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第20話 消えた受付嬢

 ブルーヴェイルの冒険者ギルドは、朝から多くの依頼や報告で賑わっていた。しかし、昼を過ぎると一度落ち着きを取り戻し、スタッフも交代で昼休憩に入るのが常だ。普段であれば、受付嬢のリリアもきちんと休憩を取り、定刻通りにカウンターへ戻ってくる。それが――今日は戻ってこない。

 レオンとセリナがギルドに現れたのは、ちょうどそんな昼下がり。二人は、リリアに次のクエストの相談やコボルト討伐後の報酬を活かして、新たな装備やポーションを買い揃える計画を立てていた。ところが、受付のカウンターにリリアの姿がないことに気づく。


「……リリアが戻ってこない? どういうことだ?」


 別の受付嬢が答えるには、「昼休憩に出たまま戻らず、連絡もない」という。そんなことは滅多にない。時間に厳格なリリアらしからぬ事態だった。

 セリナはレオンの隣でじっと耳を立て、首を傾げる。尻尾がわずかに動き、周囲の空気を探るようにかすかに鼻をひくつかせる。その仕草に、レオンの胸には一抹の不安がよぎった。


「……嫌な予感がする。彼女が何かトラブルに巻き込まれたんじゃ……」

「リリアさんが遅れるなんて珍しいですし、私たちも心配で……。でも、彼女に連絡できる方法がなくて……」


 ギルドのスタッフは全員忙しく、昼間の人手が限られる時間帯だ。リリアが何者かに連れ去られたと考えるのは早計だが、完全に否定できるわけでもない。

 レオンの脳裏に、かつて問題を起こした冒険者パーティの顔が浮かぶ。あの五人組はすでに何度かいざこざを起こしており、レオンを目の敵にし、リリアのことも気にしていた節がある。


(あいつら……まさか……)


 思考を巡らせるレオンを見て、セリナが一言だけ短く呟く。


「待つの、無駄。探す」



 まっすぐな視線をレオンに向け、彼女の鼻先が微かに動いていた。以前、リリアのことを「甘い匂い」と言ったセリナなら、足取りを追えるかもしれない。


「リリアの足取りを追えるのか?」

「簡単。匂い、まだ残ってる」


 フードを深く被ったセリナは、彼女特有の隠密な動きでギルドの外へ向かう。レオンも後を追い、心の底で「どうか無事でいてくれ」と願わずにはいられなかった。



 ブルーヴェイルの街は、中心部の喧騒を抜けると閑静な住宅街が広がり、その先には町外れへと続く道がある。人気の少ない場所ほど犯罪や問題が起きやすいため、冒険者が巡回することもある。しかし、五人組のようにギルドの規律に不満を抱える者たちにとっては、こうした場所が暗躍の温床となり得る。


 セリナは街角や路地をくまなくチェックしながら、鼻をひくひくと動かし、リリアの匂いを捉えたらしい。レオンは彼女の後ろをついて行きながら、周囲の建物へと視線を向ける。


「こっち……匂い、濃くなってる」


 そう言って彼女が示したのは、町外れへと続く細い通り。そこに続く裏道は、人通りがほとんどない。大きな建物や空き家のようなものが並び、昼間でもひっそりとしている。


「町の外れか……くそっ、何が起きてるんだ? リリアがこんなところへ来るはずがない……」


 セリナはやや緊張した面持ちで足を速める。そして、ある地点まで進むと、彼女の鼻が嫌な匂いを感じ取ったのか、尻尾がぴたりと止まり、表情が険しくなった。


「足取り……乱れてる。たぶん、抵抗した」


 その言葉に、レオンの心臓が一気に跳ね上がる。リリアが必死に抵抗している光景が脳裏をよぎり、胃の奥底がきしむような感覚に襲われた。


「……急ごう」


 拳を強く握りしめ、レオンはセリナに合わせるように走り出す。昼下がりだというのに、胸の奥が冷え込むような緊張と恐怖が広がっていく。

 建物が途切れがちになる場所を過ぎ、古びた住居が並ぶ通りへ入る。人気がないどころか、半ば廃墟と化した家も点在していた。



 そこには、壁が崩れかけた空き家が数軒ほど点在していた。かつて町が拡大した際に使われていたが、今はすっかり放置され、荒れ果てている。セリナはそのうちの一軒に近づき、ドアの前で足を止めた。


「匂い、ここ……間違いない」


 扉は閉まっているが、破損が激しく、鍵もかかっていない様子だ。レオンは静かにドアの隙間に耳を当て、かすかな声を聞き取ろうとする。


(……聞こえる……?)


 一瞬、女性の声が切羽詰まった調子で響いた。間違いない。リリアだ。レオンの心臓が激しく鼓動し、今にもドアを蹴破りたい衝動に駆られる。しかし、セリナが合図を出すように手を挙げ、指を唇に当てて「静かに」と促す。

 中から聞こえる声に、レオンはじっと耳を澄ませた。


「お願い、やめて……っ!」


 聞き慣れたリリアの声が弱々しく響く。その切迫した調子に、レオンの拳が硬く握り締められる。

 どうやら複数の男たちがリリアを取り囲んでいるようだ。聞き覚えのある口調――まさに、あの五人組の一味に違いない。彼らは先日からリリアやレオンに敵意を向けていたが、まさかこんな形で実行に移すとは――。


「レオン……行くよ?」


 セリナが低く囁く。レオンは大きく頷き、静かにドアノブを回す。しかし、扉はわずかに引っかかっているようだった。力を込めて押し開くしかない。二人は目配せを交わし、同時に扉を蹴破るように開け放った。



 空き家の内部は埃っぽく、床の板があちこち抜け落ち、壁にはひび割れが走っていた。その中央にリリアの姿が見える。服が乱れ、床に崩れるように座り込んでいた。彼女の周囲には五人の男たちが取り囲み、リーダー格らしき男が下卑た笑いを浮かべている。


「おとなしくしてろよ。昨日までの高飛車な態度はどこいった? ん?」

「レオンに守られてるつもりだったんだろ? あいつがいなきゃ、お前なんて……」


 別の男がそう言い放った瞬間、部屋の空気が凍りついた。扉が蹴破られる音に気づき、男たちは一斉に振り向く。そこに立っていたのは、剣を握りしめたレオンと、ナイフを手に構えたセリナだった。

 レオンは怒りに満ちた視線を男たちに向け、低く力のこもった声で呟く。


「……そこまでだ」


 セリナは一言も発せず、静かにナイフを構える。その無表情が、かえって凄みを帯びていた。瞬間、部屋の空気がぴんと張り詰める。

 男たちは数拍の間、呆気にとられたように立ち尽くすが、すぐに焦った表情を浮かべた。


「く、くそ……! なぜここが……」


 慌てて剣を抜こうとするが、セリナが一瞬で間合いを詰め、足払いをかけるようにして男を床に倒し込む。驚く間もなく、短剣を喉元へ突きつけた。


「無駄。遅い」


 その冷淡な声に、ほかの男たちの背筋が凍る。リーダー格の男が慌てて後退し、もう一人の男がリリアを押さえつけたまま動こうとするが、レオンが一瞬で距離を詰める。


「お前たちには相応の報いを受けてもらう。二度とこんな真似ができないように……徹底的に叩きのめす」


 別の男が咄嗟に短剣を振りかざす。しかし、レオンの剣がわずかに速く、男の短剣を打ち払い、短剣が床にカランと転げ落ちた。男は怯んで後ずさる。

 リーダー格の男は立て直そうと構えを取るが、セリナがナイフをもう一本取り出し、鋭く睨み据えた。今の状況では、リリアを人質に取る隙すらない。


「くっ……覚えてろよ……!」


 リーダー格の男が捨て台詞を吐き、逃げ出そうとする。しかし、セリナがすかさずナイフを投げつけ、足元に突き立てた。リーダー格の男は悲鳴を上げ、躓いて床に転がる。

 こうして五人組は、あっという間に制圧された。ひとりは完全に恐怖に打ち震え、セリナの正確無比なナイフさばきと、レオンの威圧感にすっかり怯えきっていた。



 ――五人組を完全に制圧した後、レオンは男たちを全員縛り上げ、二度と抵抗できないようにした。そしてすぐに、床に座り込んでいるリリアのもとへ駆け寄る。リリアの肩はわずかに震え、息も浅い。恐怖がまだ完全には抜けきっていないのが、一目でわかった。


「リリア、大丈夫か?」


 レオンの声に、リリアは顔を上げる。その瞳は涙で滲んでいた。


「レオン……」


 彼が目の前にいる。それだけで、張り詰めていたものが一気に崩れる。


「怖かった……本当に……」


 胸の奥からあふれ出すものを抑えきれず、リリアは彼の胸元へ縋りついた。レオンは驚いたように瞬きをしたが、すぐに彼女の背をそっと支え、優しく撫でる。


「もう大丈夫。俺がいるから」


 その言葉に、リリアは嗚咽をこらえながらも、微かに頷いた。――そして、もう一人。セリナが静かにリリアの姿を見つめていた。彼女の表情はいつも通り冷静だが、その瞳がわずかに揺れている。

 リリアの服は所々破れ、肌が露出していた。空気に触れた肩がわずかに震えているのを、セリナは見逃さなかった。

 次の瞬間、彼女は無言で自分の外套を脱いだ。――セリナがフードや外套を人前で外すことは、滅多にない。ましてや、誰かにそれをかけるなど、一度もなかった。

 その事実に、リリアもレオンも、一瞬息をのむ。


「……寒い?」


 ぽつりと落とされた言葉。セリナは何気ないように見える仕草で、外套をそっとリリアの肩に掛けた。ふわりと包み込む暖かさ。リリアは、自分の体温よりも少し高い温もりを感じた。


「え……」


 驚きと戸惑いが交じるリリアの声。しかし、セリナは何も言わず、ただ静かにフードを外し、リリアの服のほつれた部分を覆うように整える。


「汚れてる。後で拭くといい」


 それだけ言うと、彼女はそっとリリアの肩に手を置いた。まるで、さっきまでの恐怖を消すように。


「落ち着いた?」


 その声は淡々としていたが、不思議と温かみがあった。


「……うん」


 リリアは外套の端をそっと握る。視線を上げると、セリナの金色の瞳がじっと自分を見つめていた。


「……ありがとう、セリナも……」

「当然」


 短い返事。しかし、それはたしかに、リリアの胸に刻まれた。――この瞬間、リリアの心の中で何かが変わり始めていた。



 空き家での騒動が収束した後、レオンはリリアとセリナとともに、男たちをギルドへと連行した。すでに五人組は完全に戦意を喪失し、逃げるどころか、逆上する気力すら残っていない。ギルドに到着すると、周囲の冒険者たちが彼らの惨めな姿に気づき、次々とざわめき始めた。


「何やらかしたんだ?」

「どうやら、ギルドの規律違反らしい……」

「あの五人組か。前から素行が悪かったしな……」


 ギルドスタッフは即座に事態を重く受け止め、上層部――ギルドマスターや幹部たちが呼び出される。リリアへの暴行未遂や、これまでの問題行為はもはや看過できないとして、極めて重い処分が下ることは明白だった。


「ギルドの規律を破り、仲間を襲った者はもはや冒険者ではない。この場をもって、諸君の登録を抹消し、今後一切の依頼を受けることを禁ずる」


 ギルドマスターの落ち着いた声には、冷酷な決定の響きがあった。男たちは狼狽し、リーダー格の男がギルドマスターに食ってかかるが、その訴えは一蹴される。


「お前たちは今日限りでギルド追放。加えて、害をなした証拠も揃っている。被害者のリリアさんへの謝罪すらなかった。となれば……鉱山送りだな」

「そ、そんな……鉱山送りって……!」


 鉱山送り――それは、重罪人や追放者に科せられる強制労働の刑罰の一種だ。劣悪な環境の中で体力仕事を強いられるだけでなく、十分な報酬も得られず、実質的に人生の大半を失うような過酷な処置である。

 男たちの顔が絶望に染まる中、レオンはひんやりとした視線を向けた。


「……当然の報いだ」


 レオンの声は決して大きくはなかったが、その冷ややかな響きが五人組に突き刺さる。セリナは相変わらず無表情のまま、わずかに尻尾を揺らしながら呟く。


「……群れを壊す行為、許されない」


 ギルドマスターは静かに頷き、ギルドの職員が無言で五人組を引きずるように連行していく。彼らの命運は鉱山送りで終わるだろう。その背中を見送る冒険者たちの目には、軽蔑と嘲笑が入り混じっていた。


▽▽▽▽▽


 五人組が連行され、ギルドの騒ぎが次第に収束していく。だが、救出されたばかりのリリアの心はまだ完全には落ち着いていなかった。

 長椅子に腰かけたリリアは、しばらく両手を握りしめたまま、ぼんやりと床を見つめていた。レオンはそんな彼女の隣に座り、心配そうに顔を覗き込む。


「リリア……本当に大丈夫か? 無理はするなよ。すぐに治療院や休養を取ってもいいんだぞ」


 その優しい声に、リリアはふと顔を上げる。彼の表情は真剣そのもので、リリアを心から案じているのが伝わってきた。


「……大丈夫。服が少し破れたくらいで、体に大きな傷はないわ」


 そう言いながらも、彼女の声にはまだ震えが残っていた。


「……怖かった。でも……二人が来てくれたから……助かったの」


 そう呟いた瞬間、胸の奥がじんと熱くなるのを感じる。思い返せば、あの絶望の中で唯一彼女が願ったことは、レオンが来てくれることだった。

 そして、それは現実になった。

 レオンは言葉を失いながらも、リリアの目をじっと見つめる。彼女が抱えていた恐怖の深さに、今さらながら気づかされた気がした。


「リリア……」


 そんな二人のやり取りを、セリナは静かに見つめていた。しばらく黙っていたが、ふと小さく尻尾を揺らし、ぽつりと呟く。


「……仲間を守っただけ。リリア、あなたも群れなら当然」


 その言葉に、リリアは一瞬きょとんとする。だが、すぐにふっと微笑んだ。


「あなたの群れの価値観、まだよく分からないけど……ありがとう」


 以前の自分なら、セリナの言葉を素直に受け取れなかったかもしれない。

 だが今は、セリナの優しさが確かに伝わってくる。あの場で自分を守ってくれたのは、レオンだけではなく、セリナもだったのだから。


「私も、あなたたちの仲間としていたいわ。レオンさんに迷惑かけちゃったけど……」


 そう言うと、レオンは静かに首を振った。


「迷惑なんかじゃない。リリアが無事で何よりだ。……でも、五人組がリリアに執着してるってこと、分かってたのに、もっと早く対処していれば……」


 リリアはそんなレオンの手をそっと握る。彼の温もりがじんわりと手のひらに広がる。


「ううん、そんなことないよ。あの人たちがあんなことをするなんて、私もまさか思わなかったし……でも、ありがとう」


 リリアは少しだけ顔を伏せ、照れたように微笑んだ。


「あなたがいてくれて、本当に嬉しかった」


 その言葉に、レオンは不意に鼓動が速まるのを感じる。

 だが、そんな雰囲気の中で、セリナがつんとした無表情を崩さずに口を開いた。


「それだけじゃない。私もいる」


 リリアは驚いたように目を瞬かせる。そして、ふっと微笑んだ。


「ええ、そうね。二人とも、ありがとう」


 心からの言葉だった。セリナがリリアを仲間として考えてくれていることが、今の彼女には素直に嬉しかった。

 ふと、リリアは心の中で思う。


(群れか……)


 セリナの言うその言葉が、今までよりも少しだけ身近に感じられる。

 最初は違和感があった。けれど、セリナがレオンを群れのリーダーとして認め、信頼しているのを見ていると――なんだかそれが自然に思えてくる。


(もしかしたら……いつか私も、この群れに加わることになるのかも……)


 ぼんやりとそんな未来を想像し、リリアは自分でも不思議なくらい、すっと心が落ち着いていくのを感じた。

 レオンのそばで、もっと役に立ちたい。彼のパーティを支え、近くで共に歩んでいきたい――。

 それがどんな形になるのかは、まだわからない。

 でも、今のリリアには確信があった。この感情は、決して消えないものだと――。


▽▽▽▽▽


 リリアを襲った五人組は、ギルドの裁定によって厳罰を受けることになり、彼女は無事救出された。だが、ただ助けられただけではない。今回の一件で、彼女の中にある考えが大きく変わり始めていた。

 これまでリリアは、セリナに対してどこか距離を感じていた。獣人族特有の価値観や、レオンと親しげな様子に、知らず知らずのうちに警戒していたのかもしれない。だが、そんなものは彼女の勝手な思い込みだった。


 セリナは何も押しつけてこなかった。ただ、リリアの命を守った。それだけだ。

 彼女にとって、群れとは信頼の象徴なのだろう。何かを奪い合うものではなく、ただお互いの背中を預け合う関係――そういうものなのかもしれない。


 その事実に気づいたとき、リリアの中で、セリナへの不信感がほどけていった。

 夕暮れのギルドの一角で、リリアの笑顔がわずかに柔らかくなる。セリナは何を思うでもなく、ただ尻尾をゆるやかに揺らした。



 レオンは静かに息を吐く。今はただ、リリアが無事であること、そしてセリナとの間に確かな信頼が生まれたこと――その事実を噛み締めながら、ギルドの扉を押し開いた。街には夜の帳が降り始め、遠くで商人たちが店じまいを始める音が聞こえる。柔らかな灯りが石畳を照らし、ブルーヴェイルの夜がゆっくりと訪れようとしていた。レオンの胸には、これまで抱えていた不安とともに、新たな決意がわずかに灯る。

 ――仲間を守るというセリナの言葉に、リリアの微笑みが重なる。この先、三人の絆はさらに強まるのか、それともまた新たな試練が待ち受けているのか。まだ誰にも、その答えはわからない。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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