第44話 貴族令嬢からの贈り物
ブルーヴェイルに戻って二日が経った。貴族の護衛クエストを無事に終えたレオンとセリナは、ギルドへの報告を済ませ、宿で旅の疲れを癒やしていた。辺境伯家の令嬢エリザベート・フォン・ラウレンツも同じく街に滞在しており、彼女は護衛として尽力した二人に改めて礼を伝えたいと考えていたようだ。
そのため、レオンとセリナは朝早く、エリザベートが宿泊する宿へ向かうことになった。彼女のほうからも「一度、お話ししたい」と伝言があったのだ。約束の時間に合わせ、二人は宿を出発し、ブルーヴェイルの大通りを進む。
エリザベートが滞在している宿は、格式のある造りの扉が印象的な洋風の建物だった。入り口には護衛の騎士たちが控えており、顔なじみのレオンとセリナをすぐに通してくれる。
宿の奥まった部屋で身支度を整えたエリザベートは、レオンとセリナを優雅な微笑みで迎えた。朝の柔らかな光が金色の髪を照らし、彼女の穏やかな気品をより引き立てている。
「まあ! わざわざ訪ねてくださるなんて、嬉しいですわ」
その言葉と表情には、再会を心から喜んでいる様子が滲んでいた。レオンは軽く一礼し、セリナも小さく頷く。
「護衛の依頼、ありがとうございました。無事に終えられて何よりです。しばらくはブルーヴェイルに滞在されるとのことでしたので、改めてご挨拶をと」
エリザベートが微笑みながら「わたくしの方こそ、お二人には感謝してもしきれませんわ」と応じたところで、セリナがぽつりと口を開いた。
「……エリザ」
突然の呼びかけに、エリザベートは一瞬驚いたようだったが、すぐにくすりと笑みをこぼす。ぶっきらぼうながらも、彼女なりに距離を縮めようとしていることを察したのだろう。
「うふふ、セリナさん、そんなふうに名を呼ばれると、少し照れてしまいますわ」
セリナは鼻をひくひくと動かし、微かに首を振る。
「……少し甘い匂い」
何の前触れもなく香りの話をし始めた彼女に、レオンは思わず苦笑する。エリザベートは可笑しそうに笑いながら「今日は少しだけ甘めの香水をつけましたの」と答えると、セリナは「……ふうん」と納得したような声を漏らした。
妙に和やかな空気が流れ、自然と三人の距離が縮まっていくのを感じさせる再会だった。
エリザベートは「どうぞお掛けになって」と手で示し、二人に椅子を勧める。侍女がすぐに用意した紅茶を丁寧に並べ、和やかなひとときが始まった。
護衛クエストの道中を振り返りながら、しばし世間話を交わしていると、話題は自然と森の術者や魔物の襲撃のことへと移っていく。
「やはり、あの術者についてはほとんど情報が掴めませんでしたわね……」
エリザベートが少し眉を寄せてそう呟くと、レオンとセリナも表情を引き締める。
「魔物の異常な増え方も、周辺の村では噂程度の話しかありませんでしたし、確証に繋がるものは何も……」
「……あれだけ派手に術を使ってるのに、痕跡もほとんど残ってないのが不自然」
セリナが小さく鼻を鳴らし、目を細める。
「はい。ですから、わたくしも明日にはこの街を発ちます。次は父のいる領都へ戻り、正式な報告をまとめるつもりです」
「領都に?」
「ええ。各地で同様の異変が起きているなら、辺境伯領全体の問題として、もっと広い範囲で調査や対策を講じなければいけませんもの」
エリザベートは迷いのない口調で言い切り、レオンとセリナを真っ直ぐ見つめる。
「皆さまに護っていただいたこの旅で、わたくし自身も多くを学びました。守られるだけの貴族ではなく、領民のために自ら動ける貴族でありたい。ですから……明日からはわたくし自身の責任で動きます」
彼女の強い決意を感じ取り、レオンは穏やかに頷いた。セリナも特に何も言わないが、その耳はピクリと小さく動いていた。
そうしてエリザベートは小さな革袋を取り出し、レオンにそっと手渡す。
開けてみると、中にはラウレンツ辺境伯家の紋章が刻まれた金貨が数枚。想定外の厚遇にレオンは驚き、一瞬言葉を失う。
「これは……なんですか?」
「わたくしからの、ささやかな感謝の気持ちですわ。護衛の報酬とは別に、個人的にお礼をしたくて」
レオンは戸惑った表情を浮かべる。護衛としての正式な報酬はすでにギルド経由で受け取っている。これ以上貰うのはさすがに気が引ける。
「でも、もう十分いただいてますし……」
それでもエリザベートは微笑んだまま、ゆっくり首を横に振る。
「これは貴族としてではなく、わたくし個人の気持ちですわ。あなたとセリナさんのおかげで、わたくしは本当の意味で外の世界を知ることができました。これはそのお礼ですの」
その真剣な眼差しに、レオンは押し返す言葉を失う。セリナは黙っていたが、少しだけ眉をひそめて口を開く。
「……余計な借りは、いらない」
その素っ気ない言葉にも、エリザベートはくすりと微笑んで応じる。
「うふふ、セリナさんらしいですわ。でも、これはわたくしがしたいからすることですの。だから気になさらず、受け取ってくださいな」
その穏やかで揺るがない態度に、レオンは観念したように小さく息を吐き、袋を丁寧に受け取った。
「……それじゃあ、お言葉に甘えまして。ありがとうございます、エリザベート様」
「いえいえ。それと……」
エリザベートはレオンの手にそっと触れ、金貨に刻まれた紋章を指さす。
「この紋章は、わたくしの家を示すもの。何か困ったことがあれば、辺境伯領内や関係者がいる場所で見せてくださいな。きっと何かの役には立つはずですわ」
貴族が信用の証として特別に用意する金貨。その重みを改めて感じながら、レオンはもう一度礼を言い、セリナも小さく「……ありがと」と呟く。
その言葉にエリザベートは心から嬉しそうに微笑んだ。
こうして、正式な護衛任務は終わっても、三人の縁はまだ続いていく。特別な金貨を手に、レオンとセリナはその高級宿を後にした。
エリザベートと別れた後、レオンとセリナは街をぶらりと歩きつつ、馴染みの道具屋へ向かった。これまでの任務で消耗したポーションや保存食を補充するためだ。
木製の扉を開けると、カウンターの向こうで忙しく品出しをしていたふくよかなおばさん店主が、すぐに気づいて顔を上げる。
「あらまあ! あんたたち、生きて帰ってきたのねぇ!」
エプロンのポケットから布を取り出し、手を拭きながら、店主はいつもの調子で声を張る。
「ちょっと寂しかったのよ。いったいどこまで飛んでったの?」
その朗らかな歓迎に、レオンは少し照れながら答えた。
「ちょっと遠出してたんだ。貴族の護衛の仕事でさ」
横にいたセリナは、カウンターに空のポーション瓶を無言で並べる。
「……もう、ない」
「まぁまぁ、こりゃまた随分と使い切ったねぇ」
店主は目を丸くしながら瓶の数を数え、レオンとセリナを交互に見やる。
「相当無茶したんじゃないの? そんなに減らすなんて」
レオンは苦笑し、「まぁ、色々あってね」と肩をすくめる。
セリナは「……無茶してない」と少しだけ口を尖らせてそっぽを向いたが、その仕草に店主は「はいはい」と笑いながらカウンターから出てくる。
「でもねぇ……やっぱり二人とも顔つきがちょっと変わったわよ。前より随分逞しくなったっていうか」
店主は腕を組んでレオンをまじまじと見つめ、ニヤリと口角を上げる。
「さては、大冒険か、大恋愛か?」
「いやいや、そんな大層なもんじゃないですって!」
慌てるレオンの横で、セリナが腕を組んだまま鼻をふんっと鳴らす。
「……レオン、強い」
「あらまぁ、セリナちゃんがそこまで言うなら本物ねぇ」
店主はクスクス笑いながら、ポーションに保存食、ちょっとした生活用品をカウンターに並べる。
「はい、これで全部ね。合計は……」
レオンが財布を取り出して支払いを済ませる横で、セリナは店の外をじっと見つめていた。
支払いを終え、店を出ようとしたとき、店主がふと思い出したように声をかける。
「そうそう、最近この辺りでも魔物が妙に増えてるって噂だよ。旅から帰ったばかりで悪いけど、くれぐれも気をつけなさいよ」
「魔物が……? ありがと、気にしておきます」
レオンが軽く手を振ると、セリナが小さく「……次の依頼、決まり」と呟く。
「え、ちょっと待ってくれよ? まだ一息つく暇も……」
文句を言いかけるレオンを尻目に、セリナは淡々と「……うん」とだけ返し、店を出た。
「まったく、二人とも元気ねぇ」と笑いながら、店主はいつものように見送ってくれる。
道具屋を出たレオンとセリナは、夕暮れ前のブルーヴェイルの街を並んで歩き、馴染みの宿へ戻った。
長い護衛任務を終え、ようやく一息つける――はずだったが、セリナはもう次の依頼を探したがっているようだった。けれど、レオンはまず荷を下ろして、少し落ち着く時間が欲しかった。
部屋に入り、二人は荷物を床に置く。レオンは腰を下ろすと、エリザベートから手渡された紋章入りの金貨を革袋から取り出した。
手のひらに乗せてじっと眺める。辺境伯家の紋章が細かく刻まれ、普通の金貨とは明らかに一線を画す。
ベッドの端に座っていたセリナが、ちらりとそれを見て小さく首を傾げる。
「……お礼にしては、重すぎる。これ、何か意味ある?」
レオンは答えに詰まる。エリザベートのあの真剣な表情が頭をよぎる。
貴族社会における紋章は、単なる飾りではない。それを他者に託すという行為自体に、特別な意味が込められることもある。
「……たぶん、ただのお礼ってわけじゃないんだろうな。貴族のこういう贈り物って、俺には深い意味までは分からないけど……」
セリナは肩をすくめて、「……エリザ、レオンを気に入ってる。それだけ」と、あっさり言い切った。
レオンは苦笑しながら首を振る。
「それを言うならセリナだろ。だけど、それだけじゃないと思うけどな……(まあ、完全に的外れとも言えないけど)」
「……ふーん」
セリナはじっとレオンを見つめるが、それ以上は何も言わない。
レオンは、紋章入りの金貨を再び革袋にしまった。表向きは感謝の印だが、あの場でエリザベートが渡してきた重さを思うと、単なるお礼では済まされない気がする。
辺境伯家の紋章は、貴族の信頼や加護を象徴する。何かあった時、これを見せれば力になるかもしれない。だが、レオンは元王子。王宮を出てきた身として、貴族社会に深入りするのは避けたかった。
(けど、仲間を守るために使うなら……その時は、その時か)
思いを巡らせるレオンの隣で、セリナはいつの間にかベッドに横になり、目を閉じていた。
レオンはふっと息を吐き、灯りを落とす。
布団に身を沈めると、ようやく訪れた静けさが心地よく感じられる。護衛任務は終わったが、旅の途中で背負ったものは、まだ重く肩に残っている。
けれど、この部屋で迎える夜だけは、少しだけ平和なものになるような気がしていた。
夜が更けたブルーヴェイルの街。
酒場や食堂からは賑やかな笑い声が漏れ、一方で宿へ戻って疲れを癒やす冒険者の姿もちらほら見える。
レオンとセリナも、ようやく今日のすべてを終え、静かな眠りについていた。
護衛任務を終えた安堵と、久しぶりの馴染みの宿。二人にとっては穏やかな夜のはずだった。
だが、街の外れ――灯りの届かぬ路地裏に、ひとりのフード姿の人物が立っていた。長いローブが風に揺れ、月明かりに照らされたその横顔には、人間にはない長く尖った耳が覗く。
その女性は、静かに息を吐き、じっと宿の方角を見つめる。
「レオン……ようやく、ここまで辿り着きました」
声は震えるほどの歓喜と、押し殺した焦燥を滲ませる。王都から遥か遠く、独りきりの旅路を超えて――ようやくここへ。
フードの下に宿る眼差しは、迷いを振り切るように強く光り、夜の静寂へと溶けていく。
こうして、レオンとセリナが護衛任務を無事に終えたその夜、ブルーヴェイルの片隅で、新たな物語が静かに動き出す。
貴族からの贈り物――ラウレンツ辺境伯家の紋章入りの金貨。そして、闇夜に佇むフードの女性。それが未来に何をもたらすのかは、まだ誰にもわからない。
眠る二人の背後では、確実に誰かが手を伸ばそうとしていた。安らぎの夜が明ける時、彼らを待つのは平穏か、それとも――。
物語は、次の幕へと静かに繋がっていく。
ご一読くださり、ありがとうございました。
続きが気になる方は是非ブックマーク登録を
お願いします。




