約束の人。
「……?」
「起きましたか」
「ハッ!」
夜歌に抱えられた白い動物はパチリと目を開けこの場がどこにいるのか分からず疑問符を浮かべながら辺りを見回す、夜歌が声をかけると今現在何故か抱き抱えられてどこかに移動している。
「え、ここどこっすか、なぜにあっしはあんたに抱えられて……あれ、はな子は?はな子はどこっすか、というかどこに連れて行こうとしてるんすか!もしかして……あんたあっしを食うつもりですか!」
「落ち着いてください」
「うわわわわ!」
焦って暴れる動物に夜歌は静かにそう言ってパッと手を放す。動物はいきなり手を放されて臀部に風を感じて驚いたが、すぐにくるりんと一回転して無事に着地する。
「いきなり放さないでもらえます?!」
「あのまま暴れられたほうが危険ですから」
抗議する動物に夜歌は淡々と答えて「さあ行きましょうか」とだけ言って動物の前を歩く。
「ちょっ……どこ行くんすか!」
「あなたに会わせたい方がいるんです。ついて来てください、もう時間がないのであなたが聞きたいことは道中話します」
戸惑う動物に時間が惜しいと言わんばかりに早歩きで歩いていく夜歌。夜歌の言うことを聞く道理はこの動物にはない。前を歩く夜歌は後ろを歩いている己を見えないからどこに行くか分からない夜歌に付いていかず、このまま逆方向に進んだって良いはずだ。だが、
「ところであなたのお名前はなんですか?」
「たまきっす!」
「良い名前ですね」
「そりゃどーも!というか!どこ行くか教えてもらえないんすか!?」
「行ってからのお楽しみにしておきましょうか」
白い動物、たまきは急ぎ足の夜歌の後をついていった。そうしないといけない気がしたから、そうしないと、自分は後悔するような気がしてなからなかったから。そう思ってしまうのは野生の勘だろうか、夜歌がどこか焦っているように見えたからだろうか、たまきには答えは出ずとにかく夜歌についていくことを決めた。
「そうっすか……はな子ちゃん行ったんっすね……」
「はい、同調していたあなたにも影響が無く良かったです」
自分が気絶していた間のことを夜歌はたまきに聞かれるがままに答えた。たまきと先程の少女『はな子』はお互いもともと一切の関わり合いのない赤の他人だった、だが自身の全てをあの男に奪われ憎悪に塗れたはな子と大事なものを奪ったあの男に復讐を企てていたたまきがたまたま、はな子が亡くなった場所を通りがかりすっかり同調していたのである。そこにたまきもはな子も個人の意思というものはほぼ無くお互いがお互いを『自分』として認識していた、そのため時折たまきの口調になって時折はな子の口調になっていた、それに当人たちは気が付いていなかったのだ。夜歌と対話し憎悪に侵されていた自分たちがなにをしようとしたのか後悔して自分たちがやろうとしたことをしてはいけないことだと気づき、やるせない感情に飲まれ激情が収まったためたまきの肉体からはな子の霊魂が離れ、霊に取り憑かれていた状態のたまきは疲労から倒れそのまま気を失った。
(はな子ちゃん、良かった、最期は笑って行ったと言ってったすね……)
しんみりと心のなかでつぶやいた。一日も共にいなかったけれど、それでもまだ子どもなのに全てを奪われてしまった可哀想なはな子がちゃんと笑って行ってくれたのなら、自分としてもよかったと心から思える。
隣を歩く夜歌を盗み見る。表情も声音もたまきの意識があったときと一寸の違いもなく記憶通り無であり淡々としていた。今はな子のことを教えてもらっても夜歌の表情は変わらない。だけど、冷淡には見えなかった。そう、あの男に向けた視線がきっと冷淡……いや、冷酷というに相応しいだろう。そこまで考えてアッと思い出したように夜歌に問う。
「……そういや、あの男はあのまま置きっぱなしなんすか?」
「そうですね、朝が明けるごろまでは自分がしたことを味わうことになっていますので」
「えっと、発狂死しないっすか?」
「大丈夫です。ああいう輩は早々死にはしませんよ、妙に精神力が強いですからね」
聞いたことに考え込むこともなく淡々と言い切った夜歌にそっと体が震えた。
(聞いておいてあれなんすけど、その答えが妙に説得力があって怖いんすけど!)
「着きましたよ」
「はい!?」
美しい少女の見た目をしているのになんだか末恐ろしいものを感じて震えていたたまきに夜歌は目的地に着いたことを告げた。内心呟いたことに気付いて声をかけられたと思ったたまきは驚く。
「このまま真っ直ぐあなただけで歩いていってください」
「え、なんすか」
「さあどうぞ」
「ほんとうになんなんすか!?」
なぜか自分一人だけをこのまま進ませようとしてくる。訳がわからず聞き返してみても促してくるだけで何の説明はない。
「なかなか強引っすね!あーもう!分かりました、行けば良いんすよね!?」
「はい。行ってらっしゃいませ」
何回か聞き返してみてもこのまま行ってくださいとしか返さない夜歌についに諦めて茂みの潜り、言われたとおり真っ直ぐ進んだ。
(なんすか、もう!はな子ちゃんを行かせたときとあっしへの態度多分すけど、絶対違いますよね!?
もしや……罠?いいや、それにしては敵意が……でも怪しいし……うーん?)
ほんの少し疑いながらもそれでも律儀に言われたとおりにするところを見るにこのたまきは若く『疑い』という言葉を知っていても未だそれを活かせるほどの経験がついていないことがわかる。もっと疑い深ければこの場に留まり夜歌の様子を伺っていただろう、疑って夜歌の出方を伺えば呟いた言葉が聞こえていただろう。
「……最期の会話がどうか悔いがありませんように」
たまきがこの言葉が聞こえていたのならばすぐさま問い詰めるために夜歌のほうへと戻って行くだろうがたまきには聞こえずただ茂みをかきわけてまっすぐ進んだ。
「ぷはっ」
茂みからようやく出れて息を吐く。体感ではあるが少し遠かった。茂みの先にいるは何なのか、もしかして夜歌は手下で親玉の元へ誘ったのか……そもそもはな子さんを見送ったのは夜歌の嘘で強制的に行かせたのではないかもしくはあの少女が食ったのではないかと今更ながらそんな考えが浮かぶ。……やっぱり戻ろりましょう!なにがあるかわからないのに、のこのこと着いてきた自分が馬鹿っした!あっしは馬でも鹿でもないっすけど!!あっしは馬と鹿の見分けがつきやすけど!!せっかく出てきた茂みにまた潜ろうとくるりとその場から背を向け夜歌を問い詰めに行こうとした。
「たまき」
戻ろうとした自分を引き止めるように名前を呼ぶ声が聞こえて、金縛りにあったかのように固まる、驚きすぎて尻尾を逆立ててしまう。
その声はとても優しかった。その声はいつも穏やかだった。その声は、今も優しく穏やかで高いけれど落ち着く声だ。自分の名前を付けてくれたときと全く同じ、声。
「っぁ……?」
振り返る先にいたのは夜歌やはな子よりも身長が高く肉体の凹凸も目に見えて分かるが、まだまだ身体の出来上がっていない10代半ばの女性がせせらぐ川の前に立っていた。女性はたまきを見つめて微笑む。女性はたまきが自分の姿を認識したと分かると、緩く微笑んでたまきが来るのを待つかのように軽くしゃがんで両手を広げた。
……ここへ連れてきた夜歌が、幻覚を見せているのかもしれない。自分の記憶の中で一番鮮明に残っていてもう二度と見れないと後悔したあの笑顔を見せているだけで、自分が見ているものはただの幻で、あの子に近づいたら最後自分はもしかしたら化け物にバクっと飲み込まれてしまうかもしれない。
そうかもしれない、でもそうだとしても、自分はもう一度だけあの笑顔に会いたくてここまでまた来て、なのにこの笑顔を奪ったあの男が許せなくて少しでもあの子が救われるよう、少しでも自分の罪悪感が消せるようにと願いを込めてあの男に復讐を目論んでしまうほどに、自分はあの子に焦がれていた。だから、だから……っ!
「百合ぃ……!!」
なんでもいい!もしもこのまま自分が丸呑みされてむしゃむしゃと食べられてしまっても、ここまで自分を連れてきた夜歌と名乗る少女に騙されていたとしても、これが幻の類だとしても、それでも目の前にあの大好きな笑顔で両腕を広げて自分が来るのを待っている百合がそこにいる。それだけで良い。それだけでも、たまきは救われた気持ちだった。たまきは様々な可能性を頭の中で浮かんでは消しての繰り返しをしながらも身体は百合のもとへと駆け出す。
「たまき」
ドンッとたまきの身体に衝撃が走った、百合の身体にぶつかった。百合はやってきたたまきの身体をひょいっと持ち上げて、ぎゅうっと抱きしめた。たとえこのまま食われてしまおうともそれでもいいと思ったたまきはえぐえぐとその腕の中で泣きじゃくりながらも言葉を吐き出す。
「ごめんなさいっす、もっと自分が早くに戻ってきていれば百合を救えたかもしれないのに、その場から逃がすことができたのかもしれないのに……っあっし、なにもしらなくてぇ……!」
己を抱きしめる百合の腕を小さな前足でキュッと抱え込んで上ずった涙声で懺悔を繰り返し、勢いのままに後悔を口にした。