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第19話 セリナの常識、レオンの困惑

 コボルトの巣を掃討し、ブルーヴェイルへ戻ってきたレオンとセリナ。日の光が街並みを照らし始めるころ、二人は冒険者ギルドの大扉を押し開け、足を踏み入れた。朝のギルドは、いつものように各種報告やクエスト受注のために多くの冒険者で賑わっている。

 前夜からの行動で疲労は残っていたが、先に報告を済ませなければ報酬は受け取れない。何より、リリアに無事を伝えておきたい――その思いが、レオンの足取りを自然と早めた。



 カウンターの前には数人の冒険者が並んでいたが、レオンたちが到着するのを見つけたリリアは、ほっとしたように眉を下げた。順番が来て顔を合わせると、彼女の表情には安堵だけでなく、どこか複雑な影が差していた。


「本当に無事だったの? ケガとかしてない?」


 真っ直ぐに向けられるリリアの視線。そこには純粋な心配と、ほんのわずかに嫉妬めいた気配が混じっているように思えて、レオンは微妙に胸がざわつく。それでも、いつものように軽く笑みを返してみせた。


「大丈夫。セリナのサポートもあったし、そこまで苦戦することなく済んだよ。少し疲れはあるけど、ケガはなしだ」


 リリアはほっと息をついたが、一方で隣に立つセリナへと視線をやり、わずかに目を細める。


「……ふーん。二人の連携、良かったみたいね」


 その言葉に、セリナは相変わらず無表情のまま、しかし自信をにじませるように淡々と答えた。


「当然。レオンは強い。あなたも群れに加わるなら、安心」


 彼女にとって「群れ」という言葉は獣人特有の感覚からきているのだろうが、それを聞いたリリアの顔がムッとしたのを、レオンははっきりと察した。


「むっ、群れって何よ!? 私はギルドの受付嬢で、あなたたちの関係に加わるつもりなんて……!」


 焦るリリアを見て、レオンは慌てて釈明する。


「ちょ、セリナ、それ誤解される言い方だ……! 群れっていうのはパーティのことを言ってるだけで、特別な意味じゃないんだ」


 リリアはぷいと目を逸らし、「そう……」とだけ呟いた。その仕草に少し胸が痛むレオンだったが、とりあえず報酬の手続きを急ぐことにした。

 提出すべき討伐証や素材はしっかり揃っており、リリアは淡々と事務をこなし、無事に二人分の報酬を確定させる。最終的に彼女が発した言葉は、どこか刺々しいものだった。


「……とにかく、お疲れさまです。次は何かあれば早めに報告をお願いします。それと、無理はしないでくださいね!」


 そう言うと、リリアはほかの冒険者に対応するため、カウンターの奥へと去っていった。レオンを見送ることもなく、まともな笑顔も向けずに――どこか機嫌を損ねたまま。



 報酬を受け取ったあと、ギルドの建物を出たところで、二人は軽く視線を交わした。セリナは尻尾を小さく揺らしながら、特に気にしていない様子だが、レオンはリリアの態度を思い出し、なんとなく気分が落ち着かない。


「……とりあえず、お腹も空いてるし、軽く朝食でもとろうか。あと、必要な買い物もあるし」

「うん」


 セリナは簡潔に応じ、レオンと並んでブルーヴェイルのメインストリートを歩き出した。朝の時間帯は行商人や冒険者が行き交い、雑踏の中に活気が満ちている。

 程なくして見つけた軽食屋の扉を開くと、店内ではパンやスープ、エールなどを提供していた。レオンはパンとエールを一杯だけ注文し、セリナはパンとスープを頼む。テーブルにつき、しばし安堵の息をつきながら朝食を摂った。


「買い物を終えたら解散にしようか? けっこう歩き回って疲れたし、今日はもう宿で休みたいところだけど……」


 エールを口にしながらレオンが尋ねると、セリナは淡々とした表情で答えた。


「……宿、引き払った」


 レオンは一瞬、驚きのあまりエールを吹き出しそうになる。


「えっ? じゃあ新しい宿を探さないと……」


 するとセリナは、周囲をまったく気にすることなく、何事もなかったかのように続ける。


「あなたの宿、一緒に行く」


 その一言に、レオンの思考は一瞬停止した。飲んでいたエールをこぼしそうになり、慌ててカップを置く。


「……は?」


 セリナは首を傾げるようにして、無表情のまま繰り返した。


「わたし、あなたの宿がいい。一人だとつまらない。それに、パーティなのに別々の部屋って非効率」

「いや、えっと……セリナ、普通、男女が一緒の部屋に泊まるのは……いろいろ問題が……」

「問題ない。パーティメンバーなら当然」


 あまりに当たり前のように言い切るセリナに、レオンはどう切り返すべきか迷った。彼女にとってはこれが常識なのかもしれないが、人間社会の価値観では男女が同じ部屋に泊まることには、それなりに抵抗や世間体というものがある。

 レオンは戸惑いを隠すようにエールを一気に飲み干す。周囲の客たちも面白がるように視線を向けてくるが、セリナはまるで気に留めていない。ひとまずこの場をやり過ごし、宿に着いたら一人部屋を追加で頼もうと考えるのだった。



 なんとか朝食を終え、必要な道具の買い出しを手早く済ませると、二人はレオンが利用している宿へ向かった。いつもの宿屋には馴染みの主人がいて、レオンの顔を見るや「よく帰ってきたな」と声をかけてくれたが、今回ばかりは雲行きが怪しい。


「すまんな、一人部屋は満室だ。二人部屋ならあるが?」


 その言葉に、レオンは思わず「えっ?」と聞き返した。いつもなら何部屋か空いているはずだが、どうやら最近、冒険者の増加で宿が埋まっているらしい。


「二人部屋……」


 困惑するレオンの横で、セリナはまったく動揺することなく即答する。


「それでいい」


 まるで問題ないという態度に、レオンはさらに焦って宿の主人を見やったが、主人は「若いもんが一緒に泊まるなんてごく普通だろう」と言わんばかりに、にやりと笑う。


「お兄さん、随分とお熱いねぇ。いいじゃないか、部屋がないんならそこを使うしか……」

「違う違う! そういうんじゃなくて……!」


 思わず声を張り上げたレオンを見て、セリナは不思議そうに首を傾げる。


「何? 何か問題?」

「いや、あの……普通、男女が一緒の部屋で寝るのは……っていうか、その、変な誤解を招くだろ?」


 セリナは心底わからないというように目を瞬かせ、淡々と答えた。


「問題ない。パーティメンバーなら、一緒でも自然。……あなた、変なこと考えてる?」


 咄嗟に胸が痛むような感覚に襲われ、レオンは慌てて手を振る。


「そ、そんなわけじゃない! ただ……普通は、違うんだよ……」


 宿屋の主人はニヤニヤが止まらないまま、二人を部屋へ案内する準備を進めている。どう言い訳しても誤解を解けない雰囲気に、レオンはただただ困惑するしかなかった。



 主人に鍵を渡され、階段を上った先の部屋の扉を開けると、そこは小さなテーブルと椅子、そして壁際に窓が一つあるだけのシンプルな部屋だった。だが、決定的な問題が一つあった。

 ベッドが一つしかない。

 レオンは思わず唖然とし、中に入る足が止まる。セリナは気にした様子もなく、スタスタと部屋へ入り、荷物を下ろしてベッドに腰を下ろした。


「……ベッド、ひとつだな」

「うん」


 当然のように荷物を整理し始めるセリナを見て、レオンは困惑し、思わず声を上げる。


「いや、あの……別々に寝るべきじゃないか? 普通、そうするだろう?」


 セリナはレオンをじっと見つめる。その瞳には「何が問題なのか」と問いかけるような疑問が宿っていた。


「……レオン、変なこと考えてる?」

「いや、そういうわけじゃ……!」


 否定するレオンの口調は、完全に焦りの色を帯びていた。そもそも、男女が同じベッドで眠るなど、彼の常識ではありえない。王宮時代もプライベートな空間は厳格に守られていたし、冒険者になってからも宿屋では常に一人部屋を選んできた。

 だが、セリナはそっと尻尾を揺らしながら、ほんの僅かに微笑む。


「なら、いい。安心して寝ればいい」


 尻尾を小さく巻き込むように動かし、そのままベッドに横になってしまう彼女の姿に、レオンは声を失う。まるで兄弟か同族の仲間と同じ部屋にいるかのように振る舞うセリナを前に、人間としての常識を持ち出すのは気が引ける。


(こっちは全然安心できないんだけど……!)


 胸の奥で悲鳴を上げつつも、もうどうしようもない。宿屋の主人に「やっぱりやめます」などと言っても、空き部屋がないのだから仕方がない。レオンは観念してドアを閉め、荷物をテーブルへ置く。


「……変なことはしないし、するつもりもないよ。俺はあくまで紳士的に……っていうか、ただのパーティメンバーとして君を扱うから」


 自分でも何を言っているのかわからないが、セリナは気にする様子もなく、小さく頷く。


「当然。あなた、嘘つきじゃないから、大丈夫」


 あまりに自然体なその態度に、レオンは逆に混乱しそうになる。しかし、これがセリナにとって普通の価値観なのだろう。獣人は群れの仲間とは狩りや生活を共にするのが当然であり、男女の隔たりをそこまで気にしないのかもしれない。



 レオンは部屋の椅子に腰を下ろし、深く息をついた。セリナはベッドの上で尻尾を揺らしながら、くつろいでいる。彼女にとってこの状況は不自然でもなんでもないのだろうが、レオンは血が逆流するほど意識してしまっていた。


「……セリナ、こういうこと……その、男と女が一緒の部屋に泊まるのは、本当に普通なのか?」


 自分でも変な質問だと思いつつ、喉の奥に引っかかったままでは落ち着けない。セリナは一瞬、目を瞬かせ、それから首を傾げた。


「獣人の集落なら、仲間と同じ寝床は当たり前。特に小さい群れなら、寒いときは寄り添うし。人間は違うの?」

「いや、人間社会では……男女が一緒の部屋に泊まると、いろいろと変な誤解を招くんだ」


 セリナはふむ、と唸るようにして尻尾を振る。しばらく考えたあと、淡々と続けた。


「でも、あなたは仲間。問題ない。私、あなたに敵意ないし、あなたも私を傷つけるつもりない。だったら、一緒の部屋で寝てもいい」


 その理屈は、獣人の論理としては筋が通っているのかもしれない。身体を暖め合う、互いに警戒しなくていい――そういった動物的発想がベースにあるようだ。しかし、レオンが身を置いてきた人間社会では、どうしても気恥ずかしさや常識とのズレが頭をもたげてしまう。


「……そうだな。でも、俺はまだ少し慣れないんだ。もし俺が何かやらかしたら、ちゃんと言ってくれ」


 セリナはレオンの言葉に小さく頷き、ベッドの上で半身を起こす。その銀色の耳がぴくりと動き、尻尾が小さく左右に揺れた。


「あなた、変なことしないなら大丈夫。私も、あなたの匂い嗅いでる限り、嘘や悪意はないと思う」


 匂い――セリナがしばしば言及するその感覚は、獣人ならではの判断基準なのだろうか。それともセリナ特有の能力なのか。レオンは、その匂いによる真偽感知がどこまで正確なのかはわからないが、彼女が安心しているなら、それはそれで悪い気はしなかった。



 ベッドの上で丸くなるセリナと、椅子に座ったまま落ち着かないレオンという構図。部屋には、一つだけ置かれたランプがやわらかな光を放ち、昼前の時間にもかかわらず、疲労で眠りたくなるような静寂が漂っていた。

 レオンはふと、リリアのことを思い出す。もし彼女がこの光景を見たら、いったい何と言うだろう。きっと呆れたり、怒ったりするのではないか――そう思うと、胸がうずくような感覚があった。

 しかし、セリナにはセリナの価値観があり、それを否定するのはレオンの望むところではない。自分が彼女の常識に合わせるのか、あるいは彼女に人間社会の常識を教えながら折り合いをつけるのか、今はわからない。


「……とりあえず、俺は少し仮眠を取るかな。今日は夜通しだったし、休まないと体がもたない」


 レオンがそう言うと、セリナは半眼になって彼を見る。


「ベッド、空いてる。あなたも寝ればいい」

「えぇ……でも、一つしかないし、狭いし……」


 セリナはベッドの端をぽんぽんと手で叩き、尻尾をゆるやかに振る。


「わたし、端でいい。あなた、反対の端。問題ない」


 またしても当たり前のように言い切られ、レオンは顔を赤らめ、頭を抱えそうになる。しかし、疲労の限界も近いのは事実だ。このまま椅子で寝るのは体に悪く、明日以降のクエストに支障が出る。

 仕方ない、と覚悟を決めて靴と外套を脱ぎ、ベッドの隅にそっと腰を下ろす。セリナは尻尾を少し避けるように動かし、対角線上の位置を空けてくれている。


「……気しないでいい」


 彼女はそれだけ言って横になり、レオンに背中を向ける。レオンもやむを得ず身体を横にし、ぎこちなく布団を引き上げた。狭いとはいえ、まったく身動きが取れないほどではない。セリナは丸くなるようにして寝るらしく、レオンとは身体がぶつからずに済んでいる。

 心臓はドキドキしっぱなしだが、体力を回復するには眠るしかないと自分に言い聞かせ、レオンは目を閉じた。



 横になってみると、セリナは本当に何事もなく大人しくしていた。むしろ、レオンが緊張するほどには、彼女は人間社会の性的なタブーや羞恥心を意識していないようだった。彼女が「群れ」と言うのも、仲間としての帰属意識がそのまま身体の距離感へ反映されているに過ぎないのかもしれない。

 徐々に疲れが勝り、レオンの意識は半分眠りへ落ちかける。うとうとしながら聞こえるセリナの安定した呼吸。彼女が本当に安心して眠っていることを察すると、レオンも少しだけ肩の力が抜けていった。


(……これが当たり前なのか。獣人の感覚って、人間とは違うのかもな)


 そう考えながら、彼はまぶたを閉じる。柔らかな日差しが窓から差し込み、埃が淡く舞っているのが視界の隅に映った。それを最後に、思考はゆっくりと遠のいていく。



 どれほど眠ったのか、レオンが目を覚ましたとき、外は昼過ぎの明るさに包まれていた。体のだるさはだいぶ取れ、頭もすっきりしている。しかし、何かの温もりを感じ、ふと視線を落とすと、セリナがレオンに寄り添うようにして眠っていた。

 彼女の銀色の髪が肩にかかり、規則正しい寝息が静かに聞こえる。尻尾は丸くたたまれ、わずかに揺れている。普段は冷静で淡々としている彼女だが、こうして寝顔を見ると、年相応の少女のあどけなさが滲んでいた。無意識に甘えるように身を寄せている姿に、レオンは胸の奥が温かくなる。


(こいつ、こういうところはまるで子供みたいだな……)


 セリナがどんな人生を歩んできたのか、彼女が時折見せる寂しげな表情を思い返す。獣人として、幼いころから一人で生き抜いてきたであろう彼女。誰にも頼らず、ただ自分の力だけでここまできたのかもしれない。


(これからは……俺が支えてやれたらいいのかもしれない)


 自然と、そう思った。

 その瞬間、セリナの耳がぴくりと動き、ゆっくりと目を開いた。彼女の金色の瞳がぼんやりとレオンを見上げる。


「……起きた?」

「うん。だいぶ疲れが取れたよ。ありがとう、眠れて助かった」


 レオンは起き上がりつつ背伸びをし、セリナもベッドを下りて軽いストレッチのような動きをする。外套を羽織り直した彼女は、まるで普通の日常を過ごしているかのように自然体だが、レオンはまだ気恥ずかしさが残る。


「そういえば……リリアが心配してたけど、明日はどうする? 何かクエストを受けるのか、それとも休みにするか?」

「あなたに任せる。わたしは、やるならやる」


 セリナはあっさりとしている。パーティメンバーとして動きたいという意思はあるが、リーダーシップを取るのはレオンに任せたいのだろう。レオンは、このままの流れで行くなら、リリアに相談してから次のクエストを決めるのが無難だと考えた。


「わかった。じゃあこのあと、ギルドに顔を出してみよう。その後はゆっくり休んで、明日から本格的に動く形でもいいだろうし」

「うん、わたしも異論なし」


 セリナはまた自然にレオンの隣へ歩み寄る。さっきまで同じベッドで寝ていたというのに、改めてこうして立ち話をすると、不思議な距離感を覚える。彼女には恥じらいもなく、あくまで群れの中の仲間として振る舞っているのだと、改めて実感させられた。



 こうしてレオンとセリナは、わずかな時間を共に過ごすことで、お互いの常識の違いを少しずつ理解していった。セリナにとっては、獣人の価値観が当たり前であり、人間社会における男女関係の羞恥やタブーを深く意識してはいない。一方のレオンは、王族としての秘密を抱えつつも、人間社会の常識を基準にしているため、度々困惑する場面があった。

 それでも、二人がパーティを組むこと自体は順調に成果を上げていた。コボルトの巣を殲滅した戦果も大きく、今後はより難易度の高いクエストに挑戦する可能性もある。しかし、一方でリリアとの微妙な空気は解消されず、宿でも同室という状況をどう受け止めればいいのか、レオンはまだ答えを見つけられずにいた。

 だが、それらすべてが冒険者としての日常なのだろう。王宮で暮らしていたころには想像もつかなかった価値観の交差や、人間関係の変化が、今のレオンの生活には散りばめられている。

 晴れ渡るブルーヴェイルの街並み。その先には、まだ数えきれないクエストと新たな出会いが待ち受けている。

 セリナの常識と、レオンの困惑。そのすれ違いや戸惑いが、どんな物語を紡いでいくのか――。ともかく、今は二人で同じ部屋に寝泊まりすることが決まり、大きな一歩を踏み出してしまったのは確かだった。

 異なる価値観を持つ二人が同じベッドを使うことは、レオンにとっては刺激が強すぎるかもしれない。しかし、同時にパーティとしての信頼を築くための大切な時間になる――そんな予感が、昼下がりの宿の一室に静かに満ちていた。

ご一読くださり、ありがとうございました。

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