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04. ぐ、偶然ですね!

 その後は和やかに談笑して終わって、てっちゃんに詳しいことを話すのは放課後となった。

 月曜はちょうどてっちゃんの部活がオフでよかった。ちなみにてっちゃんは運動神経抜群だが、運動部には入らず、演劇部一本である。脚本を担当しつつ役者までするのだからすごい。



 うちのマンションは、高校から徒歩五分の距離にある。たぶん橘さんも、その近さで選んだんだろう。

 てっちゃんの部活がない日は、うちに招いて二人で駄弁る、ということをよくしていた。

 だから今日も、俺の家で話をすることになった、のだが。


「――え? 何? ってことは今、橘さんが隣にいんの?」


 おそるおそる壁のほうを窺うてっちゃん。そっちじゃなくてこっちの隣だよ、と反対側の壁を指差せば、何も言い返さずに大人しくそちらを向く。……これ、相当びっくりしたんだな。


「今いるかはわかんないけどね。たぶん部活じゃない?」

「橘さんは帰宅部だから、いる可能性のほうが高いな」

「……なんでてっちゃん、橘さんに詳しいの?」

「うちの高校に通ってたらほとんどジョーシキみてぇなもんなの!」


 そう言って、てっちゃんはローテーブルに置いていたコップを引っ掴み、中の麦茶を一息に飲み干した。そしてカンッと勢いよくコップを下ろす。たまにこういう演技めいた行動をするのも、演劇部だからなのかもしれない。


「椿、マージーで心当たりねぇの? 今日見た感じ、橘さんめちゃくちゃお前のこと好きだったけど」

「なんもわかんないんだよね……。昔会ったことあるらしいんだけど、それだけでいきなり告白してくるくらい好きになってくれるのもなんで? って思っちゃうし」

「んー……嘘ついてる感じはしなかったよなぁ」


 うん、とうなずく。だからこそ余計に謎なのだ。とはいえ、ああ見えて嘘が得意という可能性もある。そう思いたくないからあえてその可能性は切り捨てるけど。

 しかし、嘘でないにしても、何かをごまかされてる気はした。


「ま、そこはもう気にしなくていんじゃね? 橘さんがこれから『アピール』してくれんだろ。それで好きになれたら付き合えばいいんだし、好きになれなかったら謝ればいーよ」

「ええー……」


 軽く言ってくれるなぁ。まあ、あんな美少女と付き合えるチャンスなんてこれっきりだぞ!? とか俺の意思無視で言われるよりはよっぽどいいか。


「お前ふわふわしてるから悪い女に捕まったらどうしようって思ってたんだよな。橘さんなら安心だよ」

「心配って言ってたのそれ……!? っていうかてっちゃん、橘さんとお近づきになりたくないって言ってたじゃん。それって苦手ってことじゃないの?」

「今日話してみて、橘さんも普通の女子だなって思ったんだよ」


 てっちゃんはばつが悪そうに笑った。

 ……そうなんだよな。噂どおりの子ではあるんだろうけど、それでも橘さんは『普通の女の子』だ。話して人柄を知った今、噂だけで判断して俺たちとは違う特別な人だと思っていたのが申し訳ないくらいに。


「んじゃ、オレそろそろ帰るわ。お隣さんによろしく?」

「じゃーね。よろしくって言われても、何もないかな。次に話すのは明後日の昼じゃない?」

「やー……あの子結構積極的みたいだし、意外とそうでもないかもだぜ?」


 てっちゃんの言葉が正しいとわかったのは、翌日の朝のことだった。


     * * *


 翌朝、いつもの時間に家を出ると、ほぼ同時にがちゃりと隣のドアが開いた。見れば、今日は普通に髪を下ろした橘さんの姿が。

 橘さんは俺を見て、ぱあっと顔を輝かせた。大きな黒い瞳に一気に星が散らばったような、そんな印象を受けた。頬をわずかに上気させて、橘さんは口元を緩める。


「ぐ、偶然ですね椿さん! 別にお隣の音に聞き耳を立てていたとかそういうわけではまったくないのですが! 偶然ですね!」

「割と壁厚いけど、玄関で耳澄ませたらドアの音くらいは聞こえるもんね」

「ぴょっ!?」


 苦笑する俺に、橘さんは一転蒼白になって「すみませんすみません! これからはもうこんなことしませんので!」と謝ってきた。別に謝るようなことじゃないよ、と言えば、俺が本当に気にしていないことがわかったのか胸をなで下ろす。

 いや、まあ、まさかそこまでされるとは思っていなかったのは確かだ。びっくりしたけど、嘘が下手すぎて笑えてしまったのでそれ以上の気持ちは浮かばなかった。……うん、やっぱり嘘が得意って可能性はこれでゼロになった、かな。

 そんなことを考えつつ、表情をからかうようなものへと変える。


「普通に偶然ですねってだけ言っておけば、俺だって疑わなかったのになぁ」

「うぅぅすみません……椿さんに嘘をついてしまいました……」

「あはは、そのくらいの嘘なら嘘にもならないよ。ばればれだったしね」

「は、恥ずかしい……! 穴があったら入りたい!」

「入ってたら遅刻しちゃうよ。あ、でもまだちょっと時間あるか……今なら母さんいるけど、挨拶してく? 今日は一日家でゆっくりしてるって言ってたから、放課後でもいいけど」

「みゃあっ!?」


 本日二度目の奇声。今日はペース早いなぁ。いや、いつもこんなものか。

 橘さんは胸元を押さえ、ぱくぱくと口を開け閉めする。


「あのっ、か、覚悟が、覚悟がまだできていないのですが! 三十秒ほどお時間をいただいてもよろしいですか!?」

「え、挨拶するだけなのに覚悟とかいる……?」

「好きな方のお母様にお会いするとか、私にとっては大事件なんです!」


 不意打ちの『好き』を食らって咳き込みそうになった。橘さんは目をぎゅっとつぶって深呼吸を繰り返していたので、たぶん俺の動揺には気づいていないだろう。俺も小さく深呼吸をしながら、よかった、とほっとする。

 同時に、罪悪感もわいてきた。橘さんの告白に対して、俺は本当に何も反応していない。いくら返事は今じゃなくていいって言われてても、これはさすがにない、よなぁ。

 とはいえ今、橘さんの頭は別のことでいっぱいだろうし、返事についての話はまた今度しよう。


「……よしっ! 心の準備が終わりました! いつでもどうぞ!」

「そんな身構えなくていいよ?」


 両手の拳を握る橘さんに少し笑いながら、「ちょっと待っててね」と声をかけて、ドアを開けて中の母さんを呼ぶ。


「母さん、隣に引っ越してきた子! 挨拶来てくれたよ!」

「え、ほんと!?」


 リビングでテレビを見ていた母さんが、機敏な動きで玄関までやってきた。そして神妙な顔で微動だにしない橘さんを見て、「まあ、まあ!」と目をきらきらとさせる。可愛いもの好きの母さんにとって、橘さんはドストライクだったんだろう。


「初めまして、椿(すみれ)と言います。一人暮らしなんですってね。貴女みたいな可愛いお嬢さんが一人なんて心配だわ……。何か困ったことがあったらいつでも頼ってね? あたしはあんまりいないかもしれないけど、咲良は大抵いるから!」

「それ母さんが言うことじゃないでしょ……。まあうん、橘さん、なんかあったら言ってね?」


 そう言う俺たちに、橘さんは見事な満面の笑みを浮かべた。


「初めまして、橘杏香と申します。ご親切にどうもありがとうございます。お言葉に甘えまして、何かありましたら頼らせていただこうと思います! これからよろしくお願いいたします」

「まあ、声も可愛い……! あ、ごめんなさいね、つい」

「いいえ! お褒めいただき嬉しいです。菫さんのお声も、透き通っていてとっても素敵ですね。それにお顔立ちもお綺麗で……一瞬、椿くんのお姉様かと思ってしまいました」

「あらー! こんなすっぴんなのに! ふふ、ありがとうね、橘さん」


 ……三十秒の覚悟で、ここまでちゃんとした受け答えができるのか。いや、感心するところじゃないとは思うんだけど、なんかこう、ちょっとぽんこつな印象が強かったからびっくりしちゃったというか……。

 すっかり橘さんに心奪われたらしい母さんは、石けんと入浴剤のお礼を言っていた。さっそく使って気に入ってたもんなぁ。


「そうだ。杏香ちゃん、咲良の隣のクラスなんですってね!」


 距離の詰め方が早い。もう名前呼びになってる。


「こんな可愛い子と家が隣だと、迷惑かけちゃいそうで心配だわ……。咲良、登下校とか被らないように気をつけなさいね?」

「えっ、あ、あの、菫さん! そこまで気を遣っていただかなくても大丈夫ですので! 本当に! 全然! 大丈夫です!!」


 あっさりボロが出た橘さんに吹きそうになった。うん、今日すでに橘さんのほうから被らせてきたもんな……。そりゃあ気まずくもなるだろう。

 そう? と心配そうに首をかしげる母さんに、「そうです!」と橘さんは力一杯うなずいた。


「今日も、偶然、家を出るタイミングが被ったので、一緒に行こうとしていたくらいなんですよ」


 偶然をめちゃくちゃ強調した。俺を笑わせにかかってるでしょこれ? や、そんなわけはないけど。

 俺のときほどわかりやすい嘘ではなかったので、母さんは素直に信じた。


「そうだったの? って、あっ、ごめんね、引き留めちゃって。遅刻はないだろうけど、あんまり遅くならないほうがいいわよね」

「いいえ、こちらこそ長々と立ち話をさせてしまってすみませんでした」

「そんな、いいのよ。楽しかったわ、ありがとうね。いってらっしゃい、杏香ちゃん、咲良」


 二人でいってきますと返して、一緒に歩き始める。

 後ろで閉まるドアの音が聞こえた――瞬間、橘さんはその場に崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。ぺたりと廊下の床にお尻をつけて、顔を両手で隠す。


「……こ、腰が……腰が抜けて……」

「うそ」


 嘘だとは思っていなかったが、ついそう言ってしまった。いや嘘でしょ……こんなことで腰抜ける人初めて見た……。

 それだけ緊張してたってことだろうけど、なんだろう、なんかむずがゆい。……(好きな人)の親に会ったせい、っていう原因を考えると、胸の中が変にざわめいた。

 手を引っ張って立ち上がらせて、体を支えて歩く、ということができたらよかったのだが、男相手ならともかく女子にそれはちょっとまずい。

 立てるようになるのを待つしかないなぁ、と俺もその場にしゃがみ込んだ。


「時間はまだ余裕あるから、落ち着いたら一緒に行こうね。歩けそうになったら言って。支えていいなら支えるけど……」

「ひっ……支えていただくのはキャパオーバーになりそうなのでご遠慮します……すみません、椿さん……」


 椿さん。……さっき、母さんに対しては俺のこと『椿くん』って呼んでたよなぁ、と思い出す。

 赤い顔から手を外した橘さんに、お願いをしてみることにした。今ならかなりの混乱状態だから、押せばいける気がする。


「椿くんって呼んでよ。さっきは呼んでたでしょ?」

「あ、あれは……」

「善処するなら今しかないと思うなー」

「う、うっ……そう、ですね。確かに同い年の男の子を名字にさん付けで呼ぶなんて、ちょっと他人行儀すぎるかもしれません」


 お、と思う。これなら呼び名のほうは変えてくれそうだ。


「敬語もやめていいんだけど……」

「そっちはまだすみません、椿くん!」


 ついでのお願いは即座に却下された。ちょっと残念だったが、呼び名だけでも満足しておこう。「椿くんって呼んじゃった……!」となぜか嬉しそうに独り言をつぶやく橘さんは、すごく可愛かった。たぶん口から漏れてることに気づいてないんだろうな。


 母さんとの会話のときに我慢した分まで笑えば、橘さんは不思議そうに目を瞬いて、それからふわっと微笑んでくれた。





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