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第45話 雷光、絶望を裂いて

 朝の光が柔らかく街を包み始めた頃。ブルーヴェイルの冒険者ギルドの扉を開けると、レオンとセリナの目に飛び込んできたのは、いつものカウンターに立つリリアの姿だった。


「おはよう、リリア」

「おはようございます、レオンさん、セリナさん」


 貴族の護衛クエストの報告はすでに済ませていたが、以前のようにクエストの相談をするのは久しぶりだ。リリアの声にも、どこか嬉しさが滲んでいる。


「久しぶりに依頼を探しにきたよ」

「それなら、ちょうど良いタイミングですね。今日はそこそこ依頼も揃ってますよ」


 リリアは笑顔で手元の依頼ファイルを取り出し、カウンター越しに差し出してくれる。


「護衛系か討伐系か、どちらをご希望ですか?」


 レオンとセリナがファイルを覗き込み、「どれが良さそうかな」と相談を始めた、その時――ギルドの裏口から、息を切らした伝令が飛び込んできた。


「大変だ! 東街道の商隊がゴブリンの大群に襲われてる! 緊急依頼だ!」


 突然の事態に、ギルド内の冒険者たちもざわつく。

 リリアはカウンターから慌てて飛び出し、伝令の腕を掴んで呼び止めた。


「落ち着いてください! 詳しい状況を教えてください!」


 伝令は肩で息をしながら、早口で状況を伝える。


「場所は……ブルーヴェイルから東に10キロくらいの街道だ! 定期便の商隊が森を抜けるあたりでゴブリンに囲まれて……護衛が応戦してるが、とても持ちそうにないって……!」


 リリアは即座にレオンとセリナに目を向ける。


「護衛は何人で、どのくらいの規模の群れですか?」


 レオンが質問すると、伝令はすぐに答える。


「護衛は4人! Cランクが2人とDランクが2人! でも、相手は30体以上……いや、もっといるかも!」


 レオンとセリナは短く視線を交わした後、リリアの前に一歩進み出る。


「お二人、お願いできますか? 今すぐ出れば間に合うかもしれません!」


「……30体。それなら、なんとかなる」


 セリナが迷いなく断言し、レオンも一瞬考えたあと、力強く頷く。


「よし、行こう」


 リリアは二人に向かって深く頭を下げる。


「ありがとうございます! 追加の情報が入り次第、後からでも伝えますので!」


 レオンとセリナがギルドを飛び出すと、伝令も「お願いします!」と背中に叫ぶ。その声を背に受けながら、二人は東街道へ向けて駆け出した。


 装備確認もそこそこに、二人は一瞬だけ目を合わせると、そのまま並んで街の大通りを駆け抜け、東門へ向かった。


 すでに日は高く昇る手前だが、早朝の冷たい空気が肌を刺す。それを感じる余裕もなく、レオンは石畳を蹴る足にさらに力を込めた。セリナはその少し前を駆け、草むらを蹴りながら音もなく進んでいく。獣人の身体能力を活かした、無駄のない走りだった。



 東門を抜けると、一気に緊張感が増す。街の中とは違い、視界が開ける分、どこから襲われてもおかしくない。しばらくして街道を一目散に走る二人の耳に、微かに風に乗る悲鳴が届く。まだ遠いが、確かに人の声だ。


「くそっ……間に合ってくれ!」


 レオンは息が上がるのを無理やり抑え込みながら、セリナの背を追う。背中越しに見える銀色の髪が揺れ、その耳が絶えずピクリと動いている。獣人ならではの聴覚が、遠くの異変まで拾い上げているのだろう。

 そのセリナが唐突に足を止め、鼻をひくつかせる。そして、低く、抑えた声で短く告げた。


「……血の匂い。すぐそこ」


 その一言が、レオンの胸に重く響く。もう、目の前まで迫っている――。


「行くぞ!」


 レオンが叫ぶと同時に、セリナは一気に加速した。獣のような滑らかな動きで草むらを突っ切り、レオンも必死でその背を追う。焦りが全身を駆け巡る中、やがて木々の切れ目から、混乱する商隊と、その周囲を取り囲むゴブリンの姿が見えてきた――。



 ◆◇◆◇

 ギルドの扉が静かに開いた。

 朝の慌ただしい空気の中、そこに現れたのは、深いフードを目深に被った旅装束の少女。裾の長いローブは少し埃を帯び、旅の疲れを隠しきれていない。それでも、どこか漂う気品と、フードの奥から覗く銀色の髪が、ただの旅人でないことを物語っていた。


 カウンターに立つリリアは、急報の対応で慌ただしく動いていたが、その少女がゆっくりと近づいてくるのに気づき、ふと手を止める。


「すみません……少しお伺いしたいのですが」


 控えめながら、どこか真剣な声音。その響きに、リリアは対応を切り替え、笑顔を作りながら「はい、何か御用でしょうか?」と応じる。


 フードの少女――サフィアは、一瞬言葉を選ぶように視線を伏せた後、覚悟を決めたように口を開く。


「このギルドに登録している冒険者、レオンさんを探しています」


 ピクリとリリアの表情が強張る。


「……失礼ですが、どのようなご関係で?」


 明らかに警戒の色が混じる声音。それも当然だろう。いきなり名指しで尋ねてくる旅人など、そうそういるものではない。

 だが、サフィアは静かに懐から革のカードを取り出した。それは冒険者ギルドの登録証。そこには確かに、「サフィア」という名と、正式な冒険者の証明が刻まれていた。


「私は、旅の魔術師です。レオンさんは……大切な人です。個人的な事情ですが、どうしても会いたくて」


 フードの影に隠れた瞳が、揺るぎない真剣さを宿している。その一言に、リリアの表情が少し和らぐ。


「大切な人……」


 リリアの胸に、チクリと小さな痛みが走る。だが、そんな気持ちを押し込めて、彼女は静かに答えた。


「レオンさんなら……ちょうど今、クエストで飛び出していきました」


 サフィアが小さく息を飲む。


「どこへ?」

「東街道です。商隊が魔物に襲われたって急報が入って……」

「……レオンがそこに?」


 リリアは少し驚いた。名前を呼び捨てにしたのを聞き逃さなかったのだ。


「セリナさんも一緒です。でも、二人だけじゃ危ないかもしれません……」


 サフィアはすぐに背を向け、出口へと向かう。


「……教えてくれてありがとう。すぐに向かいます」

「えっ!? ちょっと、あなた一人で行くの!?」


 リリアの制止にも構わず、サフィアはフードを被り直し、そのままギルドを飛び出した。


「何なのよもう……。あの人、本当にレオンさんの知り合い?」


 呆れ混じりに呟きつつも、リリアはその後ろ姿を見送りながら、小さく肩を落とす。


「大切な人……かぁ」



 ギルドを出たサフィアは、そのまま一直線に近くの厩舎へ向かう。ブルーヴェイル冒険者ギルドの近隣には、冒険者や旅人用に貸し馬を扱う施設がいくつか並んでおり、サフィアは迷うことなく馴染みのない厩舎の門を押し開けた。


「馬を一頭、すぐに貸してください」


 いきなり現れた銀髪の少女に、厩舎の親父がぎょっと目を丸くする。だが、その真剣な眼差しと、腰に吊るされた短杖を見て、ただ者ではないと察したのか、余計な詮索はせずに馬を引いてきた。


「へい、お嬢ちゃん。元気なやつにしといたからな。ただし、無茶な乗り方は勘弁してくれよ」

「ありがとうございます。代金は後で必ず」


 サフィアは手慣れた動きで馬に跨ると、軽く手綱を引きながら馬の耳元で囁く。


「お願い。少しだけ、急いで」


 馬が応えるように鼻を鳴らし、そのまま勢いよく飛び出す。

 石畳の上を蹄の音が響き渡り、早朝の街並みを駆け抜ける銀髪の少女。その背中には、揺れるフードの下からわずかに覗く、王宮魔術師団仕込みの誇りと決意が宿っていた。


 目指すは東街道。レオンとセリナのいる場所へ、風を切って一直線に――。



 ◆◇◆◇

 視界に飛び込んできたのは、横倒しになった馬車と、その傍で倒れ伏す護衛の姿。車輪は軋んだまま片方の車軸が折れ、商人らしき夫婦が娘を庇うように馬車の陰に身を潜めている。だが、その二人も血まみれで、いつ倒れてもおかしくない状態だった。

 馬車を取り囲んでいるのは、粗末な武器を振りかざし、下卑た笑い声を上げるゴブリンの群れ。中でも一匹が娘の足を掴み、引きずり出そうとしていた。


「娘だけは……! お願いだ……!」


 父親が震える腕で必死に抵抗するが、ゴブリンは構わず噛みつこうと口を開ける。その惨状を目の当たりにしたセリナは、一瞬も迷わず地面を蹴り、音もなくゴブリンの背後に忍び寄る。そして、手にした短剣が閃き、ゴブリンの首筋を切り裂いた。

 くぐもった断末魔の悲鳴とともに、血飛沫が草地に散る。倒れるゴブリンを無感情に見下ろし、セリナは鋭く言い放つ。


「……手、出さないで」


 冷たい声が、残るゴブリンたちの動きを一瞬止める。しかし次の瞬間、仲間の死に激昂した別のゴブリンがセリナに飛びかかる。


「甘い!」


 横から飛び込んだレオンが剣の柄でゴブリンを突き飛ばし、そのまま一気に刃を振り下ろして仕留める。

 だが、数が多い。草陰や岩陰から次々と湧き出すゴブリンに、二人はほとんど休む暇もなく斬り続ける。娘を必死に抱きしめる商人夫婦を背に、二人は身体を張って防衛線を築いていく。


 剣が唸り、短剣が閃き、短い悲鳴が連続する。セリナはフードを脱ぎ捨て、狼耳をピンと立て、尻尾をしならせて機動力を最大限に引き出す。ナイフで遠距離から牽制し、間合いに入った敵を短剣で無慈悲に仕留める。

 レオンも剣技だけでなく風魔法を織り交ぜ、群れを散らしつつ立ち回る。魔法で土埃を巻き上げて視界を遮り、敵の動きを制限するなど、実戦ならではの応用も駆使する。


 ようやく数を減らし、安堵しかけたその時――。


 馬車の向こうに、不気味な影がゆっくりと立ち上がった。

 漆黒の鎧をまとい、通常のゴブリンとは一線を画す威圧感。手にした大剣は、空気を切るだけで感じるほどの重さを持っている。鎧の隙間から漏れる瘴気のような気配が、二人の肌をじりじりと焼くように迫る。


「……上位種……」


 セリナが小さく呟く。


「ゴブリン・デスナイトか……!」


 レオンは思わず息を呑む。


 普通のゴブリンとは違い、知恵を持ち、闇の魔法によって強化された個体。人間の騎士さながらの戦闘力を備えた、最悪の魔物のひとつ。

 デスナイトは無言のまま大剣を引きずるように構え、その足取りで大地を揺らす。


 セリナは一歩前に出て、短剣を握り直した。


「……強い。でも、やる」


 レオンも剣を構え、決意を込めた声を上げる。


「ここで引くわけにはいかない!」


 緊迫した空気を裂くように、二人は同時に駆け出した――。



 デスナイトの大剣は、見た目の重厚さに反して驚くほど速く、しかも凄まじい破壊力を秘めていた。護衛の一人を両断し、馬車の車輪さえ一撃で粉砕するほどだ。


 セリナとレオンは息を合わせ、連携して攻撃を仕掛ける。セリナは横からナイフを投げ、レオンは正面から剣で牽制するが、黒鉄の鎧は並の攻撃をことごとく弾き返した。だが、全く効かないわけではない。関節や隙間を狙い、何度か小さな傷を刻み込むことには成功している。


 デスナイトも警戒を強めたのか、両手で大剣を構え直し、二人を同時に視界に収める。その冷徹な目がギラリと光った瞬間、セリナは空気が張り詰めるのを感じ、地面を蹴って一気に間合いを詰める。

 回り込んで背後を狙うセリナ、正面から意識を引き付けるレオン――幾度も実践してきた二人の連携が冴え渡る。


 レオンの剣が甲冑に火花を散らし、セリナのナイフがわずかな隙間を抉る。地道な攻撃の積み重ねで、デスナイトの動きに微かに鈍りが見え始めた。


(いける……このまま削り切る!)


 そう思った矢先、デスナイトは膝を折るように見せかけて、いきなり大剣を横薙ぎに振り回した。セリナは反射的に飛び退いたが、刃が風を切る音とともに軌道を変える。見切りきれない――!

 かろうじて急所は外れたものの、刃の側面に仕込まれた棘状の突起がセリナの腹部を深く裂いた。


「……ッ!」


 鮮血が飛び散り、セリナは堪えきれず膝をつく。

 その隙を見逃さず、デスナイトの大剣が唸りを上げてセリナに振り下ろされる。


「セリナッ!!」


 レオンは迷わずその前に飛び込み、剣を構えて受け止めようとするが、相手の怪力と巨大な剣をまともに受け止めるには無理があった。刃と刃がぶつかる鈍い音とともに、レオンの体ごと地面に叩きつけられ、剣を持つ右肩に深い裂傷が走る。


「ぐっ……!」


 じわりと鮮血が滲み、腕が思うように動かない。だが、それでもレオンはセリナに向けられた攻撃を逸らすことだけは成功していた。


「レオン……ッ!」


 腹部の傷から血を流しながらも、セリナはレオンの元へ這うように近づこうとするも、痛みで身体が震えてしまっている。



 デスナイトの大剣が、なおもレオンへと振り下ろされようとした、その刹那――透き通るような高い声が辺りに響き渡る。


「雷よ、貫く槍となり、この穢れを穿て――《ライトニング・ランス》!!」


 空が張り詰めた音を立て、まるで空間そのものがひび割れるように強烈な光が放たれる。瞬間、雷雲が突如として湧き上がり、その中心から一条の白い雷槍が真っ直ぐに降り注いだ。


 パリッ…ゴゴゴ…ズガァァァンッ!!


 その轟音とともに雷槍がデスナイトの胸を貫く。


 雷光は黒鉄の鎧を内側から焼き裂き、激しい電撃がデスナイトの全身を駆け巡る。重い体が痙攣し、鎧の継ぎ目から煙が立ち上る。その場に響くのは、焦げる金属と肉の匂い、そして断末魔のかすれた呻き声――。


 レオンもセリナも、一瞬何が起きたのか理解できないまま、稲妻に包まれたその人影を目で追う。

 風に揺れる深いフード。細身の杖を握りしめ、小さく肩で息をする女性の姿。フードの隙間から覗く銀髪、涙を溜めた瞳、震える唇。

 女性は小さく笑みを浮かべ、涙を拭う暇もなく、真っ直ぐにレオンとセリナへ駆け寄る。その目には安堵と、張り詰めた感情が入り混じっていた。


「……遅くなって、ごめんなさい。レオン」


 その声と、ほのかに漂う甘い香り。レオンの胸に、一瞬で過去の記憶が蘇る。


「……サフィア……?」


 まさか、ここで会うとは――。


 セリナは、腹の傷を押さえたまま鼻をひくつかせ、「……甘い匂い……知り合い?」と、かすれ声で呟いていた。



 黒鉄の鎧を焼き尽くされたデスナイトは、ビクリとも動かない。周囲に残っていたゴブリンたちも、すでに息絶えている。

 商人夫婦と娘は地面にへたり込み、震える声で何度も「ありがとうございます……」と繰り返していた。だが、レオンたちはそれに返す余裕もなく、まずは負傷した身体をどうにかすることが最優先だった。


 サフィアは真っ先にレオンの元へ膝をつき、その傷口に手を伸ばす。


「レオン、大丈夫……!? どこが一番痛むの?」


 涙を滲ませながら、震える声で尋ねるサフィア。レオンは顔をしかめつつも、苦笑まじりに小さく笑う。


「ありがとう、サフィア。会えて、嬉しいよ……」


 その一言に、サフィアの頬が一気に熱くなり、目尻から涙がぽろりと零れる。だが、感傷に浸る暇はない。彼女はすぐに杖を脇に置き、腰のポーチから回復薬や医療道具を次々に取り出し、傷の手当てに取りかかった。


 そんな二人を、近くからセリナがじっと見つめていた。


「……私も、いる」


 消え入りそうな声。でも、その言葉には微妙な拗ねと、どこか寂しさが滲んでいる。

 サフィアは少し驚いたようにセリナを見やると、すぐに柔らかな微笑みを浮かべて、そっと頷いた。


「少しだけ待って。セリナも、助けるから」


 そう言って、セリナの腹部に優しく手を添えた。


「癒しの光よ、傷を閉じ、血を鎮めよ――《ヒール》!」


 サフィアの掌から、穏やかな光がふわりと溢れる。

 淡い金色の光が、セリナの傷口を優しく包み込み、まるで温かな布で撫でるように、その痛みを溶かしていく。


 肌に触れる柔らかな魔力の感触に、セリナの金色の瞳がわずかに揺れた。

 何も言わず、ただサフィアの手元をじっと見つめる。


 その瞳の奥には、はっきりと言葉にしないまでも、確かな感謝と、サフィアの力への純粋な尊敬が宿っていた。

 サフィアはそれを感じ取りながら、何も言わずにただ微笑んで光を送り続ける。


 淡い光の下、ふたりの間に静かな信頼が芽生えていく。それはまだぎこちないものだけれど、確かに仲間としての絆が、少しずつ形を成していくようだった。


 レオンはサフィアの手のぬくもりを感じながら、セリナが苦しげに息をする横顔を見つめる。


「……サフィア、どうしてここに……?」


 本当ならすぐにでも聞きたいことは山ほどある。でも、今はただ、この無事を喜ぶほうが先だ。

 サフィアはレオンを背中からそっと支え、セリナの肩にも手を添える。


「無理しないで。二人とも……わたしがいるから」


 その声はかつて王宮で耳にしたものと同じで、でもどこか強く、温かかった。


 商人夫婦は涙ながらに感謝を伝え続けるが、三人はその声が遠くに感じるほど、お互いしか見えていなかった。

 再会は突然、しかも最悪の状況で訪れた。それでも、三人の間には確かに何かが繋がり始めていた。焦げた鎧が転がる街道に、ようやく静寂が戻る。


 雷光が去ったあとの空は、不思議と澄みきっていた──。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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