03. あの日は、綺麗な桜が咲いていた
結局、うちのクラスで三人でごはんを食べることとなった。近くの空いている席を借りて、三つの机をくっつける。
「お邪魔してしまって本当にすみません……」
「あー、いや、オレも二人の話聞きたかったし! いつの間に付き合い始めたの?」
てっちゃんの声が聞こえたのか、周りのざわめきが大きくなった。……有名人って大変だなぁ、と他人事のように思ってしまったが、付き合っていると勘違いされたら俺も困る。こんなことくらいで誰かから嫌がらせを受けたりはしないだろうけど、あらぬ噂を立てられたりしたら橘さんにも迷惑がかかるだろう。それはちょっと避けたかった。
しかし、てっちゃんの言葉を裏付けるように、橘さんの顔がぼんっと赤く染まる。肌が白いからか、赤くなるとすぐにわかる。眼鏡をしていればもう少し目立たなかったかもしれないけど、机を移動させるときにはすでに外してしまっていた。
「な、何を言うのかな住吉くん……!?」
「そうだよてっちゃん、そういうのじゃないよ」
「うん! そんな、そんな……付き合ってるとか……そうなったらいいなって私が勝手に思ってるだけで……」
「えっ」
よかった否定してくれるんだ、とほっとしていたらまさかの追撃を食らった。橘さんは頬を手で押さえ、さっきのように少しうつむいている。
男子たちが「マジ!?」「嘘だろあの橘さんが……」なんてこそこそ呻き声を上げ、女子たちも興味津々にこちらを見ているのがわかった。ちゅ、注目されてる……。
「へぇー!」
てっちゃんがにやりとこっちを見た。なんなのその顔。別にてっちゃん恋バナ好きってわけじゃなかったよな?
……それにしても。
橘さん、そうなったらいいな、って思ってるのか。周りの反応ばかり気になって、言葉の理解が少し遅れてしまった。
昨日はただ好きだって言われただけだったけど、やっぱりそれは付き合いたいってことだったんだな。
どう反応したらいいかわからなくて、視線をあちこちに飛ばしてしまう。昨日に比べれば心臓の音はましだけど、それでも十分速いのが自分でもわかった。……だからこういうの、慣れてないんだって。
こっちに注目している人はまだまだいるみたいだったが、なぜか俺たちの近くの席には誰もいなくなっている。皆橘さんに気を遣ったんだろうか。……気にしてないふりでこっちをちらちら見てる視線的に、そうなんだろうな。優しいクラスメイトばかりでよかった。
「ま、そういう話は今ここでしないほうがいっか。後で訊くからな、椿」
「あー、うん。助かる」
俺たちがそう話している間に、橘さんは包みから小さなお弁当箱を取り出した。一応二段の弁当だが、それで足りるの? って思うくらいちまっとしている。
一段はふりかけがかけられた白米で、もう一段は卵焼きやミートボール、ウインナー、野菜炒めなんかが詰められていた。意外と庶民派の弁当なんだなぁ、とちょっと失礼なことを考えてしまった。
橘さんは、すでに半分以上なくなっている俺の弁当にちらっと目を向けてきた。
「椿さんのお弁当って、もしかして椿さんお手製ですか?」
「ん? そうだけど……よくわかったね」
「あっ、え、えっと、ご両親がお忙しい方だと聞いたので! もしかしてと思って!」
「あれだけで……」
確かに昨日、そんなやりとりしたな。
親はどっちも忙しいので、何か助けになれれば、と家のことは基本俺がやっている。料理も洗濯も掃除も、まあそういう色々が割と好きだから苦ではなかった。弁当作りもその一環だ。
「まあ、お手製って言っても冷食と残りものばっかりだけどね。朝作るのは卵焼きとか炒めものくらい。橘さんもそれ、自分で作ったんだよね?」
「よくわかりましたね……!?」
「そりゃあ、他に弁当作る人もいないだろうし」
一人暮らしなんだから作るとしたら橘さんしかいないでしょ、と遠回しに指摘すれば、橘さんははっとした。
「た、確かに。頭がいい……」
「いや頭いい人が何言ってるの?」
たったこれだけで頭がいいと言われるとは思わなかった。
ふっと笑いながら白米を口に運んで、噛みながらてっちゃんのほうを見る。生温かい目をしていた。え、何。
「やー、ほんと何あったか気になんだけど……まさか椿がなぁ、ふーん」
「その顔何なの?」
「べっつに? これで一個、オレの心配事も減るなーって思ってさ」
「何か心配かけてた……?」
「ところで橘さん知ってる? こいつ昔からそこそこモテるんだぜ?」
俺の言葉をスルーして、てっちゃんは橘さんに話しかける。なんでそんな話題。事実無根だし、そもそも事実だったとしても橘さんに言うような話ではないだろう。
「モテたことなんてないんだけど」
「こんなだから女子と一切そういう感じにならないんだけどなー」
俺の抗議は完全にスルーだった。
「……昔から、ってことは、住吉くんは椿さんと昔から仲いいの?」
「おお? 突っ込むのそっちか。うん、幼馴染っていうのが近いのかな。小学校のときからの親友ってやつ?」
こうやって堂々と親友と言われると、嬉しいけど照れくさい。ついへらっと笑うと、「はいそこムカつく顔しない」と言われてしまった。
てっちゃんと友達になったのは小三のときで、それからずっと仲良くしてもらっている。中学はまだしも、さすがに高校まで同じだとは思わなかったけど。
去年は残念ながら違うクラスだったが、今年はこのとおり同じクラスである。
「ということは、住吉くんは私が知らない椿さんをいっぱい知ってるんだ……って、あれ?」
神妙な顔でつぶやいた橘さんは、はたと目を瞬いた。
「え? 椿さんモテてたの!? 詳しく聞かせて!?」
「あ、ちゃんとそっちにも突っ込むのね」
「橘さん、てっちゃんこういうとき面白がって話盛るから、あんま真に受けないほうがいいよ」
「言ったなお前。盛ってねーよ。お前がアホなだけだよ」
呆れ声で言って、てっちゃんは橘さんの要望どおり語り始める。
「詳しくっていっても、詳しいも何もない話なんだよな。椿って基本、静かな女子に好かれるからさ。告白されるまではいかないんだよ。まあでも、オレがわかるだけでもこいつのこと好きだったの四人はいたな」
「よにんも……」
呆然とつぶやく橘さん。
初耳も初耳な情報に俺も呆然としかけたが、いや、と思い直す。『こういうとき面白がって話盛るから』と忠告しておいて、自分が真に受けてどうするんだ。
てっちゃんはそんな俺を見て眉をひそめる。
「お前やっぱわかってねぇのな? まあ、ってわけでさ、橘さん。こいつ、マジで、ほんっとーに、はっきり言われなきゃわかんねぇ奴なんだよ。だからこいつと付き合いたいんなら、なんでもはっきり言うのがおすすめ」
最後だけは小声だった。「なるほど、勉強になります」と橘さんは真面目な顔でうなずいている。橘さんにはもう十分すぎるほどはっきり言われてるんだけどな……。
口を挟んだらてっちゃんに更に呆れられそうなので、無言で弁当を食べる。この冷食の唐揚げ、やっぱあんま美味しくないよな。もう買わないようにしよう。
「ちょっとめんどくさいとこもあるけど、いい奴なのは確かなんだよな。……橘さん、見る目あるわ」
何その上から目線、と思ったのは俺だけだったようで、橘さんはきらきらした笑顔でうなずいた。
「私もそう思う!」
「うんうん。あ、そーだ、よければ今度小中の卒アル見る?」
「ちょっとてっちゃ――」
「いいの!?」
さすがに止めようとしたが、橘さんがあまりに食いついたものでそれ以上何も言えなくなってしまった。「もっちろん」とてっちゃんは変わらずにやにやしている。楽しそうなのはいいけどさぁ……何なんだよ……。
なんとなく仲間外れ感があってむすっとしていると、てっちゃんに最後の卵焼きを奪われた。
「あ、取ったな。言ってくれれば普通にあげるのに」
「……こういうとこだよなぁ。な、橘さん」
「そうだねぇ」
この短時間でよくここまで仲良くなったな。てっちゃん橘さんのこと苦手だったんじゃなかったっけ……? いや、てっちゃんコミュ力あるから大抵の人とすぐ仲良くなれるのは知ってるけど、それにしても謎の連帯感だ。
「もうお前ら、これから昼は二人で食べたら? オレは別に一人でもいいし」
「え、それは住吉くんに悪いよ……!」
「そうだよ。あと俺、てっちゃんともちょっとは一緒に食べたいかな……」
「お前なぁ!?」
空気を読まない主張だという自覚はあったが、本心だから撤回もしたくない。……橘さんには申し訳ないけど。いや、うん、ほんと申し訳ないな。せめて『アピール』が終わるときまでは毎日一緒にお昼ぐらい食べたほうがいいのか……? てっちゃんは同じクラスだから、クラスが違う橘さんより話せる時間は多いし。
でもなぁ、と考えていると、橘さんが「それじゃあ」と提案してきた。
「椿さん、週に一回だけ私とお昼を食べていただけませんか?」
「あ、それなら全然。気ぃ遣わせちゃってごめんね、橘さん」
「いえいえ、とんでもないです」
「何曜日って決めちゃったほうが楽かな?」
「そうですね……うーん、月曜日にご一緒して、一週間分の元気をいただくのもいいですし……週の真ん中の水曜日にご一緒して、もうちょっと頑張ろうという気持ちにさせていただくのもいいですし……金曜日に一週間の疲れを癒やしていただくのも捨てがたいですね……」
「え、癒やし効果期待されてるの俺?」
期待に添えるか心配になってきた。何をすればいいんだろう……。
そんな俺たちに、てっちゃんは呆れ顔で頬杖をつく。
「やっぱせめて週三にしたら? 月水金に橘さん、火木にオレでどうよ?」
「そ、そんな贅沢が許されるのかな……!?」
「俺はそれでもいいけど、橘さんはどうしたい?」
「んにゃっ!?」
あ、変は変でも、今度のは猫っぽくて可愛い奇声だ。今までの奇声だって別に可愛くないわけじゃなかったけど。
橘さんはお下げを指でいじくりながら、視線を泳がせる。しばらく考え込んで、そしてがくりとうなだれた。
「ごめんね住吉くん……私は自分の欲望を抑えきれない……月水金でお願いします……」
「欲望って」
ぶほっと吹き出したてっちゃんは、こっちを見て悪戯っぽく笑った。
「んじゃ、そういうことでいいか? 咲良」
「…………うん、いいよ」
ジト目で睨む俺を見ても知らん顔だった。てっちゃんめ。
さくら? と不思議そうにつぶやく橘さんから、なんとなく目を逸らす。
……別に椿咲良って名前が嫌いなわけじゃない。響きが女の子っぽくてちょっと恥ずかしいとか、椿なのにさくらってどうなの、とか。そういうことを思ってしまうだけで。
昨日橘さんが名字しか名乗らなかったから、これ幸いにとこっちも名字しか言わなかったのは、まあ、うん。単にわざわざ言うことでもないなと思ったのだ。
「やっぱ椿、橘さんに下の名前教えてなかったんだ?」
「別にあえて教えることでもなくない?」
「そーだけどさ」
咲良、と橘さんはまたつぶやく。
そして何かを噛みしめるように、「咲良さん」と三度目のつぶやきを落として。
「――ぴったりのお名前ですね」
そう褒めてくれた橘さんの顔は、どこか泣きそうに見えた。