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お隣の橘さんは、どうやら前世で俺のお嫁さんだったらしい  作者: 藤崎珠里


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05. 恋愛初心者は手加減希望

 一分ほどで回復した橘さんは、「本当にすみません……」とエレベーターの中で何度も謝っていた。ちなみに俺たちの部屋は五階にあるので、五階分の謝罪である。

 無事マンションの外に出てから、橘さんはふぅ、と小さく息を吐いた。ようやくちゃんと正気に戻ったらしい。


「椿くんはお父様とお母様との三人暮らしなんですか?」

「そうだよ。父さんとも挨拶しとく? 休みの日いつだったかな……」

「い、いえいえいえ! いつかはお会いしたいですが、まだ早いです! すみません! 身が持ちません!」

「そっか? 橘さんは……兄弟とかはいるの?」


 歩きながらそんな会話をする。

 そういえばなんで一人暮らしを始めたのか訊いてなかったな、と余計な思考が混じったせいで、質問までにちょっと変な間が空いてしまった。


「妹が一人います! 一個下なのであんまり妹って感じもしないんですが、可愛いんですよ」


 さっきまでのうろたえようとは一転、にこにこ笑って言う橘さんに微笑ましい気持ちになる。きっと仲がいいんだろうな。一人っ子の俺からしたら羨ましい。


「妹さんは実家暮らしなの?」

「はい。高校生で一人暮らしって、やっぱり親からも心配されちゃいますから」

「……橘さんはなんで一人暮らし始めたのか、訊いても大丈夫?」


 尋ねれば、橘さんの顔がかすかに曇った。

 やっぱり訊かないほうがいいことだったか、と思ったが、ためらうようにちょっとだけ視線を動かした橘さんは、すぐに口を開いた。


「……うち、お金持ちなんですよ」

「あー、そうみたいだね」


 自慢ではなくただの『事実』として言うために、橘さんがとても気を遣った声音で言ったのがわかった。話には聞いていたので、曖昧に相槌を打つ。これくらいの軽い反応のほうが、きっと橘さんにとってもいいだろう。

 橘さんは「やっぱり知ってましたか」と苦笑した。


「それでですね。家もおっきくて、部屋もおっきくて、お手伝いさんとかもいて、食事だって毎日美味しいものをシェフが作ってくれて……そういうのに疲れてしまったので、高校に入って一年間学年一位をキープできたら一人暮らしをさせてください、って頼んだんです。中学まではそこそこの成績しか取っていなかったので、絶対無理だと思われたみたいですね。あっさり書面で約束してくれたので、一年間、頑張っちゃいました」


 にっと勝ち気な笑みを浮かべて、俺にピースを向ける橘さん。初めて見る表情に、少しどきりと心臓が跳ねた。

 こんな顔もするんだ、と頭の隅で考えながら、言われたことを整理する。


 ……ええっと、つまり、社長令嬢としての暮らしが性に合わなくて? 高校に入るまではわざと実力を出し切らずに家族を騙して交渉し、一人暮らしを勝ち取ったってこと?

 騙した、って言葉を使うと人聞きが悪いけど、でもそういうことだよな。わざわざ書面を用意させるのも抜け目がない。


 理解して、俺は思わず吹き出した。


「ふ、あはははは! ってことはずっと一人暮らししたかったんだ? めちゃくちゃ計画的じゃん!」

「はい! もうほんと、ずーっと居心地悪かったんですよ! 家族のことは大好きなんですけど、我慢できませんでした!」


 元気いっぱいうなずいた橘さんに、更に笑いがこみ上げてくる。

 まさか橘さんの学年一位の理由がそこにあったなんてなぁ。っていうかいつからそんな計画を立ててたんだろう。口ぶり的に小学生の頃からなんだろうけど……わざと悪い成績を取る小学生って何者?

 ひーひー笑う俺に、橘さんも控えめにふふっと笑う。


「まあ色々ごねられた結果、こんな中途半端な時期になってしまったんですが……。本当は春休み中に引っ越したかったんですよね」

「中途半端な時期な時期だなーとは思ってた」

「ええ。高校近くのマンションが空いていて助かりました……。おまけに、椿さ――椿くんのお隣だなんて。あ、言っておきますがこれは本当に偶然ですからね!?」

「はは、そこまではさすがに疑わないよ」


 慌てふためく橘さんに否定を返す。

 橘さんがそんなストーカーみたいな行為をするとは思ってない。本当に偶然、たまたまだったんだろう。

 ……それが、どうやら結構長い間片思いしてくれていたらしい俺の家の隣、とか。どんな確率? とは相変わらず思っちゃうけど、まあそんなこともある。現実にも案外、運命みたいなことは起こるものだ。

 俺の返事に、橘さんは「よかった」と安堵の息をつく。そんな彼女に、俺は最初に訊けなかった質問をぶつけた。


「……橘さんって、いつから俺のこと好きだったの?」


 ぱち、と瞬きをした橘さんは。

 一呼吸置いて、どこか困ったような笑みを浮かべた。


「昔、ずっと昔のことですよ」


 それはもう、知ってる。


「……なんで好きになってくれたの?」

「すごく優しくしていただいたんです」


 それ以上の具体的なエピソードを、橘さんは何も語らなかった。彼女の表情が、何も語る気がない、という意思を伝えてくる。

 やっぱり橘さんは、何かをごまかしている。ごまかしている、というか……隠してる?

 それが何かわからないことには、告白の答えも出せない。……困ったなぁ。


 昔、昔。

 昔っていつのことだろう。ノーヒントだと記憶を辿りようがない。そしてたぶん、橘さんは記憶を辿ってほしくないのだ。その理由はわからないけど。

 諦めて話題を変えようとも思ったが、いつの間にかもう校門まで来ていた。


 まばらに登校する人の中には、俺と歩く橘さんを見てぎょっとしている人もいた。誰がどう見ても俺じゃ橘さんに釣り合わないし……好かれるなんて、普通ありえない。

 だけど橘さんの気持ちをありえないと決めつけるなんて、それを向けられている俺だけは、絶対にしちゃいけないことだった。


 無言のまま昇降口に着いて、それぞれの靴箱に向う。

 見えるし会話もできる距離だが、俺と橘さんの靴箱はちょっと遠かった。橘さんも同じ感想を口にする。


「隣のクラスでも、靴箱はちょっと遠いですね。同じクラスだったら、『た』ちばなと『つ』ばきだからすぐ近くだったんでしょうけど……」

「……そうだね」


 もし同じクラスになっていたら……クラスで会った瞬間に、告白されたんだろうか。

 橘さんは靴をしまいながら、恨めしげに俺と自分の靴箱を見比べた。


「それにしても、本当にどうして今まで椿くんの存在に気づけなかったのか……! 自分が情けないです。本当なら一年以上前には会えていたかもしれないのに!」

「昔ちょっと会っただけなら、すれ違うだけじゃ気づけなくて当然だよ」

「……すれ違ってました?」

「去年はそうでもなかったけど、今年はまあまあ?」


 去年、俺は一組で橘さんは八組だった。端と端のクラスだから、それはもう、まったく接点がない。

 今年のクラスは、橘さんが三組で、俺が四組。他クラスと合同でやる体育の授業でも芸術の授業でも一緒になることはなかったが、見かける頻度は増した。


「あぁぁぁ、悔しいです、ほんの少しでも早く椿さんに会いたかった……!」


 そこまで悔しがってくれると、なんだか照れくさくなってくる。椿さんと椿くんが入り交じっているところからも、余計橘さんの悔しさを感じた。

 でもほんと、昔っていうのがいつなのかはわからないけど、顔立ちなんかも変わっているだろうし気づけただけですごい。俺なんかその出来事を覚えてすらいないから申し訳ない……。


 上履きに履き替え、階段を上ったらすぐに教室に着く。

 じゃあね、と別れようとしたら、橘さんが「少し耳を貸していただいてもいいですか?」と顔を寄せてきた。……この距離、緊張する。

 背伸びをした橘さんに、俺は少しかがんで顔を傾けた。



「――今日も好きですよ、椿くん」



 その小さなささやきと息遣いに、思考が一瞬止まった。


 背伸びをやめた橘さんを、呆然と見て。

 それでやっと、ぶわりと体の熱が上がる。


「返事はまだしばらくいりませんから、安心してくださいね」


 そう言い残して、橘さんは自分のクラスへ駆け足で入っていった。声だけは冷静に聞こえた、けど。

 下がった眉とか、色づいた頬とか、逸らされた目とか、言い終わった後にきゅっと結ばれた口とか――間近で見たその恥ずかしそうな表情が焼き付いたように頭から離れなかった。

 数秒立ち尽くして、はっと我に返る。


 ……今までの『アピール』で一番きつい。手加減してほしい。

 こっちはなんにも耐性がない恋愛初心者なのだ。


 よろよろしながら教室に入れば、先に来ていたてっちゃんに「はよ。……なんか顔あけぇけどどうかした?」とわかりきった指摘を受けて、俺は撃沈した。





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