08. 褒めすぎ注意報
パステルピンクのオフショルダーのワンピース。
大きめの金色のボタンが、少し長めのワンピースの上から下までを飾っている。袖と裾にはレースがあしらわれていて、確かに一昨日言っていた橘さん好みな感じのワンピースだな、と思った。
肩には上品なデザインの茶色いショルダーバッグを下げ、髪の毛はハーフアップで、赤いリボンのバレッタで留められていた。白い靴は少しヒールが高くて、いつもと目線が違うのが新鮮だった。
――というのが、今日の橘さんの服装である。
予想どおり、というか予想以上に、めちゃくちゃ可愛い。おまけにうっすらと化粧までしてくれているのか、本当に眩しいくらいの可愛さだった。
対して俺のほうといえば、結局白シャツに黒スキニーという面白みのない格好。……こんなんで隣歩いて本当に平気かなぁ。
「おはよう、橘さん」
「おはようございます」
待ち合わせ、といえるものでもないが、待ち合わせは玄関の前だった。お隣さんなんだからわざわざ駅で待ち合わせる必要もないよね、という話になったのだった。
橘さんの格好を、失礼にならない程度にじっと見る。
パステルピンク、なんて表したけど、これが桜色だとして。バレッタは赤で……気のせいでなければやっぱりこれはもしかして、俺が好きだと言った色を使ってくれてる、よな?
金曜日の会話の流れを思い返すと、その予想は正しい気がした。というか十中八九正しいんだろうけど……そうだったら、少し、照れる。
橘さんは何かを期待するような、嬉しそうな顔で俺のことを見ていた。しかしふと曇り顔になって考え込み――ぱちっと俺と目が合った。
「びゃっ!?」
「えっ、ご、ごめん? 見すぎだった?」
「いえいえいえ!! そんなことは! こちらこそ過剰に反応してしまってすみません!」
顔を赤らめて謝った橘さんは、視線を俺のシャツへ向ける。そして今度はちらっと自分のワンピースへ。
……この反応は、やっぱり。
そう思うものの、直接訊く勇気はなかった。橘さん、引っ越しの挨拶に来てくれたときも確かピンクの服着てたし。それに、橘さんに似合う色だ。他意はないのかもしれない。
でもどうにも、橘さんも「もしかして」と思ってそうな顔なんだよな……。とはいえ俺のほうは白シャツなんていうシンプルすぎる服だから、なかなか判断が難しい、とか?
まあ、玄関前で二人して立ち尽くしていたってどうにもならない。早く出発しなきゃ。今日は開店後すぐの猫カフェに行って、猫たちのごはんタイムを見学する予定なのだ。
でも出発前に、と口を開く。
「この前も思ったんだけど、橘さんってピンク似合うよね。ピンクっていうか、たぶんパステルカラー全般似合うのかなぁ。優しい感じが橘さんの雰囲気にすごい合ってると思う。
あと、髪もまた違う髪型にしたんだね。やっぱりそれも似合ってる。そうやってリボン付けてるとお嬢様っぽい……ってお嬢様か。うん、でもいつもとちょっと違う印象で可愛い。化粧してくれてるっていうのもあるかもなぁ。いつも可愛いけど、今日はほんとに可愛い」
橘さんはこれを『デート』と言った。となれば、俺のためにオシャレをしてくれてきた、というのは明白なわけで。褒めないわけにはいかないし、そもそも勝手に褒め言葉が溢れてくる。
だって本当に可愛いのだ。可愛いとしか言わないのもなぁ、と思って違う言葉を使おうとしてみたが、結局ほぼ可愛いとしか言えなかった。もうちょっと俺に語彙力があればよかったんだけど。
それでも橘さんにとっては十分な褒め言葉だったのか、恥ずかしそうに呻き声を上げる。
「ん、んん、んんんん……っ。ありがとうございます……ほ、褒めすぎだと思います……」
「あー、やっぱりあんまり褒めないほうがよかった?」
……『似合ってる、可愛い』くらいにしておいたほうがよかったかな。いや絶対そっちのほうがよかったよな。付き合ってもない女の子の服装をこんな細かく褒めるとか気持ち悪いし失礼だ。うわ、なんで褒める前に考えつかなかったんだろう。
気持ち悪がられなかったにしても、迂闊にこんなに褒めたら……期待を、持たせてしまうことになるかもしれない。少しも答えが出せていない今、そんなひどいことするべきじゃなかった。
軽く後悔していると、橘さんはぶんぶん首を振った。
「いえっ! そういうわけでは! 褒められること自体は嬉しいので! あっ、もちろん椿くんに好かれてるんじゃとかそういう失礼な期待は持ちませんのでご安心ください! ただちょっとだけ手加減をしていただきたいなーと! 思うわけでして!!」
真っ赤な顔で主張する橘さんに、なんか俺の考えてることお見通しって感じだなぁ、と感嘆しつつ、うーんとちょっと唸る。
手加減。……してほしいのはむしろこっちなんだよな。俺もそこら辺を言っておくか。
「それなら橘さんも手加減してほしいな。告白されるのとか慣れてないし……この前の耳打ちのとか、かなり、その、恥ずかしかったっていうか……照れちゃったし、すごい動揺しちゃうから、できればもっと恋愛初心者に優しくしてほしいなーって思うんですが」
「……それは、椿くん、逆効果です。すみません、私はもっと椿くんに照れていただきたいですし、どんどん動揺していただきたいんです……! なので今のままでいきます! 本当にすみません」
「えっ、じゃあ俺も手加減しないよ!?」
「ええっ、あ、う、うー、うぅ、そ、こは、私が頑張ります! 頑張って耐えます!」
謎に張り合ってしまった俺に、けれど橘さんはそんなことを言ってきた。
ええええ? なんでこうなるの? 照れる橘さんを見ると俺まで照れるから却下してもらいたかった……。
納得いかなかったが、さすがにそろそろ出発しないと時間が厳しいかもしれない。仕方なく諦めることにした。
「ならもう俺も我慢するけど……えっと、行く?」
「そうですね……! 行きましょう!」
二人でぎくしゃくと廊下を歩き、エレベーターで一階に下りる。横目でほんの少し橘さんを窺って、いつもは見えない白い肩が見えることに少しどきりとする。あんまり見ちゃいけないな、とこっそり慌てて視線を逸らした。
相変わらずの可愛さに気後れしてしまいそうだ。っていうかもうすでにしてる。あの子可愛いのにあんな男と一緒にいるなんて趣味悪い、とか道行く人に思われませんように!
そう願いつつマンションを出て、駅へと向かい始める。と、そこで少し問題が起きた。
「橘さん、俺に車道側歩かせてほしいんだけど……」
「いえ、私がこっちを歩きます」
「うーん、実は俺、人の左側にいないとなんか落ち着かないんだよね」
「私もそうなんです!」
なぜか、車道側をどっちが歩くかで揉めることになった。ここは男である俺が車道側だと思うんだけど……この考え古いのかな……。一緒に登校したときはほとんど広い歩道がある道しか歩かなかったから、特に何も気にせず歩けたんだけど。
さっと車道側に移動しても、すぐさま位置を交換させられる。意外なほど強引に。
頑なな橘さんは、きっぱりと真面目な顔で言った。
「椿くんは私の右側にいてください!」
「……どうしても?」
「どうしてもです!」
なんだか必死なその感じは覚えがあった。告白してきたときと似ているのだ。……たぶん何か、理由があるんだろうな。
そう結論づけて、大人しく車道側を譲ることにした。「わかったよ」と承諾した俺に、橘さんはほっとしたように「よかった」とつぶやいた。
でもやっぱり色々納得いかなかったので、駅までの数分、俺は橘さんを褒め続けた。服装や髪型の細かい部分、可愛い格好をしてきてくれた橘さん自身のこと、色々。
さっきの様子なら、盛大に照れられることはあっても引かれることはないだろうな、と思ったのだ。期待もしないって言ってくれたし……なんていうのが甘えなのは、わかってるんだけど。
「椿さ……くん、ほんと、怖いですね……」
ずっと一方的に褒め続けたせいか、駅に着く頃には橘さんは心底恥ずかしそうなぐるぐるした顔をしていた。視線があちこちに泳いで、一度もこちらを向かない。……でもやっぱり、嬉しそうだな。
褒めてるときは褒めることだけに集中してたけど、それを認識すると遅れて照れが来た。いや、橘さんは褒めるところがいっぱいあって楽しかったんだけど。それはそれとして、照れる。
ともかく、意趣返しは成功のようだった。大人気ないことしちゃったな、と改札を通りながらちょっと反省。
「ごめんね、出かける前から疲れさせちゃって」
「つ、疲れてはいないですよ!? 耐えました、から! もっと褒めてくださっても構いませんよ!」
「褒めてる俺が照れたくらいなのに、耐えられた橘さんはすごいなぁ」
耐えられていないのは丸わかりだったので、からかい混じりに返す。橘さんは「そういう褒め言葉は求めていませんでした!」とますます赤くなった。
ちょうどいいタイミングでやってきた電車に、二人で乗り込む。
「……椿くんって、人を褒めるのがお好きなんですか?」
「うん? うん、好きだな」
表現力も語彙力もなくて大体陳腐なことしか言えないが、褒めるという行為自体は得意だ。人を褒めるのは楽しい。
「まあでも、褒めすぎると引かれるからいつもは控えめにしてる……つもりだよ? 今日は何も気にせずに褒めたけど」
「ぐっ……恐れ入りました……」
へんてこな返しに思わず笑ってしまう。恐れ入りました、って普通の会話で使う言葉じゃないよね。
橘さん自身もそう思ったのかふふっと笑って、そして、何か心配事があるかのように視線をわずかに揺らした。
「……好きになったのは、いつ頃でしたか?」
「えー、いつだろう。もう覚えてないなぁ。かなり昔からそうだったけど……」
褒めた後に、相手が見せてくれる表情が好きだった。驚き、嬉しさ、照れ、そんなものが滲む表情。ありがとう、とお礼まで言われたらそりゃあもう嬉しい。
「理由とか、あったりするんですか?」
「……褒めると皆が嬉しそうにしてくれるのが嬉しいから、かな? 嘘っぽいかもしれないけど」
「いえ、そんなことは! でも、その……それだけでしょうか?」
「うん、大雑把に言えばそれだけだね」
大雑把じゃなければ他にも理由はあるけど、言うほどのことでもない。
だけどなぜか、橘さんは「そうなんですね」と腑に落ちない様子でうなずいた。