人もどき。
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「……この辺り、かな」
さわさわと風が草を撫でる音が聞こえる森林のなか、少女はひとりごちた。風の音で掻き消されるほどの小さな声だった。ここは村と村の丁度真ん中にあたる場所で、行き交う人間自体は多いほうだ。それは商人だったり旅人だったり籠屋だったりと様々だがとにかく昼間のうちは人通りが多い故に村村へと続いている地面だけは木は伐採され草花もあまり生えておらず安全な道と言っても過言ではないだろう。
ーーー昼間のうちだけならばそう言える。だが、今少女のいる場所は村と村の間、山を越えなければ行けない村でありさらに言えばもうすぐ日没を迎える頃である。夜は朝昼とは全く異なる世界となる。
『夜まで山で遊んでいれば妖怪にさらわれて帰れなくなる』
村に住む人間の誰もが知っている噂話。山の中、大人たちが働いている間の子ども達の格好の遊び場ではあるが、大人たちが散々言い聞かせているおかげか子ども……否大人さえも直に夜となる山道を通るものは現在少女以外誰も居やしない。風が葉をなぞる音と鴉の鳴き声、そして少女の歩く軽やかな音しか聞こえない。
大人でさえ昼間とは全く違う山の空気感に不気味に感じるはずだが、少女は暗がりに躊躇う様子ひとつ見せずまるで朝の散歩のようにまるで行き先が決まっているかのように迷いなく歩く。
山の頂上を越えた、下り道。歩いていた少女の歩みが止まる。
そもそも何故平坦な道であり獣などが出て被害にあったなどの話は聞かないのに『妖怪にさらわれてしまう』というどこにも根拠のない話が出るのか。ただの夜道が帰れなくるほどに危険ということを言い聞かせるために大人たちが子どもたちに作り話をしただけとも考えられないこともないが。
「おう、嬢ちゃんこんな夜遅くに出歩くなんて危険だぞ?」
「もしかしてお母さんにここに来るよう言われたのかなぁ?」
立ち止まった理由は、少女の目の前に普通の村人と呼ぶには雰囲気が少し違う、無精髭の生やした男と小奇麗な格好をしている男、互いに四十ぐらいの男性二人が少女の道を塞ぐように立ちはだかっていたからだ。
濃い無精髭を生やした男のほうが少女と視線を合わすよう屈んで馴れ馴れしく親切に問う。
「……。」
少女の顔に無精髭の男の顔が無遠慮に近づいてくる。先程まで日暮れいく山を歩いていたときは平気そうだったが、流石に怯んだのか自身の襟巻きを両の手でキュッと握りしめて無言で頷いて返した。その反応を見て後ろで様子を見ていた小奇麗な格好をした男は笑みを深めたのと同時に無精髭の男は少女の後ろに回り込みその細い身体を捕まえ、このまま米俵を担ぐようにし小奇麗な男がどこからか出したのか縄で両の手を縛り、声が出ないよう手ぬぐいを口に突っ込みそのまま端を後ろに結んで囁いた。
「そのまま大人しくしないとどうなるかわからないからね?」
先程までのわざとらしいほどに善人のような言動は嘘だと分かるほど冷めた声で少女に声をかけた。日暮れになれば何故子どもに夜山に入らないよう言いつけていたいたのか、何故大人までもいないのか。答えは簡単だった。
この山……山頂付近で親が手放さざる得なかった様々な事情により、言いくるめられてここにやってくる子どもを引き取る者たちがいる。その者たちこそこの男たちだった。子どもを引き取る、というのは慈善活動には傍から見てもそうは思えないだろう。現に質問に頷いてみせた少女を有無を言わさずに担ぐ始めたのだから。
ちなみに村に住む大人たちはこのことを知った上でこのままにしている。大人たち夜に行かないのはいくら赤の他人の子どもだとしても連れられていくのを見るのは気分は良くない。
子どもたちに夜山に寄らないよう言いつけるのは大事な我が子を人売に渡されないようにするためである。こうすれば世界はうまく回る。見て見ぬ振り、そもそも見なければ妖怪のせいだと片付けられるのだからわざわざ面倒ごとに巻き込まれるような真似をする者はいないだろう。
「?随分おとなしいな?」
「混乱しているんだろう、この間にさっさと連れて行くぞ。暴れられたら面倒だ。」
「おうよ!昨日のやつが泣きわめいて面倒だった上に幼過ぎるわ顔にそばかすがあったせいで良い値がつけられそうになかった上に運搬中逃げようとして足滑らせて川に落ちちまったんだよなぁ、全く厄介な餓鬼だったぜ……今回はどうだろうな。」
「今回は先に捕まえたのがそれなりの容姿だったし、こいつが外れだとしても何とかなるだろう。とりあえず住処に戻ってから顔を確認しておこう。」
「こんな暗がりじゃあ顔もわかんねえしな、おめえも出来れば美人であれよ!!そうすりゃ優しくしてもらえるだろうしな!!」
「……多少は、の差異ではあるけどな。」
「無いよかはましってもんだろ?」
なぁ!と無精髭の男は豪快に抱えている腕を動かして少女の腰あたりを数度軽く叩く。少女には抵抗するほどの気力がないようで微動だにしない 暴れる様子ひとつ見せないうちに、と男たちは少女を連れ帰る。最近では飢饉も戦もなく比較的平和になってしまい子どもを売る親が減ってきている、よほど碌でもない親でなければ好き好んで腹を痛めて生んだ我が子を売ろうとするなんて早々いるものではない。売られていくのが可哀想だからせめて寺に預けたいという情けを捨てることのできないのが増え男たちとしては腹立たしく感じていた。そのため今日だけで商品が二つも手に入ったことに浮足だっている男たち。
「……。」
自分が見知らぬ男たちにどこかに連れられているのに関わらず、大人しい子どもだとしてもあまりに静かで、その冷静すぎる瞳。静観している少女がそんな瞳をしていたなんて男たちは気づくことなくそのまま道から少し外れて獣道へ踏み入れた後、山を下り自分たちの住処へと向かっていく。
「ほう……、こいつもなかなかの上玉だな。今回は」
「おうおう別嬪じゃねえか!もうちっと年がいってたら俺も相手してもらうかと思うんだがな!!こりゃ、お前も高く売れそうだなあ」
住処へ戻ってきた男たちは明かりを灯しすぐ少女の顔を確認した。ぐっと顎を掴み無理矢理顔を上げさせじっくりと吟味した。無理矢理顔を上げさせられれば痛みでうめいてもおかしくはないが何一つ言わず目の前の男をじっと見つめている。男たちが喜ぶのは決しておかしいことではない。
今、男が言った通り少女は見た目こそ幼く齢十を超えるか危ういところだが、顔を見る限り傷や痣などもなく子ども故か間近で見ても毛穴は見えずきめ細かく柔らかくも張りのある肌、身に纏っているのが暗い色合いの襟巻きに着物と羽織によって肌の露出がほとんどないせいか顔や僅かから覗く首と手首が尚白く見えた。艶のある黒い髪がゆるりと揺れる何故かもみ上げ部分だけが長かったがそれは気にならなかった、指通りが良いのだろうと触らずともわかるほどに美しいが、それよりももっと印象深いのはその大きな瞳だ。
鼻が高くて小さな口もまるで彫刻家が作ったかのように計算され尽くされかのように整っているのだがやはりその瞳の印象には敵わない。少女の大きな瞳は深く穏やかな海かのような神秘的な青い色をしている。その職人が精巧に作られたような瞳は男たちをじっと映す。無言のままの少女に何も感じることなく小奇麗な男は無精髭の男に声をかける。
「なぁ、そろそろ人売として稼ぐのは限界だと感じているのだが」
「ああ?じゃあ何か堅気にでもなるつもりかぁ?」
冷静に提案してくる男にもう一方の男は声を低くして怪訝そうに聞き返す。堅気、普通に汗水たらして働いたり他人に媚びへつらって働いたりしながらも、収入もきっと半分ぐらいになってしまう。金遣いは荒いが苦労もしたくないと顔にありありと描かれている男にもう一方の男は呆れ顔だ。
「今更堅気には戻れんだろう。そうじゃない、ここらで娼婦としてこいつらを売らないか?丁度容姿が整っている女が2人いる。こっちのほうは未だ小さいし商品にならないが、まぁ小児趣味なら小銭程度に稼げる、もう1人のほうを主体に身体を売らせればそれなりの稼ぎになる、ここから商品を増やして金を稼いでいけば店を開業することだって出来るだろう。後々のことを考えればここらで安定を取るのもありなのではないかと思うのだが、どうだろうか」
「店を開業するまでの間俺に博打を我慢しろと言うんじゃねえだろうなぁ?」
「なに、ほんの少しの我慢だ。そのぐらい簡単だろう?少しだけ我慢すればこれから安定出来る、悪い話ではあるまい?」
「いーや、まだそんなことしなくたっていいだろ」
「そろそろ視野に入れたって遅くはない、寧ろこういったことは早くに決断するべきだ」
「いやだ」
「おい、」
「嫌だっつってんだろ。もうこの話は終いだ!」
断固として頷くことはなく、尚も説得を試みようとする小綺麗な男を一蹴する。無精髭の男の態度に眉を寄せわざとらしく大袈裟に溜め息を吐く。
「……いつもお前はそうだな、目先の欲望ばかりで先のことは考えていない」
「俺からすりゃてめえ頭硬すぎて面倒くさいもんだけどなぁ」
「……低脳の貴様には分からんことだろう」
意見の相違により男たちに取り巻く空気が不穏なものへと変わっていく。無精髭の男は好戦的で今にも殴り掛かりそうで、挑発され小奇麗な男も先程まであった余裕はなくじっとりと睨む。
「……」
壁端に座らされ縛られた少女は男2人を静観する、大きな瞳は争おうとする2人をただ冷静に映した。2人を見ている瞳は哀れんでいるとも蔑んでいるともとれる。
「ハンッ!もういい!」
「おい、どこに行く!」
「もうお前にはついていけねえぜ!こいつは持っていく、もう1人のほうは好きにしやがれ!」
ついに言い争いに埒が明かないと無精髭の男は2人の言い争いを静観していた少女を担ぎ扉を開け放ちそのまま出て行ってしまった。肩に軽々と担がれた少女、やはり表情は変えず悲鳴も上げなかった。だが少女の視線だけは別のところに向いていた。
男2人の住処のなかを、いやもっと後ろ。小奇麗な男の方向をいいや、もっともっと後ろの方向。家の中の奥の扉の先を見据えていた。
「あの分からず屋め……商品を持って行きやがって。まあいい、こっちにはこいつがいるしな。あの馬鹿とやっていくのはここらで限界だろうな。こうなったら1人でもやってやろう、明日から本格的に始めるか」
家に残った小奇麗な男は息を吐いて隣の扉を開けた。
「……おい?どこにいった……!?」
散々もう1人女がいると男たちは言っていた。先程までいた部屋にはいないので当然隣の部屋にいることとなるのだが、男が扉を開けてもそこは蛻の殻。静寂に包まれている。
(柱にくくりつけていた状態で逃げられる訳がない……!)
誰もいない部屋に驚き中に入り女の姿を探す。女を縛っていた柱の近くには縄が散らばっていて、男の頭が混乱する。首を左右へと回し確認しながら部屋の丁度真ん中辺りに着いた、そのときだった。どこか一点を見つめた状態で、眼を見開き固まってヒュウと息を飲んだ。まるでなにか不可思議なものに出会ったかのような反応だった。
「ぐぁ?あ、ぎぃやああああああ!!!」
男の悲鳴を上げて、すぐさま痛いほどの静寂に包まれた。傍から見て家に異常はない。何事も無かったような静けさだ。だが暫くすると一人分の足音が小さく聞こえてくる。ぺとりぺとぺと、裸足の足音が家のなかを歩く音は玄関へと向かって行き、外に出たのかそれ以降音は聞こえなくなった。