過去の思い出
「お待たせしました」
「ちょっと長電話やったな」
「で、なんの電話だったんだい?」
2人の元へ戻ると、俺の席はしれっと橘に取られていた。うん……まぁ別にいいか。
「詳しくは言えないですけど、さっき先輩が言った方法を取れるようなりました」
「やるなぁ」
「そんな簡単に行けちゃうんだ……」
感心した様子の橘と、苦笑気味の命先輩。
「奇跡的にピースを持ってたんですよね。おかげで元を壊す準備は出来ました」
「まあそれなら良かった。なら、次は君自身のことだね」
そう言って、俺を指さす先輩。
「俺……ですか?」
「そう。約束の元を壊して彼女を助けるということは、既に組み立てられている人生設計をぐちゃぐちゃにするということになる。端的に言うと、君に彼女の人生をめちゃくちゃにする覚悟があるのかということだ」
「めちゃくちゃにする覚悟……」
たしかにそうだ。渚は卒業するまでに何をしたいかとかをある程度決めていたりするはずだ。人形になるまでにかけがえのない思い出を作りたいとまで言っていた。あの時の達観した様子ときたら……。今思いだすと腹立ってきたな。
「参考になるかはわからないけど、ちなみに僕はその覚悟はできてるよ」
その言葉に俺と橘は目を見開いた。
「ついに……!?」
「やるんか部長!」
「もともと彼女の用事が終わるまでぼーっとしていたところを橘さんに捕まってね」
「そうやったんか」
てっきり勉強きつすぎて黄昏てるんかと思ったわと申し訳なさそうに頬をかく橘。
「僕は彼女の決意をないがしろにする覚悟はできている。君は、どうだい。そこまでして助けたいほど蒼野さんを想っているのかい?」
渚をどれほど想っているのか、か。
そういえば、俺はどうしてここまで渚が好きなんだろうか。
そう思い、今までを振り返る。
いつから好きだったんだろうか。
夏休みのあの頃?いや、俺が気付いていなかっただけでもっと前からな気がする。
俺は俺でいいんだと認めてくれたあの時。パフェを食べに行ったあの時。死にかけてたのを助けたあの時。
─────あれ?
今までを振り返っていると、ふと気づいた。
最初からだ。最初から、俺はあいつを特別扱いしてたんだ。助けた時だって、スマホもあったし救助を呼ぼうと思えば簡単に呼べた。なのに、その考えよりも先に"俺が助けたい"と思った。今考えればただのバカだが、あの時の俺は確かにそう思ったんだ。
どうしてと自らに問う。
その答えは多分記憶の中にあるのだとこの体は言っている。
記憶といえば、たしか『実は、遥が小さいときに渚ちゃんと会ってるのよ?』だったか?
小さいころ……心当たりがあるとすれば4歳か5歳くらいの時に両親についていったパーティくらいだ。
とはいっても、子供だった俺にそのパーティは面白いものではなく、暇していたのを覚えている。そんなときに、同じように暇そうだった女の子と遊んで…………あ、この子か。この時の子が渚だったんだ。
第一印象は人形みたいだった。綺麗な顔で、それでいて無表情だったから、不思議だなと思って声をかけたんだ。
「私はお人形なんだ。お父さんとお母さんのお人形。あやつりにんぎょう…?っていうらしくて」
そんなことを言ってたっけ。もうこの時からそうなることをわかってたんだな。
「あやつりにんぎょう?糸とかでお人形を動かすやつだっけ?」
「うん。私はお父さんとお母さんに言われた通りに動くお人形なの。そうするのが嬉しいんだって」
人形になることが当然のことのように思っていたのが、当時の俺にとっては不思議でたまらなくて。
「なんで嫌がったりしないの?そんなの絶対いやでしょ?」
我ながら自分勝手な言い方だったなと思う。ノンデリにもほどがあるだろ。
「いや……だけど、私になにかできるわけじゃないし。絵本の白馬の王子様みたいな人が助けてくれたりなんてしないし」
達観しすぎではないだろうか。4、5歳にしては現実を見すぎだろ。でもまあ渚らしいと言えば渚らしいか。
「ふーん、なら僕が助けてあげるよ!」
「え?」
あ。
「大きくなったら君を助けに来てあげる!白馬の王子様みたいにできるか分からないけどさ。だからそれまで待ってて。絶対に助けるから!」
「───うん……!待ってる!」
そうだった。そんな約束をしたんだった。俺も忘れていたし、渚も覚えていないだろう。でも、思い出した。思い出せたんだ。
「──────ははっ」
「えっ」
「考えすぎておかしくなった?」
思わぬところにあった答えに笑ってしまった俺に、どうしたのかと訝しむ2人。
「ああ、いや、とある約束を思い出しただけで」
「約束?」
「はい。これも詳しくは言えないんですけど、その約束のおかげで覚悟は決まりましたよ」
自信を持ってそう答える。
向こうにも譲れないものがあるように、こっちにも譲れない約束があるのだ。
「そうかい。……ちなみになんだけど、どれくらい彼女のことが好きなんだい……?」
参考程度でいいから……と聞いてきた。さっきまでの空気はどこへ行ったのやら。どうやら緊張しているらしい。さっきまでめちゃくちゃ頼もしそうだった先輩が少し可愛く見えた。
「どれくらいって言われてもねえ……」
「それ恋してる人にいっちゃん聞いたらあかん質問やで」
「だって緊張するんだもん……。こう、他人のを聞いて和らげたい言うか。ぱっと出たのでいいから!」
顔の前で手を合わせてお願いしてくる先輩。そんな先輩を見て俺はこの場にいるもう一人に助けを求める。
「橘……」
「うちも正直言うと興味あるから、一ノ瀬はんの味方はできんなあ」
「橘……!?」
味方はおらず。これは、うん諦めよう。
「……ぱっと出たのでいいんですよね?」
「「うんうん!」」
期待の眼差しで見てくる2人に対して、浮かんできた言葉をそのまま口にする。平常心で。
「そうですね……。まあ、俺はあいつ以外にも海瀬や鈴名、喜野といった友達もできて、結構楽しいんですよ」
「「ほうほう」」
息の合った相槌に平常心が崩されそうになる。落ち着け、落ち着け俺。
「で、も、渚がいないとやっぱり駄目なんですよ」
正直めちゃくちゃ恥ずかしい。でもこれくらいのことを口に出せなきゃ、渚に想いを伝えるなんて無理だと思う。ええい、未来への投資だ!
「俺にとって、渚がいない世界なんて意味がない。そう思ってしまうくらいには、渚の事が好きなんですよ」
「おお……」
「そりゃ、敵わんなあ……」
恥ずかしさで真っ赤な顔になっていると思う。あと橘の反応はちょっと刺さった。
気まずい時間が流れていると、先輩の携帯が鳴った。
「…………用事終わったって」
「お、なら解散しよか。頑張ってな先輩」
「先輩頑張って」
気まずい空気から逃げるようにみんな帰る準備をする。
「ああ。君も頑張ってね。あ、そうそう橘さん。ちょっと」
「?」
なにやら先輩が橘に耳打ちしている。何を話しているんだろう。
「じゃ、またね」
内緒話が終わってすぐに、先輩は去って行ってしまった。
「ほな、お先に」
「橘」
続いて帰ろうとした橘を呼び止める。
「なんや、あんたまでうちに用か?」
そう言って笑う橘。
……多分、これは絶対言っちゃいけないことなんだろう。でも伝えなくちゃいけないと思ったから。
「ありがとう。俺をずっと好きでいてくれて」
「───どういたしまして」
何か言われると思っていたが、橘から返ってきたのは、そんな他愛のない返事だった。
橘なりのけじめなのだろう。
俺たちはそれ以上何も言わずに別れ、帰路についた。
□
一ノ瀬はんと別れてから、うちはとある校舎裏に来ていた。命先輩に「人が来ない場所がある」って言われて、ここに来たんや。
先輩の言った通り、ここには人っ子一人いない。うちも教えてもらうまで気づかなかったほどだ。
「…………っ」
我慢していた涙が溢れてきた。
たとえ叶わぬ恋だと知ってても、彼を好きになったのは事実やから。
「う……っ……ぐすっ」
蒼野はんに対する想いを聞いたときに、まったく敵わないことを改めてわからされた。
そんなところもうちが好きになった部分やから、あんま強く言えないんやけど。
なあ、一ノ瀬はん。
あんたは気づいてないんやろうけど、うちら小学校一緒やったんやで?
まあ三年生までなんやけど。
うちが関西弁でしゃべるからみんなに馬鹿にされたときに助けてくれたことがあって、そこからやな。
一目惚れってやつになるんか?
まあ、それから四年生になると親の仕事の都合で引っ越すことになって、中学も別のところで過ごして、高校で再会した。
初めて会ったときは驚いたわ。なんか根暗っぽくなってるし、そして何よりまだ彼のことが好きだった自分に。
最初のほうは緊張して喋れなくって。うじうじしてたら、いつの間にか蒼野はんたちが周りにいて。
なんとかしゃべれるようになったのは6月くらいやったかなあ。
それからもたまーに話したりして、文化祭……文化祭かあ。
我ながら攻めたなとは思うで?特にダンス。何とかごまかしたけど、結構危なかったし。
ってあかんあかん!未練がましいでうち!
「……よし、もう前向こう!前向けばいやでも立ち直れるやろ!」
そう自分に言い聞かせて、この場を後にしようとしたその時、ふと気づいてしまった。
「『いままで、ずっと』……?」
一ノ瀬はんのお礼の言葉の中にあったフレーズや。
まだ12月やろ?どれだけ長くても8か月や。普通8か月に”いままで、ずっと”なんて使うか?
いや、使わんな。使うのはもっと年月が経ってるとき、に……。
「ぁ」
まって。
「あぁ……」
まってよ。
「ばか」
そんなの。
「そんなの反則やろ……」
昔のことを覚えていたなんて。
「ばかぁ……」
目が震えた。
さっき強引に止めた涙がまた流れ出した。
同じように止めようとしても止められない。
どれだけ手で拭っても止まらない。
覚えていてくれたのが嬉しくて。
覚えていてくれたのが悲しくて。
気付いた時には、蹲って、嗚咽交じりに泣いていた。
涙が止まるまで、ずっと。




