可惜夜に君を思う
「お邪魔しました〜」
「またいつでも来てちょうだいね」
あっという間に17時になり、俺以外のみんなはそれぞれ自分の家に帰ってった。
「あいつらマジで全部置いていきやがって……」
机にはお菓子のゴミや空のコップなんかがそのまま置きっぱにされていた。こんなに行儀の悪い行為を普段からやる奴じゃないから、多分俺がいるからわざとやったんだろう。よし、今度喜野にキッツいコスプレやらせよう。
「遥があんな風に言うからー」
「多少は片付けていくと思うじゃんかー」
文句を言いながらも2人でゴミを片付けていく。こう見ると結構食べたな。お腹も結構膨れているしあんまり晩飯食べれなさそう。
「ふぃー、やっと終わった」
「おつかれ」
15分くらいかけて全部片付け終わった。片付けに15分はまあまあ掛かった方だと思う。
「なんやかんやあったけど、楽しかったな」
「ねー。あの写真だけが気がかりだけど……」
「スマホ電源切ってたからどうなってるのか分からん」
そう言ってスマホの電源をつける。操作できるようになるまで待っていると、先に渚が確認してくれた。
「んーとね、何とか沈静化したみたい。みんなも弁明手伝ってくれたからかな」
「ほんとに喜野のやつ……」
喜野にあの写真はライブラリから消させたが、喜野がミスって送ってから消すまでの数秒の間に何人が保存したのか分からないし、いちいち探し出すのも現実的じゃない。
「またみんなでやるよな、こういうの。もしかしたら大学生になってもやってたりしてな」
「……そうだね!」
俺の台詞に、いつもみたいに笑顔で答える渚。でも、やっぱりそこには寂しさが見えた。聞かない方がいいって分かってるけど、どうしても気になってしまう。聞かずに後悔したくもない。
迷った末、俺は意を決して渚に聞くことにした。
「あのさ、渚」
「ん?」
「どうして、たまにそんな寂しそうな顔をするんだ?」
「───!」
「俺の勘違いだったらいいんだ。でも、もしそうじゃないなら、よければでいい。理由を聞かせてくれないか?」
「……………………」
「……………………」
互いに言葉を発さずに、ただ時間だけが過ぎていく。やっぱり聞かないほうがよかった。そうだな、「聞かなかったことにしてくれ」とでも言って誤魔化そう。
「─────いいよ」
「…………え?」
今、なんて。
「教えてあげる。私の事」
そう言って、渚は自分のことを語り出した。
「私の両親はね、アオノグループのトップなんだ」
アオノグループ。確か世界的に有名なブランドの名前がアオノだった気がする。
「そうだね、遥に近いもので言うとファッションブランドなんかにもその名前があったりするかな。まぁ色々な分野で大人気のグループでね。私もそれを継ぐことが決まってるんだ」
その言葉に違和感を覚えた。だって、この前。
「……お菓子とかの方に進みたいって」
「うん、合ってるよ。それは私の夢。でも、願うだけのもの。私の将来は決まってるから」
自嘲するように薄笑いを浮かべる渚の様子が、俺の胸を締め付ける。
「本当なら今の学校にも通ってないんだ。もっと学力が上の名門校とかに通わされるはずだった。でも、私の事を可愛がってくれてた叔母さんと叔父さんが苦言を呈してくれて、今みんなと一緒にいる」
話を聞いただけの俺が言う資格があるかは知らないが、紗枝さんたちも頑張ったんだろう。一緒に暮らしているくらいだ。どれほど可愛がっていたかは言うまでもない。
それでも。
「2人がどれだけ頑張ってくれても、家を継ぐことからは逃げられなかった。中高と好きなところに行ける代わりに、卒業したら向こうに戻る約束なの」
「なら……!」
そんな約束反故にしてしまえばいい。そう言おうとしたところを渚に遮られる。
「出来ないんだよ。その条件を出された頃、叔母さんたち起業しようとしてたの。でも結果は振るわなかった。両親が圧力かなにかをかけたんだと思う。そしたら、資金を出すから代わりにって感じでね。向こうはどうしても私が欲しいみたい」
自作自演みたいなことをしてまで、渚が欲しい……いや違う。渚の両親が欲しいのは。
「人形か……」
「そう、自分たちの意のままに動いてくれる人形。あの人たちが求めているのはそんな私」
「…………渚は、それでいいのか」
質問を口にしてから後悔する。これは答えが分かりきった質問だ。今までの渚の話し方からそんなのすぐに分かる。
「……最初は嫌だったよ。そんな風になりたくなかった。でも、"叔母さんたちには幸せになって欲しい" "今までの恩を返したい"って思うようになってから、苦じゃなくなった。もう、そうなるんだと覚悟を決めてるよ。私は」
そりゃそうだろう。誰だって人形になるなんて嫌だ。でも、そうなることで大切な家族を助けられるのなら進んでそうするのが、渚なんだ。
どうにかしたい、何とかして助けてあげたいとは思う。でも、無理だ。助け舟を出そうにも、乾ききった心に出せるわけがない。それくらい、渚の決意は固かった。
俺に出来るのは、ただ歯を食いしばって話を聞くことだけだ。
「私は今をめいいっぱい楽しみたいんだ。人形になる前に、『蒼野渚』という一人の女の子としての思い出を沢山作って、それを糧に頑張ろうってね。だからたまに思うんだ。夜が明けてほしくないなって。そうすれば楽しい思い出をたくさん作れるでしょ?」
思わず、額を押さえる。
────ああ、強いな。自分を見失った俺なんかとは違って、しっかりと自分を持っている。そして、いつか自分が自分でなくなることが確定しているのに、それでも前を向いて歩いている。
俺はすこしでも渚と一緒にいたいから、夜が明けないことを願った。それに対して、渚はみんなと一緒にいた思い出のために願った。我欲まみれの俺が情けないことこの上ない。
「ほかに、このことを知ってる人は?」
「優芽と湊かな」
やっぱりか。あの2人が気づかないわけがない。親友のためになにかしようとしたはずだ。でも、無理だった。だから、渚の『今をめいいっぱい楽しみたい』って願いを叶える方向にシフトした。どれほど苦渋の決断だったか、今なら痛いほど分かる。
俺もそうするべきなんだろうか。いや、そうした方が渚のためになるのは分かってる。でも、でも…………。
「─────変えるのは、無理そうだな」
「ごめんね」
「いや、そんな簡単に変わる方がダメだろ」
「たしかに」
いつもみたいに2人で笑い合って、気づいた。渚にとってはこの『いつも』がかけがえのないものなのだと。
「もう18時じゃん」
「げ、そんな時間か。…………帰るか。じゃ、またな」
「うん、またね」
そう言って、渚の家を後にした。できるだけ、いつも通りに。
□
帰り道、空を見上げる。
そこには、空いっぱいに星が広がっていた。
吹き抜ける風が、髪を揺らす。
光の海に向けて、この手を伸ばす。
目の前にあるのに、全く届かない。
握っても掴めるのは、少し肌寒い空気だけ。
近いようで、遠い。
届きそうで、届かない。
どうしようもない壁が、そこにあった。
そんな光の中に、一際目を引くものがあった。
他の誰よりも輝いている、白い星だ。
その輝きを、羨ましく思った。
その輝きを、妬ましく思った。
「お前くらい輝けてたら、あいつの道を照らせたのかな」
何も出来ないちっぽけな自分が、とても惨めに感じた。
もし叶うのなら───あいつの笑顔を見続けるために───明日が来なければいい、あいつがいるこの夜がずっと続けばいい。
そんな風に、思ったんだ。




