第26話 メルグレイヴ到着と護衛の終わり
魔狼の群れを退けた翌朝、商人ガルフ一行と護衛のレオンとセリナは二日目の旅路を迎えた。夜通しの警戒による疲れは残っていたが、魔狼を撃退したことで一行の士気は上がり、ガルフ一家の信頼もより深まっていた。そのおかげか、旅の雰囲気にはわずかに落ち着きが生まれている。
とはいえ、目的地であるメルグレイヴまではまだ距離がある。レオンとセリナは、今後も散発的な魔物の出現に備えつつ、昨日のような規模の襲撃がないことを願いながら警戒を怠らない。
商隊を無事に目的地へ送り届ける――護衛としての責務を果たすため、二人は気を引き締め、再び前を見据えた。
夜明け前から見張りを続けていたセリナは、僅かに疲れの色を見せながらも、焚火のそばで静かに警戒を続けていた。その隣で、レオンが仮眠から目を覚ます。
ガルフ一家は馬車内で休んでいたが、朝日が森を照らし始めると、娘のアニエスが寝ぼけ眼のまま外へ出てきた。昨夜の魔狼襲撃をどこまで覚えているのか定かではないが、彼女は何事もなかったかのようにセリナのそばへ駆け寄る。影響が無いようで安心だ。
「おはよう、お姉ちゃん! 夜の見張り、大変だった?」
セリナは視線を少し逸らしながら、無表情のまま短く答える。
「……大丈夫」
その一言はそっけないものの、わずかに尻尾が揺れる。その仕草に警戒の色はなく、むしろアニエスの勢いに戸惑っているようにも見えた。アニエスはそれを気にする様子もなく、「そっか!」と笑顔を浮かべる。
一方、ガルフと妻のミレーヌは朝食の支度を進めていた。旅の朝食らしく、パンや乾燥果物、簡単なスープなど手早く準備できるものが中心だが、護衛の二人にも分け与えられる。昨夜の戦闘を経て、二人に対する信頼が一層深まったのだろう。
「昨夜は本当にありがとう。魔狼の群れをあんなに素早く撃退してくれるとは思わなかった。おかげで家族全員、無事に朝を迎えられたよ」
ガルフの感謝の言葉に、レオンは軽く微笑みながら答える。
「護衛の仕事ですから。無理をせず、今日も気を引き締めて行きましょう。まだ旅は終わっていませんからね」
朝食を終えると、一行は荷物を馬車に積み込み、馬の様子を確認する。アニエスは「今日もお姉ちゃんと一緒にいる!」とはしゃぎながらセリナのそばを離れず、セリナは一度「……勝手にすれば」と短く返したものの、あまりに懐かれるため諦めたようだ。
「お姉ちゃーん!」
馬車の上から呼びかけるアニエスに、セリナはため息混じりにちらりと視線を向けるが、完全に無視するわけでもない。その様子を見て、レオンは小さく笑いながら馬車の横に並んだ。
森を抜けると、道は次第に開け、見通しの良い平原へと変わっていった。空は青く晴れ渡り、白い雲がのんびりと流れている。レオンとセリナは引き続き馬車のそばを警戒しながら進むが、昨日のような魔物の群れは今のところ姿を見せない。
正午が近づくころ、遠くから数台の馬車が連なって進んでくるのが見えた。どうやらこちらと同じく商隊のようだ。馬車の装飾にはブルーヴェイルの紋章を模した旗が掲げられている。
お互いが近づくと、先頭を進む男性がガルフの馬車を見て、手を振った。
「よう、ガルフじゃないか! 久しぶりだな!」
ガルフもそれに気づき、笑顔を返す。
「おお、ミックか! お前も旅の途中か?」
どうやら顔見知りのようだ。両商隊は馬車を道の端に寄せ、軽く会話を交わす。レオンとセリナは周囲を警戒しつつも、敵意のない商人たちであることを確認し、緊張を和らげた。
「ああ、ブルーヴェイルへ戻るところだ。そっちはメルグレイヴ行きか? 護衛がついてるみたいだな」
「そうなんだ、今回は家族も一緒だからな。二人の冒険者に護衛を頼んでるんだが、腕が立つのなんのって。ゴブリンや魔狼にも落ち着いて対応してくれたよ」
その言葉に、レオンとセリナは特に誇示することなく黙って聞いていたが、ミックは興味深そうに二人を見つめ、「ほう、頼もしそうだな」と感心したように頷いた。
しばし旅の情報を交換したあと、両商隊は「気をつけてな」「また会おう」と言葉を交わし、それぞれの目的地へ向かって再び馬車を走らせた。アニエスは「バイバーイ!」と手を振り、向こうの商隊の馬車に乗っていた子どもも同じように手を振り返していた。
馬車が再び平原を進み出すと、ガルフはしみじみとした表情で呟く。
「久々に知り合いと会えると、やっぱり嬉しいもんだな。旅の途中で顔を合わせると、それだけで励みになる」
そう言いながら、彼は改めて護衛の二人へと目を向け、安心したように微笑んだ。昼下がりの陽光を受けながら、一行は再び目的地を目指して進んでいく。
昼下がりの旅の終盤に差し掛かるころ、遠くの地平線に城壁の影がぼんやりと浮かび上がった。それが目的地であるメルグレイヴだ。
通常の旅程よりも早く到着できたのは、道中でいくつかの襲撃を受けたものの、大きな足止めを食らうことなく進めたこと、そしてレオンとセリナの迅速な対応があったからだろう。
「わぁ、あれがメルグレイヴ!?」
アニエスが城壁を指さし、目を輝かせる。興奮した様子で馬車の窓から身を乗り出そうとすると、ミレーヌがすかさず手を引いて「アニエス、危ないから落ちないようにね」と優しく注意した。
ガルフは疲れた馬を労わるように手綱を握り直し、「もうひと踏ん張りだな」と気合を入れ直す。旅の終わりが見えてきたことで、馬車を引く馬たちもわずかに活力を取り戻したように見える。
やがて、太陽が傾き始める頃、メルグレイヴの城門へ到着した。門の前では衛兵たちが通行手形の確認を行っており、ガルフは商隊登録証と荷物のリストを提示する。レオンとセリナも護衛としての身分を示し、特に問題なく入城が許可された。
こうして、一行は無事にメルグレイヴの街へ足を踏み入れる。
街の中は活気に満ち、賑やかな声があちこちから響く。行き交う人々の衣装や屋台の装飾からは、ブルーヴェイルとは異なる文化の香りが感じられる。
「すごーい! いろんなお店がある!」
アニエスは馬車の中からあちこちを見回し、目を輝かせている。ミレーヌもそんな娘の様子を見て微笑みながら、「本当に賑やかね」と感慨深げに呟いた。
馬車が石畳を進むたびに、これまでの旅の疲れが少しずつ解けていくような気がした。レオンとセリナも周囲を警戒しつつ、ようやく目的地へとたどり着いた安堵を感じながら、メルグレイヴの空気を味わっていた。
やがて馬車は、ガルフが拠点としている店舗兼倉庫の前へと到着した。ここが今回の荷物を届ける目的地であり、同時に護衛としての最後の任務を果たす場所でもある。
馬車が停まると、待ち構えていた従業員たちが素早く動き出し、荷物を倉庫の中へと運び込んでいく。その間、レオンとセリナは最後の警戒を怠らず、周囲に不審な動きがないか目を配る。
やがて荷下ろしが完了し、旅の終わりを実感したのか、ガルフは大きく息をついて二人のもとへ歩み寄る。そして、深く感謝の意を込めた声で言った。
「本当に助かったよ。魔狼にフェングモール、ゴブリンやスティンガーフライまで……いろんな魔物に襲われたけど、君たちがいてくれたおかげで、家族に危険が及ぶことはなかった」
そう言って、がっしりとした手でレオンの手を握る。その力強さに、彼の本心が込められているのが伝わってきた。レオンも少し照れくさそうにしながらも、しっかりと握り返す。
「こちらこそ、お世話になりました。初めての本格的な護衛任務だったので、戸惑うことも多かったですが……無事にお届けできて何よりです」
そのやり取りを隣で見守っていたセリナは、相変わらず無表情を崩さないものの、どこか満足したような光を瞳に宿していた。
そこへ、ミレーヌも前に進み出ると、柔らかい笑みを浮かべながら浅くお辞儀をした。
「本当にありがとう。あなたたちがいなければ、私たち……特に娘はどうなっていたか。安心して旅ができたのは、あなたたちのおかげよ」
その言葉に、セリナは小さく頷く。そして、短く「……当然」と言いながらも、どこかぎこちなく目をそらした。その仕草に、彼女なりの照れがにじんでいるのをレオンは感じた。
こうして、一行は無事に旅を終え、それぞれの役目を果たした。護衛としての初めての本格的な仕事は成功に終わり、レオンとセリナにとっても、確かな自信へとつながる経験となったのだった。
だが、娘のアニエスはずっとセリナの傍を離れようとしない。何か言いたそうにソワソワしているが、なかなか言い出せない様子だ。見るに見かねたミレーヌが「ちゃんとお礼を言いなさい」と促すと、アニエスは小さく頷き、一歩前に出る。そして、セリナの手をぎゅっと握りしめた。
「お姉ちゃん! また会える?」
無邪気な笑顔と、まっすぐな瞳に、セリナは一瞬言葉を詰まらせる。初日は耳を触られそうになって嫌がっていたが、一緒に旅をするうちに、アニエスの存在を完全に拒めなくなったことに気づく。彼女の小さな手を振り払おうともせず、ただじっと見つめた。
「……どうかな」
そっけない返答ではあったが、その声はどこか柔らかかった。目を逸らしつつも、アニエスの手を握ったままにしているのが、その証拠だ。
すると、アニエスは「えへへ!」と嬉しそうに笑い、「またねー!」と元気よく手を振りながら、母親のもとへ駆け寄っていった。セリナはそれを見送りながら、ぼそりと呟く。
「……意外と、子供に好かれるんだな」
レオンはその言葉を聞き、苦笑混じりに「そりゃそうだろ」と小さく呟いた。セリナの口調こそ素っ気ないが、アニエスを真正面から拒むことはなかった。むしろ、彼女なりに受け入れ始めているのかもしれない。
その証拠に、セリナの尻尾がわずかに揺れていた。
彼女の中に芽生えた小さな変化を、レオンは微笑ましい気持ちで見守っていた。
護衛の任務が終われば、冒険者としては報酬の受け取りが必要だ。ガルフは倉庫の奥から契約書と袋を持ってきて、レオンとセリナに手渡した。
「これが約束していた分だ。それに、道中の襲撃が想定以上に多かったから、少し上乗せしておいた。受け取ってくれ」
レオンは袋の重みを確かめ、その額を見て少し驚いた。
「こんなに……よろしいんですか? 予定よりも多くいただくのは、なんだか申し訳ないような……」
するとガルフは朗らかに笑い、力強く頷く。
「いや、君たちの働きには、それ以上の価値があったよ。家族を無事にメルグレイヴまで送り届けてもらえたんだ。それだけでも十分に払う価値があるさ。むしろ、少ないと思うなら、次に護衛を頼むときにまた助けてくれればいい」
その言葉に、レオンは素直に礼を述べ、報酬を受け取る。セリナも「……ありがとう」と短く呟き、袋の中身をあまり確認せずにしまい込んだ。
「それじゃあ、俺たちはギルドへの報告も兼ねて、しばらくメルグレイヴで情報収集しようと思います。何かあれば、連絡を……」
ガルフは大きく頷き、「もちろんだ。しばらくはここで商売をするから、何かあったらいつでも訪ねてくれ」と笑顔を見せる。ミレーヌも二人に温かい言葉をかけ、そして娘のアニエスは再びセリナを見つめて、少し膨れた顔で言った。
「お姉ちゃん、また絶対に会うんだから!」
セリナは一瞬考え込み、最後にぽつりと呟く。
「……応援する」
何を応援するのか曖昧だったが、アニエスは「わーい!」と両手を挙げて喜び、ミレーヌが微笑みながら「もう、お行儀よくしなさい」とたしなめる。ガルフたちが苦笑する中、護衛役の二人と商隊の道はここで分かれた。
こうして、二日間にわたる護衛クエストは無事に完遂した。レオンとセリナはガルフ一家に別れを告げ、次の目的へと歩を進める。
メルグレイヴの街並みへと向かう二人の背中には、確かな達成感と、わずかに芽生えた新たな縁が残されていた。
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