幸せ
スーパーの自動扉が開き、店内音楽か聞こえてくる。
俺たちは家の近くのスーパーに来ている。品揃えも豊富でここなら大体のものが買える。
「おおー、スーパーなんて久々〜」
初めて来たみたいに目を輝かせている28歳がここにいる。
「普段何食べてるんですか……」
「コンビニ弁当」
「どれくらいの期間?」
「……半年くらいは?」
なんでそんな食生活でこの見た目を維持できているんだ。見る人が見たらキレるぞ。
「それで体型維持出来てるのなんで……?」
「努力。圧倒的努力。見なよこのもちもちの肌を」
自分の頬を指でつつきながらドヤ顔してくる。
「どれどれ……」
柔らかさを確認するために椿さんの頬を両手で摘み、
「どうよ、私の肌のもちもちぐあ」
そのまま横に!
「いひゃっ!?」
ふむ、申し分ない柔らかさ。自慢気にするのもうなずける。
「はーるーかー?」
「椿さんの言った通り、柔らかかったですね」
「このガキ……!」
怒った椿さんがそれはもう見事な仕草でヘッドロックをかけてきた。
「いだだだだだだだ!」
「乙女のお肌をそれはもうぞんざいに扱ってくれたね!」
「10歳以上下のやつにヘッドロックかける人は乙女じゃねぇよ!」
そんなんだから結婚出来ないんだよこの人。
なんて考えてると、絞める力が強くなった。
「ねぇ遥、今さ」
「いや、別に!?だから結婚出来ないんだよこの人とか考えてませんけど!?」
「考えてんじゃねぇか!」
「いだだだだ!ちょ、ここ公共の場!流石に!」
なんかこの止め方最近も使ったような気がする。
「ここら辺で許してやろう」
周りの目のこともあるし、今回は軽めで許された。
「いててて……。で、何食べたいんです?」
「ハンバーグ!」
小学生みたいな返事。こういうのを外でも出せばまあまあモテると思うんだけど……。
そういう椿さんを想像してみた。
—————オエッ。
「急に苦虫嚙み潰したような顔するじゃん」
「い、いや別に」
ふと、あることが気になって聞いてみた。
「椿さんって野菜切ったr」
「できない」
「…………肉こねたり」
「できない」
「なんもできないじゃん!」
「なんもできないんだよ!だからせめて荷物持ちをやろうとしてるんですよ」
こんなお姉さんに任せる人類は存在しないだろう。任せたらすべてが終わる。
「はあ……なら大人しく荷物持ってくださいよ」
「はーい」
それから、ハンバーグの材料や明日以降のごはんの材料も買って、帰宅した。
「じゃ、お願~い」
かえって来て早々ソファにダイブする椿さん。
「何かはしてくださいよ何かは」
「え~荷物持ちしたんだからあとはダラダラする~」
「飯作りませんよ?」
「すみません調子のりました」
椿さんをこき使いながら、レシピ通りに調理を進めていった。野菜切って、肉とこねて、焼いて、最後にデミグラスソースをかけて完成。
「はいどうぞ」
「おいしそ~!いただきまーす」
よほどお腹が空いていたのか、パクパクと胃袋に収めていく。
「いい食べっぷりですね。冥利に尽きるってもんです」
「いやー、やっぱ遥のごはんはおいしいね!毎日食べたいくらい」
「嫌です」
「冗談だって~」
そしてそのまま平らげてしまった。
「ごちそーさま」
「お粗末様でした。で、食べ終わってそうそうお酒ですか」
食べ終わった椿さんの手にはさっきスーパーで買った缶ビールが。しれっとカゴの中に入れられていたやつ。
カシュッといい音を立ててお酒の匂いが漂ってくる。
「……ぷはー!」
「飲むのはいいですけど、酔いつぶれないようにしてくださいね」
「そこは弁えてるからだいじょぶ」
そうこうしているうちに俺も食べ終わった。もうそのまま洗い物も済ませてしまおう。
リビングで酒を飲んでいる椿さんを眺めながら、片付けを始めた。
「遥ってさ」
「ん?」
お酒を飲んでいた椿さんが真面目な顔になっている。え、何。
「前さ、他人を好きになることはないって言ってたじゃん」
「はい」
「今も変わんないの?」
神妙な面持ちで何を聞いてくるのかと思えば、そんなことか。
「……わかんないです」
「わかんない?」
「他人を好きになることがあっても、自分が幸せにしたいとかは思えなくって。その人に幸せになってほしいとは思いますけど」
自分が幸せにできるなんて思っていない。なんならそんな自分が許せないし、吐き気がする。俺にはその幸せを享受する資格もない。
推しに近い感覚ではあるけど、全部がそうってわけでもない。
「なるほどねぇ。でもね、そういうタイプは何かきっかけがあったらガラッと変わると思うよ」
「そういうもんですか」
「そういうもんよ。人間誰しもいつでも変わろうとすれば変われるんだから。凛さんみたいにさ」
「母さんみたいに……」
母さんは今、モデルをやめてアパレルブランドを立ち上げようとしている。「死ぬまでモデルをする」とまで言っていたのになぜ、と少し話題になった。
それに対して母さんはそれらしいことを言っていた気がする。
母さんが変わったのは今年の1月のころ。俺が、全部ぶちまけたときだ。
「椿さんは、理由聞いたんですか?」
「うん、そりゃあね。やりたくなったからって言われた」
「俺もです」
けれど、ある日本当の理由を聞いた。夜に母さんと父さんが話してるのを。
「夜にふと目が覚めた日があったんですよ。で、リビングまで来たら2人が話してるのが聞こえてきて。『この世界に引き込んだ私のせい』って言ってたんですよ。『これからも苦しまないように、モデルの私の息子だからって言われないように、モデルやめて最近興味あったアパレルブランド立ち上げよう』って。」
モデルをしている母さんはとてもきれいで、楽しそうだった。そんな母さんを、俺が消してしまった。あの人の幸せを奪ってしまった。
そうだ、だから。
「だから俺は、幸せになる資格なんてない。幸せになっちゃいけないんですよ」
俺はこの自分を受け入れなければならない。そうすることが、せめてもの罪滅ぼしになればと思って。
「って言ってますけど?凛さん」
「…………え?」
思わず洗い物をしていた手を止め、顔を上げる。椿さんの視線の先には。
「母さん!?それに父さんまで!?」
残業帰りの母さんと、単身赴任中だった父さんがいた。
確かにそろそろ帰ってくる時間だけど、帰ってきたのに気づかないなんて。父さんも今週のどっかで帰ってくるって聞いてたけどよりによって今かよ……。
「………………………」
母さんが無言で近寄ってくる。
「いや、あのこれは――」
「えい」
「いだっ」
頭をチョップされた。なんでチョップ?いやほんとになんで?
「好き勝手言ってくれちゃって、親の心子知らずとはよく言ったもんだよホントに」
そう言って、俺を抱きしめた。
「か、母さん?」
「あのね、遥。幸せになる資格がないとか言ってるけどね、そんなの間違ってるから。幸せになる資格は誰にだってあるし誰にも否定できない。自分でさえも」
「……うん」
「確かに、私は遥が聞いたようなことを言った。でもね、いまは新しいことに挑戦するいい機会だったと思ってる。大変だけどその分楽しいし。私は十分幸せ……いや、十分ではないか」
「そう、なんだ」
やっぱり俺が……。
「だって遥が幸せそうじゃないんだもん」
「え……」
「親にとって、子供が幸せでいてくれることが何よりの幸せなんだから」
目頭が熱くなる。いまさらながらに、抱きしめられている暖かさを感じた。
「だから、こっちのことは気にせず幸せになりなさい。そうしたら勝手にこっちも幸せになってるから」
涙は流れない。それ以上に親の愛が、暖かさが心に沁みる。
そして実感する。子供は親には敵わないのだと。
「わかった?」
「うん、わかった」
「ならよし」
温もりが離れた。無意識のうちに名残惜しさを感じて、さっきまで抱きしめられていたところを腕でさする。
「遥」
「父さん」
次は父さんの番か。
「………………」
「………………」
あれ?何も話してこないのか?
————————あ。
「もしかして、言おうとしてたこと全部母さんに言われた?」
「うん」
やっぱりか。
「……俺が言うのもなんだけど、なんかないの?」
「ないよ!かっこいい父親を演じようとしたのに母さんのせいで台無しだよ!」
「いや、あの、いまさら、じゃない?」
そう言って、他の2人に同意を得ようと聞いてみた。
「和斗さんは……うん」
「お父さんは……手遅れだと」
「ひどい!」
3人からフルボッコにされてしまい泣きそうな顔をしている。そんな父さんを見てたら涙も引っ込んでしまった。
「こほん。まぁ、その、考えすぎだ。人生もうちょい気楽に生きていいんだぜ?」
と、ウインクを添えて少しふざけたように伝えてきた。
「……わかったよ」
「ならよし」
母さんと違い頭を撫でてくる。ちょっと恥ずかしいからやめてほしい。
「…………でもなんでそんなひっそり入ってきたの?」
そういえば、とふと頭に浮かんできた疑問を口にする。
まるで、最初からこういう話をしているとわかっていたかのように。
「あ、それ私。そろそろ帰ってくるって連絡受けたから」
「ですよね~」
うん、なんとなくわかってた。それがこの人なりの善意だってことも。
「………ありがとうございます」
「やっぱり遥もなんだかんだ言って可愛い子供なんだなぁ」
「その子供に餌付けされてる大人もいますけど」
「前言撤回。やっぱ可愛くねーわ」
いつものやり取りに自然と笑みがこぼれた。それに呼応するようにこの場にいるみんなも笑いあった。今まで言えなかった文句であったり日ごろの感謝だったりを笑いながら。
ひとしきり言った後、明日もみんな早いとのことでお開きになった。
明日からいつもの学校が始まる。でも、今までとは違う景色が見れると思う。ほんの少し、前を向いていける気がするから。




