第32話 貴族の子女護衛クエスト編 護衛の始まり
メルグレイヴの冒険者ギルドで正式に受注した護衛の仕事――その対象は、貴族の娘エリザベート・フォン・ラウレンツ。地元の有力貴族であるラウレンツ家の令嬢で、近郊の視察を行うという話だった。
一昨日、レオンとセリナはギルドマスターの執務室でBランク冒険者のヴィクター・ハーグとカレン・ハーグ夫妻に会い、護衛への指名を告げられた。エディンとの決闘が噂となり、特にレオンの剣技と獣人であるセリナの存在に興味を持ったことが、今回の指名に繋がったのだという。
王族の秘密を抱えるレオンと、孤高の獣人として生きてきたセリナ。そんな二人が「貴族の娘を護る」という任務を引き受けることになった。貴族という存在に警戒心を持つセリナ、そしてかつて晩餐会などでエリザベートの父ラウレンツ卿と顔を合わせたことがあるレオン。互いに多少の不安を抱えながらも、この仕事が二人にとって重要な経験になることは間違いなかった。
先日の決闘後、不器用ながらも人に心を開き始めたセリナ。共に生きる相棒として彼女を支えるレオン。これまでの旅とは違う、この護衛任務を通じて、二人の絆はまた新たな形へと進んでいくのだろう。
メルグレイヴ郊外の小さな広場。ここが視察一行の集合場所となっていた。すでにラウレンツ家が用意した馬車が停まり、周囲には護衛の騎士や関係者が集まっている。馬車の近くでは侍女たちが荷物の整理を進めており、旅立ちの準備はほぼ整っているようだった。
レオンとセリナは、朝早く宿を発ち、約束の時間より少し早く到着した。 馬車は上品な装飾が施され、荷車も後方に連結されている。
レオンは改めて辺りを見回した。すでにBランク冒険者のヴィクターとカレン、そして騎士三名と侍女二名、御者二名が待機している。その輪の中で、一際目を引く存在がいた。
金髪を優雅に巻き上げた少女――エリザベート・フォン・ラウレンツ。まだ十代後半と思われる若い娘で、白を基調とした清楚なドレスを身にまといながらも、どこか冒険者への好奇心を滲ませている。
ヴィクターが腕を組みながら周囲を見渡し、低く声を発した。
「これで全員揃ったな」
その言葉に、エリザベートがゆっくりと前に出る。レオンとセリナは軽く一礼し、視線を合わせた。エリザベートは少し緊張した様子を見せながらも、すぐに明るい笑みを浮かべた。
「あなたがレオンさんね。そして……セリナさん?」
期待と好奇心に満ちた瞳が、まっすぐにこちらを見ている。レオンが「はい、レオンです。セリナと一緒に護衛を務めさせていただきます」と答えると、エリザベートの目がぱっと輝いた。
「すごく……素敵な毛並みね!」
その言葉に、レオンは「ああ、やっぱり」と思わず内心で苦笑した。エリザベートの視線は、狼耳と尻尾を持つセリナに向けられている。
セリナは一瞬だけ身を硬くした。フードを被ることはなくなったが、視線を向けられることにはまだ少し慣れていない。だが、敵意は感じない。
「……何?」
セリナが低い声で警戒を示すと、エリザベートはまるで気にする様子もなく、さらに目を輝かせた。
「ふふっ、ごめんなさい。初めて間近で獣人の方を見たから、つい……。でも、毛並みがとても綺麗ね」
そこへ、カレンが軽快に割り込んできた。
「わかるわかる、モフモフしたいよねー!」
カレンの弾んだ声が響く。セリナは一瞬戸惑い、わずかに耳を動かしたが、すぐに視線を落とし、慎重に言葉を選ぶ。
「……あまり、慣れていない」
普段なら即座に拒否するところだが、相手は貴族の娘。無下に断るわけにもいかず、精一杯やんわりとした表現を探す。
「無理には触ったりしないわ。でも、もしよかったら、あなたのお話を聞かせてくれるかしら?」
その言葉に、セリナは尻尾を小さく揺らす。そして、ふと鼻をひくつかせた。
(……ちょっとだけ甘い匂いがする)
不思議な感覚だった。人間の貴族に対しては、過去の経験からどうしても警戒心が先立つ。それでも、エリザベートの纏う雰囲気は、どこか嫌な感じがしない。
セリナは警戒心を完全に解いたわけではなかったが、相手の無邪気な興味が伝わったのか、小さく頷いた。
「……わかった」
そのやり取りを見たレオンは、穏やかな微笑みを浮かべながら「今回の旅は大変そうだな」と内心で苦笑する。
視察の一行は、大きな馬車を用意しており、エリザベートと侍女二名が乗ることになっている。
護衛の騎士三名が騎乗し、馬車の周囲を固める形で警護する。ヴィクターとカレンも騎乗し、移動中主に側面及び後方の警戒を続ける。
一方、レオンとセリナは後方に連結された荷車に乗ることになった。
視察の出発準備が整ったところで、ヴィクターが荷物の確認を終え、レオンとセリナの二人に視察の行程について簡単に説明を加える。
「エリザベート様が退屈しないよう、道中でいろいろ話を聞きたがるかもしれない。その辺もよろしく頼む」
レオンは軽く頷き、冷静に返す。
「道中の安全確保を最優先にしつつ、可能な範囲で応えます」
セリナも無言で頷くが、その瞳は鋭く周囲を観察している。既に頭の中では、道中でどんな危険が潜んでいるか、どのように対処するかを考え始めているのだろう。
旅の始まりは静かでも、何が起こるかはわからない――その警戒心が、彼女の表情にはっきりと表れていた。
打ち合わせを終え、一行はいよいよ出発の時を迎えた。
エリザベートは侍女二名と共に馬車へ乗り込み、騎士三名がそれぞれ馬に跨り、馬車の周囲を固めるように配置される。ヴィクターとカレンは護衛の位置を確認しながら騎乗し、レオンとセリナは荷車に乗り込み、周囲の警戒を担当する。先頭には騎士の一人が進み、隊列を整える形となった。
「よろしくお願いしますね、レオンさん、セリナさん。落ち着いたらお話ししましょう」
馬車の後部に設けられた小窓から、エリザベートが柔らかい笑顔を向ける。
レオンは少し戸惑いつつも、「承知しました」と落ち着いた口調で返した。セリナもちらっと彼女に目を向け、「……わかった」と短く答える。
ヴィクターとカレンは最初、隊列を安定させるために前方へ位置し、進行方向を見極める。ヴィクターが手綱を軽く引きながら、落ち着いた声で「よし、出発するぞ」と告げると、一行はゆっくりと進み始めた。
こうして、エリザベートの視察の旅が正式に始まるのだった。
メルグレイヴの城壁を抜け、街道を進むと、広大な平原が広がり、やがて緑の多い土地へと入っていく。今回の視察では、道中いくつかの村に立ち寄り、地元との交流や情報収集を行う予定だ。
しばらく進むと、視察隊は商隊とすれ違った。十数台の馬車を連ねた大規模な隊列で、ブルーヴェイルへ向かう途中らしい。
エリザベートは興味を引かれたのか、侍女に頼んで馬車の窓を開け、遠巻きに眺めていた。一方で、セリナは特に関心を示すこともなく、護衛の役割を淡々とこなしている。レオンは視線を向けつつも、軽く挨拶を交わした程度で特に深入りはしなかった。
視察隊は順調に進み、大きな問題もなく旅を続けていく。
エリザベートは馬車の中でくつろぎながらも、好奇心旺盛な様子で、時折騎士や侍女、そして護衛の冒険者たちに声をかけていた。
「あなたの武器はどうしてそれを選んだの?」
「冒険者の一日はどんなふうに過ごすの?」
そんなふうに、些細なことから実戦的なことまで、積極的に質問を投げかける。
短い休憩の間には、レオンとセリナもエリザベートの興味の対象となった。セリナは最初こそ警戒していたが、繰り返される会話の中で、徐々にエリザベートの無邪気な好奇心に慣れつつあるようだった。
日が高くなると、ヴィクターとカレンは馬に乗りながら、隊列の前後を確認しつつ護衛の指示を出していた。一方、レオンとセリナは荷車に揺られながら、警戒を怠ることなく周囲を見渡している。エリザベートは馬車の中に留まり、窓越しに景色を眺めながら時折侍女と小声で言葉を交わしていた。
そんな中、カレンが馬を軽く走らせ、レオンの隣に並ぶ。彼女は気軽な調子で話しかけながら、意味ありげな笑みを浮かべた。
「ねえ、レオン君。確か火を起こせるんだよね? でも、他にも何か使えるんじゃない?」
不意に投げかけられた言葉に、レオンはわずかに眉をひそめた。
「……? まあ、多少は。でも、なんでそんなことを?」
カレンは得意げに「ふふっ」と笑い、レオンの反応をじっくりと観察するように視線を向ける。
「この前の休憩で、あなたが火を起こしてたのを見たのよ。手際が良かったし、火を操るのに慣れてる感じがした。でも、それだけじゃなくて、もしかして風も扱えるんじゃない?」
レオンは一瞬、言葉に詰まった。確かに火を扱えることは隠していないが、風については特に話していない。
「……さすがに、それはないだろ」
とぼけるように言うが、カレンは「あら、そう?」と唇を弧にして、じっと彼を見つめた。
「決闘の話を聞いたけど、あなた、動きが妙に速かったって噂になってるのよ。単に足が速いだけならともかく、動きに一瞬の加速が入るのは普通じゃないわ」
レオンは短く息をつく。確かに王宮時代に魔術の基礎は学んだが、戦闘で意識的に魔法を使ったことはほとんどない。あれは、無意識のうちに身体が反応しただけだ。
「……決闘のときは、ただの技術だよ」
そう言うと、カレンは「ふーん」と納得したようなしないような曖昧な表情を見せた。
「まあ、どっちでもいいけどね。でも、もし風を使えたら、戦闘の幅が広がるわよ。移動を補助したり、剣に纏わせたり……工夫次第で、戦い方の可能性は無限大なんだから」
その明るい声に、レオンは「参考にさせてもらうよ」と軽く返す。彼の隣でセリナは黙ったまま、じっと二人の会話を聞いていた。
すると、そのやり取りを聞いていたヴィクターが、後方から馬を寄せながら低い声で言葉を挟んだ。
「実戦で試す機会は、そう遠くないだろうな」
彼の目は鋭く、長年の経験からくる警戒が滲んでいた。護衛の旅というのは、いつ何が起こるか分からない。貴族の娘を狙う盗賊や魔物、あるいはそれ以外の脅威も十分に考えられる。
レオンとセリナは互いに視線を交わし、今回の護衛任務が簡単なものではないことを改めて意識する。護衛の仕事自体はメルグレイヴで経験済みとはいえ、今回は王国内でも名門とされるラウレンツ家の令嬢が相手だ。失敗は許されない。
視察という名目での旅ではあるが、実際にはエリザベート自身が冒険者や各地の様子に強い興味を持っており、そのため護衛との会話の機会が自然と増えていった。
休憩や昼食のたびに馬車を止めると、エリザベートは侍女とともに降りてきて、レオンやセリナのそばへと足を運ぶ。
「レオンさん、これまでどんなクエストをこなしてきたんですか? 魔狼って、どんな風に倒したんですか?」
興味津々といった様子で矢継ぎ早に質問を投げかけるエリザベートに、レオンは落ち着いた口調で答える。一方、セリナは最初こそそっけなかったが、しつこく聞かれるうちに、少しずつ短い言葉で返すようになっていた。
「ほんとに……すごいですね!」
感嘆したように瞳を輝かせるエリザベートの口調には、貴族らしい品の良さが滲んでいる。しかし、冒険者の実力や獣人のことを尋ねるときだけは、どこか興奮が混ざる。
「私、護衛の仕事がどんなものか全然分からなくて……。でも、貴方たちが守ってくれるなら安心できそうです」
セリナは「……別にすごくない」と短く返し、そっぽを向く。しかし、それにもめげず、エリザベートは微笑を浮かべたままだった。
「セリナさん、もっといろんなお話を聞かせてくださいね。あなたがどんな道を歩んできたのか、興味があるんです」
その言葉に、セリナは一瞬だけ目を伏せる。彼女の過去は人間にとって語るようなものではない。だが、エリザベートの声には好奇心こそあれ、押し付けがましさや詮索の意図は感じられなかった。
(……本当にただ興味を持っているだけ? 悪意はないし、カレンのようにいきなり触ろうとするわけでもない……)
眉をわずかにひそめながらも、セリナの警戒心は次第に和らいでいた。人間の貴族というだけで身構えていたが、この少女は少し違う――そう思わせるものがあった。
エリザベートが何気なく近づくたびに、セリナは微かに鼻を動かす。漂うのは、かすかに甘い匂い。すぐに心を許すつもりはないが、この娘は少なくとも、敵ではない。
耳をぴくりと動かしながら、セリナはふいに目をそらしつつ、「……そのうち」とだけ呟いた。それを聞いたエリザベートは、嬉しそうに微笑んだ。
エリザベートの微笑みを見ながら、セリナはそっと視線を伏せた。まだ完全に心を開いたわけではない。それでも、こうして会話を交わすことに、以前のような抵抗は感じなくなっている。
レオンはそんな二人のやり取りを横目に見つつ、ふと空を仰いだ。澄んだ青空の下、視察の旅は静かに、しかし確実に進んでいる。
この先、どんな出来事が待ち受けているのか――それはまだ誰にも分からない。それでも、護衛として、仲間として、それぞれが歩み寄る小さな一歩が、確かな絆へと繋がっていく。
柔らかな風が街道を吹き抜け、視察の一行はゆっくりと次の目的地へと向かっていった。
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