自失
「今の仕事はさ、親の影響なんだよね。俺の親はモデル関係の仕事してて、仕事場に付いて行ったりしてたらいつの間にかモデルになってたんだよ。『夜宵彼方』になってた。」
俺は何をしているんだろう。まだ知り合って3ヶ月くらいのやつにこんな自分語りをするなんて。それでも渚は何も言わずに聞いている。
「小さい頃からやってたし今も仕事はやり甲斐があって楽しいんだ。だけど、モデルとしての俺は嫌いなんだ」
「…どうして?」
渚は静かに、それでいて寄り添うように聞いてくる。
「中学校の頃にちょっとな。親の転勤で地元とは違う中学校に行くことになってさ。公立の中学ってさだいたい小学校からの繰り上げじゃん?誰も知り合いが居なかったんだよ」
「うん」
「でも、その頃は自分の顔を隠してなかったからすぐに仲良くなれたんだ。友達も出来て、楽しかった。杞憂だったんだなって思った。最初は…な」
そう、入学してからの1年くらいは楽しかった。入学する前に考えていたことはなんだったんだってくらいに楽しかった。でも……
「中学生の頃ってさ、声変わりしたりする思春期が始まる頃でしょ?思春期になるとものの捉え方とか考え方とかも変わってきて……気づいた。気づいてしまった」
今でも鮮明に思い出せる。あの時の、忘れたくても忘れられない、記憶が。こればっかりは自分の記憶力の良さを恨むなまったく。
「今まで仲良くしてた人達は、友達だと思ってた人達は、『夜宵彼方』を見てたんだって。誰も本当の俺を見ていない、接していないって」
モデルとして努力をしてきたのだから、顔については自覚している。本来なら本当の俺の事を見てくれる人がこの世界のどこかにはいるんだろうけど、あの時の、俺の小さな世界には…居なかったんだ。
「本来なら喜ぶべきことなんだろうな。自分の容姿が優れているんだって。……俺はそうはならなかった。その事に気づいてから、俺の世界はおかしくなった。俺に話しかけて来る奴らに対して、嫌悪感しか感じなくなった」
周りと関わることが、嫌気がさす程になった。彼はこんなものが好きだ、とか。彼女はこういう性格だから接し方はこう、とか。そういったものがどうでも良くなったんだ。
「そこでやめればよかったんだ。そこで俺が、『夜宵彼方』をやめておけばまだマシだったかもしれない。けれど、やめなかった。怖かったんだ。誰かとの関わりが、無くなってしまうのが。例えそれが俺を見ていなくても」
「─────────」
渚は何も言わない。何も言わずに、ただ聞いている。どんな顔をしているのか見れない。見るのが怖い。そんな恐怖を誤魔化すために、俺は語り続ける。
「それから俺は、演じ続けた。周りが求める『夜宵彼方』を。仮面をつけていれば、演じ続けていれば、いつかは本物になると思って。」
「……辛く、なかった?」
「辛かったよ。最初はちょっとした疲労としてストレスが出てたけど、いつの間にか吐くようになった。酷い時は休み時間毎に学校のトイレで吐いた。周りの目が、声が、そして何よりこんなことをし続けてる自分自身が気持ち悪かった。親にも言えなかった。その頃は繁忙期で忙しそうだったし、心配かけたくなかった。」
2年間でどれだけ便器の前で膝をついたのかもう覚えていない。覚えれるような数じゃなかった。
「それでも演じ続けた。さっきも言ったように、いつかは『夜宵彼方』が本当の俺になるんだって信じてたから。けど、人間ってそんな上手くいくように作られてはいないんだよ」
楽観的だった。楽観的過ぎた。自分のことをなんにもわかってなかった。
「結局、俺は『夜宵彼方』にはなれなかった。そして、本当の俺にも戻れなくなった。」
「え…………」
「中途半端に混ざったんだよ。笑えるだろ?文字通り血反吐を吐いてやったのに、何になることもなく自分が消えた。もう分かんないんだよ、本当の俺はどんな話し方だったのか。何が好きだったのか。何も分からない。何か物を見て懐かしんでも、『一ノ瀬遥』としてなのか、『夜宵彼方』としてなのか。渚とかと話してても、この感情はどっちの者なんだろうって。」
そして俺は天を仰ぐ。見知らぬ天井には照明が1つ。そういえばここ人の家だったな。今ではその明かりすら煩わしい。
「そのくせして、俺は今もモデルを続けている。『夜宵彼方』が死ぬほど嫌いなのに、『夜宵彼方』にめちゃくちゃにされたのに。酷い話だよな。1番好きなものに1番嫌いなものを使ってる。昔のゲームのバグでももっとマシだ。」
「遥……」
「高校の進路を決める時に、親に話した。全部ぶちまけた。」
両親が談笑しているときに大事な話があるって言って話したんだったな。学校のこと。自分の体調のこと。そしてこれからのことを。感情のままにぶちまけた。声が出なくなるまで。
「どうして?どうして俺がこんなに辛い思いをしなきゃいけないの?って。泣きながら2人に聞いたんだ。自分で選んだくせに。」
2人は俺を抱きしめてくれた。そして泣きながら、「ごめん」「ごめんな辛い思いをさせて」って。
「あの時は『一ノ瀬遥』だったのかな………もう分かんないけど。……俺は、自分が知りたい。俺が努力する理由は、何者か分からなくなった俺を知りたいから。そのために俺はバカみたいに頑張るんだよ」
そう言いながら、俺はやっと渚の顔を見る。
………なんでお前がそんな泣きそうな顔してんのさ。
「………なぎs」
渚が手を伸ばしてきたと思ったら、次の瞬間、抱きしめられてた。
「なぎ……さ」
「遥は遥だよ。あなたは誰でもない、一ノ瀬遥。私はあなたに助けられた。何者か分からないって言うあなたに。私にとって、一ノ瀬遥はあなた1人だよ。」
「─────ぁ」
やめてくれ。
「湊も、優芽も、喜野も、みんな同じ。遥だから仲良くしてるんだよ。昔のあなたを否定する訳じゃあないけど、学校で私たちと一緒にいるのは今の遥。」
やめてくれよ。
「だから、中途半端だなんて言わないでほしいな。」
やめて…くれ。
「なん……で」
違う。そうじゃない。
「気付いてないかもだけど、すごい顔してたよ。今にも泣き出しそうで、目を離した隙にいなくなりそうでさ。」
お前だって………
「遥自身が認めなくても、私が、私たちがあなたを認める。」
やめろ。もう、涙はあの夜に置いてきたんだ。あの夜に終わらしてきたんだ。母さんも父さんも、抱きしめてくれたんだ。
「あなたは、一ノ瀬遥なんだよ。それだけは、譲れない」
でも…………
「俺は……」
でも……!
「本当は、認めて欲しかった……ぐちゃぐちゃになった俺を、認めて欲しかった!」
ああ、そうだ。
「自分でも分からなくなった俺を、肯定して欲しかった!生きてていいんだって思いたかった!!」
ずっと自分に言い聞かせてた。あんなに俺のために泣いてくれたんだからいいじゃないかって。そう思うことで蓋をしてた。でも、蓋をすればするほど穴は大きくなっていった。
「自分で答えを見つけなきゃなのは分かってる。ただ、そう思いたかった。一ノ瀬遥として、いるんだって!俺は俺なんだって、誰かに言って欲しかった!だから………だから………………」
声が出ない。感情ばかりがこみ上げてくる。身体は正直で、もう一生分泣いたと思っていたのに、涙が止まらない。
「………いいよ。今ここには私しかいない。私にしか見えないし聞こえない。だから、いいんだよ、泣いても」
「────ッ」
そこから先は、ずっと泣いた。渚は何も言わずにただ抱きしめてくれた。冷房が効いているのに、暖かかった。
□
「…………もう大丈夫、渚」
「……ん」
どれくらい泣いていたんだろうか。話を始める前はまだ明るかった空ももう暗くなっていた。
「ありがとう、渚」
認めてくれて、俺は俺だって言ってくれて、ありがとう。
本当ならこういうのも伝えた方がいいんだろうけど、流石に恥ずかしい。勝手に自分語り始めて、勝手に自虐して、渚に抱きしめられて、子供みたいに泣いて。落ち着いて考えるとめっちゃ恥ずかしい。今世紀最大だわこれ。
「どういたしまして。もう夜遅いけど、大丈夫?」
時計を見ながら、そんなことを言ってくる。時計は7時を示していた。
もう晩飯の時間だな。確か今日はオムライスらしい。確か卵が足りないから買って帰って……こいって……
「げ、買い物して帰んなきゃなの忘れてた!ごめん、渚!俺もう帰るわ!」
「じゃあ玄関まで送ってく」
急いで片付けて玄関に向かう。そしてその後を渚が付いてくる。
「じゃ、また明日。本当に今日はありがとう」
「うん、また明日」
渚の家を出て少し走ったあたりで、壁にもたれかかって、座り込む。家に帰るまでに、頬の熱は何とかしなくちゃならない。なんでかは分からないけどそんな気がした。
そう思いながら、俺はまだ正体が分からないこの熱を冷ましながら急いで帰った。




