バレンタイン
『よし、準備できた。受け取りに来るがいい』
渚からとてつもなく上から目線なメッセージが届いたのが30分前。既に出る準備ができていた俺は爆速で渚のもとへと向かい、もうそろそろ着く頃だ。
今日はバレンタインデー。しかも珍しく休日なのでわざわざ受け取りに行かなくてはならない。まあ見方を変えれば貰えない奴らが貰えてる奴を見て血涙を流すことはないとも言えるから。貰った貰ってない論争はあると思うけど。
ふと見覚えのある家が目に入った。いつの間にか着いていたらしい。
『ピンポーン』
渚の家のインターホンを押す。
『はいはーい。ちょっとお待ちを』
少し可愛い声が返ってきて、数秒待つと玄関のドアが開けられた。
……うん、そうだよな。わかってたよ。渚はそういう奴だもんな。でもさ、彼氏が来るのにパーカーとジャージって!密かに私服にワクワクしてた俺がバカみたいじゃん!
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
これはこれでいいと思うことにする。一種の信頼の証だからな。
「ほら入って入って」
「お邪魔しまーす」
自分の家の次に見慣れた内装を見ながら、リビングまで上がっていく。なにやら少し空のダンボールが増えているが遅めの大掃除でもしてるのだろうか。それに紗枝さんたちの姿が見えない。渚に聞いたところ、ご飯の食材を買いに行ってるらしい。
「はいはーい座ってー」
言われるがままに椅子に座ると、それを確認した渚が冷蔵庫から何かを取りにいった。十中八九チョコだ。問題はどんなチョコか、だな。渚が自分で洋菓子を作ったりするのは前にも言った通り知っている。今更『ケーキを一から作りました』程度じゃ驚かないぞ。
「そういや他の奴らには何あげたんだ?」
「喜野にはチョコクッキーで湊と夢芽にはカップケーキだったかな」
サラっと何種類か作ってるのなに。ホントにケーキ出てきそうなんだけど。パティシエ志望怖。
「そして遥には、これ!」
渚は自信ありげに言い放ち、お皿に乗ったチョコを俺の目の前に置いた。
それはロールケーキだった。しかもただのロールケーキではなく、周りがチョコクリームで覆われ、小さなベリーやチョコチップなどで飾られている。まるで木のような……ん?木?
「……ブッシュ・ド・ノエルじゃんかこれ!」
「いえーす!めちゃくちゃ頑張りました!」
「いや頑張ったとかのレベルじゃない……」
ケーキとか比にならないものが出てきたなこれ。ブッシュ・ド・ノエルとか誰が想像できるんだよ。
「いただきまーす……」
食べるのがもったいないくらいの出来のロールケーキを頬張る。
「美味しい」
渚の腕を考えれば当然と言えば当然だが、チョコも甘過ぎず苦すぎず、いい塩梅だ。生地はふわふわでクリームとよく馴染む。何度食べても飽きない味をしている。
とてつもないスピードで手が進んで、あっという間にたいらげてしまった。
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
渚は食べ終わったのを確認して、お皿を洗い場へと持って言ったかと思うと、食後の紅茶が2人分出てきた。
「どうぞ」
「ご丁寧にどうも」
そこからしばらく、紅茶を飲むだけの沈黙が続いた。別に気まずくはない。もはや心地良いとすら思える沈黙だ。まあ強いて言うなら渚が何か言おうとしてうーんと唸っていたりするが。
「……よし」
なにやら決心がついたような声を出し、こちらに向き直る。
「遥、話があります」
「4月からフランスに行くことか?」
「そう、その事なんだけど…………ってなんで知ってんの!?」
何の話をしているのかと言うと、実は今目の前にいる俺の彼女、蒼野渚は夢であるパティシエになるために本場のフランスで知り合いの店で修行を積むのだ。成人する頃に卒業出来るようにするともう4月から行かないといけないらしい。
そしてなぜ知っているのかと言うと。
「紗枝さんから聞いた、というか相談受けた」
「もーおばさんのばかーー!!!」
「文句言いたいのはこっちだよ。『渚がパティシエ修行のためにフランスに行こうとしてるんだけどホントに行かせていいかな?』って連絡されたこっちの身にもなれ」
そのメッセージを読んだ時、驚きすぎてリアル5分くらい固まったからな。何とか状況を理解してから返信を考えるのにさらに5分かかった。
「ただいまー」
少し前のことを思い返していると、ふと玄関から声が聞こえ、リビングの扉が開けられた。
「あ、おばさんだ」
「こんにちは、遥君」
「お邪魔してます」
買い物に行っていた紗枝さんたちが帰ってきた。めちゃくちゃ重そうな袋をキッチンに置いて片付け始めたみたいだ。
「……で、遥はなんて言ったの?」
「『あの渚が自分の欲を出したんだから、素直に応援すればいいと思いますよ』って。しっかりしてるしなお前」
「お、おう……」
素直に応援されたとは思っていなかったのか少し顔を赤らめる渚。そしてそんな渚を見てニコニコしている浅葱夫妻。幸せそうで何より。
「お前なぁ、俺がなんて言うと思ったんだよ」
「いやー?もう少し渋ったりして欲しかったなーと」
少し残念そうな顔をされた。
この女は……!
俺がどれだけこの言葉を捻り出すのに苦労したと思ってんだ。出来ることなら行かせずに俺の手の届く範囲に置いておきたいと思うのに。
まあ、それはそれとして。
「交際期間3ヶ月ちょっとで遠距離ってなんだよ。打ち切りマンガみたいな展開の速さだろ」
「それはそう。それがめちゃくちゃ考えたことの一つ」
どうやらお互いにもっと一緒にいたいと思っていたらしい。とはいえ彼女のやりたいことを応援するのも彼氏の役目だ。
「浮気されるーとか考えなかったの?」
……………何言ってんだこいつ。
「なら訊くけど、お前俺以外の男で満足できんの?」
「え、無理」
「だろ?」
なら杞憂ってもんだ。
キッチンからじゃがいもか何かを落とす音が聞こえた。手を滑らせたのだろうか。チラッと見てみるとなにやらヒソヒソ話している浅葱夫妻。何かあったのだろうか。
「一応確認しておくと、フランスに行くのは4月からなんだよな?」
「そう、だから1年生終わるまではこっちにいるかな」
ならあと2ヶ月弱くらいか……。
「2ヶ月弱かぁ……。なんか急に実感湧いてきた」
「ここ最近の私ねそれ。行きたいけど行きたくない」
「どっちだよ」
「えへへ」
「でもそろそろ準備しないと間に合わなくなるよ」
片付けを終わらせた紗枝さんが入ってきた。確かに紗枝さんの言う通り、向こうでの暮らしのために早めに準備するに越したことはない。
「できるだけ俺も手伝うから」
「助かる〜」
あと2ヶ月弱なら表立ったイベントはもうホワイトデーくらいしかない。だから少しでも渚と過ごす時間を増やそう。俺が悲しくならないように。
あと数話で終わるんですよね
お楽しみに!




