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09. その楽園の名は猫カフェ

 日曜だからか猫カフェには大分人がいたものの、待ち時間なく入れた。

 飲みものを取ってから猫がいる広い部屋に入って、そして橘さんと顔を見合わせる。……二人してほわっと緩みきった顔をしていた。


「想像以上ですね、猫カフェ……」

「めちゃくちゃ癒やし空間だね……」


 なんて言っている間にも、足下を猫が通っていく。毛の長い白い猫だった。あっ、オッドアイ。顔は不細工だが、それが可愛かった。

 抱っこしたり無理に追いかけるのは駄目だそうなので、ひとまず橘さんと一緒に椅子に座る。時計を確認すると、ごはんタイムまではあと五分ほどだった。その間は近寄ってきた猫にだけ構ってもらおう。

 歩いている猫もいれば、二匹でじゃれあっている猫もいるし、我関せずといった様子で端っこで爆睡している猫もいる。

 猫がいっぱい。可愛い。いっぱいいる。駄目だ、思考がバグる可愛さだ。

 橘さんがはしゃぎ声を出しながら指を差す。


「椿さん、あの子! ちっちゃい! 可愛いです!」

「あ、ほんとだ。でもここって子猫はいなかったはずだし、あれでももう大人なのかな……? 可愛い……」

「わーっこっち来た、来ましたよ、椿さん!」


 目をキラキラさせた橘さんは、すっかり呼び名が『椿さん』に戻ってしまった。今それを指摘するなんて野暮な真似はしないけど。

 とてとて歩いてきた小さい茶トラは、「にゃぁん」と甘えた声で鳴きながら、座っている俺たち二人の足にすりっ、すりっと身をこすりつけた。ぴんと立ったしっぽがほんの少しだけ足に巻き付けられ、すぐに離れていく。


「~~~~っ」


 橘さんが声にならない声を上げて悶えた。

 猫は椅子の脚にも顔をこすりつけた後、ぴょんっと俺の膝に乗ってきた。軽い重みが足の分だけ、四つ。太ももの上でもぞもぞと動いていた猫は、どてっと体を倒した。


「……ど、どうしよ橘さん、のられちゃった……あったかい……ふわふわだ……」


 魅力的な毛につい手を伸ばすも、猫は嫌がらなかった。

 そろーっと頭をなでて、顎の下をなで、耳の裏をかき、背中を一なでしてみる。最後の背中はお気に召さなかったようで、猫はしっぽをぶんっと振った。でも下りようとはせず、俺の膝にのったまま香箱を作った。猫の香箱座りとは、前脚を折り曲げて胸の下にしまう、めちゃくちゃ可愛い座り方のことである。

 そっと前脚と前脚の隙間に指を突っ込んでみたら、その指をぺろぺろと舐められた。か、可愛い……ざりざりしててちょっと痛いけど……。これって遠回しにやめてほしいってアピールされてるのかな、と思いつつも、懲りずにそのまま指を動かしてみたらがぶりと甘噛みされた。


「あああ、ごめんね、嫌だったよね……。でも甘噛みで偉いねぇ」


 慌てて頭をなでても、猫様はぶん、ぶんっとしっぽを振った。ご機嫌斜めだ……なのに下りない……え、猫カフェの猫ってこんな人懐っこいの? この子だけ?

 ごめんねー、とこしょこしょなでれば、ようやくトラ猫は機嫌を直してくれたようだった。顎までぺたんと俺の太ももにつけて目をつぶる。もうちょっとでごはんなんだけどわかってるのかな。

 寝るつもりなら構い過ぎるのも可哀想なので、他の猫たちを眺めようと顔を上げる。――橘さんがスマホを構えていた。


 あっ、という顔をした橘さんはボタンを押す。ぴろんというこの音は……動画……を撮り終わった音……? 猫に夢中になってたせいでいつ撮り始めたのかわからなかった。


「す、すみません、可愛かったのでつい! 無断で動画を!」

「あはは、いいよ全然。どんな感じで撮れた? 俺にも後で送って」

「えっ」


 濁点がついたような「えっ」だった。何だろうその反応。

 橘さんは焦ったように首を振る。


「いえ、あの、私動画撮るの苦手なので! 大分ぶれぶれですし、上手く撮れていないので、送るのはちょっと……」

「えー? むしろそういうのが面白いと思うんだけどな」

「だめですだめです、猫があんまり映ってませんし!」

「それどんな撮り方したの?」


 動いてる猫ならともかく、膝にのってる猫なんてすごい撮りやすくないか? 

 どんな動画になっているのかすごい気になったのだが、橘さんは断固として見せてくれなかった。残念。


 そうこうしているうちに、猫たちが一斉に同じ方向へ向かい始めた。ごはんの気配を察知したらしい。皆しっぽを立てていて眼福だった。

 にゃーにゃー鳴いてて可愛いなぁ。

 ちょっと遅れて、俺の上にのっていたトラ猫もそっちに向かった。


「あぁ行っちゃった……」

「でもごはんタイム楽しみですね……!」

「だね」


 わくわくと見ていれば、スタッフのお姉さんたちが餌を持ってくる。そしてそれを一列に並べ始めた。待ってましたとばかりに食べ始める猫たち。また動画を撮るつもりなのか、橘さんがスマホを構える。

 猫たちの食べる向きは最初はぐちゃぐちゃだったが、スタッフさんたちに抱き上げられ、皆同じ方向に揃えられていった。一匹の前には一つの器で、他の器から食べようとする子がいないのが偉かった。

 一列に並んで、皆同じ方向を向いてごはんをがつがつ食べていく猫たち……こんな至福の光景があっていいんだろうか。


「これはやばくない……? 可愛い……」

「やばいです……楽園だ……」


 あ、一匹食べるの下手な子いる。足が短めのサバトラ。食べれば食べるほど器を顔で押し出してしまって、どんどん前に進んでいた。スタッフさんに位置を戻されてもまた前進してしまう。可愛い。

 まだ食べ終わってないのにごはんの列から離れていく子もいて、そういう子のごはんは、自分の分を早く食べ終わった子に食べられていた。ちょっとおデブだなあの子……いつもこんなことしてるんだろうか。健康的には大丈夫なのかな。

 至福の時間は数分で終わったが、数分とは思えない満足感だった。


「これだけでも来た甲斐があったって感じだ……橘さん、誘ってくれてありがとう」

「いいえ! こちらこそ、一緒に来てくださってありがとうございました! 色々と可愛いものが見られて幸せです」


 お互いもう帰るかのような言葉だが、一応一時間はここにいるつもりだった。最大の山場は終わったけど、のんびり猫たちを眺めるのもそれはそれでいいだろう。猫って何時間見てても飽きないし。


「一匹、食べるのすごい下手な子いましたよね!」

「いたねー、可愛かった!」

「すっっごく可愛かったですね。あの子だけアップで撮っちゃったんですよ」


 そう言って、今度はあっさり動画を見せてくれる。一列に並んだ猫たち、からのどんどん進んでいくサバトラのアップ。


「あー、やっぱ可愛い」

「可愛いですねぇ……ほんと可愛い……」

「っていうか橘さん、全然動画下手じゃないじゃん。手ぶれもないし」


 それになんでさっきの動画は駄目で、こっちの動画は見せてくれたんだろう。

 首をかしげる俺に、橘さんはぎくりと顔をこわばらせて、「さっきは本当にとっても、すっごく失敗しちゃったので……」と空笑いした。嘘っぽい……でもまあ、見せたくないっていうなら無理に見るのも悪いし、いっか。

 さっきの茶トラはどこにいるかな、と見回せば、他のお客さんの足下ですりすりしていた。やっぱりあの子人懐っこいなぁ。もう一回来てくれないだろうか。


「椿くん、今度は白猫ちゃんです」


 その声に足下を見れば、オッドアイのあの白猫が歩いていた。白猫は特にすり寄ってきたりもせず、橘さんの足から十センチほど離れたところでくつろぎ始めた。そわっとする橘さん。

 目をつぶった白猫を見て、橘さんは椅子から立ち上がって床に座り込んだ。そして優しくその背中をなで、ふにゃりと笑う。


「この子、すっごい毛がふわっふわです……椿くんもさわりませんか?」

「二人でさわって嫌がらないかな……」


 ちょっと不安だったが、俺も一緒に座り込んで白猫の首の後ろを指でなでる。わ、ほんとだ、ふわっふわだ。さっきの茶トラよりも毛質が柔らかい。

 頭のてっぺんや耳の裏まで、指で掻くようにしてひたすらなでていると、近くをなでようとしていたらしい橘さんの手とぶつかった。「あ、ごめん」と謝る俺に対して奇声を上げる、かと思いきや。

 橘さんは無言のまま顔を背けると、ゆっくり手を引き、もう片方の手でそれをきゅっと包み込むように握った。そしてぽそぽそと小さな声で言う。


「……す、み、ません、今のはわざとです……」

「え、あ、そう、なんだ?」

「すみません……」

「いや、うん……別に、大丈夫、だけど」


 橘さんは耳まで赤くなっていた。

 ……わざとだったのにここまで恥ずかしがるとか、ほんとこっちまで恥ずかしくなってくる。これが計算だったら恐ろしいけど、たぶん素だよなぁ。

 二人で真っ赤になって固まっているうちに、他の猫が白猫にちょっかいを出してきた。ぱっと起き上がった白猫は、その猫と喧嘩っぽくじゃれ合いながら走っていってしまった。





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