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第30話 ひと時の休息、距離が近づく夜

 エディンとの決闘に圧勝し、メルグレイヴでその名を広めたレオン。同時に、セリナが秘めていた過去の恐怖と因縁にも一区切りがつき、二人には束の間の休息が訪れていた。激しい戦いのあとに得られた穏やかな時間――それは、二人の関係がさらに深まるきっかけとなる。

 王宮を出奔したレオンと、獣人として孤独を抱えていたセリナ。共に護衛任務をこなし、決闘を経て、改めて一緒にいることを当たり前のように受け入れ始めていた。


 この数日間で、特にセリナの中には小さな変化が芽生えていた。自分を守ってくれたレオンに対し、ただ守られるだけの存在でいることをよしとしない一方で、彼と一緒にいることで確かな安らぎを感じるようになっていたのだ。その感情は、まだ言葉にならない。だが、その戸惑いと微かな温もりは、彼女の仕草や距離感の変化として、少しずつ表れ始めていた。



 メルグレイヴの夜は、しんと冷えていた。街灯の淡い灯りが窓越しに揺れ、部屋の中をぼんやりと照らしている。ランプの柔らかな光が漂う中、レオンは荷物の整理をしていた。

 普段なら戦いや依頼で疲れたセリナは、さっさと床につくはずだった。だが、今夜は違う。ベッドの端にそっと腰を下ろし、じっとこちらを窺っている。


「……ここ、座っていい?」


 ぽつりと落ちるその言葉に、レオンは少し驚いた。普段のセリナなら、何も言わずに勝手に座るか、気にせず床で休む。それなのに、わざわざ許可を求めるなんて珍しい。

 レオンは穏やかに微笑み、「もちろん。ベッドは広いしな」とあっさり応じる。セリナはわずかにためらいながらも、自然な動作で隣へ腰掛けた。距離はあるが、以前よりも明らかに近い。


「……あなた、強い」


 セリナがぽつりと呟いた。その表情は相変わらずだが、視線をレオンに向ける瞳には、どこか新鮮な戸惑いが宿っている。


「そうか? 奴を倒せたのは、相手に隙が多かっただけさ」


 レオンは肩をすくめ軽く流した。自分の剣術や戦いの経験については、深く考えないようにしていた。王宮で学んだ技術、護衛任務や決闘を通じて培った実力、それらがどれほどのものかは自分でもよく分からない。ただ、今回はセリナを守るために動いただけだ。

 セリナは床を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。


「……負けたくない。でも、そばにいる」


 その言葉に、レオンは意表を突かれた。獣人として強さを誇り、誰にも頼らず生きてきた彼女が、誰かと一緒にいることを自ら望むなんて、想像もしなかった。


「そばにいる、か。……俺としては歓迎だよ」


 そう言ってレオンは微笑む。セリナは視線をそらしつつ、尾をわずかに揺らした。まるで、その動きに気持ちが表れているようだった。

 こうして、宿の部屋には穏やかな静けさが広がる。セリナは照れ隠しのように距離を詰め、レオンもそれを自然に受け入れる。いつかは自分だけで戦うのが当然だと思っていた彼女が、初めて誰かと共にいることの安らぎを感じ始めていた。



 翌日。レオンは、セリナの疲れを癒やすため、しばらくメルグレイヴでゆっくり過ごすことを考えていた。護衛任務の報酬もあるのだから、美味しいものでも食べて回復を図ろう――そんな提案をしたのだが、セリナの反応は素っ気なかった。


「別にいい」


 相変わらずの短い返事だったが、レオンは気にせず「まあ、せっかくだし」と市場へ誘った。実際、食事に気を向ける余裕すらなかったここ数日のことを考えれば、今はゆっくり楽しむ時間があってもいいはずだ。

 そして、市場へ足を運んでみれば、セリナの態度は少しずつ変わっていった。異国情緒あふれるメルグレイヴの露店には、見たことのない食材や香辛料の効いた料理が並んでいる。果物や肉の串焼き、濃厚なスープの香りが漂い、セリナの鼻がわずかに動く。


 人混みを避けつつも、気になる露店を覗くセリナを見て、レオンは思わず笑った。


「食べたいなら買うか?」


 キラリと興味を示していたセリナに声をかけると、彼女は一瞬ためらったものの、小さく頷きながら「……うん。でも、自分で買う」と呟いた。

 財布に手を伸ばそうとするセリナだったが、レオンは軽く首を振り、「今日は俺が払うよ。護衛の報酬も入ったし、遠慮するな」と言って、店主に銅貨を差し出す。受け取った串焼きを、そのままセリナへと差し出した。


 セリナは驚いたように目を瞬かせるが、すぐに視線を落とし、小さく「……ありがとう」と呟いた。

 今までなら「別に」と言って受け取るか、そもそもレオンの厚意を拒むのが当たり前だった彼女が、こうして自然に礼を言う。それに気づいたレオンは、何気なく彼女の尻尾がわずかに揺れているのを見て、確かな変化を感じた。


 串焼きを頬張ると、セリナの表情がわずかに柔らぐ。


 「旨いか?」

 「……うん。柔らかい。あと、香辛料、好き」


 それだけ言うと、また黙々と肉を食べ始める。その姿を見て、レオンはふっと笑みをこぼした。彼女が素直に「ありがとう」と言ってくれるようになったこと、それが何より嬉しかった。

 こうして市場をぶらつく間に、セリナの中で少しずつ何かが変わっている――そんな気がして、レオンは彼女の隣を歩く足を、ほんの少しだけゆっくりさせた。



 数日が経ち、決闘の噂も次第に落ち着いてきた頃。レオンとセリナは、いつものように宿の部屋で夜を迎えていた。ここ数日、セリナにはある変化が見られるようになっていた。


 夜になると、自然とレオンのそばに寄る。

 今宵も部屋のランプが柔らかく灯り、窓の外には静かな闇が広がっている。レオンは剣の手入れを終え、椅子に腰かけていたが、気づけばセリナがいつの間にかベッドの端に座っていた。しかも、昨日よりも距離が近い。


 そして、ぽつりと呟く。


「……レオン、暖かい」


 レオンは剣を収めながら、くすっと笑う。「そりゃまあ、人間だからな」と軽く返すが、セリナは気にする様子もなく、じっとこちらを見ている。

 少し間を置いて、彼女は続けた。


「……群れのオスとメスは、強い者同士が一緒。だから……自然」


 それは、獣人としての理屈かもしれない。だが、それ以上に自分の気持ちを伝えようとしているのが、言葉の端々から伝わってくる。

 レオンは思わず「は?」と戸惑うが、セリナはそっぽを向き、尻尾をゆらゆらと揺らしている。その仕草は、どこか照れ隠しのようにも見えた。


「……まあ、一緒にいるのは悪くないな」


 レオンがそう応じると、セリナの尾の動きがほんの少し大きくなる。そして、さらにもう一歩距離を詰めるように、そっとレオンの隣へ寄り添った。

 彼女にとっての本能的な価値観があるのかもしれない。しかし、それだけではない。レオンがただ強いだけではなく、一緒にいると心地よい存在だと、無意識のうちに認めているのだろう。


 ふと、狼耳がレオンの肩に触れそうになるくらいに近づき、視線を落としたまま、セリナは動こうとしない。

 レオンはそんな彼女を見て、小さく息をつく。


 「……セリナ」

 「……なに?」


 彼の呼びかけに、セリナの耳がぴくんと動く。

 レオンは、まるで妹をあやすように柔らかい笑みを浮かべ、「疲れたなら、もう寝てもいいんだぞ」と優しく声をかけた。


 すると、セリナはかすかに目を閉じながら、ぽつりと呟く。


「……もう少し、このまま」


 それだけで、二人の距離はさらに縮まる。


 レオンは戸惑いながらも、心の奥で満たされるような感覚を覚え、セリナは守られている安心感をそっと味わっているのかもしれない。

 特別な言葉を交わすわけでもなく、ただ隣に座るだけ。それなのに、そのひとときは、何よりも暖かく、心を穏やかにする時間だった。



 数日間の休息を経て、メルグレイヴでの滞在も落ち着きを見せ始めた。朝日が差し込み始めた宿の部屋では、レオンとセリナが静かに身支度を整えている。

 まだ出発を決めたわけではないが、そろそろ次の行動を考える頃合いだった。そんな中、セリナがふと手を止め、ぽつりと尋ねた。


「……次、どこへ?」


 レオンは地図を広げ、思案する。


「そろそろブルーヴェイルに戻るか、あるいは別の依頼を探すかだな。どちらにしても、一度ギルドに寄ってから決めよう」


 セリナはふう、と小さく息をつき、しばし黙考する。だが、そのまま再び荷造りを始めるかと思いきや、彼女は突如としてはっきりと言葉を放った。


「……ずっと、一緒にいる」


 レオンは手を止め、目を見開く。セリナは視線を床に落としながら、かすかな照れを押し殺すように言葉を紡ぐ。


「……リーダーだからじゃない。わたしが、あなたといる」


 静かに、それでいて揺るぎない言葉だった。

 レオンは思わず息を飲む。セリナは今まで「群れ」という言葉を使い、あくまで強いリーダーに従う獣人として行動の理由を説明していた。だが、いま目の前の彼女は、獣人としてではなく、自分の意思で共にいたいと伝えてくれている。


 孤高のプライドが消えたわけではない。むしろ、誰かに依存するのではなく、共に生きることを選ぶという強い覚悟を固めたのだ。

 レオンは少し不意を突かれ、「……え?」と聞き返してしまう。セリナはあからさまに顔を逸らし、尻尾をわずかに振った。そして、ぽつりと、小さな声で続ける。


「……だめ?」


 その照れ隠しのような問いかけに、レオンは自然と笑みを浮かべた。


「そんなことはないさ。むしろ、ありがとう」


 セリナはほっとしたように頷き、相変わらず視線を合わせないが、頬にはほんのりと赤みが差していた。

 まだこれからのことについて具体的な方針は決まっていない。それでも、一つだけ確かなことがある。


 二人が離れるという選択肢は、もはや考えられない。


 セリナが抱えていたトラウマや孤独感、エディンへの恐怖は完全に消えたわけではない。けれど、レオンがそばにいるという実感が、それを大きく和らげてくれる。セリナにとって、レオンはただの強い仲間ではなく、安心できる存在になっていたのである。



 その夜、宿の部屋。

 レオンが荷物をまとめながら明日の予定を考えていると、セリナがいつの間にか隣に座っていた。まるで当然のように距離を縮め、以前のような遠慮がちさはほとんど見られない。


「そろそろ寝るか?」


 レオンが提案すると、セリナは静かに頷いた。そのままベッドの端に座り、しばらく二人だけの穏やかな時間が流れる。

 やがて、ぽつりとセリナが口を開いた。


「……あなた、いつもこう?」

「こうって?」

「……私に、優しい。普通、強い者は、弱い者を支配。でも、あなたは違う」


 レオンは少し驚き、そして苦笑した。セリナの言う普通が、彼女の過去の経験に基づくものなのだと察する。だが、レオンにとっては、それが当たり前の考えではなかった。


「俺は……仲間だから、そうしてるだけさ。セリナも、一緒にいてくれるだろ?」


 セリナの耳がわずかに動く。


「……うん」


 その短い返事に、確かな想いが込められているのが分かった。それだけで、二人の間に交わされる言葉以上のものが伝わっていた。



 こうしてメルグレイヴでの穏やかな数日間は終わりを迎え、二人は再び旅立つ準備を整えた。


 セリナは、いつもの外套を羽織っているが、今日はフードを被っていない。かつては、警戒心や恐怖心を隠すために深く目元まで覆い隠していたが、今はもう違う。レオンの隣にいることが当たり前になり、彼女自身が無意識のうちに「隠さなくてもいい」と思えるようになったのだろう。

 そんな彼女の姿を見たレオンは、ふと問いかける。


「もう、フードを被らなくても大丈夫なのか?」


 セリナは一瞬だけ動きを止め、手にした荷物を整えるふりをしながら考えるように沈黙した。そして、静かに息を吐き、まっすぐレオンを見上げる。


「……うん。もう、大丈夫」


 彼女の銀色の狼耳がぴくりと動き、そこには以前のような警戒や不安の影は見られない。今はただ、レオンの言葉を受け止めたことを示すかのように、穏やかに揺れている。

 レオンはその答えを聞き、少し安心したように微笑んだ。


「そっか。よかった」


 短く返したその言葉には、彼女の変化を嬉しく思う気持ちと、ここまで来るまでの過程を尊重したいという想いが込められていた。

 セリナはそんなレオンの反応に、ほんのわずかに目を逸らす。そして、肩にかかったフードを指で軽く摘みながら、ふだんはもうそれを深く被ることはないとでも言うように、わずかに尻尾を揺らした。


「そろそろ行こうか」


 レオンの声に、セリナは静かに頷き、いつものように彼の隣へ並ぶ。

 こうして、二人の旅は再び始まろうとしていた。


 フードの下に隠していたものは、もうない。そこにあるのは、レオンと共に歩むという確かな意志。そして、胸の奥で静かに育まれる、まだ名前のつかない感情。

 次なる目的地が何であれ、二人は迷わない。これから先も、共に歩んでいくことだけは、揺るぎない事実なのだから。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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