリアの背中を見送りながら、レオンは再び掲示板に目を向け、どの依頼を受けるか考えを巡らせる。


「……初心者の俺が、いきなり難しいものを選んでも失敗するだけか。まずは地道なところから始めよう……薬草採取、だな」


 そう小声で決めると、掲示板から目を離し、再び受付へ向かった。ちょうど先ほどの男が手続きを終えて去ったところで、リリアは書類にペンを走らせていた。レオンが近づくと、彼女は顔を上げる。


「あ、早速何か依頼を見つけましたか?」

「はい。薬草採取なら、初心者の俺でもできるだろうと思って。これを受けたいんですが……」


 レオンが差し出した依頼書を見て、リリアは軽く頷く。


「Eランクですね。この依頼の危険度はそこまで高くないはず。採取場所は街の北東にある丘陵地帯……クラインヒルズですね。ただ、丘の陰には魔物が出るっていう噂もあるので、油断は禁物ですよ。ギルド規定のポーションや救護セットは、必ず持っていってくださいね」

「ポーション……救護セット……。それってここで買えるんですか?」

「はい、ギルド内でも購入できますし、街のお店に行けばもっと品数がありますよ。もし道具を買うなら、ギルドのすぐ近くにある『マルダの道具屋』がおすすめです。店主の女性がしっかりした人で、冒険者向けの道具も揃っていますよ」

「助かります。じゃあ、道具を準備してからすぐに出発します」


 リリアは依頼書に判を押し、レオンに手渡した。


「はい、これで正式に依頼を受けたことになります。期限は四日後までなので、余裕をもって取り組んでください。一日あたりの目標採取量も書いてあるので、無理しない範囲で進めてくださいね」


 そう言いながら、リリアはふと何かを思い出したように、カウンターの下から小さな手帳を取り出し、ぱらぱらとめくった。


「ところで、武器や装備はどうしてますか? 最低限、護身用の武器は必要ですよ。剣の扱いに自信があるなら、その剣……ちゃんと整備されてますか?」

「正直、あまり……錆も少し浮いてるし、整備はほとんどしてません」

「そういう場合は、あちらに見える『鍛冶屋バルド工房』に持っていくといいですよ。簡単なメンテナンスなら安く受けられます」


 リリアが「案内しましょうか?」と身を乗り出しかけたその時、別の冒険者が受付にやってきた。


「リリアさん、すまない、こっちの手続きお願いできる?」

「あ、はい! すみません、少し待っててくださいね」


 リリアはその冒険者へ対応しながらも、レオンに向き直り、申し訳なさそうに微笑む。


「ごめんなさい、ちょっと立て込んできちゃいました。もしわからないことがあったら、また声をかけてください。私、いつでもここにいますから」

「ありがとうございます、リリアさん。色々と助かりました」


 忙しそうに動きながらも、リリアはレオンに向かってもう一度微笑んだ。


「がんばってくださいね、レオンさん!」


 その笑顔は、まるで背中を押してくれるように力強かった。レオンは小さく会釈をし、ギルドカウンターを後にする。

 これまでずっと不安しかなかったが、リリアと話すうちに、少しだけ希望の光が差し込んだように感じていた。



 ギルドの奥にある談話スペースでは、 先ほど依頼を出していた浅黒い男が仲間らしきグループと話し込んでいる。その向こう側には、装飾の少ない簡素な扉があり、矢印と共に「鍛冶屋」と書かれた看板がぶら下がっていた。


「まずは剣を整備するか……このままじゃ危険だし」


 そう決めたレオンは、扉へ向かって歩き出す。扉の向こう側からは微かに金属を打ち鳴らす音が聞こえる。銃声のような鋭さはないが、確かに力強い響きだ。ギルドに併設された鍛冶屋で、冒険者たちは装備を整えてから依頼に向かう――ここでは、それが当たり前の流れらしい。


 途中でふと、レオンは受付の方を振り返った。リリアは今、別の冒険者の手続きに追われているようだ。さきほどの柔らかな微笑みは一転、てきぱきと業務をこなす厳粛な表情に変わっている。客対応では笑顔を絶やさず、仕事の話になると瞬時に真剣さを増す。その切り替えの速さに、レオンは驚かされた。


(……なんだか、すごい人だな)


 思わず小さく苦笑する。自分もああいう風に、臨機応変に動けるようになるのだろうか。ともあれ、リリアの言葉どおり、今は自分にできることを一歩ずつやるしかない。


 ギルドの受付カウンターは、いつの間にか活気を帯びていた。


 初老の冒険者が新しい依頼を確認しに来ていたり、若い二人組がクエストの報酬を受け取っていたり、旅の学者らしき人物が資料の確認を申し出ていたり――多種多様な人々が訪れている。

 だが、リリアは一人ひとりに目を配り、それぞれの対応をそつなくこなしていた。その姿は一見、事務的にも見えるが、どこか温かみを感じさせる。まるで何も言わずとも「あなたのことをちゃんと見ていますよ」と語りかけるような、そんな雰囲気があった。


 レオンはもう一度、その背中を見つめ、心の中で小さく感謝を呟いた。


「……ありがとう、リリアさん」


 この町に来て、まだ初日。


 右も左も分からない状態だったが、こうしてギルドの受付で親切にされ、少しだけ前向きな気持ちを取り戻せた。それだけでも、ブルーヴェイルへたどり着いた意味があったと思える。


 自分の出生や境遇を話すつもりは今はない。だが、リリアの言った「冒険者としての第一歩」を踏み出せたことが、確かに力になっている。


 冒険者ギルド――そこに足を踏み入れた瞬間から、レオンの新たな人生は動き始めていた。朝の光が少しずつ強まるギルドのホールで、リリアの元気な声が響く。


 立ち止まる限り、先へは進めない。焦らず、しかし止まらず――今日から始まる冒険者としての日々をしっかりと受け止めるために。


「……よし」


 レオンはまだ知らない。だが、今はそれでいい。


 リリアに渡された依頼書と登録証を固く握りしめ、新たな物語の幕が開く。その始まりは静かだけれど、確かに意味のある一歩だった。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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