3.二年生、夏(1)
横長の格子にぽつりぽつりと数字が書いてあるだけの時刻表を見ていると、普通の電車どころか、新幹線すらも数分待つだけで来てしまうような街というのは、きっと別世界なんだろうなと思う。確かに、田んぼの間を通る道にぽつんと立っているバス停の、埋まっているマス目が二つくらいしかない時刻表を、自転車での通りがかりに見かけたときには、僕も唖然とした。そのときに感じたのと同じような、いやきっとそれよりもずっと大きな落差があるに違いない。
それでも、そこで生活して慣れ親しんで、そして何よりそれに合わせてしまえば、不便ではないとまでは言い切れなくても、許容はできる。けれど、その慣れているはずの枠から外れてしまうと、結局は不便さを思い知らされるみたいだった。
昼時をいくらか過ぎた薄曇りの空のぼんやりした日差しは、妙に熱かった。昨日は(ついでに言えば明日も)じっとりしていても涼しかったのに、今日は逆で、梅雨の中に、本格的な夏を切り取って、割り込ませたみたいだった。僕はそんな暑さのことなんて予想もしていなかったし、日曜日だからいつもの天気予報をテレビで見ることもできなかった。自分の使うバス路線の時刻表が、ごっそりと抜歯でもされたように今現在空っぽになっているというのも、あらかじめ把握しておかなければならなかったのだろう。見慣れているはずの時刻表も、こうなると、いつもとは違う、歩いた場合の時間だとか疲労感だとか暑さだとか待っている間にここでできることだとか、そんなものを次々に入れ替えて載せる、天秤になってしまう。
まるで確信の持てない判断に従って、僕はバス停の待合室に入った。そこを満たす蒸し暑い空気は、外と全く同じような気がした。空調は効いていないというか入っておらず、窓が開け放たれているのだから当たり前だったけれど、それでも、期待していたほどの快適さが見つからなくて、がっかりせざるを得なかった。壁沿いの二辺と、それぞれに向かい合う形で四角くベンチが置かれた一角に僕は向かい、窓を背にして座った。
なんとか言う英語の試験を受けさせられたという慣れない経験のおかげで、ノートを広げる気は全く起きず、取り出した文庫本を膝の上に置いた。もっとも、結局はあの問題はこうだったんじゃないかだとか、マークシートを塗り間違えていないかとか、消しゴムでこすった欄に残った灰色の痕跡は誤認されるには十分なんじゃないかだとか、延々と引きずって考えてしまった。さながら、殺人現場に最初に足を踏み入れてしまったために付いてしまった血痕が、冤罪の有力な根拠になるように。
とはいえそんな考えも、読書と交代を繰り返し、だんだんと読書の方が優勢になっていった。暑さも、日差しに直接当たりさえしなければ、時折吹いてくる風の心地よさを、かえって引き立てているみたいだった。