第34話 貴族の子女護衛クエスト編 交易拠点の町へ
メルグレイヴを出た翌日、視察隊は ラウレンツ家が統治する辺境の一部にある小村に到着した。エリザベートは馬車から降り立ち、侍女とともに村長や農民たちの話を熱心に聞き取っている。周囲では護衛の騎士、そしてレオンとセリナ、ヴィクター夫妻が控え、いつでも動けるよう警戒していた。
この村は 天候不順や土壌の問題により作物の生育が芳しくなく、村人たちは長年にわたり厳しい生活を強いられているという。出迎えた村人たちの表情はどこか暗く、エリザベートを歓迎しながらも、「何をしてくれるのだろう」という期待と諦めが入り混じった様子を見せていた。
エリザベートは足元の荒れた畑に目を向け、苦しげに眉を寄せる。
「辺境の村の状況を知ることができて良かったです。でも……思ったよりも厳しい環境ですね」
村長が思い切ったように口を開いた。
「ええ。今年は天候にも恵まれず、作物の出来がいまひとつでしてな……。村人も皆、なんとか食い扶持をやり繰りしている状況です」
護衛の騎士や侍女たちも村人とのやり取りを静かに見守る。エリザベートはおっとりした表情の奥に真剣な光を宿し、少し考え込んだ後、静かに問いかけた。
「王都の商人たちは、適正な取引をしていますか?」
村長は渋い顔をしながらも正直に答える。
「中には良心的な者もおりますが……やはり我々の立場は弱い。どうしても買い叩かれがちで……」
エリザベートは唇を噛みしめるようにして黙り込んだ。貴族の名の下にこの地を治める立場でありながら、実際には十分な保護が行き届かず、商人たちの横暴を許してしまっている――その現実を突きつけられたのだ。 これまで王都で学んだ理論や噂と、辺境の民が直面する厳しい現実。その間に横たわる大きな隔たりを、彼女は痛感し始めていた。
やがて、ゆっくりと息を整え、決意を滲ませた声で言う。
「……貴族として、領地の民が適正な取引を受けられるようにしなければなりませんね。わたしも、もっと勉強します。父にも報告して、何か手を打たないと」
村長は頭を下げ、「ありがとうございます」と感謝を述べたが、その表情にはどこか不安が滲んでいた。貴族の言葉はありがたいが、実際にどのような対策が取られ、いつ成果が出るのかは分からない。
これまで貴族の庇護が十分に行き届いてこなかった地域の者たちにとって、上の者の言葉をすぐに信じることは難しいのかもしれない。長年、自分たちだけでなんとかやり繰りしてきたからこそ、期待すること自体に慎重にならざるを得なかったのだろう。
その様子を護衛の立ち位置から見守っていたレオンは、エリザベートの横顔をちらりと見やる。
(貴族の娘とはいえ、こうして直接村人の話を聞き、考えている……。思っていたよりも、現実に向き合う人なのかもしれないな)
会ったばかりの相手ではあるが、エリザベートは単なる形式的な視察ではなく、少しでも村の実情を知ろうとしているように見えた。 貴族としての責任感がどこまで強いのかはまだ分からないが、少なくとも「現実を知ろうとする意思」は持っているのだろう。
隣のセリナも、視線をわずかにエリザベートへ向け、小さく頷く。
「……本気で考えてる?」
レオンにだけそっと呟くように言ったその声には、わずかな驚きが混じっていた。彼女は人間の貴族に対して、どこか一線を引いていた。しかし、今目の前にいるエリザベートは、彼女の知る貴族とは少し違う印象を持たせるものだった。
レオンはそんなセリナの反応を見て、軽く息をつく。
「どうだろうな。でも、少なくとも上辺だけの言葉じゃなさそうだ」
まだ結論を出すには早い。しかし、護衛として旅を共にする以上、彼女の姿勢をこれから間近で見ることになるだろう。
それが「良い変化」となるのか、それともただの理想論で終わるのか――。レオンとセリナはそれぞれに思いを巡らせながら、エリザベートの視察を見守っていた。
小村での視察を終えた翌朝、エリザベートは次の目的地である交易拠点の町・リュミナスへ向かうことを決めた。そこは商人たちが集まり、農産物や特産品の取引が盛んな町であり、ラウレンツ領と周辺の領地を繋ぐ重要な交易の拠点だ。
リュミナスはラウレンツ領には属しておらず、隣接するファーレン伯爵領の管轄下にある。しかし、辺境伯領と王都を結ぶ物流の要所であるため、エリザベートにとってもその実態を視察する意義は大きい。
レオンとセリナ、そしてヴィクター夫妻は、これまでと同様に護衛として警戒を続ける。出発の準備が整った頃、護衛の騎士の一人が馬を駆って近づき、緊張した面持ちで報告した。
「殿下、最新の情報ですが……この辺りの街道で盗賊が頻繁に出没しているとのこと。商隊や旅人が襲われる事件が数件確認されております」
カレンが「やっぱりねぇ」と肩をすくめ、ヴィクターは険しい顔で「予想していたが、無視できないな」と呟く。
エリザベートは「盗賊……!」と息を呑み、わずかに表情を曇らせる。これまでの視察では村の貧しさや商人との取引に意識を向けていたが、実際の危険に直面する可能性があると考えると、不安が募るのだろう。
レオンは騎士からの報告を受け、胸の内で静かに決意を固めた。魔狼のような単純な脅威とは異なり、盗賊は知略を巡らせ、待ち伏せや撹乱を仕掛けてくる可能性が高い。 戦闘だけではなく、如何に奇襲を防ぎ、隊列を維持するかが重要だ。
「もし襲われた場合でも、隊列を崩さずに対処しましょう。道中の夜営や宿泊場所の選定にも気を配る必要があります」
セリナも尻尾をわずかに揺らしながら「……気をつける」と短く応じる。ヴィクターは「いやはや、次から次へと大変だな……」と苦笑しつつも、経験豊富な戦士らしく落ち着いている。
一方、カレンは唇を弧にしながら「むしろちょっとやる気出るわ」と、どこか楽しげに腕を組んだ。その軽妙な態度が、場の空気をわずかに和らげる。
視察隊は街道を進みながら、野営や小さな宿場での宿泊を繰り返した。道中、すれ違う商人や旅人たちから「最近、このあたりで盗賊被害が増えている」という噂を頻繁に耳にする。エリザベートも護衛の騎士や侍女たちと相談し、警戒をさらに強めるよう指示を出した。
実際、道中ではいくつかの小さなトラブルに見舞われた。夜営中に魔物が現れて不意を突かれることもあれば、移動中に街道の曲がり角でゴブリンの群れと鉢合わせすることもあった。ゴブリンたちは視察隊の規模を見て一瞬戸惑ったものの、すぐにわらわらと武器を振りかざしながら飛びかかってきた。
「ったく、ゴブリンまで出るとはねぇ……」
カレンが矢を番えながら、呆れたように呟く。
護衛たちは即座に対応し、レオンとヴィクターが前に出てゴブリンを迎え撃つ。セリナも俊敏な動きで側面を抑え、素早く仕留めていった。ゴブリンの動きは単純だったため、大きな被害を受けることなく戦闘は終わったが、襲撃を受けたことで視察隊は改めて警戒を強めることになった。
「盗賊だけじゃなく、ゴブリンまで出るなんて……何か起きているのかしら?」
エリザベートが不安げに呟くと、ヴィクターが冷静に答える。
「魔物の動きが活発になってるのは間違いないな。盗賊の被害と関係があるのかどうか、一度、近くの村で話を聞いたほうがよさそうだ」
こうして視察隊は、盗賊だけでなく魔物の動きにも注意を払いながら、さらに慎重に旅を続けることとなった。
そんなある夜、一行は小高い丘の麓で野営を取った。馬車と荷車を適当な位置に配置し、中央に焚火を置く。騎士たちは交代で見張りに立ち、レオンとセリナもいつも通り警戒に加わる。
焚火の明かりがゆらめく中、ヴィクターが低く抑えた声でレオンに問いかける。
「……今の、見たか?」
彼の視線は闇の向こうを捉えていた。レオンも目を細め、暗がりを注視する。すると、森の奥で一瞬、木陰を揺れるように横切る影があった。
セリナは鼻をひくつかせ、鋭い瞳で闇を見つめる。
「……魔物じゃない。人の匂い」
カレンも焚火の周囲を警戒しながら、「盗賊の偵察かしらね。こちらの様子を探ってるみたいだけど……すぐには仕掛けてこないってことは、慎重に動いてるのかも」と推測する。
レオンは剣の柄に手をかけながら、相手の意図を探る。見られていたのは確かだ。しかし、すぐに襲ってこないということは、ただの盗賊ではない可能性もある。「どうする? 追うか?」とレオンがヴィクターを見ると、彼は頭を振る。
「やめておけ。夜の森での追跡戦は相手の思うツボだ。地の利があるのはあっちだし、向こうが罠を仕掛けている可能性もある」
レオンとセリナは互いに目を交わし、戦闘の準備をしながらも、状況を慎重に見極めることにした。結局、その影は森の奥へとすぐに姿を消し、追撃することなく視察隊は警戒態勢を維持することにした。
その夜、二度と不審な姿を現すことはなかった。だが、組織的な動きをする盗賊の存在が浮かび上がったことで、視察隊に不穏な影が差し始めていた。
盗賊団の気配を感じた夜からさらに二日が経過した。道中、襲撃を受けることはなかったが、一行は警戒を緩めることなく進んでいた。周囲の商人や旅人からも「最近、盗賊の被害が増えている」という噂が頻繁に耳に入る。
そして、予定よりやや遅れて、視察隊は交易拠点として栄える町・リュミナスに到着した。ここは近隣領地との結節点として機能する交易都市で、大規模な市が定期的に開かれることで知られている。町の入り口では多くの商人が列を作り、検問所では通行手形の確認が行われていた。
レオンとセリナは警戒を怠らず、馬車の左右を護衛しながら門をくぐる。騎士たちが門番と手続きを交わし、エリザベートの馬車がゆっくりと街路へと入ると、そこには活気に満ちた光景が広がっていた。屋台や荷車が並び、宿屋や商店が軒を連ねる。行き交う人々の声が賑やかに響き、交易都市ならではの熱気が漂っていた。
町に入ると、エリザベートは侍女とともに予定された宿へ直行し、しばらく休息を取ることになった。視察隊の護衛を務める騎士たちも、交代で休息を取る手はずが整えられ、一行はひとまず落ち着くことができた。
活気あふれる町並みを見渡しながら、レオンは周囲の空気を慎重に探る。昼間の喧騒の中にも、どこか不穏な気配が混じっている気がした。
セリナもまた、軽く鼻をひくつかせながら、周囲を警戒している。
「……静かすぎる」
彼女のかすかな呟きに、レオンは小さく頷く。賑やかな市場の向こうに、何かが潜んでいるような、そんな感覚が拭えなかった。
今はまだ、町は平穏を保っている。しかし、この静けさが嵐の前触れでないとは、誰にも言い切れない。視察の旅はまだ続く。だが、その道程が穏やかなものになる保証は、どこにもなかった――。
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