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06. ちぐはぐ共通点

「椿くんと私の名前って、なんだか似てますよね」


 水曜の昼、俺のクラスで一緒に弁当を食べながら、橘さんはそんなことを言った。

 結局教室で食べているのは、屋上や中庭で二人で食べるとカップルっぽさが増してしまうので、まだこっちのほうがマシだろうという判断である。勘違いを煽るような行動は避けたい。……まあ、すでに大分噂になってはいるみたいなんだけど。

 てっちゃんは少し離れたところから、たまに俺たちを見守るような視線を向けてきていた。


「似てる、かな?」


 橘きょうかと椿咲良。……確かに橘と椿は、なんとなく似てるかもしれない? どっちも植物だし。

 しかし橘さんの説明は、俺が考えた理由とは違った。


「私たちって、名字と名前がちぐはぐじゃないですか」

「……きょうかさんって漢字ではどう書くの?」

「きょっ……ふ、不意打ちはやめてください……」


 照れたように斜め下を見る橘さん。……あ、名前で呼んだみたいになったのが悪かったのか。いやでも、不意打ちって意味では橘さんのほうがたちが悪いと思う。昨日の別れ際のこくは――これは考えるのをやめとこう。俺まで橘さんを見れなくなってしまう。

 気を取り直したように、橘さんは咳払いをした。


「杏の香り、と書いてきょうかです」

「あー、なるほど、だから『ちぐはぐ』なのか」


 橘は確か、みかんとかそういうのだったはずだ。それと杏じゃ、確かにちぐはぐだ。椿とさくらがちぐはぐなように。


「ちなみに俺のは、花が咲くに良いって書いてさくらだよ」

「そうなんですか? 花の桜かと思っていました……」

「普通そっちだと思っちゃうよね。母さんもほんとは花の桜にしたかったみたいなんだけど、名字も名前も漢字一文字になるのは嫌だったみたいで……結婚して自分がそうなったからさ」

「ああ、菫さん」


 橘さんが納得の声を上げる。

 母さん以外の椿菫さんには申し訳ないけど、個人的にはなかなかにバランスの悪い名前だと思うのだ。橘さんの言う『ちぐはぐ』でもあるし、姓名合わせても漢字二文字だし。そこに気を違うくらいならさくらにするのもやめてほしかったけど、そこは譲れなかったらしい。


「あと、もう一つ共通点があるんですよ。さくらを花の桜だと考えると、桜も杏もバラ科なんです」

「え、そうなんだ。桜がバラ科は聞いたことあるけど、杏が何科とかは考えたことなかったな……」


 さすが橘さん、花とかまで詳しいんだな。

 へー、と感心していると、橘さんは口ごもった。


「あー、えっと、実はこれは、椿くんのお名前を知ってから調べたというか……ちぐはぐっていう共通点だけでも嬉しかったんですけど、もっと何かないかなぁと思って調べたらどっちもバラ科で、更に嬉しくなってしまったというか……」


 つまりはバラ科っていう共通点のほうが、今日の話の本命だったってことか。嬉しかったから人に話したくなった、という気持ちはわかる。

 照れをごまかすためか、橘さんはやや早口に続ける。


「とはいっても妹の名前にも杏っていう字が入っているので別にそんな特別感とかがあるわけでもないんですけどねっ!」

「妹さんの名前はなんていうの?」

「杏に奈良の奈であんなです」

「おー、可愛い名前だ」


 素直な感想を言ってしまってから、あ、まずかったかな、とひやりとする。好きだと言ってくれている女の子の前で、妹とはいえ他の女の子のことを褒めるとかデリカシーがなかった。

 しかし幸いにも気にした様子はなく、橘さんは「ですよね!」とうなずいた。


「それに杏奈って、海外でも通じやすい名前なんですよね。杏香も発音しにくいってほどではないんですけど、杏奈ちゃんほどではないので、ちょっと羨ましかったりします」

「そういう視点もあるのか……橘さんたちって、結構外国の人と話す機会あったりするの?」

「あー……それなりに、ですね。でもそんなに多くはないですよ! だから、その……もし見当違いなことだったら申し訳ないんですが、違う世界の人だな、とか思うのはやめていただけると嬉しいです」


 勢いをなくし、ちょっと不安げな表情で言う橘さんにぎくっとしてしまう。まさにそう思っていた。やっぱり住んでる世界が違うんだなぁ、って。

 ……そう思うこと自体はやめられそうにないけど、でも、橘さんが『普通の女の子』なのだということは理解している。普通だとか特別だとか、そうやって考えていること自体が失礼なんだろうけど。


「ごめん……」

「いえ……仕方ないことですから」


 ただ謝った俺に、橘さんは小さく微笑む。それから、「ところで」と上目遣いで窺ってきた。


「杏香という名前についてはどう思いますか?」

「え?」

「杏奈ちゃんの名前が可愛いことは事実ですけど、杏香はどうでしょうか……!?」


 あっ、やっぱりちょっと気にしてた!?

 とはいえ、ここでそれを言い出したのは、俺の罪悪感を和らげるためなんだろう。そこが気になるのも本心ではあるんだろうけど、たぶん気遣いの意味が強いはずだ。

 お礼は後で言うとして、まず先に質問の答えを考える。杏香……うーん、そうだなぁ。


「橘さんに似合う、綺麗な名前だと思うよ」

「ぎっ……」

「杏奈って響きはなんか甘くて柔らかいけど、杏香になるとそれに加えてちょっときりっとした感じがあるっていうか……」

「……」

「話すようになる前のイメージがあるからかなぁ。橘さんって可愛いけど、それだけじゃなくて毅然としたかっこよさみたいなのがあったからさ。杏香って名前からはそういうのも感じるな」


 毅然としたかっこよさ、は話すようになってからはまったく見えなくなってしまったけど、それはそれ。言わぬが花ってやつだ。

 廊下で見かけるだけだった橘さんは、いつも背筋をぴんっと伸ばして歩いていた。友人に挨拶をする声だって、大きくはなくてもよく通る。笑顔は柔らかいけど動きはきびきびしてて……あー、あれだ、わかった。キャリアウーマンっぽいかっこよさだ。

 今だってそういうのは変わらないけど、俺の近くだとそわそわしてるしぽんこつだし……可愛さが全面に出ちゃってるんだよな。


「でもこれだと、名前からってよりは普通に橘さんの印象の話になっちゃうか……? 質問とずれちゃったかも、ごめん」


 謝る俺に、橘さんは「いえっありがとうございますっ」と裏返った声でお礼を言ってから、水筒のお茶を傾け――そして盛大にむせた。


「けほっ……く、す、すみませっ、ごほっ」

「だ、大丈夫?」


 どうやら動揺を隠すためにお茶を飲み、墓穴を掘ったらしい。

 ……確かにちょっと、褒めすぎたかも。気をつけようと思っていたのに、なんだか()()()()()()()上手くいかないな。人を褒めるのは好きだけど、会って間もない女の子をこんなに褒めるとか、普通はしないのに。

 大丈夫ということを伝えるためか、うんうんうなずきながらしばらくむせていた橘さんは、落ち着いたころに「ありがとうございます……」と小声でお礼を言ってきた。その頰はほんのり赤い。


「いや、お礼を言うならこっちだよ。気ぃ遣ってくれてありがとう」

「…………椿さんってすごく怖いですよね。知ってましたが」

「えっ、怖い!? やっぱり怖いから敬語なの?」

「これは癖です! あと怖いの意味が違うので大丈夫です」


 何が大丈夫なんだろうか。癖っていうのも引っかかる……。俺にだけ適応される癖って何?


「あっ、そうだ、連絡先交換してもいいですか?」

「そういえばしてなかったね」


 あからさまに話題を逸らされた気がしたけど、乗っておくことにした。

 トークアプリを開き、QRコードで互いに登録したら、スタンプが一つ送られてきた。全肯定してくれるペンギンのスタンプ。ちょっと考えて、こっちからは猫がいっぱいいるスタンプを送ってみた。


「えっかわいい」

「ね、このスタンプ可愛いよね」

「……猫、お好きなんですか?」

「うん、すごい好き」


 基本動物はなんでも好きだけど、猫は特に好きだ。

 俺の答えを聞いて、なぜか橘さんがそわっとする気配がした。


「あの……猫カフェとか、興味ありますか?」


 ……ん、んん。この流れはもしかして。と思わなくもなかったが、さすがに自意識過剰か、と考え直す。


「いつかは行ってみたいなーって思ってるよ」

「私も行きたいな、と思っているんですけど、一人で行く勇気はなかなかなくて……」


 んんんん。自意識過剰じゃなかったっぽいな。この流れで勘違いだったら、橘さんがとても小悪魔だということになってしまう。

 続く言葉を予想しつつ、俺からほんのちょっと目を逸らす橘さんを見つめる。


「よければ、なんですけど、今度、い、一緒に行っていただけませんか!?」

「う、うーん……それってデートみたいになっちゃわないかな」

「一応、デートに、誘ってます……」


 退路をふさがれた。これ、受けるのも断るのも難しいぞ……。かといってあまり悩みすぎるのも橘さんに悪いし、考える時間が数秒しかない。頭をぐるぐる巡らせる。

 断ったら……受けたら……『アピール』の機会を奪うのは……だったら……。

 数秒の間に考えに考え、結論を出す。


「……うん、じゃあ行こっか」

「ほんとですか!? ありがとうございます!」


 眩しいくらいの笑顔を向けられて――心が痛くなる。

 返事はまだいらない、というのはもっとじっくり考えてほしいということなんだろうけど、これじゃあ橘さんの好意に甘えきってしまっている。

 だとすれば、橘さんを好きになれるように努力する? いや、人としてならすでにかなり好ましく思っているのだ。問題は、それを恋に変える方法がさっぱりわからないということ。

 橘さんの言動にどきどきしてしまうことはあっても、それだけじゃ恋とは言えないだろうし……。


 そうこう悩んでいるうちに、「それではまた連絡しますね!」と橘さんは自分の教室に帰っていってしまった。

 な、なるほど、連絡先交換の時点でデートのことを見据えていた、のか?


「つーばき、どうしたそんな顔して」


 途方に暮れた顔でもしていたのか、てっちゃんが心配してやってきてくれた。


「……ううん、大丈夫。ありがと」

「そ? ならいいけどさ。なんかあったら言えよ?」

「うん、なんか……あった、ら……?」



 あった。一つ大きな問題が。

 ――橘さんの隣に立って恥ずかしくない格好って何だ!?





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