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第40話 貴族の子女護衛クエスト編 旅の再出発

 夜更けの激闘を終え、翌朝になってもレオンとセリナの疲労は完全には抜けていなかった。それでも、村の広場へと向かうと、すでにヴィクターとカレン、そして侍女たちに囲まれたエリザベートの姿があった。

 前夜のうちに簡単な報告は済ませていたが、エリザベートや村長たちは詳細を知りたがっており、改めて対面で話をすることになった。村の空気は沈鬱としており、魔物の襲撃や異形の狼の噂が、人々の不安を煽っているのがわかる。


 広場の一角でレオンとセリナが腰を下ろすと、エリザベートが静かに歩み寄り、「本当にお疲れさまです」と声をかけた。彼女の瞳には心配の色が浮かび、レオンは軽く微笑みながら頷き、セリナはフードを深く被ったまま、小さく息を吐く。


「森で術者らしき人物に遭遇したと伺いました。そして、逃げられてしまった、と……?」


 エリザベートの問いに、レオンは剣を脇に置きながら簡潔に答える。


「はい。森の奥に魔法陣があり、何者かがそこから魔物を操っていました。黒装束の男が呪文を唱えていましたが、転移魔法を使って逃げられてしまい、正体も目的もつかめずじまいです」


 エリザベートが神妙な表情で頷いたその横で、カレンが腕を組みながら口を挟む。


「しかも、その術者、わざわざレオン君たちを試すかのように、強化された魔物を差し向けたのよね。ますます嫌な予感しかしないわ……」


 セリナは視線を伏せたまま、小さな声で呟く。


「……魔物を操るのは、意図的。でも、何のためかは分からない」


 エリザベートは静かに息を吐き、真剣な表情で言葉を継いだ。


「こんなことをする理由は何なのでしょう? ただ魔物を暴れさせたいだけとは思えません。もしかすると、王国全体に関わる問題かもしれない……」


 そう言いながら、彼女は思案するように瞳を伏せた。続けて、最近になって辺境伯領だけでなく、王国全体でも魔物や盗賊の脅威が増えているという話を聞いていることを明かす。


「このままでは、王都に戻って報告しなければなりませんね」


 顔を曇らせるエリザベートに、レオンやヴィクターは黙って頷くしかなかった。



 村長が老人らしい落ち着いた声音で口を開いた。森の深部で魔法陣が見つかり、強化された魔物がいる可能性を聞かされても、村としてはすぐに動くことは難しい。しかし、被害が拡大すれば、ただちに近隣の領主や王都へ報告する意向を示す。


「わしらも、あの森が危ないのは分かっとるんじゃが……人手が足りん。おまえさんたちがいなければ、今すぐどうこうできるものでもない。もう少し様子を見て、魔物の動きが続くようなら正式に報告書を出すことにするよ」


 エリザベートは少し歯がゆそうな表情を浮かべるが、それが村の現実なのだろう。貴族の令嬢である彼女がここにいるだけで行政命令を出せるわけではなく、騎士団も帯同していない今、外部からの介入には限界がある。

 そんな中、ヴィクターが一歩前に出て、周囲を見回しながら言った。


「……正直、この森を徹底的に調べても、すぐに何か手がかりが得られるとは限らない。術者を探し回ったところで、また逃げられる可能性が高い。ここに長く留まっても、決定的な情報を掴めるかは分からないな」


 カレンもそれに賛同するように小さく頷く。レオンとセリナは視線を交わし、今回の護衛と視察の本来の目的を思い出す――エリザベートに辺境の現状を学ばせ、各地の問題を把握させること。

 貴族の子女である彼女を長期間この村に留めて、森を探索し続けるのは現実的ではない。視察を続行するか、王都へ報告を持ち帰るべきか――視察隊は次の決断を迫られていた。



 協議の結果、視察隊は森の謎を完全に解明するのは困難だと判断し、予定通り次の行程へ進むことを決めた。エリザベートはどこか未練があるようで、「このまま放置して本当に大丈夫なのかしら……」と小さくつぶやく。しかし、周囲の説得もあり、最終的には苦渋の決断を下す。


「わたし一人で突き止めようとしても、今の力では限界がありますね。村長さん、魔物の動きに変化があれば、速やかに領主へ報告をお願いします。わたくしも、父や王都へ働きかけるよう検討します」


 村長は深く頭を下げ、「かたじけない」と礼を言う。周囲には村人たちが集まり、視察隊が去ることを惜しむように見送っていた。彼らにとって、護衛の冒険者たちが魔物の襲撃を防いでくれたことは確かな恩義だった。

 その光景を見ながら、セリナはほんの少し胸を痛めるような表情を見せる。フードの下で狼耳をわずかに動かし、「……結局、何も解決できなかった」と思いつつも、今はこれが最善の選択なのだと自分に言い聞かせるしかなかった。

 一方、エリザベートは侍女に支えられながら馬車へ向かう途中、ふと村の様子を見回す。傷ついた家畜、怯えたままの子供たち――彼女が守りたいと願う領地の民の姿がそこにある。

 その瞳には、これまでとは違う強い決意が宿っていた。「このままではいけない」――そんな思いが、胸の奥に深く刻み込まれていく。


(いつか必ず、この術者を突き止める。王都へ報告し、もっと大きな力を借りなければ……)


 思索にふける彼女に、レオンが静かに近づく。「大丈夫ですか?」と穏やかに声をかけると、エリザベートは短く「ええ、大丈夫」と微笑んだ。その笑顔には、以前の迷いとは違う、確かな覚悟が滲んでいた。



 朝早く、視察隊は荷物をまとめ、ヴェルン村の中央の広場を進み始めた。見送りのため、多くの村人が家の前に出てきていた。魔物の問題は依然として残るものの、エリザベートが真剣に対処を考えている姿を見せたことで、村人たちはわずかながらも希望を感じているようだった。

 か細い声で「ありがとうございました……」と呟く老人、子供を抱きかかえながら「気をつけてくださいね」と声をかける母親たち――彼らの視線には、感謝と同時に不安の色も滲んでいる。セリナは少しフードを深く引き下げながら、静かに彼らへ一礼した。


「お嬢様……またお越しくださいね。次は、もっと安全な村になっているといいのですが……」

「ええ、きっと。私もそのために努力します」


 微笑みながら答えるエリザベートは、礼儀正しい貴族としての威厳を崩さず、それでいてどこか温かさを滲ませる表情を見せた。馬車の窓から見える村の光景を、彼女は静かに胸に刻むように見つめている。今回の経験が、彼女にとっても大きな転機となったことは間違いないだろう。

 一方、視察隊の先頭を行くヴィクターは、馬を進めながら険しい表情を浮かべていた。


「……くそっ。結局、術者を逃がしたままか」


 彼の隣で馬を走らせるカレンは、肩をすくめて溜め息をつく。


「まぁ、これ以上ここに留まっても、次に現れる保証もないし仕方ないわよ。私たちの役目は、エリザベート様の視察の護衛だもの」

「ああ、分かってる。だが……」


 ヴィクターは歯がゆそうに顔をしかめる。


「あの魔物の強化は異常だった。それに転移魔法を使う術者……並の手練れじゃない。もし、あれが王都にまで影響を及ぼすような事態になれば、厄介なことになる」

「確かに……。辺境だけの問題とは思えないわね」


 二人の表情は次第に険しさを増し、互いに視線を交わす。未知の脅威が潜んでいる以上、いずれ自分たちも、その渦中に巻き込まれる日が来るかもしれない――そんな予感が、心のどこかに影を落としていた。



 視察隊が村を出てしばらくすると、レオンは馬を軽く走らせながら、エリザベートの馬車のそばへ移動した。窓越しに彼女の様子をうかがうと、エリザベートは静かに外の景色を眺めている。その横では、カレンが何やら楽しげに話しかけているのが見えた。

 馬車の中にはもう一人――セリナも座っていた。窓際でフードを被ったまま耳を微かに動かしながら、外の気配を探っていた。


 エリザベートは、カレンの話に相槌を打ちながらも、どこか上の空のようだった。そんな彼女の表情を見て、カレンは軽く肩をすくめながら、「ほらほら、お嬢様。そんなに深刻にならなくても、まだ旅は続くんだから、気を抜く時間も必要よ?」と軽く茶化すように言う。

 しかし、エリザベートは窓の外に視線を向けたまま、小さく息を吐いた。


「……分かっています。でも、どうしても考えてしまうのです。村のこと、森のこと……わたしは貴族として、本当に役に立てているのでしょうか?」


 その言葉に、カレンは少しだけ眉を寄せた。ふと視線を横に移すと、セリナがフードの下でじっとエリザベートを見ているのに気づく。

 そして、セリナはゆっくりと口を開いた。


「……エリザベート、よくやってる。……気にしすぎ」


 不器用ながらも真っ直ぐな言葉だった。セリナが他人を慰めるようなことを言うのは珍しく、それだけでも意外な光景だった。エリザベートは一瞬驚いたように彼女を見つめ、やがてふっと微笑んだ。


「……ありがとう、セリナさん」


 セリナは「別に」とそっけなく返しながらも、どこか気まずそうに視線を外した。そのやり取りを見たカレンは、「あらあら、セリナちゃんも優しいのね」と微笑ましげに言い、馬車の中に少しだけ柔らかな空気が広がった。

 その雰囲気に、エリザベートも少し表情を和らげる。そして、ふと思いついたようにセリナへと視線を向けた。


「ねえ、セリナさん……もしよければ、もう少し気軽に呼んでくれませんか? たとえば、わたしのことをエリザとか……何か愛称で」


 セリナはその提案に、ぱちりと瞬きをする。しばらく考え込むようにエリザベートを見つめたあと、「……エリザ」と、試しに口にしてみた。少しぎこちないが、普段の簡潔な話し方に馴染んでいるのか、それほど違和感はない。


 エリザベートは嬉しそうに微笑み、「ふふっ、ありがとうございます。セリナさんにそう呼ばれるの、なんだか新鮮です」と声を弾ませる。

 すると、カレンがここぞとばかりに口を挟んだ。


「じゃあ、わたしもエリィって呼んでもいい?」


 エリザベートは目を瞬かせた後、少し考える素振りを見せる。そして、苦笑しながら「……カレンさんは、もともと自由に呼んでいましたよね?」と返す。

 カレンは「まあ、それもそうね」と楽しげに笑いながら肩をすくめ、「でも、正式に許可もらったほうが、堂々と呼べるでしょ?」といたずらっぽく言った。


 エリザベートは呆れたように小さくため息をつきつつも、「ええ、構いませんよ」と微笑む。そのやり取りにセリナは「……自由」とぽつりと呟き、カレンは「ふふっ、それがわたしの持ち味だからね!」と得意げに笑うのだった。

 馬車の中は、先ほどよりも少しだけ打ち解けた雰囲気になり、穏やかな時間が流れ始めていた。


 外ではレオンがその様子を確認しながら、小さく微笑んでいた。馬車の旅はまだ続くが、少しずつ、視察隊の結束も深まっているようだった。

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