一章
着物や刀と言った他の大陸とは異なる文化を持ち、四つの大国に分かれている大陸、その中でも北部に位置し、冬になれば他の国など比ではない極寒の地となる国『冷』。
冬も近づき、そろそろ冬越えの準備に忙しくなる中、『冷』に属する村の一つに荷台に四人の男女を乗せた行商人の馬車が向っていた。
「アンタら、そろそろ村に着くよう。今日はそこで一晩過ごすけど、構わないかい?」
「あい、承知した。」
「俺は構わんぜ。」
「そろそろ尻も痛くなってきましたしね。拙も構いませんぞ。」
「私も構わないよ。」
手綱を握っている太った商人が後ろを振り返り確認を取ると、荷台に座っている三人の男と一人の女性が首を縦に振る。
「なあ、そう言えば俺達自己紹介がまだだったよな?ここいらで自己紹介といかないかい?」
短く切った髪を逆立て、背中に槍を模した長い棒を持った頬の傷が印象的な青年が三人の顔を見ながら、提案する。
荷台に腰を降ろしている四人だが、彼らは知り合いではない。
彼らはそれぞれが何かしらの目的をもって旅に出ており、その道中行商人の馬車とすれ違い、獣や野盗から身を守る、若しくは金銭を払うから乗せてくれと言った理由で行商人の馬車に乗り込んだだけ、顔以外何も知らない。
「それじゃ、先ずは言い出しっぺの俺からだな。まず俺は、、、」
狭い荷台の中で立ち上がり、青年が自己紹介を始める。
彼は今から向かう村とは別の村出身で、村の中でも一番の武芸者であった彼は一旗揚げるべく、村の人達に見送られながら都で兵になるべく旅に出たらしい。
恰好も動きやすさを重視し、兵に愛用されている生地が薄い着物を着ている事から本当に兵になりたいというのが分かる。
「そいじゃ、次は黒髪のアンタだぜ。」
「ん?ああ、己か。」
兵に憧れる青年が自分の隣にいる青年に視線を向ける。
「己の名は、黒狼。訳あって一人、旅をしている。」
「おいおい、それだけじゃ味気無えぜ。他には何かないのかよ?」
「何かと言われても、、、」
余りにも簡素な自己紹介をした黒狼の肩に不満そうな青年が手を回す。
「色々あるだろう?強者を探して旅に出たとか?傾国の美姫を求めてとかさあ。」
「生憎、己はそう言った者には縁がなく。」
「かーっ!つまんないね!」
大げさに青年が頭を抱える、だが青年がそういうのも無理は無いのかもしれない。
黒狼と名乗った青年、年は見た目から察するに十四、五か、顔立ちは青年より整っているが、着ている着物は高級品でもなければ汚れに塗れたボロボロの安物でもない、一般的な家庭であれば買えるような首の後ろ辺りに雪から耳や顔を守る為の頭巾が付いている普通の冬物の着物、背中に唐傘を背負っているが雪の降る事の多い『冷』では特に珍しくもなく、兎に角普通なのだ。
敢えて特徴を挙げるとしたら、茶色や赤毛の者達が多い『冷』において珍しい黒髪を長く伸ばし後ろで紐で縛っているくらいか、だがそれも少々珍しいだけだ。
「それでは次は拙が自己紹介を。」
苦笑を浮かべる黒狼、助け舟を出すべくもう一人の男性が自己紹介を始める。
彼は笛の奏者で各地を巡りながら笛の腕を上げ、いつか一流の奏者になる為に旅をしていると説明し、竹で出来た細身の縦笛を一行の前に晒す。
「それじゃあ、最後は私だね。まず私の名前は白。職業は薬師、この馬車に元々薬を売りに来たんだ。」
最後に自己紹介を始めたのは背中に大きな籠を背負った十代後半の女性、白は黒狼とは真逆の特徴しかない女性だった。
まずこの大陸では全く見かけない、雪のように白い肌と金色の髪、他の大陸の出身かと勘違いしてしまいそうになるが、鼻が低いというこの大陸の人間特有の特徴がある為、恐らく彼女の先祖が他の大陸出身で移り住んできたのだろう。
身長は女性としては比較的高めで、小顔で長く伸びた髪は僅かに外に向って撥ねており、髪により目は隠れてしまっているが、それでも整った顔立ちだと男達に確信させる。
「それで次は都に向って、薬を売ろうと思っててね。行商人の馬車に同行したという訳。」
「そうなのか、じゃあ、都に向かうもん同志仲良くしようぜ!」
「うん、こちらこそよろしく。」
槍もどき使いの青年と白が握手を交わす。
「所で、アンタ、彼氏とか旦那とかいるかい?」
「恋人や旦那がいたら独りで旅なんてしないよ。独り身で寂しい旅をしているんだ。」
「そうかい、そりゃ勿体ねえ、なんなら俺が、、、」
「ところでさあ、君?」
もしかしたら金髪美人とお付き合いできるかもしれない!と喜びを顔に出す青年だが、白はそんな青年をじろりと睨む。
「君さっきから、私のどこを見ているの?」
「へ?どこってそりゃ、その立派な胸に、、、ゴフッ!」
青年が腹を殴られて悶絶するが、心配する者は馬車の中には一人もいない。
「少しは隠そうという気持ちが起こらないの?」
呆れたように青年の腹を殴った白が見下ろす。
目にも止まらぬ速さで拳を繰り出した白、彼女の最大の特徴はその胸だ。
まるで瓜でも着物に詰め込んだのではないかと疑ってしまいそうになるほどに大きな胸、しかし淡い桜色の着物に収まりきらず、僅かに首元から見える素肌の胸元はそれが偽りではなく、本物であると証明している。
黒狼と笛の奏者が青年に合掌していると、行商人が再び荷台に視線を向ける。
「そろそろ村に着くけど、これから言う事は絶対に守りなよ。死にたくなかったらね。」
「死にたくなかったら?それはどういう意味なのだ?商人殿。」
何やら気になる事を言う行商人に、黒狼が身を乗り出す。
「いや、実はね。アンタらは知らないかもしれないけど、今から向かう村には出るんだよ。妖怪がね。」
「妖怪?」
「ああ、しかも質が悪い妖怪でね。なんでもその妖怪は四つ足で大地を駆け抜け、虎のような影を持ちながら、虎と異なる鋼の如き鱗と牙、爪を持った姿で、夜な夜な村人や村に立ち寄った旅人を食い殺しているんだ。」
「ちょ、ちょっと待って!そんな村に私達を連れて行こうとしてるの?」
「おもしれえじゃねえか!そんな妖怪、俺のこの自慢の槍さばきで返り討ちにしてやるぜ!」
人食いの妖怪が出る村に連れて行こうとする行商人に怒りの視線を向ける白を無視し、槍もどき使いの青年が一人で勝手に盛り上がる。
彼としては、兵になれた際に早く出世できるよう今の内に自分に箔を付けたいのだろう。
「まあまあ、落ち着きなよ。だから言っただろう。死にたくなかったら、今から言う事を絶対に守りなよって。」
「それを守れば妖怪には襲われないと?その村独自の風習か何かなのか?商人殿?」
「いやいや、風習なんて堅苦しいものじゃないよ。その村にはね、妖術師が住んでいるんだよ。その妖術師様が毎晩、その妖怪が嫌う音を出す笛を奏でて妖怪を村に入れないようにしているんだ。」
「妖術師?へえ、その村にはそんな怪しい人がいるんだ。」
「何か、含みのある言い方だね?まさか、アンタその妖術師様が偽物だって疑ってるんじゃないだろうね。言っとくけど村でそんな態度を取ったら村人に石を投げられるから気を付けな。それにアタシもこの目で何度も見たけど、ありゃあ、本当の妖術師さ。」
口元を僅かに上げて、皮肉気な笑みを浮かべ妖術師を訝しむ発言をした白に商人が注意をする。
確かにその妖術師が本物か、若しくはイカサマのペテン師かは彼らには分からないが、それでも村人にとっては自分達を妖怪から守ってくれる恩人なのだ。
もし村に着いてからも、同じ発言をしたら商人の言う通り村人に石を投げられるだろう。
「それで、商人殿。己達が守るのは、その妖術師を敬えば良いという事か?」
「違うよ。そこの村長が取り決めた事でね。村に滞在する者は旅人であっても妖術師様にお布施を払わなければいけないんだよ。まあ、命を守ってもらってるお礼と考えればいいよ。」
「お布施か、、、生憎己は余り手持ちの金が無いのだが。」
「ああ、俺もそんなに金に余裕は。」
「まあ、払う金額は特に決まってないし、妖術師様も金払いで動くかどうか決める人じゃないから安心しなよ。感謝の気持ちを分かりやすい形にしてるだけさ。しかし傘の兄ちゃんは兎も角、槍の兄ちゃんは確か、結構な量の銭を袋に入れていたじゃないか?」
「いや、あの銭は、、、と、兎に角!いざとなりゃあ、そんな妖怪、俺が退治してやるぜ!」
槍もどき使いの青年が腰に縛り付けている銭が山ほど入った袋に視線を向ける商人だが、青年は何かを言おうとして視線を逸らす。
そうして馬車に揺られること数分、目の前に木の板で作った塀に囲まれた村とその門を守護している斧を持った門番である二人の男が見えてきた。
「っと、村が見えてきたね。あれが件の妖怪と妖術師が暮らす村。陽月村、またの名を”妖憑き村”だよ。」
唇の両端を上げて歯を見せながら笑う商人、その笑顔は何処か罠に嵌った得物を見るような表情だった。
いくつかの小国を束ねた四つの大国で成り立っている大陸、そこでは常に国同士の争いが絶えず、戦で領地を奪われ、奪うなど日常茶飯事だ。
その中でも一番の武力と兵力を携えているのが、北部に属する大国『冷』だ。
当初は四つの国の中でも一番狭い領土だった冷だが、数千年の歴史の中で冷は他の三つの国に侵略し領土を広げ、侵略をしてくる三つの国に対して見事に防衛を果たし、領土を守っていた。
そんな冷の強さを支えているのが、国を治める帝に仕えている八人の将軍と彼らが指揮する兵及び軍だ。
八人の将軍によって指揮される軍は、長年の戦の歴史から育まれた兵法や武術を発展させてきたことにより、他の三つの国と比べても練度が桁違いであり、兵士一人の強さを取っても、他の国の約三倍の強さと言われるほどだ。
そんな強い兵が優れた武力、知力を持つ八人の将軍によって指揮されるのだから、多少の人数差を覆し、戦で勝利を納めるのは至極当然の事であり、民も冷の軍の勝利を疑わない。
しかし彼らは知らなかった。軍が戦で勝利している裏側で、冷の発展の為に暗躍している者達がいる事を。
彼らの存在は表には知られない、けれど確かに存在した彼らは人間とは異なる獣や虫を模した力をその身に宿し、戦や歴史の節目で活躍していた。
長き研鑽の果てに超常の力を身に着け、冷の発展の為に歴史の陰に埋もれることを良しとする彼ら、その名は_
「いやあ、まさかこんな寂れた村に旅人が寄ってきてくれるとは!ささ、何もない村ですが、どうぞごゆるりとおくつろぎください!」
村長に案内された宿で商人も含めて歓迎される四人、村長が何もないと言っていたとおり食事も川魚の塩焼きに山菜を炒めて盛り付けた物、塩結びとありふれた料理ばかりで量も少ない、道中で見かけた村人が住む粗末な家の事も考えると村自体が余り潤っていないのだろう。
「ささ、どうぞ、一献。」
「いや、己はまだ酒が飲める年齢ではなく。」
「おや、そうでしたのか。では、そちらのお二方は?」
「んじゃ、俺は貰おうか。」
「拙も一杯だけなら。」
「白殿もどうです?今日の為にわざわざ村長がとっておきの酒を開けたそうですよ?」
「いえ、私は酒が苦手ですので。」
「そんな事を言わずにどうだい!?折角の宴の席!飲まなければ相手に失礼だよ!」
「ですから、、、」
無理矢理、白に酒を飲ませようとする商人に白がうんざりしたような顔をする。
村に着いた後、商人は直ぐに村長の所に向かい、黒狼達四人を紹介した。最初は顰めた顔で四人を見ていた村長だったが、直ぐに笑顔になると四人を連れて宿に向かい宴を開いた。
更に村長だけでなく、他の村人も四人を歓迎し宴の為に食材を提供し、宿も銭はいらないと言ってきた。
余りにも手厚い歓迎に槍もどき使いと笛の奏者は直ぐに気分が良くなったが、反対に黒狼と白は浮かない表情をしている。
「もしかして、食事が気に入りませんでしたか?それとも何か宿の者が無礼を働きましたか?」
「いえ、決してそのような、寧ろ己のような者を迎えていただき、恐悦至極に存ず。」
「はあ?それでは、一体?」
箸があまり進んでいない黒狼に村長の顔に不安の色が浮かぶ、自分達は何か客人の気分を害したのではないだろうか?と、ある意味その予想は当たっていた。
(歓迎されるのは嬉しいが、どうにもきな臭いな。)
口に出すことも無く、心の中で黒狼そう呟く。村に入り、盛大に歓迎されてからずっと感じている違和感に黒狼は居心地の悪さを感じていた。
確かに彼らが自分達を歓迎しているのは本心だろう、だが村長や宿、村人の表情から純粋に歓迎しているとは思えない。
例えるなら、誰もやりたくない役割をどうしてもやらなくてはならない時に、丁度役割を押し付けられる者が現れたような、そしてその者をどうしても逃がしたくないが故に歓迎しているように思える。
「さて、宴もたけなわですが、そろそろ皆様に紹介しなくてはならない御方がおります。」
「おお、村長、いよいよあの御方を紹介するのかい?」
「ええ、それでは、、、晴明殿!晴明殿!」
村長が宴会場の外の障子に向かって叫ぶと、烏帽子を被った長大な影が現れて障子を開け宴会場に入ってくる。
「皆さま、こんばんわ、私の名は晴明。元々は流浪の妖術師でしたが、訳あってこの村に身を置いております。」
そう言って黒狼達に会釈して畳に座る晴明。黒色の烏帽子に白い狩衣といった妖術などに詳しくない者が想像するような典型的な妖術師の格好だ。
細い顔立ちに、狐のように細く閉じられた目、薄い眉毛や口元に浮かべた笑みもあって何処か胡散臭い雰囲気だ。
「さて、皆さま、先ずは宴を中断させてしまった事を詫びましょう。本来私のような妖術師はめでたい席に足を運ぶのは余り好まれないのですが、そう言っておられない故、何卒ご容赦を。私がこの場に現れた理由ですが、信じられないかもしれませぬが実はこの村には人を喰らう妖怪が現れるのです。」
村に着く前に商人から大雑把に妖怪が現れることを聞いていた四人は驚くことなく、そのまま晴明の妖怪についての詳しい話を聞いていく。
妖怪が現れたのは約半年前、夜中に村の畑で何やら物音がしていると村人数人で畑の見回りに行くと、そこには虎の如き巨大な体躯を持ち、鋼の如き鱗と牙、爪を持った異形の怪物がいたという。
見たことも無い怪物に恐れおののいていると、怪物は村人の一人に襲い掛かり、そのまま首を嚙みちぎり、何処かへ消えたという。
それからと言うもの、怪物は夜な夜な現れては村の作物、家畜、そして村人を食い荒らしては姿を消すという。
「丁度その時です。旅をしていた私がこの村に立ち寄ったのは。私は村長の話を伺い、その怪物が妖怪であると見抜きました。そして恐怖に震える村人殿を見捨てることも出来ず、追い払う事を決めました。幸い私には妖怪を追い払う術と知識がございましたので。」
袖の中から竹で出来た横笛を取り出す、雅な装飾が施されておりかなりの値打ちがある逸品物だろう。
「この横笛は妖笛と言いまして、この笛が奏でる音色を妖怪は嫌い離れていくのです。そして私は毎晩、この笛で曲を奏で妖怪を退けているのです。」
「いやあ、最初に話を聞いた時は疑っておりましたが、晴明殿が夜な夜な曲を奏でるようになってから妖怪が滅多に村に現れなくなったのです!」
「滅多に?失礼だが、晴明殿が村に訪れてからも妖怪は村に現れ人を襲っているのか?」
「それが妖怪もそれなりに頭が切れるらしく、笛の音が途切れた合間を狙って村に侵入してくるのです。」
「それでも!晴明殿が現れてからは村人の間に平穏が戻ったのです!これはゆるぎない事実ですぞ!」
村長の言葉に引っかかりを覚えた黒狼が顎に手を当てながら質問をすると晴明は暗い表情になって俯くが、一方の村長は必死に晴明を庇う。
「ねえ?話を聞いていて思ったんだけど、都に要請は出さなかったの?何人も村人が犠牲になってるんなら都も無償で兵や宮仕えの妖術師を妖怪退治に出してくれると思うんだけど?」
「それが、過去何度も村人の中で代表の者を都に送り出し、妖怪の退治を求めたのですが、皆村から出ると妖怪に襲われ、翌朝には村の入り口で死体となって転がっているのです。かといって晴明殿に一緒に着いて行ってもらっては村が妖怪に襲われてしまう、、、と八方塞がりな状態になってしまい、村人は村から出ることが出来ないのです。」
「ふ~ん、何ともそれはままならないね。」
興味なさげに相槌を打つ白。
「さて、それで皆さまにお願いしたいのは、先程の話を聞いて頂いた通り私が奏でる笛の音には妖怪を退ける力がありますが、それも完璧ではありません。それ故、今宵の寝床には小刀などの最低限身を守る為の物を用意しておいてほしいのです。」
「そのような事なら。」
「うん、私も問題ないかな。」
「へっ!何なら俺が妖怪を返り討ちにしてやるぜ!」
「一人旅で護身用の武器を持つのは至極当然の事。拙も問題ありませぬ。」
四人がそれぞれ首を縦に振ると、村長が晴明の前に小さな底の浅い鉢を置く。
「実は村人の間で決めた決まりで、妖怪を退けてくださる晴明殿に感謝の意を込めてお布施を捧げる事になっているのです。旅人の皆様であろうとも今日一日晴明殿に守ってもらう事には変わりません。ささっ!」
掌を鉢へ向ける村長、自分達の命には代えられないので黒狼達もそれぞれ袋から銭を取り出す。
「生憎、己は余り持ち合わせがなく。」
冷で流通している通貨の中で三番目に額が小さい長方形の形をした銭貨、『十』北銭二枚を鉢に納める黒狼。
「じゃあ、私はこれぐらいかな。」
『十』北銭と同じ形、大きさだが銅色をした『十』北銭とは異なる鈍い銀色をした銭貨、『百』北銭一枚を払う白。
「拙はこれくらいで。」
『十』北銭五枚を払う笛の奏者、そして最後の槍もどき使いの青年は、、、
「お、俺は悪いが、これで勘弁してくれねえか?」
銭が沢山入った袋から『十』北銭一枚を鉢に納める、そんな彼の態度を見て村長が顔を真っ赤にし激昂する。
「な、何ですか!貴方は!我々の命を守ってくれる晴明殿に対して『十』北銭一枚とは!そんなに銭貨が入った袋を持ちながら『十』北銭たった一枚!?たった一枚!?無礼にも程があるでしょう!」
「い、いやしかし、この銭は、、、」
「まあまあ、村長殿、何かしら理由があるのでしょう。それに大切なのは金額ではなく、想い。安心してください、例え私は無償の働きであっても、笛の演奏を止めることはありませんので。」
激昂する村長を晴明が宥めるが、洞察力の鋭いものなら晴明の目にも落胆の色が写っている事に気付いていただろう。
そうして少し重苦しい雰囲気のまま、宴は終了となった。
「のう、何かその銭には思い入れでもあるのか?」
「ん?何だい突然?」
宴が終わった後、入浴を終えそれぞれに割り当てられた部屋へ戻ろうとする中、黒狼が槍もどき使いの青年に問う。
「いや、やたらとその銭袋を大事にしているようでな。先程のお布施でも銭が勿体ないというよりは、銭を使ってはいけないという風に感じたのでな。」
「ああ、そういう事ね。アンタ結構鋭いね。アンタの言う通り、俺はこの銭を使っちゃいけない、無駄遣いしちゃいけないんだ。」
「ほう。」
「こいつは俺が都で兵になるべく村を出た際に、村の連中が旅費としてなけなしの金を俺にくれたんだ。自分達の生活だって苦しいのに、それでも兵になれば村の自慢になるからって言って。だから俺はこの金を無駄遣いしちゃいけねえ。本当にどうしようもない時にしか使わないって決めてるんだ。あっ因みに商人の馬車に乗せてもらった時の金は俺が別の村で獣退治して稼いだ金だからな!」
「別にそこは疑っておらぬよ。しかしそうだな、そのような理由があってはおいそれと使う訳にはいかぬな。」
「ああ、本当だよ。それで次は俺がアンタに聞きたいんだが、アンタは本当にそれでいいのかよ?」
「それ、とは?」
「護身用の武器だよ!アンタ、傘一本て正気か?」
槍もどき使いの青年が黒狼の背中から見える唐傘を見て、呆れたように質問をぶつける。
「己は剣術や槍術の心得が無くてな、それにこう見えてこの傘は結構丈夫なのだぞ。」
「いやでも、傘って、、、しょうがねえ!いざとなりゃあ俺が守ってやるよ!」
他の面々が長脇差や小刀で身を守ろうとする中、本気で唐傘以外に武器を持っていない黒狼に呆れた視線を向ける。
「そうだな、頼りにさせていただく。」
「応よ!アンタみたいな子供を守るのも兵の務めだからな!」
「むっ?己はそれ程幼くは無いぞ。」
青年の放った言葉に黒狼が少しだけ、ムッとする。
「いやいや、アンタまだ十四か十五の子供だろ?」
「己は今年で十八だ。」
「はっ!?本当かよ、、、っと、んじゃアンタは先に部屋に戻っててくれ。俺は厠に寄ってから戻るからよ。」
「承知した。」
黒狼の実年齢知り、驚きながらも右側の通路を曲がる槍もどき使いの青年を見送り、黒狼は部屋へと戻っていく。
四人に割り当てられた部屋は三つ、白と笛の奏者の青年はそれぞれ一部屋、そして黒狼と槍もどき使いの青年は狭い部屋を二人で共有することとなった。
恐らく晴明に納めた金額がそのまま旅人の扱いに反映されるのだろう、先に部屋に戻っていた黒狼はいそいそと就寝の準備を始めていたが、その手が止まる。
「遅いな。」
厠に寄っていた槍もどき使いの青年、小か大かは分からないが、それでもとっくに戻ってきていても可笑しくないくらいには時間が経っている。
「・・・ッ血の臭い!」
もしや槍もどき使いの青年に何か起っっているのか?と疑問が浮かんだ黒狼が、部屋の襖をあけ鼻を鳴らし、辺りの臭いを確認した途端表情を変え、部屋を飛び出す。
向かうのは槍もどき使いの青年がいるであろう血の匂いがする厠、背中に傘を差し、黒狼は急いで厠へと向かう。
「どうした!?何があっ、、、!」
まだ排泄の途中かもしれない可能性もあったが、厠の扉を蹴破る黒狼。彼の目に映ったのは蝋燭の僅かな光に照らされた異形の怪物、そしてその異形の怪物の口に首を咥えられ絶命している槍もどき使いの青年であった。
「これが、、、妖怪?」
蝋燭の光が弱く全貌は分からないが、全体的に虎に似ている影を持っている。しかし、寅のように毛皮に身を包んでいるのではなく、金属質の鱗のようなモノが蝋燭の光を反射し、頭部も竜を連想させる鋼の兜のようなモノで構成されている。
その姿は商人から聞いた妖怪の話と一致している。そして妖怪は咥えていた槍もどき使いの青年を口から離すと「グルルルル」唸りながら視線を黒狼に向ける。
「次の獲物は己か、しかし一体どうやって入ってきた?いや、そもそもこいつは、、、」
傘を開き、盾のように前方に傾ける。ここからどうするか?妖怪と思わしき者を迎え撃つか、それとも逃げて助けを呼ぶか?
黒狼がどうすべきか悩んでいる間にも妖怪は涎を垂らし、視線は一切反らす気は無い。
「背中を見せたらすぐにでも襲われるな、ならば!」
開いた傘をそのままに妖怪へと突撃を仕掛ける黒狼、当然槍でもなければ剣でもない傘で突撃したところで通用する訳もなく、妖怪はその突撃を回避せず、寧ろ後ろ足に力を入れ飛び掛かった。
妖怪の強靭な前足に叩き落とされる唐傘、しかしそこにいるはずの黒狼はいない。
「っしゃ!」
「グルッ!」
頭上から聞こえる人間の声に妖怪が上を向くと、そこには傘の手元に仕込んだ匕首を逆手に構え、天井を蹴った勢いを利用してこちらの首を落とそうとしてくる黒狼の姿があった。
重力に天井を蹴った勢いも合わさって妖怪はその攻撃を避けることが出来ず、匕首が妖怪の首を捕らえる。
しかし、その刃は”カアンッ!”という甲高い音を響かせ、火花を散らし、妖怪の首を落とすことが出来なかった。
「何っ!」
反撃してくる妖怪の顎を避け、着地する。
「・・・」
「グルルルッ」
にらみ合う黒狼と妖怪、するとその場に小さな笛の音が響き渡る。何処か人を苛つかせるような音色を奏でるそれは徐々にこちらに近づいていき、それに合わせて妖怪が黒狼から距離を取っていく。
「待て!」
妖怪は槍もどき使いの青年の腰の辺りに噛み付くと、そのまま薄い木の板で出来ていた厠の壁を破壊し、去っていく。
既に外の明かりは月明りしかない時間帯、妖怪を追っていっても返り討ちに合うか、見失うかのどちらかだろう。
「どうやら、一足遅かったようですね。」
「晴明殿。」
妖怪を退ける力を持つという笛を口に咥え、曲を奏でていた人物。妖術師晴明は悲しそうな顔で槍もどき使いの青年の遺体を見下ろす。
「何ともおいたわしい。」
あの後、すぐさま宿にいる人間と村長を呼び出し、妖怪が現れた事を報告した。
「どうやら、妖怪は私がいない時間を狙っていたようですな。これも私の不徳の致すところ。」
宴を開いた部屋で妖怪が現れた経緯を説明する晴明、既に妖怪の襲撃に慣れてしまったのか、淡々としている。
「いや、晴明殿は何も悪くありませぬ、全ては晴明殿へのお布施を渋ったあの者が悪いのです。罰が当たったのですよ。守銭奴というのは往々にして人の命よりも金を大事にする人情に欠けた者。故にこのような目に合うのです。ささっ、皆さまもあの者のようになりたくなければ晴明殿へのお布施を。」
全ての原因は槍もどき使いの青年であるとし、お布施を強要する村長。
「村長殿。」
「ああ、いやこれは失敬。」
晴明に注意されて村長は腰を低くする。
「さて、これからの事ですが、明日この村にいる僧に青年の遺体を弔ってもらいます。それまでは皆様決して部屋から出ないよういたしてください。私はこれから再び妖怪が村に入ってこれないよう笛を奏でながら村を回りますので。」
そう言って部屋から出ていく晴明、村長も彼に付き従って部屋を出ていき、部屋に残ったのは黒狼と白、笛の奏者の青年の三人と宿の者数人だけとなった。
「まさか、このようなことになるとは。」
「妖怪なんて唯の迷信だと思ってたけど、本当にいたんだ。ねえねえ君はその目で妖怪を見たんでしょ!?どんな姿だったの妖怪って?やっぱり商人さんの話通りだった?」
「ん?あっ、ああ、そうだった。商人殿話通りの見た目だった。」
顎に手を当て、何か考え事をしていた黒狼、突如話しかけてきた白にしどろもどろになりながらも無難に答えていく。
「へえ、私も一目見たかったな。」
「やめておいた方が良い、アレは怖いもの見たさで会いに行くようなものではない。っと、そのような事より、、、も!」
「ひっ!」
「な、黒狼殿何をしているのです!」
「ちょ、ちょっと、急にどうしたの?」
胡坐をかいていた黒狼が立ち上がり、宿の者の胸倉を掴んで鋭い目つきで睨みつける。
「そなた達、何を隠している?」
「な、何とは?」
怒気の籠った目で睨みつけられ恐怖する宿の者。
「そなた達、何故安堵していた?」
「へっ?」
「妖怪が現れ、人を喰らったというのに、そなた達は安堵の溜息を吐いていた。あれは一体どういう事だ?」
「そ、それは、、、」
妖怪に殺された青年の遺体を発見した際、普通であれば自分も妖怪に襲われるのではないかと恐怖するはず、しかし宿の者達は何故か安堵していたことを黒狼は見逃していなかった。
「答えろ!」
「そ、それは、妖怪が村に立ち寄る旅人を襲った晩は決して村にいる者を襲う事は無いからです!」
「何?何故だ?」
「私達にもわかりません!唯何故か旅人がこの村に来た晩、必ず妖怪は旅人を襲い、私達村の者は決して襲わないのです、、、だから。」
「だから宴を開き、己達を村から出さないようにしたと?」
「最低だね。」
「う、うるせえ!悪いかよ!お前に俺達の気持ちが分かるのかよ!晴明様の笛の音だって完璧じゃない!いつ妖怪に襲われるか分からない毎日を過ごしているんだ!俺達が襲われないなら何だってしてやるよ!」
黒狼と白から蔑まれた視線を向けられ、逆上する宿の者。彼らの理由も共感できるが、妖怪に襲われる方としては堪ったものじゃない。
「やれやれ、これは少々厄介なことになりそうだな。」
宿の者を離し、頭を掻く黒狼。当てのない一人旅のつもりだったが、とんでもない場所に足を踏み込んでしまったらしい。
村から少し離れた山沿いの森、明かりは月明りのみで人が一歩でも踏み入れば獣に食い殺されるのが当たり前の夜の森を唐傘を背中に背負った黒狼は一人黙々と歩いていた。
「さて、そろそろか?誰だ、さっきから己を付けている者は?」
辺りに獣がいないことを確認し、歩みを止め立ち止まった後、黒狼は後ろを振り返りながら叫ぶ。
「あはは、バレちゃったか、、、」
そこには気まずそうに頭の後ろに片手を回しながら木に隠れていた白がいた。
「こんな夜更けに女性が外を歩き回るものではないと思うが、それで?己を付けてきた理由は?」
「宿の人に話を聞いた後から君の様子がおかしかったからね。それで気になって後を着けてきたんだけど、それで君は何でこんな森にいるのかな?私の予想だと、多分あの妖怪に関係すると思うんだけど?妖怪が怖くなってこっそり逃げようとかそんな感じ?でも下手に宿から出たら危険なんじゃ?」
「いや、その逆だ。」
「逆?」
黒狼が手に持っていた物を指ではじき、白に投げる。
「これは、、、釘?」
手に取った物を確認すると、それは戦闘の際に刀の刀身が外れることを防ぐための目釘だった。
「それは己が妖怪と打ち合った際に妖怪の体から零れ落ちたものだ。」
「何でこれが妖怪の体から?」
「さてな、ついでにあの妖怪は立ち去る際に彼の遺体から銭が入った袋を口に咥えて去っていった。不思議と思わぬか?昨今の妖怪は目釘で装飾を身に着け、人から銭を奪うらしい。」
「へえ、それは何とも怪しいね。」
黒狼の言葉に白が皮肉気な笑みを浮かべる。人と人の間でしか使用されない貨幣を妖怪が盗む道理など普通は無い、背景に人間が関わっていなければ。
「それで気になってな、妖怪の正体を暴いてやろうと。後は、、、憂さ晴らしか。」
「ふうん、でもさ、君妖怪がどこに居るのか分かるの?」
「ああ、妖怪と打ち合った時に匂いは覚えた。その匂いを辿っていけばいずれたどり着く。」
「匂いって、犬じゃあるまいし。」
「己は鼻が利くのでな。っと、そろそろだな、白殿あまり己の傍を離れないでいてくれないか?いざという時、守れぬ。」
此処まで付いてきて、下手に追い返しでもしたら獣に襲われるかもしれないので白の身の安全は自分が守ると決めた黒狼。
彼の傍に近寄った白と、更に山沿いに歩き続ける事数分、二人の目の前には灯りと笑い声が漏れている洞窟があった。
男は元々芸人の一族の生まれであった。一族は代々人間の耳には聞こえない特別な音色を出す笛を用いて動物を操り、それを見世物にすることで収入を得ていた。
一族の後継者として生まれた男も幼少期からその技術を受け継ぎ、見世物として収入を得ていた。
だがそれは男にとって屈辱だった、そこらの有象無象とは違い優れた技術を身に着けた自分が何故、その有象無象に見世物として技術を披露し、金を恵んでもらわねばならないのか?と。
ある時、男と彼に使役されていた虎は一族から逃げだし、とある村にたどり着いた。そして村の村長と出会い、彼にある提案をした。
自分の自尊心を満たし、同時に有象無象から金を搾り取る算段を。
「おいおい、あの槍もどき使い、こんだけの銭を持ってたのかよ!」
「何と、それでお布施を出し渋っていたと、全く救えない男ですな!」
「ええ、ええ、本当に。金というのは我々のような優れた人間が使ってこそ意味がある物、あのような学の無い者が持っていても宝の持ち腐れ、我々が使ってやるのが金にとっても本望でしょう!」
洞窟の中の焚火を囲んで行商人、村長、そして妖怪を村から退けてくれるはずの妖術師の晴明がその妖怪に背を預けながら酒を飲んでいる。
「それで、残りの三人は明日始末を?」
「ああ、余り金は持ってなさそうだが、噂を広げられても堪らないからな。俺の馬車に乗せて村の外れまで行ったところで頼むぜ、晴明さんよ。」
「構いませんよ。唯一つだけお願いが、、、」
「あん?」
「あの、、、白とかいった女子ですか?流石の私もあのような麗しい女子を殺すのは心苦しい故、此処で飼ってもよろしいか?勿論首輪は付けておきますし、私が飽きたら、行商人殿の好きにして構いませんよ?」
「これはこれは、晴明さんも中々の好き者で、あの見た目であれば初物でなくても、それなりに高く売れるでしょう。勿論使い心地は俺も試して良いのですよね?」
「私が試した後でしたら。」
盃に注がれた酒を一気に飲み干し、下品な笑い声を挙げる晴明と行商人。
「しかし、旅人は本当に持っていますな!最近は村の連中からの金を搾り取るのも苦労しましたが、これだけあれば、また暫くは別の土地で遊べるでしょう!」
槍もどき使いの青年が腰に携えていた銭が入った袋の中身を数えながら、今後の予定を立てる村長、彼の頭の中には、この金を村人の為に使おうといった事よりも自分達が如何に豪勢に遊べるかしか頭にない。
そんな酒を飲み、酔いが回り気分が高揚してきた三人に水を掛けるような声が洞窟に響く。
「成程、人間の耳には聞こえない音を出して犬を操る笛があると聞いたことがあるが、それに近いものでその虎を操って妖怪の仕業に見せかけ、金を奪っていたと。」
「しかも、自分から金を要求したんじゃ怪しまれるから村長が率先してお布施という名目で金を集めていたんだ。それと村の外に逃げようとする者はそこにいるインチキ妖術師が虎に襲わせて、他の人が村から出たら死ぬって脅してしてたとか?最低ね。」
「ついでに言えば、そこにる行商人も一枚嚙んでいたとは、道理で妖怪が出ると言うのにこの村の噂が広まっていなかったわけだ。村長と行商人で村人や外から来た者の口を封じていたからか。いやはや、あっぱれ、あっぱれ。」
「だ、誰だ!」
小馬鹿にするような拍手の音が洞窟に響き渡る。三人が咄嗟に洞窟の入り口の方を見るとそこには蔑んだ視線を向ける黒狼と白がいた。
「こ、これはこれは、黒狼様に白様、このような場所にどのような用事が、、、」
「今更取り繕って誤魔化せると思っているのか。」
いくら酔いが回ってるとはいえ、浅はかにも程がある行動を取った村長に、黒狼は怒りを通り越して呆れてしまう。
「いやはや、いやはや、気づかれてしまいましたか?」
一方の晴明は自分達の悪事が暴かれてしまった事に驚きながらも、余裕の態度は崩さず立ち上がる。
「それで、どうするつもりです?この事実を持ち帰って村人に知らせますか?私が言うのも何ですがやめた方が良いでしょう。村人は私達に心酔しています。来たばかりの旅人の話を信じると思いますか?それに、、、今ここで逃がすつもりもありませんからね。なあに、村人には妖怪に襲われたと言っておけば問題ありません。」
「勘違いするな。」
「何?」
黒狼が正義感でこの場所に来たと考えた晴明は、彼を馬鹿にしたような態度を取るが黒狼は全く動じていない。
「生憎、己は正義を持てるような立派な生まれではないし、説法を説いて改心させるような学もない。此処に来たのは単に人食いの獣が近くにいてはゆっくりと眠れんからだ。それと憂さ晴らしだ。」
「憂さ晴らしですと?」
「ああ、故郷の為に旅に出た者、その彼の助けとなるべく苦しい生活の中から銭を彼に託した者達、そんな彼らの思いを踏みにじり、自らの快楽の為に彼を殺め金を奪い取った連中に怒りを感じていてな。その憂さ晴らしに来ただけだ!」
「ははは!それは結構、晴らせるものなら是非とも晴らしてください!」
晴明が妖笛を口に構え、音を奏でる。その音は人間の耳には聞こえないが、音色を聞いた妖怪は立ち上がり、黒狼に向って牙をむき出しにし唸る。
初めて見たときは灯りが乏しかった故によくわからなかったが、今は焚火の明かりではっきりと見える。
妖怪の正体は全身の鱗のような物は葉の形に整えられたさび付いた鉄を帷子として身に纏い、竜の頭を象った兜を被っている虎だった。
「やはり虎か。」
この目で見れば何とも呆気ないモノだったが、暗闇、しかも襲われる恐怖の中で、はっきりと正体を見破れるものはいないだろう、この場合、黒狼の方が異常であった。
「さあ、行け!」
晴明が命令すると同時に妖怪、いや虎が口を開き黒狼に飛び掛かる。正体が判明したところで虎と人、どちらが勝つかなど明白、黒狼は傘を開いて肩に掛けているがそんな事をしたところで何の意味もない。
虎と黒狼が交差する。次の瞬間、虎の爪か顎によって首を切り裂かれ血を吹き出し、黒狼が絶命した事を確信する晴明。
「、、、っ何!馬鹿な!」
だが晴明の予感は外れた、虎と黒狼が交差した跡、確かに血は吹き出し洞窟内を赤く染めた、しかしそれは黒狼からではない。
「グルルギャア!」
虎が右足の足首から血を流し、悲鳴を挙げる。交差した瞬間、体を切られ悲鳴を挙げたのは虎の方であった。
「き、貴様、何をした!?」
「何をした?唯虎が襲ってきたから、迎え撃っただけだ。」
肩に掛けた傘をくるくると回しながら黒狼が何が起こったのかを答え、傘の露先から血が飛び散る。
先程まで唯の唐傘に見えた黒狼の傘、しかし今は十六ある親骨に仕込まれた薄く、鋭い反りのある刃が露出し、凶悪な武具へと変貌を遂げていた。
先程の一閃で黒狼は虎の攻撃を避け、すれ違った瞬間、傘に仕込んだ刃で虎の足首を切り裂いたのだ。
とても、唯の旅人に出来ることではない。
「さて、己としてはこのまま大人しくしてくれ方が良いのだが、、、」
「せ、晴明殿!」
「晴明の旦那ぁ!」
「狼狽えるな!愚図共が!」
一瞬でケリがつくはずが、まさかのこちらの切り札が破られるという想定外の事態に村長と行商人が晴明に泣いて縋り付く。
そんな彼らを見下し、蹴り飛ばすと再び晴明は妖笛を構え、虎に黒狼を襲わせようとする。
「往生際の悪い、白殿。悪いが己から離れるな。離れられるといざという時守れん。」
「まるで、あの虎に勝つのが当たり前みたいに言うんだね。君。」
主である晴明の命令と自分の足を傷つけられた怒りで、先程よりも獰猛になった虎が黒狼と白を睨む。
洞窟の入り口に構える二人、白は黒狼の背中に隠れるようにして事態を見守っている。
「ガアアアアッ!」
先程と同じように黒狼に向って飛び掛かる虎、それに対し黒狼は虎を受け止めるように両手を前へと突き出す。
「はははっ!馬鹿が!虎の体を受け止めきれるわけが、、、、っ!」
白が後ろにいて動けないからだろう、虎の体を真正面から受け止めようとする黒狼の行為を晴明が嘲笑うが、またしても彼の予感は外れる。
「ふううううううう!」
息を吐きながら、前足を突き出している虎の両足を掴み、黒狼は虎を睨む。その余りに鋭い視線に本来捕食者であるはずの虎が僅かにたじろぐ。
体重や筋肉の量からして、普通に考えれば人間が負けて当たり前の押し合い、しかし黒狼は虎と拮抗、いや僅かに押し返している。
人としてあり得ない斥力を発揮している黒狼、彼の体に先程まで無かった黒い刺青が体の各部位に浮かび上がる。
両手両足には狼の四肢、そして顔に重なるようにして牙をむき出しにして唸る狼の刺青が露になり、肉体の枷を外す。
「喝っ!」
黒狼が大声を放つと同時に虎を前へと押し飛ばす。押し飛ばされた虎は洞窟の壁へと打ち付けられ、体に纏った装飾がその衝撃ではじけ飛ぶ。
「ふうう、さて、どうする?」
晴明が何度も妖笛を吹いているが、虎が動き出す気配ない。先程の黒狼の鋭い視線、そして押し飛ばされたことにより、生物として敵わないことを悟り、怖気づいてしまったのだ。
「くそ、何を怯えている!さっさと動け、この愚図が!」
ずっと連れ添った相棒であるにも関わらず、いう事を聞かない事に癇癪をおこした晴明が虎を蹴る。虎にとって晴明は大切な主であったが、晴明にとっては所詮、金を得る為の手段に過ぎなかったのだ。
「おい。」
「ひ、ひいい、ど、どうか黒狼殿、白殿、命ばかりはご勘弁ををを!」
「た、頼む!助けてくれよう!俺達はあそこにいる晴明に怯えられてたんだ!俺達だって本当はやりたくなかったけど、仕方なく!」
「な、貴様ら!くそくそくそ、ふざけるな!私はお前達のような有象無象とは違うんだ!さっさと動かんか!」
刃を露出したままの唐傘を差したまま近づいてくる黒狼と彼に付き添う白に村長と行商人は命乞いを、晴明は虎を襲わせようと虎を蹴っている。
「はあ、もう良い黙れ。」
余りにも見苦しい彼らの醜態に黒狼は呆れの溜息を吐くと、唐傘を閉じて三人の脳天に傘を思いっきり振り落とし、気絶させる。
「ぐはあっ!」
「暫く、此処で大人しくしていろ。」
「この人達はこれからどうするの?」
「どうもせぬさ。」
「どうもしない?」
「ああ、村に突き出し、真実を告げた所で今日来たばかりの己の言う事よりも、こ奴らのいう事を村の者達は信じるだろう。口八丁述べられてはどうもできぬ。」
「じゃあ、見逃すってこと?」
折角悪行を突き止めたというのに、という顔の白に黒狼は首を横に振る。
「いや、まさか、多少のお灸は据えようと思う。」
「お灸?」
「うむ。」
そう言うと黒狼は彼に恐怖し、距離を取っている虎の元へと近づき、虎の頭を掴み、怒気を纏い呟く。
「この森から立ち去れ、山奥へと逃げ、二度と人里へと近づくな。」
虎に言葉は通じるのか?しかし、虎は黒狼の言葉を聞こえると彼から逃げるように足早に洞窟からでて、村とは反対方向の山へと向って行く。
それを見届けると黒狼は次に洞窟を照らしていた焚火に砂をかけ、火を消す。
「後はこ奴らを縄で縛って朝まで放置するだけだ。」
「うわ、えげつない。」
お灸というには生温い仕打ちに白が少し引く、夜の森で火の気もない洞窟、こんな場所に一晩いればどうなるか?獲物の匂いを嗅ぎつけた獣に襲われるに決まっている。
おまけに身を守ってくれる虎もいない、ほぼ死刑宣告に等しい。
「別に死なせはせぬよ。此処に来る道中、獣除けの香を撒いてきたし、獣共に威圧もしておいた。まあ、それを知らぬこ奴らは夜が明けるのを恐怖しながら待つしかないが。」
三人を縄で縛りつつ淡々と告げる黒狼、確かにそれなら死ぬ可能性は無いが、一方で恐怖で一晩を過ごして精神を保っていられるのか?という疑問も残る。
「まあ、こいつ等のやったことを考えたら、それぐらいでも甘いかもね。」
が、よく考えたらこの三人は村人を騙し、人を殺めて金を得ていた連中、情けなど不要と考え直した白は特に糾弾するつもりはない。
「さて、それでは宿に戻るか。」
「うん。」
間もなく目を覚ますであろう三人を転がし、黒狼と白は洞窟を後にした。
翌朝、村は騒然としていた。それも当然、今まで村を守ってくれていた妖術師である晴明と村を取り仕切っていた村長、更に行商人までいなくなっていたのだ。
このままでは今晩にでも妖怪に襲われると考えた村人達は畑を耕す為の鍬や草刈りの為の鎌を持って村の外へと三人を探しに出かける。
彼らは妖怪に喰われたのか?それとも村を見捨てたのか?不安で一杯になった村人達は必死に三人を探した。
そして、そろそろ腹も減る昼頃、山沿いの森にある洞窟で妙な呻き声を聞いた若者が村にいる者達の中でも力自慢の者を集め、洞窟に入るとそこには何故か縄で縛られた晴明と村長、行商人の三人が見つかった
しかしその容姿はたった一晩で見るも無残に変貌していた。髪の毛は一本残らず色が抜け落ち、白髪となり、頬は痩せこけ、目は血走り、頻りに何かに怯えている。
一体彼らに何があったのか?縄を解き村へ連れ帰り、事情を聴くと彼らは途端に喚きだす、三人同時に喚きだすものだから、聞き取りにくかったが要約するとこうだ。
自分達は着飾った虎を操り、夜に村人を襲わせることで恐怖を煽っていた事、そこに晴明が妖術師として現れ、追い返すように見せかけることで村人からの信頼を得て村長が主導となり、お布施として金をだまし取っていた事、村の外へ出ようとする者を襲っていたのは余計な噂を広げない為、村の外から来る旅人に対しては行商人が制限していた事、旅人が立ち寄った晩に妖怪が村人を襲わないのは村人に安心感を与え、旅人を逃がさないようする為、といったこれまで積み重ねてきた悪事を彼らは全て暴露した。
そして昨晩、旅人を襲った後、旅人から奪った金を数えていたら黒狼と白が現れ、虎を返り討ちにし、自分達を灯りの無い洞窟に一晩放置したことを告げた。
話を聞いた村人達は恐らく獣に襲われるかもしれない恐怖で彼らの髪の色は抜け、痩せこけたのだろうと推測すると同時に怒りが沸いた。
自分達はこんな奴らに騙されていたのかと、こんな奴らの酒や遊ぶ金の為に家族、友人が殺されたのかと、おまけに騙し取った金は殆ど使い切ってしまったので金が戻ってくることも無かった。
三人は必死に村人達に謝罪した、余程獣に襲われる恐怖が堪えたのだろう、しかし村人達の怒りは収まらなかった。
三人は村の中心に打ち立てた杭に縛り付けられ、石を投げられた。拳より少し小さい石だがそれでも人の手で投げれば顔は腫れるし、当たり所が悪ければ血も出る。
こうして身勝手な欲望と思い上がりによって、村人達を騙し続けた三人は裁かれることとなった。
そして、結果的に彼らの悪事を暴いた功労者である黒狼と白は_
「此処までくれば、もう大丈夫か?」
「だと思う、けど。」
村人達が必死になって二人を探す中、村から大分離れた草地で唐傘を背負った黒狼と薬や調剤する為の道具や材料が入った大きな籠を背負った白が村の方角を見ながら呟く。
既に村は目で見える距離にはなく、大分長い距離を歩いたのだが二人共息切れしている様子はない。
彼らは晴明達を洞窟に置き去りした後、普通に村の宿に帰ったのだが、翌朝になると朝食も食べずに笛の奏者にも内緒に荷物を纏めて村からこっそりと出ていった。
何せ悪事を行っていたとはいえ晴明は村では慕われていた妖術師、彼が行方不明にあれば村は騒ぎになるだろうし、もし見つかり嘘や出まかせを言われてしまえば自分達が悪人として捉えられてしまうからだ。
逃げる際に行商人の馬車を奪おうとも考えたが、それは流石に悪いので村人達に使ってもらおうと考え、徒歩で村から逃げ出した。
「さて、それでは此処でお別れか、申し訳ない。己の身勝手な憂さ晴らしに付き合わせた所為で。」
「ううん、元々私が勝手に着いてきただけだから、それよりも君にどうしても聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「聞きたい事とは?」
「うん、何で君はあの晩直ぐに妖怪が偽物だって気づいたの?そりゃあ確かに怪しい所はあったけど、普通なら妖怪だって信じないかな?」
白のいう事は尤もだ。確かに目釘を落としたことや金を奪っていた事は疑うべきかもしれないが、普通の人間なら灯りの無い夜に異形の存在をこの目で見て、襲われたとなれば異形の存在は妖怪だとあっさり信じてしまうだろう。
実際、村人は妖怪の存在を信じ、思考を放棄して妖怪の正体を調べようともせず晴明を信じたのだ。
「ああ、その事か、それは己の育った里の教えで、『汝、全てを受け入れよ、されど真理を求める事止めるべからず。』というのがあってな。」
「どういう意味?」
「要は、自分の目で見たことは否定せずに全て事実として捉えろ、しかし鵜呑みにせず、その事柄の真実を追求する事を止めてはいけない。という教えだ。」
「ふ~ん。」
黒狼の話を聞き、顎に手を当て何かを考える白。すると真面目な顔で両手で黒狼の手を勢いよく握る。
「ねえ!君。自己紹介の時に旅をしているって言ってたけど、その旅って何か目的や目的地がある旅だったりする?」
「い、いや、別にそういう旅ではないが、、、」
「だったら、君にお願いがあるの!」
僅かに見える目元は真剣そのもので、藍色の瞳が宝石のように輝いている。
「私の旅に、、、私の旅に用心棒として付いてきてくれない!」
「はっ?」
いきなり自分の旅に同行してくれと懇願してきた白、大して親しいわけでもない自分に何故そのような事を頼むのか?と黒狼が尋ねると白は自身の過去を語り始める。
「元々私はとある小さな村で薬師で医者でもある父さんと一緒に暮らしてたんだ。といっても、この髪と肌、目の色の所為で村の人達からは爪弾きにされていたけど。」
別の大陸から移り住んできた者を先祖とする白の家系は、その血を代々受け継ぎ、生まれて来る者は白い肌に金色の髪、藍色の瞳を持って生まれるのだという。
そして悪い事に白の住む村は排他的な村で異国の血を素とし、他の者と異なる外見を持つ白の一族を冷遇し、苦しい生活を強いられてきた、幼い頃には同い年の子供から石を投げられた事すらあった。
医療や薬の知識も元々は村に貢献し、村人に受け入れてもらう為だった。
「父さんの頑張りのお陰か、多少は受け入れられてきたんだけどね。それでも生活は苦しかったよ。でも、私が成長すると、また村での立場は厳しくなってね、ほら私こんな見た目だから、村の男や女の人達から色々ね。」
両手で抱きかかえるようにして自分の胸を持ち上げる白、日に日に美しく、女性的且つ豊満な身体つきに成長していく自分。別の大陸の血が混じっていたからであろうか、やがて白は村に住む女性の誰よりも美しく、色香を纏った女性へと変貌していた。
そんな白に村の男達は盛りのついた獣のような視線を、村の女達は嫉妬の視線を向け、村の雰囲気は悪くなっていく。
白や父の村の立場を利用して白との関係をせがむ男達に対し、白を売女と、人の男を奪っていく淫魔だと罵る女達、そうしていつの間にか白は村の不和を生む存在と村人から言われるようになってしまった。
「正直、私自身、村に対して愛着は無かっただけどね。それでも他に居場所なんて無かったから、我慢してた。そんなある日、村で肺炎が流行ったの。老若男女問わずに皆咳をして、苦しんで、重症の人に至っては血を吐いてすらいた。幸い父さんは特効薬の存在と製法を知ってたから、急いで薬の調薬に取り組んでた。私もそれを手伝ってたんだけど、一朝一夕で作れる物じゃなくね。そのうち父さんに助けを求める声が罵倒する声に変わっていた時にソイツは村に現れた。」
妖術師と名乗るその男は、苦しむ村人を見て悲しそうな顔をすると「病の原因は妖怪の仕業でこの村に妖怪を招き入れた者がいる。」と叫び、更に「自分が祈祷したこの水を飲めば妖怪の穢れを払い病は立ちどころに直る。」と言い、村人に高値で売りつけた。
碌に病人を診察もしていない癖に何を言っているんだと白は思ったが、村人はいつになっても薬を作ることが出来ない父よりも、その妖術師を信じ、金を払った。
無論、そんなので治るわけがなく病人は増える一方、しかし妖術師は焦る事なく病気が治らないのは妖怪を招きいれた者達がこの村にいるからだ、と嘯く。
そして、その妖怪を招き入れた者、それは白と白の父だと妖術師は言った。
「それからは罵詈雑言の嵐だったよ。父さんの説得に耳も傾けず、疫病神、恩知らず、他にも色々、結局父さんは村から追い出されて、私は村の男の何人からかは残ってもいいって言われたけど、目的があからさまだったから父さんに着いていった。追い出された先のボロ屋でも父さんは必死に調薬をしていたよ。本当さっさと見捨てれば良かったのにね。それで遂に特効薬が完成したんだけど、その時にはすべて遅かった。」
遂に完成した薬を手に急ぎ村に向って行った父と白、其処で見たのは血を吐き苦しみながら死んだ村人達と彼らから騙し取った金を嬉しそうに数えている妖術師の姿だった。
絶望で棒立ちになっている二人を尻目に、妖術師は横を通り過ぎ村から去り、そして去り際に良い金儲けが出来たと父の耳元に向って囁いていた。
「結局父さんはその時の無理が祟って亡くなって、村も消滅。残ったのは私だけってわけ。」
「成程、それは何と言って良いか、、、」
「ああ、気にしないで、、、その後私は父さんの知識を受け継いで色んな村や町を渡り歩いたけど、どれもこれも酷かった。金を騙し取るインチキ妖術師、碌に薬学や医学の知識が無い癖に治療に高値を吹っ掛ける藪医者共、そんな奴らに金を奪われた挙句に杜撰な治療で亡くなっていく人々、それを嘲笑う者達、本当に最悪だった。こんな奴らの所為で私や父さんが苦しんだのかって、だから私は彼らの悪事を暴こうとした、裁こうとした。けれど、私一人の力じゃどうしようもなかった、妖術師のインチキを暴こうにも、藪医者を裁こうにも、女一人の私じゃ敵わなかった。でも、そんな時君と出会った。」
「己と?」
「うん、ずっと襲われても返り討ちに出来るような腕っぷしが強い人を探してたんだけど、インチキ妖術師に簡単に騙されるような人じゃ意味がない、けれど君は腕っぷしが強いうえに目の前の事を受け入れた上で真実を暴いた。君なら私の求める用心棒にピッタリなの!ねえ、お願い!」
黒狼の両手を握りしめるようにして懇願する白、僅かに見える藍色は潤んでおり、赤く染まった頬と相まって、そこいらの女性では放てない色気を放っている。
「勿論、無料とは言わない。衣食住も保証するし、ちゃんと銭も払うから、駄目かな!」
ずい!と顔を近づけてくる彼女に黒狼は思わず後ろに下がってしまう、そして彼女の問いの返答は。
「白殿が己を雇う理由は分かった。確かに己もそのような者達がのうのうと蔓延っていると思うと反吐が出る。」
「じゃあ!」
「だが、申し訳ない。己は白殿の旅に同行することは出来ん。」
「そんな、、、なんで?」
昨夜の一件で黒狼が真っ当な正義感の持ち主である事に気付いた白は、彼が自分の提案を断るとは思っていなかったのか、絶望の色を浮かべる。
「事情は話せぬが、、、己の旅には誰かを連れていくことは出来ぬのだ。すまん、」
「そんな、、、で、でも!冷には晴明みたいな詐欺で人から金を騙し取ろうとする奴がわんさかいるんだよ!それで苦しむ人だって、、、」
「だとしてもだ、すまない。」
そう言うと黒狼は白の手を振りほどき、彼女の横を通り過ぎ去る。
「なんで、付いてきてくれるって信じてたのに、、、」
後ろから悔しそうな白の声が聞こえるが、黒狼は決して振り返らずその場を後にした。
白と別れてから大分時間が経ち、陽の光が赤く染まる頃、草地を通り過ぎ、河原へとやってきた黒狼は適当な石と枝を集め、火打石で火を付け焚火を始める。
今日は此処で野宿をしようと黒狼は準備を進める中、河原の近くに存在する林に向って一言告げる。
「いい加減、隠れていないで出てきたらどうだ?」
「おやおや、まさか拙の存在に気付かれるとは思いもしませんでした。」
「抜かせ、あれだけ殺気を放っておいてよく言えるな。」
「はっはっは、どうやら無意識に拙も血が滾っていたようで。」
木々の陰から現れた人物、長く伸びた髪を左右にかき分け柔和な笑みを浮かべる男性、彼は黒狼達と同じく行商人の馬車に乗り、今も村に残っているはずの笛の奏者の男だった。
「先程、白殿と一緒にいた時に襲わなかったのは、白殿を巻き込まない為か?」
「それもありますが、あのような遮蔽物の無い場所では拙の戦技は活かしきれませんので、それに、、、ああいや、これはこちらの話でして、そんな事よりもそろそろ日が暮れてしまいます。お互い手早く済ませて、野営の支度をしませんと。」
「そうだな、それでお主の名は?」
「名、ですか?それなら最初に名乗ったではありませんか?」
首を傾げる男、だがそれが態と惚けている事は明白だ。
「そっちの名ではない、號を聞いている。」
「ああ、そちらか、では改めて、”影ノ刃の兵が一人、號は夜啄木鳥、戦技、死突々キ(しつつき)”。さて拙は名乗りましたぞ、そちらは?」
「ではこちらも、元”影ノ刃の兵が一人、號は黒狼、戦技、血染ノ傘”。」
二人が名乗りを挙げると同時に、体の各部に刺青が浮き上がる。黒狼には狼の刺青が、夜啄木鳥には啄木鳥の刺青が顔に重なるようにして浮かび上がる。
「「いざ、参る!」」
そして黒狼は傘を、夜啄木鳥は縦笛をそれぞれ構え、二人の強者が対峙する。
冷の歴史の陰で暗躍し、発展に尽くしてきた歴史に名を残せぬ者達、”影ノ刃”、彼らの本陣は北に位置する冷の中でも最北端に位置する山中にある。
そこで生まれた赤子は生まれながらに”影ノ刃”として生きる運命と名の代わりとなる獣や虫の名をを関した號、そして己の武器となる戦技が与えられる。
やがて赤子が成長し、物心がつくと號に相応しい力を身に着けるべく、各地に点在する修練の場である山岳原野に振り分けられる。
黒狼の場合は、手足に鉄球が付いた枷を付けられた状態で獣が跋扈する山に放り出され、獣に喰われる恐怖に打ち勝ちながら、獣共と渡り合った。
そして山を下りる頃には黒狼は號に相応しい、狼の如き脚力と持久力、嗅覚を手に入れていた。
その後、師に唐傘を用いた戦い方を伝授され、一人前と認められた。
一人前となった兵は本陣に呼び戻され、全身に”獣力紋”もしくは”蟲力紋”と呼ばれる刺青を彫る。それは普段は見えないが本人の感情の昂ぶりによって現れる特殊な刺青であり、唯の一人前の証というだけではない。
”獣力紋”と”蟲力紋”には”影ノ刃”の秘術が使われており、強烈な自己暗示を使用者にかける作用があり、それにより使用者は肉体の枷を外すことが出来る。
人間は体への負担から脳が無意識に肉体に枷を掛けており、本来の力の数分の一も出せていない。だが秘術を使った”獣力紋”ならその枷を外し、人間が本来持つ圧倒的な身体能力を上乗せすることが出来る。
長年の鍛錬により得た獣の力、そして秘術により枷から解放された人間本来の力、この二つの力を以て”影ノ刃”の兵は一騎当千の猛者となるのだ。
「死突々キ・三射」
夜啄木鳥が口に咥えた縦笛を手元で回転させると笛の中に仕込んでいた和紙が穴を塞ぎ、吹き矢へと姿を変える。
そして夜啄木鳥が息を吐くと笛の先端から、鉄でできた小さい矢が三本勢いよく飛び出し、黒狼の頭へと飛んでいく。
「くっ!」
開いた唐傘を前に出し防ごうとした黒狼だったが、傘は構えたまま右へと大きく飛ぶ。すると”カンッ!”と大きな音を響かせて、黒狼の後ろに在った木に三本の矢が突き刺さる。
矢は深々と突き刺さり、木にヒビを入れている。まるで金槌で釘を打ち付けたようだ。
「吹き矢の威力ではないな。」
「拙の號は啄木鳥、拙の死突々キから放たれる矢は啄木鳥の如く木々すらも穿ちます。」
普及しだした火縄銃にも劣らぬ威力を発揮する夜啄木鳥の吹き矢に黒狼が呆れていると、夜啄木鳥が自慢げに告げる。
黒狼が狼の力をその身に宿したのならば、夜啄木鳥が手に入れたのは啄木鳥の力、幼少期から鍛え上げた肺によって吹き放たれる矢は、”獣力紋”によって枷から解放された力も相まって、啄木鳥の如く容易く木々に穴を開ける。
「さて、貴殿は何射まで耐えられますか?死突々キ・三射!」
再び放たれた矢に対し、傘を閉じた黒狼は前のめりの体勢で左右へと大きく横に跳ねながら距離を詰める。
確かにその威力は脅威だが、吹き矢という性質上どうしても点での攻撃になり、暗殺ならまだしも直接対面した状態なら、吹き矢の向いている位置から何処に放たれるのかは分かりやすい。
加えてジグザグに動くことで狙いを定まらせないようにする、そして先程まで三十尺程だった距離が二尺ほどまで縮まったところで黒狼は傘を開き、親骨に仕込んだ刃を展開する。
「せえい!」
「甘いですよ、死突々キ・速射。」
そのまま下から傘を振り上げようとした黒狼だが、彼の姿を捕らえた夜啄木鳥が冷めた目で吹き矢を向ける。
そして腰を傾け、自ら黒狼と距離を作り矢を放つ。
「くっ!」
慌てて上半身を反らし、脳天を狙って放たれた矢を避ける。河原の石に当たった矢が甲高い音を挙げながら跳ね、河へと沈む。
「よもや、死突々キ・速射を避けるとは、これは少々貴殿を侮っていたようです。」
「気にするな、相手を侮っていたのは己も同じことだ。」
距離を詰めれば勝てると思っていたが、相手も猛者である影ノ刃の兵の一人、近づかれた時の対策を既に持っている事に考えが及ばなかった自分を恥じる黒狼。
「ふう、そろそろ終わりにしましょうか、見せてあげますよ。我が奥義を。」
そう言うと夜啄木鳥は大きく跳躍し、木々の一本の内の太い枝を生やした木の上に乗り、懐から長方形の箱を取り出し、吹き矢の下に取り付ける。
「奥義、死突々キ・乱射!」
夜啄木鳥が叫ぶと彼の胸、いや正確には肺がまるで紙風船のように膨らみ、頬も破けそうな程に膨らむ。
そのまま自らの体内で空気に圧力を掛けると、吹き矢を咥え無数の矢を放つ。それは先程の三連射とは比にならない、この時代には存在しない機関銃の如き勢いでの矢の連射だった。
「さあ、いつまで耐えられますかな!?」
「くそ!」
捌ききれない矢の勢いに黒狼は傘で弾くことも出来ず、唯ひたすら距離を取る事しかできなかった。
(これで拙の勝利ですな!)
箱に入った数百にも及ぶ鉄の矢を自慢の肺で連射しながら、木々を移動する夜啄木鳥は自分の勝利を確信していた。
死突々キ・乱射、相手の頭上から時計回りで移動しながら、吹き矢を連射して包囲する夜啄木鳥の奥の手、だがこの奥義の本質は吹き矢で相手を仕留めることではない。
寧ろ吹き矢で放つ矢は囮、敢えて同じ感覚、向きから攻撃を続けることで相手に一定の法則があると誤認させることが奥義、死突々キ・乱射の本質だ。
そうして矢が切れ、攻撃が止まった瞬間、相手が次に攻撃が来るであろう向きに視線を向けた時、その反対方向から無防備になっている首元に笛に直接取り付けた猛毒を塗った針でトドメを刺す。
おまけに黒狼は開いた傘を回転させながら防御している。確かにそれなら広い範囲を防御できるが、視野が狭まり、必然的に攻撃が来る間隔を察する必要がある。
事実、最初は連射される矢に押されていたものの、間隔を掴んだのか、今は正確に矢を弾いている。それこそ夜啄木鳥の思う壺だとは知らず。
(我らの陣から逃げ出した裏切り者、嘗ての同胞としての情けです!一瞬で死なせてあげましょう!)
やがて箱に入った矢が尽きる、そうして止んだ攻撃に黒狼が次に攻撃が来る向きに視線を向けている間に夜啄木鳥は彼の背後から笛を咥えたまま、毒針を展開させ、迫る。
その姿は正に鋭い突きを繰り返す啄木鳥そのものだった。
(獲った!)
あと少しで毒針が黒狼の首の後ろに突き刺さる。もはや黒狼が死から逃れる事は出来ないと、夜啄木鳥が勝つと思われたその瞬間。
「ッ何!」
黒狼が振り向き、夜啄木鳥を睨む。
(馬鹿な!何故気付ける!)
足音は殺していた、姿も隠していた、だから気づかれるはずはない、それなのに黒狼はハッキリと夜啄木鳥を捕らえた。
「――ッッ!」
口を大きく開けた黒狼が声を発する、それは意味を持った言葉ではなく、かと言って感情を伴った叫びではなく、敢えて言うなら咆哮、獣の雄たけびのような物だった。
「がっ!ぐあっ!」
その咆哮を正面から喰らった夜啄木鳥の全身が、血管が、筋肉が震え動きが止まる。
「せえいっ!」
夜啄木鳥の動きが止まった隙を見逃さず、黒狼は閉じた傘を力の限り振るい、彼の胸部を殴り飛ばす。
「ごふっ!かはっ!」
親骨に刃を仕込んだ黒狼の特製唐傘は、普通の傘とは比べ物にならない程に頑丈で閉じた状態でも鈍器として機能する。
そこに”獣力紋”で解放された人間本来の力も加われば、骨を砕くなど容易い。吹き矢を放つ上で重要な役割を果たす肺を守る肋骨、それを砕かれた夜啄木鳥は殴り飛ばされた勢いにより、木に打ち付けられ、背骨にもヒビが入り、沈黙した。
「何故、拙に、ヒュー、気づいた?今の、ヒュー、、技、、は?ヒュー。」
「おい、無理に喋るな。」
立ち上がることが出来ず、横に倒れたまま苦しそうに呼吸する夜啄木鳥に黒狼は心配そうに視線を向ける。
「何故、?」
「ふう、己の號を忘れたか、己の號は黒狼、狼の如き脚力、持久力、嗅覚を持っている。例え姿形が見えなくとも匂いを辿れば、何処にいるかなど簡単に分かる。それと先程の技は”狼咆砲”という相手の動きを止める技だ。」
「止める、、、だと?」
「詳しい仕組みは己も上手く説明できないが、音というのは波で、万物は固有の波を持っているらしい。その波と同じ波の咆哮をぶつけることで相手を怯ませる。己の奥の手の一つだ。」
言葉で説明するのは簡単だが、実戦で行うとなると話は別だ。相手の体を震わせる程の咆哮を挙げるには桁外れの肺活量と声量が必要とされる。
「何とも、、、馬鹿げた、、、」
「お主の死突々キも大概、馬鹿げていると思うぞ。」
呆れたように笑う夜啄木鳥に近づいていく黒狼、自分に止めを刺しに来たのだろうと夜啄木鳥は考えるが抵抗はしない。
肋骨は砕け、背骨にもヒビが入っている。こんな状況で抵抗など出来るはずが無い。
「さてと、少し待っていろ、今添え木と痛み止めを用意する。此処では応急処置しか出来ぬ故、後で里の者に迎えに来てもらえ、どうせ遠くで見張っているのだろう?」
「待て、何をしている?」
だが、夜啄木鳥の予想は外れた。黒狼は近づきしゃがむと腰に付けている袋から包帯と塗り薬を取り出し、夜啄木鳥の治療を始める。
「貴様、何をしている!っぐふ!」
「こら、動くな。骨が砕けているのだぞ!」
先程まで殺そうとしてきた相手を治療するという、影ノ刃の兵からすれば馬鹿げた行為に夜啄木鳥が怒りながら黒狼に詰め寄るが、怪我の所為で激痛が走り蹲ってしまう。
「拙と貴様は互いに殺し合い、貴様が勝った!なれば貴様は拙を殺すべきだ!何故殺さない!」
「何故も何も、、、元から己はお主を殺す気は無かったぞ?」
「殺す気が無かっただと、、、?貴様ふざけているのか!我ら影ノ刃の掟を、生き様を忘れたか!我らら影ノ刃は殺すか殺されるかなのだぞ!」
冷の歴史の陰で暗躍してきた者達、”影ノ刃”。彼らの役割は”殺生による国の発展”のみ、ある戦では敵兵に紛れ込んだ影ノ刃の兵が、戦が始まる前に敵の大将の首を打ち取り、食料に毒を混ぜ、敵の軍に事前に打撃を与えた上で冷の軍が勝利しやすい状況を作り、またある時は敵国の政治の中枢となる人物の愛人として近づき、情報を盗んだ上で殺し政治を混乱させた。
更に言えば、冷の歴史において国に反旗を翻した者が極端に少なく、また彼らがすぐさま鎮圧されたのも町人に紛れた影ノ刃の兵の兵が敵国の間者や冷に反感を抱く者、獅子身中の虫を極秘裏に始末した上で、反旗を翻した者がどうなるかを見せつけているからだ。
彼らに共通しているのは唯一つ、殺人を手段としている事、彼らは己の手を血の赤に染めながら冷の発展に貢献してきた。
そんな彼らの掟は唯一つ、人を殺める以上、自らも殺められる覚悟を持つこと”殺すか殺されるか”だ。
本陣から抜け出しとはいえ、掟を守らない事、そして殺し、殺される覚悟で挑んだ自分を馬鹿にされたかのように感じた夜啄木鳥が激怒して、一言発するだけでも苦しい筈なのにそれを無視して黒狼を罵倒する。
「思い上がるのも大概にしろ!まさか貴様!此処で拙を助ければ、見逃してくれているとでも思っているのか!?そんなことありはしない!この傷が言えれば拙は再び貴様を殺しに向かう!拙だけではない!多くの影ノ刃の兵が貴様の命を狙う!それでも貴様は殺さぬと言うのか!」
「ああ、己はもう二度と人を殺めないと、不殺を誓った。そもそも己が本陣を抜け出したのは人を殺めないと決めたからだ。」
「殺す覚悟を持たない臆病者が!拙ら影ノ刃は裏切り者は逃がさない!貴様のその不殺の誓いは必ず、貴様の首を絞めるだろう!」
そこまで言うと夜啄木鳥は意識を失い、目を閉じる。
「言われなくても分かっている。それでも己は人を殺めぬと、不殺を誓ったのだ。」
漸く抵抗しなくなった夜啄木鳥の応急手当を済ませると、黒狼はその場を去っていく。”影ノ刃”の掟が”殺すか殺されるか”である以上、何処かに遺体回収の任を帯びた者達がいるはず、彼らに後の事は任せればいいと。
”影ノ刃”はその性質上、決して表の世界に知られてはならない存在だ。故に情報が外に漏れたりした場合は、その情報を知った者に刺客が送り、命を狙う。
それは徹底されており、対象を殺した後、本陣に遺体を持ち帰って確実に暗殺が成功したと確信が出来るまで、刺客を送り続けるほどだ。
そして、それは本陣生まれの影ノ刃の兵であっても変わらない、もし仮に兵が本陣を抜け出し、外の世界に向かったのならば、”影ノ刃”は同胞でも躊躇いなく刺客を差し向けるだろう。
「さて、次は何処に向かおうか?」
嘗て影ノ刃の兵として齢十八にして幾多の命を殺めてきた黒狼、不殺を誓い本陣を抜け出した彼の旅に目的地は無い。
彼の旅は苦悩の旅、日々差し向けられる刺客に殺さずに追い払い、誰も巻き込む訳にもいかず、当てのない一人ぼっちの旅路を続ける毎日。
しかし、それは彼自身が望んだ道故、誰にも止めることは出来ない。