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四章

「や、やめてくれ、お願いだから命だけはっ!」

 ボロボロの着物を身に纏った男が尻餅をつきながら自分を見下ろす青年に必死に命乞いをする。

「し、仕方なかったんだっ!碌に食うものも無くて、銭も無くて、それで俺は仕方なくっ!」

「仕方なく、烈の兵が隠れて国境くにざかいを越えて進軍したのを態と見逃した挙句、お前の村を襲わせ、拠点として村を売り渡したと?」

 黒髪に開いた唐傘を肩に掛けた青年が男を冷たく見下ろす。

「だ、だってしょうがないだろう、逆らえば俺は殺される!でも従えば飯を食わせてくれるって、」

「もういい、死ね。」

 淡々と青年が呟き、唐傘を振り下ろす。親骨に仕込まれた刃が男の首を切り裂き、男が首から血を噴水のように吹き出すと絶命する。

「さて、件の村はあれか。」

 黒髪の青年、黒狼は視線を男から少し離れた場所にある村に移す。一見唯の寂れた村だが実際は他国の兵により制圧され、拠点とし築城が始められている。

「男は始末したか黒狼。」

「ああ。」

 黒狼の背後から男が声を掛ける。影ノ刃の将であり今回の任で司令役となっている男、双虎だ。

「それではこれより、任を始める。村にいる者は全て殺せ。分かったな?」

「分かっているさ。」

 手甲鉤を構える双虎に黒狼も唐傘を構える。黒狼の目元には深い隈が出来ており、顔にも僅かな疲弊の色が見える。

 きちんと休息を取っているにも関わらず、何故か体が不調を訴えている。体が不調である事には気づいてはいるのだが、その原因が分からない黒狼は無理をして体を動かし村を襲撃する。

 不調の原因が心の疲弊が原因である事、そして”影ノ刃”の生業が深くかかわっている事にこの時の彼は気づいていなかった。

「”影ノ刃の将が一人、號は双虎、戦技、虎鉤”。」

「”影ノ刃の兵が一人、號は黒狼、戦技、血染ノ傘”。」

「「いざ、参る!」」

 そうして彼はまた人を殺め、己の心をすり減らしていく。




 列に支配された村に襲撃をし、全ての兵を殺した黒狼は血が滴る唐傘の汚れを落とすと”影ノ刃”の各地に設置された隠し拠点に戻る。

「ご苦労だった黒狼、今回の任で先遣隊を壊滅させられた烈は暫く大人しくしているだろう。その間貴様も休め。」

「お前は?」

「私は本陣へと戻り今回の任の報告を姫様にする。その後、進軍の準備を進める冷の兵の支援へと回される予定だ。」

「そうか。」

 淡々と受け答えをするだけの黒狼。そんな彼を見て双虎は喜ぶ。

「黒狼、貴様こそが我々”影ノ刃”が追い求めていた兵の在り方だ。」

「・・・何だ急に?」

「我々”影ノ刃”は冷の発展の為に殺生を手段としている。故にそこに感情は不要。余計な情けで躊躇する者は必要はない。だが貴様は違う、貴様は感情を殺し人を殺めることが出来る。貴様こそ影ノ刃の兵に相応しい存在だ。」

 そう告げると隠し拠点から出ていく双虎、褒めているのか人でなしと貶しているのか分からない双虎の言葉を聞いた黒狼は先程の戦いの疲れを癒す為、横になり睡眠を取ることにした。



 

 睡眠を取った物の結局碌に眠る事が出来なかった黒狼はそのまま、隠し拠点から出て近くの川で黄昏ていた。

 別に何かをしたい訳でもないし、理由があるわけでもない。ただ何もせず隠し拠点でじっとしている事が嫌だっただけだ。

 そうしてどれくらいの時間が経ったのだろうか、川の魚を眺めている黒狼の後ろから一人の女性が足音を殺しながら、ゆっくりと近づいてくる。

「何のつもりだ桃。」

「ありゃ、ばれちゃった?」

「足音を殺そうが気配で分かる。何度同じ手を使えばいいのだ?」

「いやあ、私も少しは気配を消すのが上手くなったと思ったんだけどな。」

 笑顔で謝る桃色の髪に軽装の甲冑を身に着けた女性、桃はそのまま黒狼の隣へと腰かける。

「で、黒は何でこんなとこにいるの?」

「別に、任を終えて暇になったから散歩していただけだ。」

「任、、、それってもしかして人を殺めたの?」

 黒狼の顔をじっと眺める桃。

「よくわかったな。」

 ”影ノ刃”は確かに冷の発展の為に殺生を手段としているが、任が殺生だけという訳でもない。他の国や大陸に諜報員として向かわされることもあるし、敵の侵攻を妨害するだけという任だってある。

 まあ、それでも殺生の任の方が圧倒的に多いのだが。

「黒の顔を見ればね。」

「顔?なぜ己れの顔を見てそれが分かる?」

「・・・分かっちゃうんだよ。」

 悲し気な笑みを浮かべる桃。

「そう言えば、お前はどうだ?”影ノ刃”に迎えられて半年、そろそろ任を任されるようになったか?」

「あははは、それがまだ何だよね~、どうも私って拳以外は要領が良くないみたいで。」

 右の拳を前に繰り出しながら今度は苦笑いをする桃。黒狼と親しい雰囲気の彼女だが、実は彼女は”影ノ刃”の生まれではない。

 ”影ノ刃”はその成り立ち故、殆どが本陣で生まれ修行を終えた者で構成されている。だが、極稀に外からの武人を招き入れることもある。

 理由は様々だが、大きな理由としては内だけでなく外の武人も招き入れてより兵の質を上げる為と外の情報を得る為だ。

 また招き入れられる武人の方も、類稀な身体能力や武術を納めながらも表の世界では諸々の事情により活躍できない者が多い為、彼らの受け皿としての役目もある。

 現に黒狼の隣にいる桃も拳闘士の家に生まれ、恵まれた才を持ちながら家のいざこざに巻き込まれて追放、流れに流れて”影ノ刃”に流れ着いたという経歴の持ち主だ。

「う~ん、やっぱり難しいね。”影ノ刃”の皆は強いし、うまくいかないや。」

「ふん、そうか。」

 そしてこの桃という女性なのだが、何故かやたらと黒狼に絡んでくる。始めてあったのは彼女が”影ノ刃”に迎え入れられた半年前なのだが、出会っていきなり黒という渾名を付けられ、稽古と称して黒狼に拳術を教え込んできたり、不味い手作りの飯を食わせようとしてくる。

 現に今も暇だからと黒狼の手を掴み立ち上がらせると黒狼と一緒に正拳突きの練習を始めた。

「ほら、拳の先がぶれてる。前に突き出した拳に体が引っ張られないようにちゃんと足を付けて!」

 だが黒狼自身、彼女の事を嫌ってはいなかった。稽古に誘われた当初は面倒くさいと言う気持ちもあったのだが、彼女といる時間は不思議と心地よくて体を動かしている間は何も考えずに済むので楽であった。

「よし、それじゃあ今日は黒に私のとっておきの技を見せてあげましょう!」

「とっておきの技?」

「うん、これは私の家に伝わる極意なんだけどね。」

「それは見せていいのか?」

「良いんだよ!どうせあの家じゃ私は死んだことにされてるんだから。今更私が誰に教えた所であの人達に文句をいう資格は無いよ。」

「・・・済まない。」

 家族に捨てられた事を思い出させてしまい謝罪する。

「別に気にしなくていいから、そんな事よりちゃんと見ててよ!」

 近くの石を積み上げると、そのまま右手で握りこぶしを作り軽く石に当てる。

「すー、ふっ!」

 そして息を吸い、吐くと同時に石が破裂音を響かせながら四方に弾け飛んだ。

「どう、凄いでしょ?」

「今のは、一体?」

 拳を引いた様子もなく、唯拳を当てて息を吐いただけなのに弾け飛んだ石。全く見た事のない技に黒狼も驚く。

「これが私の家に伝わる極意。勁拳けいけん、普通拳を繰り出す時は一旦拳を後ろに引くけど、この技はそれを無くして、全身の動きを連動させることで生じた衝撃を相手に伝えるの。この技があれば相手にどれだけ近づかれても直ぐに繰り出せるから、割と重宝するんだ。」

「重宝とか、そんな軽い言葉で済ませて良いのか?」

 事前動作無しで技が繰り出せるなど、実戦においてどれだけ有効か。それなのにそれをさもなんでもない事のように言う桃に思わず呆れてしまう。

「それで、それを己れに見せてどうするのだ?」

「どうって、黒にもこれを覚えてもらうんだよ。」

「何っ?」

「だって、黒っていつもその変な唐傘で戦ってるでしょ?」

「まあ、これが己れの戦技だからな。」

「でもさ、それに頼らない戦い方を覚えておいても損は無いんじゃない?だからさ、私が教えてあげるよ。」

「確かに損は無いし、使えるに越した事は無いのだが。」

「よし!それじゃあ、早速やってみよう!」

 言うが早いか桃は黒狼の後ろに回り込むと彼の腰と腕に手を回し、正拳突きの構えを取らせる。

「さあ、息を吸って吐いて!静から動に一瞬で切り替えて!全身の動きを連動させて!」

「一度に言われて出来るか!」

 桃の下手な指導に辟易しながらも黒狼はなんだかんだで彼女が飽きるまで付き合う事にした。




「あ、起きた?」

「む。」

 夜から早朝にかけて勁拳の鍛錬をした後、桃に強要されて彼女の膝枕で寝ていた黒狼が目を覚ますと、彼の眼前に影に隠れながらも笑顔で黒狼を見つめる桃の顔が写る。

「中々可愛い寝顔だったよ。」

「黙れ。」

 童顔を気にしている黒狼からすれば、可愛いという言葉は自分の容姿を馬鹿にされている気分になる。

「ぐっすり眠れて頭が少しは軽くなったでしょう?」

「まあな。」

 実際、眠る前は靄が掛かっていたような感覚だったが今はそれが無くなりすっきりと晴れている。

「今日は任がないんだっけ?」

「ああ、だから今日は暇だから勁拳の鍛錬に勤しんでた。充分に寝たし、続きをするか。」

 石を積み上げて勁拳の練習を再開しようとする黒狼だが、桃が彼の腕を掴む。

「何だ?」

「ねえ、今日暇なら私に付き合ってよ。」

「付き合う?」

「うん、黒に見せたいものがあるんだ。」

 そう言うと桃は黒の手を握ったまま彼を無理矢理引っ張っていく。

「お、おい、待て、一体どこに連れていくつもりだ!」

「黒の力が必要な場所!」

「答えになっていないぞ!」

 その後も黒狼は桃に何処に連れていくのかと問うが、桃はそれを無視し黒狼をある場所へと連れていく。

「此処は、」

 黒狼が連れていかれた場所、其処は彼が以前に双虎と一緒に烈の兵を殲滅した村の跡地であった。

 あの後、村人がいない事もあり放置され、村には崩れる寸前の小屋や屋敷しか残っていない。

「此処に連れてきて、己れに何をさせる気だ?」

「此処に住んでいる子達の為に、小屋の修繕とかをしたいんだけど、黒にも手伝ってほしいんだ。」

「子、だと?」

「皆ー!出ておいで―!」

 桃が両手を口に添え、大きく叫ぶと廃墟の中から沢山の十にも満たない子供達が出てくる。彼らは皆ぼろきれのような着物を身に纏い、体の所々に火傷や刃による傷跡がある。

 その中でも一番背が高い男の子に桃が近づいて話しかける。

「皆私の言いつけ通り、ちゃんと隠れてた?」

「うん、盗賊とか兵が来ても大人しくしてたよ。それでそこにいるお兄ちゃんは誰?」

「彼は黒、私の友で今日は皆の為に小屋を直すのを手伝ってくれるの。」

「おい、桃。」

 勝手に話を進めていく桃に黒狼が苛立たし気に声を掛ける。

「このガキ共は何だ?何故こんな場所にいる?」

「この子達は孤児だよ。皆戦で親や兄弟、故郷を失って行き場がなくなった子達なんだ。」

「っ!、、、それで?」

「私も”影ノ刃”に入るまでは色々と旅をして、この子達のような子を何人も見てきた。それでどうしても放っておけなくてね。そしたら丁度廃村があるって言うし、この子達を此処で保護しようって考えたの。」

 桃の考えに黒狼は驚く、今までの黒狼の人生は殺すか殺されるかで誰かを生かす、などという考えを持ったことが無いからだ。

「色々野菜や狩った獣の肉とか持ち込んだり、文字とか教えたりしてね。でも流石にそろそろ小屋とかが崩れそうで困ってたんだ。」

「それで己れを呼んだと?」

「うん、だって今日は暇なんでしょ?」

「まあ、暇だが。」

 そうこうしている内に桃の周りだけでなく、黒狼の周りにもどんどん子供達が集まってくる。年相応の容姿の桃と違い、童顔と背の低さの所為で幼く見える黒狼の方が彼らにとっては年が近く親近感が持てるのかもしれない。

「それじゃあ、早速始めるよ!皆は危ないから離れてて!さっ、黒もこれを持って手伝って!」

 何処に隠していたのか、釘や板、鋸といった道具を持ち出した桃が小屋の修繕に取り掛かり、黒狼も無理矢理それに付き合わされることとなってしまった。




「ふうっ。」

「はいっ、お疲れ様。」

「む、すまない。」

 小屋の修理を始めてから数刻、二軒ほど小屋の修理を終えて休憩していると桃が器に茶を注いで渡してくるので、それを受け取る。

 盗賊などに目を付けられないよう見た目はボロ屋敷のままだが、中は新築と言って良い程に修繕したので雨や風で崩れることは無いだろう。

 子供達はまだ少し照れがあるのか、黒狼と桃を遠目でチラチラと眺めている。

「休憩が終わったら、後もう一軒だけ修理しよう。それが終わったら私が特製のご飯を作ってあげるから。」

「お前の飯はいらん。」

「何でだよう!」

 不味いからだ、と言おうとしたが長生きするコツとして女性が作った手料理は美味しい言えと教えられたばかりなので口を紡ぐ。

 余計な事は言わないに限るのだ。

「そう言えば、聞き忘れていたことがある。」

「聞き忘れていた事?それって何?」

「何故、あのガキ共を助けようと思ったのだ?」

「えっ?」

「己れ達は冷の発展の手段として人を殺す存在、そんな己れ達が子供を生かした所で何になる?そんな意味のない事よりも、一人でも敵の兵を殺す方が、、、」

「意味はあるよ。」

 幼き頃に山で獣相手に命を削り合い、山を下りた後も師から人を殺める手段を学ばされ、影ノ刃の兵として多くの命を奪ってきた黒狼に植え付けられたの命の価値観は至極単純、弱肉強食。

 故に子供のような弱者を守ったところで意味は無く、敵国の兵士を殺し強い自分達が生き残った方が有意義だと黒狼は考えているのだが、桃は強い口調でそれを否定する。

「例えばだけど、私があの子達を保護しなかった場合、あの子達はどうなると思う?」

「どうって、野垂れ死ぬだけだろう。」

「うん、そうだね。でも私があの子達を保護して農作や狩りの仕方、文字の読み方や算術を色々教えたら、きっとあの子達は一人でも立派に生きて行けると思う。それだけじゃない、きっと私がしたみたいに自分と同じ戦で家族を失った孤児達を助けてくれる立派な子に成れると思う。それは冷の発展にもつ繋がるし、それ以上に素晴らしい事だって成し遂げられるかもしれない。」

「それ以上に素晴らしい事?それは一体何だ?」

「さあ、私にも分からない。」

「分からぬのに言っていたのか。」

「いいじゃない、分からなくたって。希望はあるんだから。」

 桃の答えは黒狼にとってはよくわからぬものだったが、それでも何処か心の奥底に響いたような感覚がある。

「よし、それじゃあ休憩終わり。残りの小屋も直してご飯にしよう!」

 それはそれとして桃の作った飯は食べたくないと思う黒狼であった。




 その後も黒狼はちょくちょく桃に連れられ廃村を訪れており、一か月も経つ頃には子供達ともすっかり仲良くなっていた。

「ねーねー、早くー、まだー?」

「あともう少しで出来上がる。待っていろ。」

「ねえ、その次は僕の分も作ってよ。」

 今日は子供達の暇つぶしにと竹とんぼを一つだけ作って持ってきたのだが、そしたら全員が欲しいと言ったので仕方なく廃材を利用して全員分を作っている所だ。

 今も待ちきれない子供達が黒狼に群がり、小刀片手に竹を削っている黒狼の肩を右へ左へと揺らしている。

「ほら、出来たぞ。」

「うわあ、ありがとう!」

 嬉しそうに受け取ると既に作ってもらった他の子供達に混ざりに行き、一緒に空へと飛ばしていく。

「やれやれ。」

 この分だと、他にも玩具を持ってきた場合。全員分作っていけなければいけない事に溜息を吐くがその顔は何処か嬉しそうだ。

「さあ、皆ご飯を作ってきたよー!」

 そんな彼らの前に大量の笹の葉で包んだ巻衣を両手に抱えた桃がやってくる。

 子供達は叫びながら大騒ぎするが、それはお腹が空いている所にご飯が食べられることに対する喜びの叫びではなく、厄災が訪れることによる恐怖の叫びのようであり、彼らも桃の作る料理が苦手らしい。

「はい、黒の分!」

 笑顔で自分に巻衣を渡してくる桃。正直食べたくはないが、腹は減っているので口に含む。よく空腹は最高の調味料だと言われているが、その言葉は嘘であったと痛感させられる味だ。

「じー。」

「何だ人の顔を眺めて。」

 しゃがんだ体勢で顎を両手に乗せた桃が黒狼を見つめる。別に不快ではないが妙に気恥しい。

「ねえ、気づいている?」

「何がだ?」

「目の隈、もうすっかり取れているよ。」

「む、そうか。」

 生憎と鏡なんて高価なものを持っていない黒狼は、桃に言われて漸く気づく。

「言われてみれば、此処最近。寝られなくなるようなことは減っていたな。」

「へえ、そうなんだ。最近って具体的にはいつ頃から?」

「いつ頃か、、、ひと月程前からか。」

「ひと月前、やっぱり黒はそういう人間なんだよ。」

「そういう人間?どういう人間だ?」

「んーん、気づいてないならそれでいいよ。」

 気になることを言う桃だが、彼女はにやにやと笑みを浮かべるだけで答えようとはしない。そうしていると竹とんぼで遊んでいる子供達から歓声が聞こえてくる。

 どうやら子供達の一人が、一際高く空へと竹とんぼを飛ばしたらしい。

「平和だねえ。」

「まあ、そうだな。だが、のんびりしている暇はないぞ。」

「うん。」

 巻衣を無理矢理胃に流し込み、真剣な表情で桃に告げると彼女も先程の笑みから一転、真剣な表情に切り替える。

「先遣隊を壊滅させられた烈だが、再び進軍を開始しようとしていると烈に潜り込んでいる刃象から報告があった。それだけじゃない、烈を迎え撃つために冷も兵を揃え始めている。」

「そうなったら、此処はもう捨てるしかないよね。」

 冷と烈、両軍が争いを始めればこんな小さな廃村はあっという間に炎に包まれ子供達も亡くなてしまうだろう。

 それを回避するためにも子供達を早めに避難させなければいけないのだが、問題がある。

「でも、あんなに大勢の子供達を受け入れてくれる村なんて早々簡単に見つかる訳ないし、廃村もそこらへんにあるわけじゃないからなあ、どうしよう。」

 何とか子供達を避難させようと知恵を絞る桃だが、肝心の子供達の受け入れ先についてだけは良い考えが浮かばなかった。

「保存食とかは蓄えはそれなりにあるんだけど、銭は持っていないし、こんなに沢山の子供達を抱えて旅なんてできる訳ないし。」

「考えなしに誰彼構わず助けるからだ。」

「失礼な!ちゃんと考えたよ!考えた上で全員面倒見ようって!」

「それで今困っているのだろう?」

「うう、」

 心臓を抑え、苦しそうに藻掻く桃。反論しようにも現状反論できる要素が無い。

「はあ、ガキ共の住処の件だが、何とかなるかもしれん。」

「えっ?」

「己れが昔、師との鍛錬に使っていた場所がある。山の麓で今はもう使われていない。師に相談したら好きにしろと言われた。まあ、広い土地に小屋が二つあるだけの場所だが周りには山菜や果物があるから食料には困らんし、土や水も問題は無い。暫くは窮屈な思いをさせるかもしれないが、それでも国境にあるこの村よりは大分安全、、、」

「黒ーっ!」

「な、何だ!」

 まさかの避難先を用意していた黒狼に嬉し涙を流しながら彼に抱き着く桃。

「ありがとう黒っ!黒がいなかったらどうなっていたことかっ!よーしよしよし。」

「くそ、離せっ!子ども扱いするな!」

 胸に抱き寄せ、頭を撫でてくる彼女を何とか引っぺがし、距離を取る。

「さっきも言っただろう、小屋が二つしかないと、それに畑も無いから、一から小屋を作ったり畑を耕さなければならん。それにガキ共をそこまでに安全に送り届ける必要もあるんだぞっ!」

 浮かれている桃に現実を突きつける黒狼だが、それでも桃は黒狼を抱き寄せようとしてくる。

「それでもありがとう!黒のお陰だよっ!黒のお陰であの子達が助かるんだよっ!」

「だから離せとっ!」

「ねえ、黒。気づいている?」

「何がだっ!」

 何処にそんな力があるのか?と問いたくなるような握力で黒狼の頭を掴んでいた桃が無理矢理首の角度を変えさせ、見つめあう。

「君さ、子供達の事を考えてるとき、すごく嬉しそうな顔をしてるよ。」




 黒狼と桃が子供達の避難先について相談していた頃、冷の軍の拠点の一つで二人の男達が話している。

「烈が進軍してくるというのに何をのんびりしているというのだ!さっさと我らも進軍して烈の馬鹿共に冷の恐ろしさを思い知らせてやる!」

「し、しかし、愚天ぐてん様、今我らの軍は物資が不足しており兵の士気も低いままです。此処はやはり、霧雨様からの兵や物資の支援を待ってからの方が、、、」

「何を甘ったれた事を言っている!物資が足りない?我ら冷の兵は一騎当千の軍!霧雨のような成り上がり者の手など借りずとも戦には勝てる!何よりっ!」

「何より?」

「あんな奴の手を借りれば、手柄を独り占めできなくなるではないか!」

 上司である将軍の言葉に副官は何も言えなくなる。この男は何を言っている?物資が足りず兵の士気も低くこのままでは確実に負けると言うのに、手柄を独り占めしたいから後方からの支援を待たずに戦を仕掛けると?そんな理由で兵達に死んで来いと?

「で、では愚天様には何か秘策が?我々に勝利をもたらす秘策があり、それ故に進軍を早めるのですか?」

「策だと!?そんな臆病者が使うものなどあるわけがないだろう!ただひたすらに前進、突撃あるのみ!一騎当千の兵が揃えば万の軍勢もを無策で蹂躙することが出来るわっ!」

 せめて最後の希望をと、何か策があるのではと考えたが、やはり無策だったらしい。

 副官の男は何故このような無能が冷の八人しかいない将軍に成れたのか、成ってしまったのか、不思議でしょうがなかった。

 冷に八人いる将軍、彼らにはそれぞれ特徴的な二つ名が与えられるのだが、その一人で目の前にいる愚天の二つ名は”無能の敗将”という身もふたもない二つ名だった。

 この愚天という男、二つ名に恥じず無能でしかなかった。兵站の重要性を理解せず、碌に物資も兵も足りない状態で他国に進軍を始める。せめて窮地を脱する策士であればよかったが、授ける策はどれもひたすらに兵を突撃させるばかり、そんな将が率いる軍が勝てるはずもなく、あっという間に返り討ちにあい、多くの兵が命を散らす中、当の本人は後方でふんぞり返って負けそうになると直ぐに逃げるのだから手に負えない。

 そのくせ手柄には人一倍固執し、稀に戦に勝てそうになると、部下を労いもせず手柄を独り占めする。

 そんな将が周囲から慕われる訳もなく、他の七人の将からは蛇蝎の如く嫌われ、愚天に従わされる兵が可愛そうだという理由で逆に物資や兵を支援してくれる程だ。

 が、無駄に誇り高い愚天は自分以外の七人の将を見下し、その支援を嫌い追い返しているので本当に救いようがない。

「案ずるな!冷の八将軍の中でも最強の将である我がいる限り、勝利は約束されたようなもの、今日は勝鬨を挙げる前の宴を開くぞ!」

 散々負け続けてきた癖にその自信は何処から出てくるのかと、泥船に乗った気持ちの副官はしなだれる。

 普通であれば首を切って新たに優秀な人物が将として割り当てられるはずなのに、何故未だにこの無能が将でいられるのか?

 その理由は実に簡単、この男が無能である事に意味があるからだ。敢えて無能な人物を国の要職に就け、敵につけ入れる隙を晒すことでこちらが迎え撃ちやすい状況を作り出す為に愚天は将に選ばれた。

 要は捨て駒なのだが、この男は本当に無能なのでそれに気づいていない。

「さあ、酒と肉を持ってこい!宴を開くぞ!」

 飽食に溺れ、醜く突き出た腹を揺らしながら酒を飲む。禿げあがった頭と合わせて遥か北の海に住むと言われるトドを思わせる。

 というより副官にはトドが人の言葉を喋っているようにしか見えない。トドが人の言葉を喋るなら、それはかなり賢いのでは?そう前向きに失礼な事を考える副官の気持ちを察しず、トド、愚天は酒を胃に流し込んでいく。

「ですが愚天様、やはり進軍の時期を早めるのは考え直して頂けないでしょうか?」

「しつこいなっ!何度言えば分かる!あんな奴の支援など必要ないっ!成り上がり者の手など借りずとも我らは勝てる!」

「いえ、支援を待つのではなく、民が避難するのを待っていただきたいのです。」

「民が避難?どういう事だ?」

 もう酔ってしまったのか、顔を赤く染めた愚天が聞き返す。

「此度の戦は国境、正確には冷の国境の内側で行われます。そして国境には他国との国交の為の村や都に作物を納める為の農村もあります。ですがこのまま我らが進軍してしまえば彼らが巻き込まれてしまいます。烈もそれを理解し、無駄な被害を出さないよう進軍の期を伺っている状況。ですからせめて民が避難するのを待ってはいただけないでしょうか?」

「ふむ、、、おい、貴様、今何と言った?」

「え、いえ、ですから民が避難を終えるまで進軍を待っていただけないかと。」

 何とか口八丁で進軍を止めて霧雨からの支援を待とうと考える副官だが、愚天は副官の言葉を聞いていやらしい笑みを浮かべる。

「民の避難を待っていて烈も進軍の期を伺っているといったな?」

「は、はい、確かにそうおっしゃいましたが。」

 冷や汗が頬を伝う。嫌な予感がする。昔から無能がやる気を出すと碌なことにならないのだが、その中でも愚天は度を越えた無能。絶対に碌な事にはならない。

「よし、行けるぞっ!これなら勝てる!喜べ、我は今この時、必勝の策を思いついたぞ!」

「そ、そうですか、、、因みにそれはどのような策で?」

 絶対にふざけた策であろうことは覚悟して、副官は愚天から策を聞き出す。そうして愚天の口から放たれた策は彼の予想通り、いやその予想を上回る程のふざけた策であった。




「ふーん、孤児達の新しい住処として修練の場ねえ。」

「いいんじゃないの、どうせ使ってなかったんだし。それで俺っち達は子供達が引っ越し先に無事たどり着けるよう護衛すれば良いのかい?」

「ああ、すまないな。二人共、折角任が無い日なのに。」

「別に構わないわよ、どうせアタシも荒熊も暇だったし。」

 黒狼が孤児達が暮らす廃村に向かう途中、紅猫と荒熊に事情を説明する。いよいよ烈との戦が始まりそうな中、遂に廃村を捨て引っ越しをする事となり、道中の護衛として桃と黒狼の二人だけでは数が足りないと判断し、紅猫と荒熊にも護衛を頼むこととなった。

「しかし、狼ちゃん最近ふらっとどっかに行くなと思ってたら、そんなことしてたのかい。」

「無理矢理桃に付き合わされただけだ。」

「その割には何だか楽しそうだし、子供達の為に師匠に頭まで下げたんでしょ。」

「っく!」

 紅猫に痛いところを突かれて押し黙る黒狼、一方の紅猫は黒狼が自分の与り知らぬ所で桃と親しくなっていたことに不満げで唇を尖らせている。

「はっはっは、気にすんなよ。狼ちゃん。猫ちゃんは自分だけ放っておかれて拗ねてるのさ。」

「ちょっ!この馬鹿熊!」

「痛っ!」

 そしてそれを茶化した荒熊が紅猫に顔を蹴られるという漫才を何度か繰り広げながら進んでいく。

「でもま、俺っち達に頼ったのは正解かもよ?なんせ今度の戦でウチの軍を率いているの、あの無能の愚天だそうじゃん。」

「あんな奴に指揮を任せたら、戦に負けるどころか、周りにも被害が来るからね。早めに避難しておくに越したことは無いわ。」

 廃村を捨てるきっかけとなった愚天について、荒熊と紅猫が辛辣な評価を下すが生憎と愚天はそのような評価をされても仕方ない人物なので黒狼も特に何も言わない。

 そうしてどれ程歩いただろうか、のんびりとしていた空気が一変する。

「っ!二人共構えろ!」

「っ!」

「どうしたんだい!?」

「血の匂いだ!」

 立ち止まり唐傘を構えると、荒熊と紅猫も同じように武器を構える。

「血の匂いって言うけど、それは獣かい、それとも人の血かい?狼ちゃん。」

「人の血の匂いだ。」

「こんな場所で?でも此処にいるのってアタシ達ぐらいよ?」

「いや、此処ではない。もう少し離れた場所に、、、」

 その言葉を口にした瞬間、嫌な予感が脳裏を走る。此処一帯は烈の先遣隊との一件以来人が近寄らなくなった場所、唯一人がいるとすればあの廃村ぐらいで血の匂いがした方角も廃村の方角と一致している。

「おい、狼ちゃん。あの煙が上がってる方角ってもしかして。」

 手甲を装備した手で宙を指さす荒熊、彼の指さす先ではもうもうと灰色の煙が上がっていた。

 間違いない、あの方角は。

「お、おい、狼ちゃん!」

「待ちなさい、黒狼っ!」

 制止する二人を無視し、黒狼は一人先を走っていく。冷や汗が全身を駆け巡る。最悪の状況が脳裏に浮かぶが、それを頭を振って追い払う。

 まだそうと決まった訳ではない、もしかしたら寒くて焚火をしているだけかもしれない。血の匂いだって転んで膝を擦りむいたとか、そんな軽い怪我かもしれない。

 そうやって必死に自分を落ち着かせようとするのだが、はやる気持ちは全く収まらない。そして遂に森を抜け、廃村が黒狼の目の前に映る。

「っな!」

 彼の目の前に広がる光景は彼が想像していた最悪の状況の通りだった。所々で火が燃え上がり周りの木々や桃と頑張って修繕した小屋を木片と灰に変えていく。

 そして火が燃え広がる状況の中、鎧を着こみ、槍や刀で武装した兵達が争っている。一つは冷に所属する兵、もう一つは列に所属する兵だ。

「桃っ!ガキ共っ!」

 戦場になっていた廃村、元々この廃村に住んでいた彼女達はどうなったのか?廃村に足を踏み入れ、兵達を無視して進んでいく。

 彼が向かう先は子供達が寝床にしていた一番大きな屋敷、元の村長が使っていた家だ。既に火は村全体に行き渡り、焼け野原になる事は避けられないだろう

 それでもせめて、彼女達の無事を知りたかった。既に避難は終えたのか?逃げ遅れている者はいないか?

「桃っ!」

 途中、切り込んでくる兵士を傘で吹き飛ばしながら漸く屋敷に到着する。だが、其処には絶望しかなかった。

「あっ、黒。」

 其処には冷の兵に槍で腹を貫かれた桃がいた。彼女の後ろには頭を抱えて蹲っている子供がおり、きっと彼を庇ったのだろう。

 彼だけではない、他にも同じように頭を抱えて震えている子供達がいる。だが、その数は桃が保護した人数よりも圧倒的に少ない。

 桃の周りには彼女と同じように腹を貫かれ絶命した子供や腕や足、首を切り落とされた子供の遺体が転がっている。

 そして冷の兵達はそれらをゴミのように蹴とばしながら、生き残っている子供達を殺そうとしていく。

「いいか、餓鬼共は全員殺せ!目撃者は一人も生かすなって命令だ!」

「で、でもいいのかよ?こんなことして?こいつ等まだ子供じゃないか。」

「うるせえ!仕方ねえだろう!じゃなきゃ俺達が捕まっちまうんだぞ!くそ!あの無能の所為で!」

 兵の一人が生きている子供達を殺そうと歩み出す。その時、子供の遺体が大事そうに握っていた竹とんぼを踏みつぶす。

 黒狼は思い出す。あれは自分が作ってあげた竹とんぼだ。暇つぶしの為にと作り、持って行ってあげたら、全員分作る羽目になった。

 不格好な竹とんぼだが子供達は大層喜んでくれた。自分が作ったのを真似して小刀で指を切った子供を叱ったこともあった。次は独楽を持って来てやると約束し、桃からは子供達に甘いと言われた。

 桃と子供達との思い出がよみがえってくる中、沸々と怒りが沸いてくる。全身に刺青が浮かび上がり、呼吸が荒くなる。まるで得物を狩る狼のように。

 兵の一人が黒狼に気付き、刀を振り下ろしてくる。唐傘の刃を展開しそれを防ぐと、そのまま傘を回しながら振り上げて兵の手首を切り落とす。

 反撃を受けた兵が叫ぶ、それが引き金となり他の兵も黒狼に気付く。

「お前らあああ!」

 黒狼は唐傘を構えると兵に向って飛び掛かった。




 突然襲い掛かってきた唐傘を武器にした男、黒狼により廃村は静まり返っていた。先程まで冷と烈の兵が互いに大声で罵声を浴びせかけながら切り結んでいたが、今は僅かな悲鳴らしき声しか聞こえない。

「ふー、ふー、」

「っひぃ!」

 黒狼に睨まれた冷の兵が悲鳴を挙げて、腰を抜かす。静まり返っている理由、それは物理的に声を出せなくなっているからと恐怖で声が出せなくなっているからだ。

 黒狼は冷と烈の兵、敵味方関係なく惨殺した。自分に切りかかってくる兵の槍を弾いて首を切り裂き、刀を逸らし、両断した。

 そしてあっという間に兵を物言わぬ死体に変え、残った兵は黒狼の目の前にいるこの男一人だ。

「ま、待ってくれ!アンタは冷の民なんだろ!だったら頼む見逃してくれ!」

 兵は必死に命乞いをするが、黒狼の耳には届いていない。そのまま唐傘に仕込まれた刃で兵の首を切り落とそうとするが。

「何やってんだっ!落ち着けっ!狼ちゃんっ!」

「この馬鹿っ!」

 追いついた荒熊が黒狼を後ろから羽交い絞めにし、紅猫が黒狼の頬を叩く。

「あっ、紅猫、荒熊。」

 頬を叩かれたことで漸く正気を取り戻す。そして再び兵の方へ視線を移すと兵は叫びながら走り出し、その場を後にする。

「色々あるけど、先ずは子供達の無事の確認じゃない!?」

「そうだっ!桃!済まない、子供達を頼む!」

 二人に子供達の保護を頼み、黒狼は急いで桃の元へと向かい、抱きかかえる。

「桃っ!」

「ああ、黒、、、」

 槍で刺された腹部からは今も血が流れ続け、黒狼が来る前から兵を相手に子供達を守っていたのだろう、肩や腕、足からも血を流している。

 何とか止血をしていくが、素人目から見ても、もう助からず彼女の命があと僅かな時間しか持たない事が分かる。

「ねえ、、、子供達は無事?」

「ああ、己れの友が助けてくれている!」

「そっか、、、それは良かった、、、ねえ、黒。君、、また誰かを殺めた?」

「えっ?」

「だって、君、苦しそうな顔をしてるから。」

 そう言って桃が黒狼の顔に手を伸ばす。

「ねえ、知ってる?黒ってば、、、任で誰かを傷つけたり、殺めたりすると凄く苦しそうな顔をしているんだよ。」

「何を、、、言って。」

 こんな時に何を言っているのだ彼女は?自分が人を傷つける度に苦しそうな顔をしている?そんな事があるはずが無い。確かに最初は苦しかったが、直ぐに心を殺す術は身に着けた。

「だって、黒って、、、誰かを殺めた後はずっと眠れなかったじゃない。」

 言われて気づく、確かに眠れない時、体が不調の時は必ず任で人を殺めた後だった事を。

「でもさ、、子供達と遊んでいる時は、、すごく嬉しそうで、楽しそうだったよ。」

「桃、己れは、己れは!」

「黒、君は、本当は誰かを傷つけられるような人じゃないんだよ。本当の黒は、、苦しんでいる誰かを助けて、、一緒に笑いあう、そんな優しい人間なんだよ。」

「桃!」

「ねえ、私は君のそんな苦しそうな顔、見たくないよ。」

 それが彼女の最後の言葉だった。黒狼の顔を撫でていた手が力を失い、地面へと落ちる。

「狼ちゃん、、」

「黒狼、、」

 子供達を避難させ、黒狼達も避難させようと紅猫と荒熊が近づくが、声を掛ける事しか出来ず、その場に立ち止まる。

「ああっ、、あああ、、ああ。」

 黒狼は彼女を抱きかかえ、泣くことしか出来なかった。




 その後の調べにより、何故あの場所で冷と烈の兵士が争っていたのかは判明した。どうやらあの時争いがあったのは廃村だけでなく、国境に位置する他の村で起こっていたらしく、その原因は愚天であった。

 烈が国境に住んでいる民の避難を優先し、進軍の期を伺っていた事を知った愚天は避難が完了する前に進軍を始め、奇襲を仕掛けたらしい。

 その結果、民を巻き添えにした戦が勃発。烈も迎え撃たなければならず、あのような惨劇になってしまった。

 加えて進軍を始めた冷の兵は、自分達が民を巻き添えにした事を隠すべく、自国の民でありながら目撃者は殺すように副官から指示されていたらしい。

 本当に反吐が出るような最低な策だ。

 そしてこの一件で、国を信じる事が出来なくなり、同時に桃から苦しむ顔を見たくないと、人を殺めて欲しくないと言われた黒狼は”影ノ刃”を抜けることを決意し、当てのない旅を続けることとなった。




「とまあ、これが己が不殺を決意した理由だ。長々とつまらぬ話を聞かせてしまい、済まなかったな白殿。」

「黒、、、」

 顔を俯け、黒狼の話を黙って聞いていた白は顔をあげる、その表情は今にも泣きだしそうだ。

「そうして己は本陣を抜けたのだがな、裏切り者を許さぬ本陣は己を殺そうと刺客を幾度となく送ってきた。白殿を傷つけたあの男もそうだ。あの男の本来の目的は己の抹殺、だがそれに白殿が巻き込まれてしまった。」

「黒、君は、、、」

「これで分かっただろう?己を護衛に雇い続ければ、あのような者達に何度も襲われてしまうのだ。別に己が殺されるのは別に構わぬ。だが白殿がそれに巻き込まれる謂れは、、、」

「黒っ!」

 これまで隠していた自身の過去を全て打ち明け、これ以上自分を護衛として雇うのは止めるべきだと、そう白に伝えようとしたが黒狼はそれを口にすることが出来なかった。

 口にしようとした瞬間、白が黒狼を胸元で優しく抱きとめたからだ。頬に伝わる柔らかい感触と甘い花の蜜のような香りが鼻腔を刺激し、眠気を誘う。

「黒っ!黒っ!」

「白殿、急にどうし、」

「ごめんなさい、君がそんなに辛い思いをしてまで不殺を誓ったのに、軽々しく守ってなんて口にして、ごめんなさい!」

 何故彼女が謝る?巻き込まれたのは白で本来謝罪すべきは自身の筈だと、黒狼はそう告げようとするがそれよりも早く白が喋り出す。

「大切な人を失って、故郷からも命を狙われて、一年間もずっと辛い旅をしてきたのに、それなのに私は君をさらに苦しめて、」

 彼女の言葉を聞いて僅かに黒狼の体が震える。

「やめてくれ、白殿が謝るような事ではない。」

 抱きしめる手を掴み、解放されると黒狼は白を見つめる。

「白殿に一切の非は無い。これは紛れもない事実だ。」

「でも、」

「白殿!」

 大声を出し、無理やり黙らせる。

「これで分かっただろう?己は償えない程の人を殺め、不殺を誓った地獄に墜ちるべき外道、ただそこにいるだけで周りを不幸にする疫病神のような存在、いやもはや死神とも言うべき存在だ。こんな己の傍には誰もいるべきではないのだ。」

「でも、それじゃあ、黒の旅はいつ終わるの?その桃って人は黒が苦しむ顔は見たくないって言ったんでしょ!でも、今の黒はとっても苦しそうに見えるよ!」

「そ、それは。」

 何とかして白と別れようとする黒狼だが、白は聞く耳を持たない。

「きっと桃は黒に幸せになって欲しいって思って、そう伝えたんだよ!黒が人を殺めるのを止めて、普通の民と同じような幸せを得て欲しいって、そう考えて苦しむ顔は見たくないって伝えたんだよ、なのに今の黒は当てもなく旅をして、同郷の刺客から命を狙われ続けて苦しい思いをして、そんなの全然幸せじゃないよ!」

「ちょ、ちょっと瓜乳女、アンタ何を言って!」

 ”影ノ刃”を抜けてからの黒狼の旅を否定するような言葉を言う白に紅猫が慌てて止めようとするが、白は黒狼に優しく手を差し出す。

「だからさ、私と一緒に旅を続けない?一緒に旅をして、些細なことで笑いあったり喧嘩したり、人並みの幸せを感じていずれ何処かに腰を落ち着けてさ、人の生死や争いとは無縁な平和な生活を過ごそうよ。」

「白殿、、、己は。」

 まるで告白のような白の誘いだが、黒狼はその手を取ろうとしない。

「もし命を狙われていて、それに私を巻き込むことが怖いならさ、二人で遠くまで逃げよう?冷じゃない烈や北とは真逆の南のずっと奥まで、刺客が追ってこれない遠くまで逃げよう。逃げて二人で暮らそうよ。」

 白の手を取る事の無いかのように握り拳を作っている黒狼の右手を、白は両の掌で包み込む。

「これからも一緒に旅をしよう?それで一緒に旅を終わらそう、旅はいつかは終わるものなんだから。」

「己は、白殿の傍に居てもいいのか?」

 先程までとは逆に今度は黒狼が顔を隠すように俯く。

「勿論だよ、それに黒には借金も返してもらわないといけないしね。」

 悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべる白。

「ちょっとアンタ達!いつまで手を握ってるのよ!」

 そしてそんな甘ったるい空気と二人が何だかいい感じの雰囲気になっている事に我慢が出来ず、紅猫が二人の手を無理矢理離してその場はお開きとなった。




 陽が昇り始めながらも雪雲によって曇り空な早朝、都を囲む外壁の一面。外から入ってくる者や内から出ていく者を取り締まる門の傍に一組の男女が並んでおり、別の女性が不機嫌そうな表情で二人を睨んでいる。

 余りにも早くから並んでいる男女に門の守護をしている兵が迷惑そうに視線を向けるが三人はそれに気づく様子もない。

「ふ~ん、それで二人は”これからも””二人きり”で旅を続けるんだ。」

「なあ、紅猫、言葉に棘がないか?」

「べっつに~、気のせいじゃない?」

 唇を尖らせ、鋭い目つきで黒狼を睨む紅猫、あからさまに黒狼と白が一緒に旅をする事に不満があるのが分かる。

 そう、結局あの後黒狼と白は一緒に旅を続けることとなった。理由としては黒狼の過去を知りそれを白が受け入れた事、黒狼がまだ借金を返しきっていない事からだ。

「はあ、それじゃ本陣には取り逃がしたって伝えておくから、その間に遠くに逃げてなさいよ。」

「何というか、本当に其方には迷惑を掛けるな。」

「ええ、ええ!本当にね!」

 何が悲しくて好いた男が別の女と逃避行をするのを手伝わなければいけないのか、紅猫の本心としては今すぐにでも白の代わりに黒狼の隣に並びたいのだが、そうなると本陣に連絡する者がいなくなってしまう為、それは出来ない。

「ゴメンね、紅猫さん。でも安心して、手を出すことは無いから。だから落ち着いたら黒に会いに来てあげて。」

 紅猫の耳元でそっと呟く白、確かに白が手を出すことは無いだろう、それでも黒狼が手を出す可能性が無きにしも非ずな為不安は尽きない。

「黒狼、アンタ自分の得物はそれで良いの?もっと刀とか槍とかあるでしょ?」

「うむ、己もそう考えたのだが、やはりこれがしっくりくるのでな。」

 黒狼は手に持った唐傘をくるくると回す。青蟷螂との戦いの際に黒狼の唐傘と紅猫の唐傘は共に壊れてしまった。本陣に戻れば予備がある紅猫と違い黒狼は予備や代わりの傘を手に入れる伝手が無い為、黒狼は今までの唐傘とは別の都の店で購入した唐傘を獲物とすることにしたのだ。

 因みに唐傘を購入する際に払った代金は白持ちである。

「まあ一応、骨に小刀を仕込んだので前の唐傘に使い勝手は近づけてはある。暫くはこれで何とかしのぐさ。」

「はあ、まあいいわ。アタシの方でも何とか新しい傘が手に入らないか手を尽くすから、それまでそれで頑張りなさい。」

「む、そうか、それは助かる。」

「紅猫さんて結構尽くす人柄なんですね。」

「ええ、アタシって尽くす女よ。知らなかった?」

「いいお嫁さんになりそうだね。黒の。」

「な、何言って!」

 最後の部分だけ紅猫に聞こえるように言い、それをバッチリと聞いてしまった紅猫が顔を真っ赤にする。

「おい、アンタ達、外に出るんなら早く来てくれないか!」

 いつまでも話し続けている三人に苛立ったのか、門番の兵が怒鳴り整列するよう促すので慌てて二人は門に並ぶ。

「それじゃ紅猫、また会う時まで!」

「今度は黒に正直な気持ちを伝えなよ!」

「余計な事言わないでよ!」

 門が開けられそこから都の外へ出ていく黒狼と白、手を振りながら別れを告げる二人に紅猫も手を振り別れを告げる。

「さて、それでは改めて宜しく頼む白殿。」

「うん、こちらこそよろしくね黒。」

 門が閉まり都の外へと完全に出た二人、鼻に冷たい感触があり空を見上げると雪が降り始めていた。

「よっし、それじゃ雪が積もる前に歩こうか!何としてでも今日中に近くの村に到着しなきゃね!さあ、急いで黒!」

「まっ、待ってくれ白殿!」

 薬が入った重い籠を背負いながら前を走る白に慌てて黒狼も走って追いかける。




 黒狼と白が旅を再開して数日、連日の振り続ける雪が積もったことにより作物の収穫や移動が困難になる中、山沿いにある村の宿で黒狼と白は夕飯の鍋をつついていた。

「えっ、明日山に行きたい?」

「ああ、どうしても行かなければならない用事があってな。それで出来れば白殿にも付いてきてもらいたいのだが。」

 汁を啜りながら黒狼が唐突に告げる。

「まあ、薬は沢山売れて余裕も出来て明日は暇だし、雪の所為でこの村からは出られないから構わないけど、山に行くのはかなり危険だよ。遭難とかしたら」

「それなら大丈夫だ。村の者から山の地図を貰ったし、元々己は山育ち、山で迷う事はそうそうない。ただどうしても人目に付かない場所に行きたくてな。」

「ふうん、まあ危険が無いって言うんなら構わないけど。あっ最後の肉団子見っけ!」

 神妙な様子で頼み込む黒狼に白も了承すると、鍋の端に少しだけ顔を見せている肉団子を見つけ箸でつかみ取る。

「ああっ!ずるいぞ白殿!己は二個、白殿はそれも併せて五個も食べたではないか!」




「それで、黒は此処で何をするつもりなの?」

 黒狼が白と肉団子の奪い合いをした翌日、未だに雪が降り続ける中ザクザクと雪を踏みながら山奥へと進んでいく黒狼と白。

 白は黒狼が何の目的があって雪山を突き進んでいるのか、歩き始めた最初から問うているのだが黒狼は無言を貫き、答えようとしない。

 やがて山の中腹にたどり着くと歩みを止め、白に向き合う。

「付き合わせてすまなかったな、白殿。ただどうしても其方と二人きりになりたかったのだ。」

「えっ?」

 真剣な表情の黒狼、周りには誰もおらず二人きり、まるでこれから告白されるかのような状況になっている事に気付き、白が慌てる。

「ちょっ、ちょっとまって、いきなり言われても心の準備とかあるし、紅猫さんに悪いし、少し心を落ち着ける時間を、、、」

「はあ、もうそのような白々しい演技をする必要はない。」

 溜息を吐くと黒狼は唐傘の先端を白に向ける。

「己の動向を本陣に知らせていた刺客は白殿、其方なのだろう?」

「へっ?」

 急に突拍子もない事を言い出しながら唐傘を向ける黒狼。普通であればいきなり何を言い出すんだと笑い出すところだが、問いかけられた白は変な声を挙げ、顔を俯け溜息を吐くと冷たい笑みを浮かべて黒狼と向き合う。

「どうして分かったのかな?」




 否定ではなく肯定を返した白、彼女が否定をしないと分かっていても心の何処かで否定してほしかった黒狼は僅かに顔を歪める。

「どうして分かったか、か。」

「うん、それといつ気づいたのかな?」

 ニコニコと笑みを浮かべる白。だがそこに友愛の意思はなく、ただ殺意しか感じなかった。

「己と白殿が最初に出会った時を覚えているか?」

「うん!確か陽月村で妖怪騒ぎに巻き込まれたよね。」

「その時から己は白殿を疑っていた。」

「えっ!そんなに早くから!何で何で!」

 口元に手を当て大げさに驚く白、全てが白々しく思えてくる。

「妖怪騒ぎを解決した朝、己と白殿は急いで村を離れたな。その時に白殿は大きな籠を背負っていたにも関わらず、息が乱れていなかった。あの距離を歩きながら平気であれば己に護衛を頼まずとも野盗ぐらいからは余裕で逃げられるだろう?なのに何故己に護衛を頼む。」

「あー、そっかー、そうだったね。いつも任であれ以上の距離を走らされてたから気づかなかったよ。」

「そもそも、其方のような美人が護衛を連れずに一人旅をしている時点で怪しいのだ。」

「えー!美人だなんて照れちゃうな!」

「ふざけるな。」

 今度は顎に両手を当て体を左右に振る白。

「次に焔殿から警告されたのだ。己の身の安全の為にも、白殿とは早いうちに縁を切った方が良いと。おかしいとは思わぬか?己が刺客に狙われている事を知っている焔殿が巻き込まれる白殿ではなく、己の身の安全の警告をするなど。それこそ、白殿が刺客でもない限りあり得ない。」

「ふんふん。それで?私が本陣から向けられた刺客だって分かったの?」

「いや、此処まではまだ疑っていただけだ。だが、それが確信に変わったのは白殿に己の過去を打ち明けた時だ。」

「あれ?私、その時に何か変なことを言ったっけ?」

「己が全てを明かした時、其方はこう言って慰めたな。”一年間もずっと辛い旅をしてきた”と、己はいつ白殿に一年前に本陣を抜けた事を伝えた?」

 黒狼が本陣を抜けて旅を始めたのは一年前、そしてそれを知っているのは彼の命を狙うべく刺客を送ってくる同郷の”影ノ刃”に所属している者のみ。

 そして黒狼が一年間旅をしてきたことを口にした白も”影ノ刃”の者という事になる。

「あ~、しまったな。ついうっかりしてたよ。けどさ、そんな僅かな疑問でよく気づいたね?」

「狼というのは疑り深い生き物なのでな。」

 額に手を当て天を仰ぐと、口角を釣り上げ黒狼を睨む。

「そうだよ!私が黒狼の動向を本陣に伝えていた刺客!今更漸く気づいたか。」

 最初は今までの白のように明るい口調だったが、後半はドスが効いた男口調となっている。恐らくこちらが彼女の本性なのだろう。

「己をやたらと護衛にしたがっていたのは、近くに置いて見張る為か?」

「それだけじゃない、他にも目的はあった。」

「目的?さしずめ正体に気付かなかった場合の人質と言った具合か?」

 黒狼の性格を考えれば白の身に何かがあれば、自らの体を張って彼女を助けようとするだろう事は容易に想像が付く。

 故に黒狼を仕留めきれない場合の人質として自身に接触を図ったのだろうか?と黒狼は考えるが、それを白は鼻で笑う。

「そんなつまらない事をする訳が無いだろう、私がお前の傍に居たのはお前を絶望させる為さ。」

「絶望?」

「ああ、お前が不殺を誓っているのは知っていたからな。その誓いを破らせてやろうと思ってな、お優しいお前のことだ。もし私に命の危機が訪れればお前はそれを阻止しに来るだろう?そして刺客の命を奪わなければ私が助からないと知ればお前はどうする?誓いを破って刺客を殺すんじゃないのか?実際、青蟷螂の時はあと一歩でアイツを殺していたじゃないか?」

「っ!」

「で、誓いを破ってしまった事に傷ついたお前を慰めて依存させた上で正体を明かしてやろうと思っていたのさ。女を守る為に誓いを破ったというのに、それらが全て茶番だと知って絶望したお前を嘲笑ってやろうと思っていたのさ!」

「下衆な考えだな。」

「おいおい、私もお前も死んだら地獄行きの外道じゃないか?お前に私を責める資格なんて無いだろう?」

「紅猫が正体を知らなかったのは、知っていれば己に直接忠告すると分かっていたからか?」

「ああ、そうだ。あの女がお前に惚れている事は本陣でも有名だったからな。」

 何とそうだったのか、知らなかったのは当の惚れられている黒狼本人の身、流石にこれは紅猫に怒られても仕方がない。

「さて、正体が知られてしまえば、もう私が取る手段は一つしかない。」

 髪に隠れながらも僅かに見える瞳には殺気が宿っている。白は着物の胸元に両手を入れると二つの扇を取り出し、広げる。

 扇の骨からは剃刀のように細い刃が仕込まれており、光を反射し輝いている。

「さあ、お前も構えろ黒狼。言っておくが私は不殺だ人道だと甘っちょろい事をいう奴は大っ嫌いだ。旅をしている間に情が沸いたなどと期待するなよ。本気でお前を殺す。」

「己自身も甘いと言うことは自覚している。その上で不殺を貫かせてもらう。」

 黒狼も傘を開き、構える。

 二人の体に狼を思わせる刺青が浮かび上がり、心臓の鼓動が早まり血が沸騰する。

「元”影ノ刃の兵が一人、號は黒狼、戦技、血染ノ傘”!」

「”影ノ刃の兵が一人、號は白狼、戦技、鮮血ノ扇”!」

「「いざ、参る!」」




 二匹の狼交差する。一匹は黒き狼の息の根を止める為、もう一匹は白き狼から自らの命を守る為、互いに牙をむき出しにし、今にも突き立てんばかりだ。

 先手を取ったのは黒狼だった。自らの得物の不利を悟り口を大きく開き、”狼咆砲”を放ち白、いや白狼の動きを止めようとするが、

「「――ッッ!」」

 白狼も同時に”狼咆砲”を放ち打ち消される。

「同じ狼の名を持つのだ。同じ技が使えても不思議ではないだろう?」

 歪んだ笑みを浮かべた白狼が両手を広げると、勢いよく回転しながら黒狼へと飛び掛かる。

 左右の扇が交互に入れ替わりながら、骨に仕込んだ刃で自らの首を切り落とそうとするのを黒狼は唐傘で必死に防ぐが、元は文字通りの唯の唐傘、戦闘を想定してない傘は徐々に切り刻まれ、仕込んだ小刀が弾き飛ばされ、雪に沈んでいく。

「そこだっ!」

 右手の扇を閉じ、複数の刃を重ねた状態にしすると白狼が鋭い突きを黒狼の顔面に繰り出す。危うく顔に大きな風穴が開きそうになるが、とっさに顔を右に傾け避けると傘を手放し、後ろへと大きく跳ねる。

「おいおい、どうした?逃げてばっかりじゃないか?それに得物まで手放して?それでどうやって戦うつもりだ?」

「ちっ!」

 小馬鹿にするような白狼の態度に舌打ちを返すが、彼女の言う通り獲物が無ければ戦えない。黒狼は地面に落ちた小刀を拾うと逆手持ちで構える。

「そんな安物で防げるかよ!」

 右手では閉じた扇による刺突を、左手では開いた扇による斬撃を繰り返す白狼。その猛攻を防ごうにも”狼咆砲”は防がれることは先の一件で承知、そして”影ノ刃”で作られた業物の刃ではなく、ごく一般的な出店で購入した小刀では攻撃を数回受け止めただけであっという間に刃こぼれを起こし、鈍へと姿を変えてしまう。

 故にひたすら後ろへ大げさに飛び跳ね、彼女の攻撃を躱す選択肢しか黒狼には残っていなかった。

「どうした?そんなに飛び跳ねて?それほどまでに私の繰り出す一撃が怖いか?私を守ってきた時はあれほど果敢に賊相手に立ち向かったというのに!?情けない限りだ!」

 黒狼を嘲笑いながら、彼の飛び跳ねた先、着地点に向って左手の扇を投擲する。円月輪のように回転しながら黒狼の首を目掛けて飛んでくる扇。

 このままでは頭が胴体とお別れしてしまうと本能で察知し、とっさに小刀で防ぐが扇と一緒に小刀も弾かれ、僅かに頬が切り裂かれる。

「おいおい!少しは責めてきたらどうだ!?それとも不殺を誓ったお優しい黒は女に手を挙げることは出来ないと?実にお優しい限りだ!こんな出会いでなければ惚れていたかもしれない!紅猫や桃と言い、黒は女たらしなんだね?」

 最後の方だけ白狼ではなく白としての言葉遣いで馬鹿にする白狼、それを聞いた黒狼が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべると、それが嬉しいのか白狼は口角を吊り上げ、笑みを浮かべる。

「ふう、ふう。」

 一応医者の見立てでは治ったとはいえ、青蟷螂との一件で体の内側に多くの傷を受けてからそれ程日数は経っていない。

 体が無意識に負担を減らそうと”獣力紋”が徐々に薄くなっていく。一方の白狼の”獣力紋”は遠めでもはっきりと見えるくらい濃い。

「おい、二つ程聞きたい事がある。」

「?何だ?今なら何でも答えてやるぞ。お前と初めて会った時の印象が間抜けそうなやつだと思った事か?それともお前が過去を辛そうに語っていた時に腹の底では馬鹿にしていた事か?」

 不利な状況を何とかすべく、互いの”獣力紋”が消えるまで時間を稼ぐことを決めた黒狼が質問を問いかける。

 自身に向ける歪んだ感情、そして白狼が有利となっているこの状況であれば気分を良くしている彼女は絶対に質問に答えると確信していた。

「それで?聞きたい事とはなんだ?」

「其方が己に話した過去の故郷の話、似非妖術師によって滅ぼされた村の話は嘘か?」

「・・・っち!ああ、嘘だよ!大嘘だ!」

 笑みを崩し、舌打ちをすると怒鳴るように答える白狼、まるでそれは黒狼に語った過去の話が嘘でなければいけないようにも見える。

「では、次に二つ目の質問だ。何故、其方はそれ程までに己を憎み、嫌う。其方は己の何が気に喰わないのだ?」

「ふん、それは既に言っただろう?不殺だ人道だと甘っちょろい事をいう奴は大っ嫌いだと。ただそれだけだ!」

「本当にそれだけか?」

「しつこいぞ!」

 互いに”獣力紋”が薄くなっていく。武器の不利は無くならないがこれで多少両者の差は縮まった。

「もういい!お前は言葉を発することなく死んでいけ!」

 黒狼の質問に答えたくないと言わんばかりに白狼は叫ぶと、右手の扇を開き黒狼の首を切り落とそうと飛び掛かっていく。




 白狼の母親は別の大陸の出身であり、とある事情で大陸を追い出された末に”影ノ刃”の一員として生涯を過ごし、やがて白狼を生んだ。

 故に白い肌に金髪と異国の血が混じっているが、白狼自身は黒狼と同じく”影ノ刃”の本陣の生まれであり、彼と同じように幼い頃より山で修練をし、一人前と認められ”獣力紋”を授けられた。

 それから十年程、”影ノ刃”の者として、いくつもの暗殺や裏工作に関わってきた彼女だが内心ではそんな自分が嫌いだった。

 彼女は人を殺めるのが嫌いだった、いや殺めるどころか人を傷つけること自体が嫌いだった。

 扇で人を切り裂き、痛みによって悲鳴を挙げた際には耳を塞ぎたくなるほどだった、それでも”影ノ刃”の者として生まれた以上、殺生以外で生きる術は無かった。

 そんな彼女に一つの出会いがあった。それは任でとある村に潜伏していた時に出会った薬師の娘だ。任は他国の間者の可能性がある薬師の娘及び父親の監視。

 白狼としてはいつも通りの任だろうと、間者であれば嫌でも殺さなければならないと、悲観して任を全うするつもりだった。

 だが、此処で一つ計算違いが生じてしまった。薬師の娘に懐かれてしまったのだ。別の大陸の血が混じっている白狼、別の国から移住し村人から余所者扱いされている薬師の娘、似たような立場だと親しみを持ったのかもしれない。

「君、中々筋が良いじゃない。」

「あっそう。」

 乳鉢で植物をすりつぶすと薬師の娘が褒めてくるので、それを適当にいなす。ある日男に言い寄られていた娘を助けたのだが、それ以降お礼として薬の作り方を学ぶこととなった。

 任を考えれば近づくことが出来たのは良いのだが、何処かむずがゆく感じる。

「それでこの間、お父さんったら、、、」

「ふ~ん、それは大変だな。」

 先程から適当な相槌を打っているだけなのだが、娘はそれに怒ったりせずに楽しそうに語り掛けてくる。

 傍から見れば薬師の娘が適当に言い寄ってきているだけに見えるだろう、それでも白狼は自身でも気づかない内に居心地の良さを感じていた。

 そんな日常が変わったのは、村で肺炎が流行り出してからだ。閉鎖的な環境の村は余所者である薬師の親子と白狼を迫害し始めた、村に流行り病を引き寄せたのは彼らだと。

 根拠のない理由で追い出そうとする村人に必要も無いのに白狼は怒りを抱いた。必死に肺炎の薬を作ろうとしている彼らを追い出し、安心した気でいる彼らを恩知らずだと罵ってやりたかった。

 だが”影ノ刃”から必要以上に関わるなと言われていた白狼は彼女達を助けることが出来ず、やがて村に訪れた似非妖術師の戯言により、薬師の親子は村人によって火あぶりにされ村人に殺され、やがて村も肺炎で滅んだ。

 結局親子が間者ではないと分かったのは二人が火あぶりになった後、白狼はこの時自分が涙を流したことで漸く自身が薬師の娘を友と思っていた事に気付き、友を助けられなかった事を悔やんだ。

 そして白狼はある決意をした、”影ノ刃”を出ていく決意を。友を助けられずに何が冷の発展だと、守護だと、そう上層部に怒鳴り”影ノ刃”を抜け出し、薬師の娘から学んだ知識で薬師として生きることを決めた。

 もうこれで自分は人を殺めずに済む、誰かを救う事が出来るのだと、そう希望を抱いて”影ノ刃”を抜け出した白狼だったが、その希望はあっさりと打ち砕かれてしまった。

 それはもはや彼女自身の意思とは関係ない、彼女の体に刻み込まれた生き方が原因だった。

 ”影ノ刃”は黒狼と同じように刺客を放ち、命を狙おうとした。黒狼との違いは彼が刺客を追い払っただけなのに対して、白狼は遅いかかる刺客を全て殺していたことだ。

 彼女を責めることは出来ない、誰だって命を狙われれば自らの身を守ろうとして誰かを殺めてしまう事はあるだろう。

 だが、人を傷つけることを嫌っていた白狼にとってそれは自身が結局人を殺める運命から逃れられないと、どれ程取り繕うと人殺しでしかないと絶望を叩きつけられるに等しかった。

「あああああああああ!」

 十番目の刺客を殺し、それに気づいた白狼は満月の夜に獣の如き悲鳴を挙げ、涙を流した。

 その後は再び”影ノ刃”へと戻り、感情を表に出さず淡々と人を殺めていった白狼の耳にある男の情報が届く。

 その男は自分と同じように”影ノ刃”を抜け出し、刺客を差し向けられているという。

「馬鹿な男だ。」

 どうせ自分と同じように絶望して戻ってくるに違いないと、諦めて運命を受け入れればいいと考えていた白狼だが、彼女の予想を裏切り黒狼は一年近く刺客から逃げおおせていた。

 それだけではない、黒狼は彼女と違い刺客は一切殺めず、追い払うのみで済ましている事も白狼の耳に届いた。

 それを聞いた瞬間、白狼は黒狼に身勝手な怒りを抱いた。黒狼の不殺の誓い、まるでそれは『お前ももう少し頑張れていれば絶望せずにすんだのに』と馬鹿にされ、否定されているように感じた。

 自身の覚悟が中途半端じゃなければ彼のようになれていたかもしれないと、ありもしない幻想を抱いては苦しむ日々に白狼の怒りは増すばかりだった。

 自分の生き方を否定させない為、そして黒狼の生き方を否定する為、白狼は自ら黒狼へと接触を図った。

 自らが黒狼の大切な者となり、守る過程で彼に人を殺させ不殺を否定し、絶望を味合わせる為に。それが無理なら自ら黒狼を殺め、彼自身を否定する為に。

 嘗ての薬師の娘の性格を真似て、白狼は黒狼へと近づいた。

 そして今、自らの生き方を自身で否定させない為、黒狼の不殺を否定する為に彼と死闘を繰り広げている白狼の閉じた扇に仕込まれた刃が黒狼の左腹部を大きく貫いた。




「ふふふ、ははははは、どうだ!私の勝ちだ。」

 閉じた扇を開き更に傷口を広げる。

「痺れ毒か、体が、、、」

 必死に白狼の攻撃を素手で避けていた黒狼だったが、徐々に動きが鈍くなり、そしてとうとう白狼の一撃によって腹部を貫かれてしまった。

 血がどくどくと流れているのに痛みはあまり感じない、動きが鈍くなっている事も併せて察するに先程の投げてきた扇の刃に痺れ毒でも仕込んでいたのだろう。

 足に力が入らなくなり、膝を突こうとする体に必死に力を入れていると白狼が見下しながら近づいてくる。

「お前に不殺の誓いを破らせることが出来なかったのは残念だが、まあ、お前を殺せるのなら良しとしよう。」

 黒狼の首を切り落とそうと扇を振り上げる白狼、一方の黒狼は痺れ毒と怪我による出血で震える右手を彼女へと伸ばす。

「ん、どうした?冥途の土産に胸でも揉みたくなったか?いいぞ、地獄への駄賃として好きにすると良い。」

 胸元をはだけ、さらしに包まれた胸元を露にする白狼。だが黒狼はそれには目もくれず、握りこぶしを彼女の腹へと当てる。

「おいおい、女の胸よりも腹が好きとは、若いくせに中々こじらせてるじゃないか?それとも手が震えて上手く触れないか?」

 自分の勝利を確信し、白狼は笑みを浮かべるが、拳に意識を集中している黒狼は言葉を発さずひたすら呼吸を整える。

 思い出せ、彼女に、桃に教わった事の全てを。この技で重要なのは体を静から動へ一瞬で切り替える事、全身の動きを連動させる事、彼女との鍛錬では一度も成功しなかった技だ。

 加えて今は痺れ毒と出血によって体にマトモに力も入らない、それでも武器が無く、王手を掛けられているこの状況で逆転するには、この技しかなかった。

 目が霞み、拳が震えるのを気合で止める。歯を食いしばり、全身に力を籠める。

「もういい、死ね。」

 苦しそうに藻掻くだけで抵抗をしない黒狼に飽きたのか、白狼が冷たい表情で黒狼を見下し、扇を振り下ろす。

 その刹那、黒狼も全身の力を拳に集中させ、体の各部を連動、静から動に一瞬で切り替え起死回生の必殺の拳を放つ。

「勁拳!」


 


「がはっ!」

 後少し、僅かに手を振り下ろせれば黒狼の首を両断できたはずだが、腹から全身に伝わった衝撃に白狼の体が後ろに吹き飛ぶ。

 油断をしていたわけではない、だが事前動作なしで放たれた拳に白狼は防御を取ることが出来ず、もろに自分の腹の中で花火が弾けたのかと勘違いしてしまう程の衝撃をその身に喰らった。

「ぐふっ!」

 内蔵が幾つか傷ついたのか咳と一緒に血が口から吹き出し、辺りの純白の雪を鮮血の赤に染める。

 全身の激痛が走りながらも衝撃が振動として骨と血管から伝わり脳が揺れてしまったのか、痛みにもがき苦しむことすらできない。

「がっ!ぐううっ!がはっ!」

 口から血を流しながら、その美しい顔を苦痛で歪ませる白狼に黒狼は頼りない足取りで出血を抑えるよう腹を抑えながら近づく。

「無理に動こうとするな、暴れなければじきに痛みは収まる。」

 殺されかけていたにも関わらず心配する素振りを見せる黒狼に白狼の顔が痛みではなく、怒りで歪む。

「くっ!殺せ!」

「何を言っている、己が不殺を誓っている事は其方も良く知っているだろう。」

 呆れた表情で白狼を見下ろす黒狼、彼の顔に一切の殺意はない。

「今すぐ殺せ!でないと私は傷が癒え次第、再び貴様を殺そうとするぞ!貴様とて何度も同じ輩に殺されかけるのはうんざりだろう!だからこそ、今すぐ私を殺せ!さあ、殺すんだ!」

「・・・殺さぬよ。」

「駄目だ!駄目だ!そんなのは認めぬ!私を殺せ!殺すんだ!」

「白狼、其方は何を言って、、、」

「・・・頼む、殺してくれ、、、私を殺して、不殺の誓いを破ってくれ、、、でないと、、、私は、、、私は、、、私を否定しなくてはならない。」

 血を吐きながら叫び続ける白狼だったが、徐々にその声は小さくなる。自身も不殺を誓い、本陣を抜けながらも人殺しの業から逃げられず、絶望した白狼。

 一方の黒狼は同じく不殺を誓い、本陣を抜けて未だにその誓いを破っていない。彼を裏切り、嘲笑い、苦しめた白狼を相手にしてもだ。

 普通なら憎い筈の相手にも不殺を貫く黒狼、このままでは自身の生き方を、人殺しの運命から逃れられないと絶望したあの日の自分を否定しかねない白狼は、黒狼に自分を殺すよう頼む。

 そんな彼女の言葉に何かを察したのか、黒狼は倒れている彼女の横で膝を突く。

「其方も同じだったのだな。」

「ああ、そうだ。私も不殺を誓い、そしてそれを破った。なあ、何故お前は不殺を貫ける?私とお前で何が違う。」

 体の痛みが引いてきた白狼が仰向けになりながら問う。内臓に多少の怪我は負ったが、今なら黒狼を殺すことも可能だろう、だが彼が何故不殺を貫けるのか?その答えを、自分との違いを聞き出すまでは彼を殺すわけにはいかない。

「生憎、己は白狼、其方の事は良く知らぬ。其方の過去に何があり、不殺を誓い、破ったのかは分からん。その上で己が不殺を貫ける理由を挙げるとすれば唯一つ。」

「それは?」

「やりたくない事はやるな、だ。」

「・・・はっ?」

 黒狼は桃に苦しそうな顔は見たくないと言われ、それ以降殺生を嫌い、不殺を誓ってきた。それを貫けた理由が余りにも子供っぽい理由である事に白狼が間抜けな声を出す。

「何だそれは、まるで子供の駄々、いや我儘ではないか?」

「そもそも、不殺など我儘でなければ貫けん。」

「ははは、そうか、そんな理由で、お前は不殺を貫けたのか、、、そんなの私には無理に決まってるじゃない。」

 やりたくない事はやらない、というある意味確固たる意志を持って不殺を貫けた黒狼、一方の白狼は自分が死なない為なら仕方ないと、達観した大人のような考え方であった。

 結局自分は人を殺める事を嫌いながらも、それに慣れすぎた故に不殺を貫けなかった事に気付いた白狼が涙を流す。

「そんなことは無い、きっと白狼殿にも、いや白殿にも再び不殺を誓えるはずだ。」

「そんなのもう無理だ。既に私は不殺の誓いを破った、破っちゃったんだよ。もう私の体には人殺しの術が身についているんだよ。どれだけ殺生を嫌っても、この体に染み込んだ人殺しの血から逃れられないんだよ。」

「そんなことは無い、己にだって出来たのだ。きっと白殿にも出来るはずだ。」

「それで、もし自分の命が危なくなったらどうするの?殺さなければ生き残れないようなことになったら?」

「やりたくない事をやって生きるくらいなら、死ぬ。」

「なんなの、それ、もう本当に子どもの我儘じゃない。」

 白の口調に戻った白狼が、余りにも幼稚な黒狼の生き様に思わず笑ってしまう。

「良いではないか、生まれの地を捨て、一人旅、誰にも迷惑を掛けるわけでもない。」

「ふふふ、そうだね。」

 何だか馬鹿らしくなってきた白狼、自分では出来なかった不殺の誓いを貫けた理由がこれ程幼稚なものだとは思わなかった。

 だが、それ故に不殺を貫けたのだろう。

「ねえ、私にも、もう一度、出来るかな。」

「ああ、出来るとも、誰にも、自分自身にも遠慮する必要はない。我儘に、やりたくない事はやりたくないと。そう叫べばいい。」

「ふふ、そっか。」

「それで、どうする。生憎今の己は死にかけだが、殺すのか?」

「さっきまでの話を聞いて殺すと思ってるの?酷い冗談だね。」

「む、済まぬ。」

 最早、白狼に黒狼を殺すつもりなど微塵も無かった、彼が不殺を貫けた理由を知り、彼に改めて自身も同じようにそれが出来ると、そう告げられた彼女に黒狼を殺すことなどできなかった。

 だが、それを認められない兵が突如として、二人に声を掛ける。

「くふふ、そのような終わり方、認めませんぞ!」

「「っ!」」

 先程まで殺し合っていたとは思えぬ、和やかな空気の中、歓迎していない珍客が殺していた気配を露にし、二人の前へと現れる。

「お前は、、、!」

「お久ぶり、という程には別れてはいませんか、くふふ、黒き狼。」

 二人の背後から現れたのは雪に身を隠す為、白装束に身を包んだ”影ノ刃”の刺客にて、”吞まれた者”として幽閉されていた男、青蟷螂であった。

 両手に持っていた曲刀は黒狼に右腕を切断されたことで、左腕だけに持ち、そして体のいたる所に縄で黒色の球体、火薬を詰め込んだ爆裂弾を縛り付けている。

 何故彼が此処にいるのか?白の表情からして彼女が呼んでいないことは分かるが、だとしたら都で逃げたあの時からずっと黒狼の命を狙う為に追ってきたというのか?

 明らかに正気の考えじゃないが、だからこそ青蟷螂”吞まれた者”であるのだろう。

「私達は殺し、殺す為に生まれた人間、生きて終わるなど、私達には許されませぬよ!」

 そう叫ぶと青蟷螂は曲刀を放り投げ、懐から取り出した熾火で爆裂弾の導火線に着火する。

「くふふふふふふふ!全てはじけ飛べ!」

「白殿!」

「黒!」

 青蟷螂の体に縛り付けてある爆裂弾の導火線は、ほぼ無いと言って良い程短く、碌に体が動かない二人に火を消せる手段は無い。

 黒狼は歯を食いしばり、体に力を入れ爆破から白狼を守る為,覆いかぶさることしか出来なかった。

 そして爆裂弾が引火し、辺り一面を火と光と衝撃が襲った。




 冷の最北端に位置する山中、”影ノ刃”の本陣にて御簾で姿を隠した一人の女性の前で紅猫が報告を行う。

「その後、爆裂弾の爆破による衝撃で雪崩が起き、多量の雪が三人を襲いました。収まった後、青蟷螂らしき遺体は見つかりましたが、黒狼及び白狼の遺体は見つかっておりません。しかし互いに満身創痍の身で爆裂弾の爆破、雪崩から身を守る術はない事から見ても恐らく死んだかと。」

「そう。」

 報告を終えると御簾でパチンと扇子を閉じる音がする。紅猫が報告を行っている目の前にいる女性こそ”影ノ刃”の長で全ての決定権を持つ姫君だ。

 また紅猫の後ろには本陣の護衛を任せられている影ノ刃の兵が幾人もおり、紅猫が怪しい行動を取らないよう見張っている。

「ですが、捜索を打ち切るつもりはありません。遺体が見つからない以上、生きている事もあるでしょう。そう、例えば黒狼に恋慕している女性がこっそり彼を助けた、なんてこともあるでしょうしね。」

 姫君がそう呟くと、途轍もない威圧感が紅猫にのしかかる。相手は”影ノ刃”の長、紅猫が黒狼にどのような感情を抱いているかなど、お見通しだ。

 冬だというのに冷や汗が紅猫の頬を伝う。

「さて、引き続き捜索は続けますが雪も大分深くなる季節になりました。いくら優れた兵である”影ノ刃”の者とも言えど、雪崩に巻き込まれては死んでしまいますし、遭難することもあります。よって黒狼の捜索は雪が溶ける春まで待つことにしましょう。紅猫、報告ご苦労様です。」

 姫君の言葉を聞き安堵の溜息を吐く紅猫だが、溜息を吐いた瞬間、姫君が紅猫にしか聞こえない音量で「良かったですね。」と呟く。

「っ!」

 思わず御簾の奥にいる姫君を見てしまうが、隠れている為その表情は伺い知れない。紅猫に出来ることは怪しまれず、冷静なフリをして彼女の元を去る事だけだった。




「というのが、本陣の今後の動向よ。」

「む。」

 黒狼と白狼が対峙した雪山、そこに雪に隠れるようにして存在する洞穴の中で紅猫が黒狼と白狼に事の顛末を話す。

「雪が溶けるまで、後三月程。その間にこの国から出ていきなさい。」

「ああ、しかし紅猫。あの時は本当に助かった。」

 焚火で暖を取りながら紅猫に礼を言う、一方の白狼は蹲ったまま何も喋らない。

 青蟷螂が壮大な自爆をしたあの日、爆発の直撃を受け黒狼は背中に大火傷を負ったが命に別状は無かった。

 またその後に起こった雪崩に巻き込まれ雪に埋もれたが、空気の隙間が出来ており窒息することも無かった。

 とはいえ、白狼に腹を切り裂かれ背中に大火傷を負った状態で雪の中に埋もれていては間もなく死んでしまう。

 だが痺れ毒と怪我により黒狼はまともに動くことは出来ない。そんな彼を助けたのはもう一人の狼、白狼であった。

 勁拳の衝撃から立ち直った彼女は黒狼を抱えたまま雪の中から這い上がり、彼を背負ったまま休息できる場所を探し、洞穴へとたどり着いた。

 その後は薬師として知識を活かし、黒狼の治療を行うと疲れたのか、眠りについてしまった。そうして目が覚めたら、回復した黒狼と彼を心配して後を着けてきた紅猫が白狼を介抱していたのだ。

 何でも結局紅猫は本陣への連絡はせずに黒狼達の後を着けてきたらしい、理由は言わずもがなだ。

「それでアンタはどこに逃げるつもりなの?」

「ふむ、此処は寒いからな。暖かい南の方にでも逃げるさ。」

「っそ、で次にアンタは?」

 紅猫が白狼を睨む、まあ彼女からしたら好いた男を誑かして殺そうとした女なので睨むのもしょうがないだろう。

「私は、、、」

 そうして白狼は自分の考えを語る。影ノ刃の兵であれば普通に本陣へ戻るのが当たり前だ。だが今は生死不明状態、つまり戻るのも戻らないのも好きに選べるのだ。

 なれば彼女が選ぶ道は一つ。白狼の答えを聞いた黒狼は満足した表情で頷き、紅猫は「ふんっ!」と鼻を鳴らした。




 冷のとある小さな村、その村の市場を唐傘を背中に刺した黒髪の青年が歩いている。歩きながら後ろをチラチラと振り狩る青年、青年がふと歩みを止めると彼の後ろを歩いていた白い肌と金髪が特徴的な女性も歩みを止める。

 そして青年が再び歩き出すと女性も歩き出し、歩みを止めると女性も歩みを止める。

「はあ、」

 溜息を吐いて青年、黒狼が振り返る。振り返った先には女性、白狼が気まずそうにしていた。

「何をしている、白殿。」

「いやあ、その。」

「其方はもう、己と同じ”影ノ刃”を抜けた身、人を殺める必要は無いし、己を付けてくる理由もないだろう。」

 そう、黒狼の言う通り白狼改め白は”影ノ刃”を抜けた。黒狼が不殺を貫けた理由を知り、そして本陣でも行方不明扱いとなったことにより、最早彼女が人を殺める理由、必要性が無くなったからだ。

 黒狼としてはその道を選ぶことは薄々気づいていたので別に構わないのだが、問題はその後、何故か白が黒狼の後を着いてくるようになったのだ。

 彼女が黒狼に付きまとったのは黒狼の居場所を本陣に知らせる為、であるならばもう付きまとう必要性は無いというのに未だに彼女は黒狼の後を着いてくる。

「其方はもう、好きなように生きてい良いのだぞ。」

「・・・それ、、、い。」

「ん?何か言ったか?」

「だから、好きなように生きるというのが分からない。」

 そっぽを向きながら恥ずかしそうに言う白、今の彼女の状態はいうなれば休みが与えられず、毎日嫌な仕事を続けていた者が漸く与えられた休みに喜ぶものの休みをどう過ごせばいいのか分からない状態だ。

 殺生以外の道を知らない白は、どう生きて行けば良いのか分からないのだ。

「それで?」

「それで、、、黒について行けば分かるかなって。」

「あのなあ、」

「それに、まだ借金返してもらってない!」

 行方不明とはいえまだ追われる身である黒狼は、自分について行けば巻き込まれることを教えようとするが、それよりも早く白が黒狼を人差し指で指さす。

「二万五千北銭!大切な路銀だったのに、黒から返してもらってない!借金も返さずに離れるなんて、そんな踏み倒し許さないから!」

「ぐっ。」

 それを言われると弱い、実際黒狼としてはこのまま有耶無耶に借金を無かった事にもしたかったのだ。

「と、いう訳で最低でも借金を返してもらうまでは黒について行くから、覚悟しておいてよね。もし私を振りまこうとするなら、今ここである事ない事叫んで大暴れするから。」

「おい。」

「それが嫌なら、私も君の不殺の旅に同行させてよ。」

 にやりと笑みを浮かべる白。

「言っておくが、己の旅に付き合ったことで騒動に巻き込まれても文句は言うなよ。」

「勿論、むしろ私がそれを解決しちゃうかな。」

 自信満々にそう言うと後ろから黒狼の隣へと移動する白、雪が降ってきたので唐傘を差すと内側に白も入れる。

 白と黒、二匹の狼は不殺を誓い、肩を重ねながら目的もない旅を続ける。されど一切の不安は無い、彼らならきっと、どんな困難に立ち会っても乗り越えられるだろう。


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