もうひとりの被害者百合。
里のみんなと違う柄だからと両親からも虐められ挙げ句に追い出され途方に暮れ、餌も満足に取れなくて餓死寸前で倒れ込んでいたあっしに、自分だって今日食うのに困っているはずなのに握り飯を分けてくれて、人間から見て話せない動物が人間の言葉を使う自分に驚きながらも決して迫害しようとしなかった。そしてあっしに『たまき』という素晴らしい名前をくれたのも、この百合だった。
餌を分けてくれて親切にしてくれたこの子にいつか必ず恩返ししよう、そのためには異端な自分を受け入れてくれてかつ力を付けさせてくれるような人を探し出し教えを乞おうと思い、ほんの少しだけのつもりで旅に出やした。そのときも百合はあっしを笑って見送ってもらいやした……これが最期の別れになるなんて考えもしなかったっす。
柄のない自分を受け入れて力を付けてやろうと思ってくれる方に会うのはかなり難航しやした。それでも何とか師匠と呼べる存在を見つけることができたんです、ちょっと性格には難有りっしたが四の五の言ってらんなかったっす。
旅に出ると決めたあの日からいつの間にか五年経ってやした、あっしからすれば大したことのない時間っしたが人間からすればそれなりの年月であると知っていたあっしは師匠に無理言って一旦ここに戻ってきたんす。前に教えてもらったお家に人間に化けて向かってみれば廃れてボロボロになっている家。
近所の人たちに聞いてみると、当時思い出し苦々しい表情で団子屋の女店主はたまきに答えた。一年ほど前にこの家の財政が元々良くなかったところ更に落ち込んでしまい、一人娘を売って何とかこの呉服屋を繋いでいこうとしたがやはり駄目だったことを伝えられた。その一人娘こそ『百合』だとたまきはすぐに気付いて今はどこにいるのか聞けば、哀れんだ表情を浮かべながら答えた。
『売られた次の日、誰かに襲われたのか人売と何かあったのか、森のなかで朽ち果てた姿で見つかったのよ……』
それを聞いて心臓が張り裂けそうなほどに高鳴り、泣き出しそうなほどに傷んだ。震える声でその場所を教えてもらい、夜も更けるころで危険だと女店主の制止する声を振り払って思うがままに駆け出した。人がいなくなったころを見計らって変化を解いて慣れた四足で駆け出す。
息切れしながらも山を登ろうとしたとき、何故かたまきは立ち止まる。近くで野太い声が聞こえてきたのだ。たまきは耳を立てて声の主が気になって探した。
『くそ、手こずらせやがって!この糞餓鬼がっ!』
男の醜い罵声の後、ゴッと何かを殴るような鈍い音が近くから何度も聞こえてきてたまきは気付かれないよう木の影から覗き見る。川辺りに見えた影、よく目を凝らして状況を確認すると、そこにいたのはすでに事切れたであろう少女……はな子の足を鷲掴みにし、罵声を浴びせている男の姿。
自分がここに来るまでの間はな子は抵抗を続けていたのか、その小さな身体はどこもかしこも痣と傷だらけなのに、既に死んでいるのに、それでも男は執拗にはな子の身体を殴るのを辞めない。年端もいかない死んでいる子どもの足を掴み逆さ吊りの状態となっているはな子に対して暴言を吐いて暴力を奮う男の異常さに驚きたまきは動くことが出来なかった。
『くそ、可愛くもねえ不細工の餓鬼のくせに手こずらせやがって!てめえらみてえな親にすら不要とされて売られた奴らが舐めんじゃねえぞ!俺にはなぁ、お前らを好き勝手にする権利があんだよ!糞が!』
そう言い放って男ははな子の身体を乱雑に川へ放り投げ捨てた。はな子の力ない身体は川の流れに抗うことなくそのまま流されて行った。
『はぁ、はぁ……ざまあみやがれ。あー……そういや、前にもこういうのあったか。一年前のどっかの呉服屋の娘だったか?あれは美人だったな』
肩で息をしていた男がようやく満足したのか、恍惚とした表情を浮かべた後ふと何かを思い出したようで大きな独り言が聞こえてくる。それなりに年のいった男は何故独り言が大きいのだろうとたまきは常々思っていて普段は聞き流す、だが今の男の独り言の内容は丁度時期もどこの家なのかも特徴も同じだった。聞き耳を立てた。もしかしたら、こいつが。憎悪の混じった期待で胸がざわつく。
『どうやっても平伏そうとしねえから……ついやり過ぎた挙句死んじまったんだったか?』
当時を思い出しても何でもない口調で男はそう言い放った、自分の毛のすべてが逆立つのが分かった。
『あーまたあいつに怒られんのか、最近ガキも少ねえからどやされちまうし、俺も収入が減るし今後は控えるべきか。……いや、我慢は俺にゃあできねーや』
男はおかしそうに笑いながら歩き去る。自分の罪深い行いに男は罪悪感の欠片もなかった。百合のことを思い出したのは気まぐれて、男の脳内はすでに、否いつでも自分しかいない。己の私利私欲のままにあの男は百合や慣れた口調を見るに他の子どもたちも自分の欲望を押し付けてきたのだ。きっと楽しそうに、そして自分の意にそぐわなければこうして……かんたんに殺してきた。
(許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない!!)
カッ烈火の炎の如く熱くなる。激しい憎悪果てしない悲しみがたまきの身体を駆け巡り、たまきはそれに抗うことはない。そんな激情を抱え込んだままあの男にどう近づいてどう殺そうか考えながら山を彷徨いていた際、先程男に殺され川に流された幽霊となったはな子がたまきに引っ張られ、そのまま同調した。と思われる。
先程までの憎しみや悲しみ、苦しみはたまきだけのものではなくはな子のものも混じっており、憎悪が倍増され、たまきとはな子は一体化に近い状態となっており『鬼』に近い存在となっていたのだ。悲しき憎しみによってあの男と同じことをしそうになった自分たちに夜歌のおかげで気が付いて二人とも正気を取り戻せた。