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お隣の橘さんは、どうやら前世で俺のお嫁さんだったらしい  作者: 藤崎珠里


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25. 椿咲良くんという人間のすべて

 シリアスぶち壊しの相変わらずの奇声に、ついぷっと吹き出す。

 まだ緊張で心臓が速いが、少しだけ気持ちが和んだ。シリアス、というか、この喫茶店の雰囲気もぶち壊しだ。店員さんが仕事をしている音と、クラシック音楽と、そこにいきなりの奇声。明らかに一つだけ異質である。

 な、な、と橘さんは真っ赤な顔で口をぱくぱくと動かす。まん丸になった目が潤み始めたのを見て、俺は慌てて言葉を繋いだ。笑ってる場合じゃないんだった。


「あの! ごめん、いや、ごめんじゃないんだけど、ううん、ごめんなのかな、ごめんだな、えっとね、今のは一応告白なんだけど、」

「みぎゃあ!」

「うん、ごめん、店員さん何事かと思っちゃうかもしれないし、静かにお願いします……ごめんね」

「す、すみません」


 人差し指を立てて、しー、とやれば、橘さんはまた何かを叫びかけ、慌てたように両手で口を覆った。


「ありがとう。えーっと、さっきのは告白なんだけどね、でもそれについてちょっと言わなきゃいけないことがあって……」

「きき、聞きます、聞きますよ……聞くんですが、少々お待ちください。タンマをかけさせてください。あたまが、あの、うぇ、うえ……う、あああ……ちょっと今……言語を失いかけていて……」


 ストレートに言ったのはやっぱり失敗だったかもしれない。それにしたって橘さんがここまで取り乱すとは思っていなくて、「ま、待ちます」となんとなく俺まで敬語になってしまった。

 胸元を押さえ、橘さんは目をつぶって深呼吸をする。しばらくして目を開けると、震える手でグラスを持ってストローを口元へ運ぶ。

 そしてそれを吸い……げほげほと盛大にむせ始めた。


 デジャブだなぁ、と思いながらかける言葉を探したが、ちょっと見つけられなかった。そのまま、橘さんが冷静さを取り戻すまでじっと待つ。

 紙ナプキンで口元を拭いて、橘さんは真っ赤な顔のまま「すみません……」と力なく謝ってきた。先ほどの力強い声とは大違いだった。


「ううん、俺のほうこそいきなりごめんね」

「い、いえ……それで、その、言わなければいけないこと、とは……?」


 期待、混乱、喜び、困惑、恐怖。

 色んな感情が入り交じった顔で、橘さんはおそるおそる尋ねてくる。


「……実は俺、恋愛感情と友情の違いがよくわからないんだ」


 橘さんの目を見て、そう切り出す。橘さんから目を逸らされない限り、この話は目を見たまましたかった。

 予想外の切り出し方だったのか、橘さんは小さく曖昧な相槌を打った。


「だから、今俺が言った『好き』に恋愛感情は一切入ってないのかもしれない」


 隠したって仕方のないことだから、正直に言う。


「だとしても、もう君のこと泣かせたくないんだ。笑っててほしいし、俺の傍でいつもみたいに挙動不審になっててほしいし、変な声も出してほしい」

「なっ、なんかおかしくありませんか!?」

「ごめんね、ちょっと冗談」


 冗談交じりにでもしなければ、言葉が止まってしまいそうだった。

 すごいな、と思う。――橘さんはこんなことを、何度もしてきたのだ。きっと毎回、怖かっただろう。緊張しただろう。しんどかっただろう。

 その行為を踏みにじっておいて、こんなことを言うのは虫が良すぎるかもしれない。いや、かもしれない、なんて不確かなものではなく、確実に虫がいい話なのだ。罵られたって何も文句は言えない。……橘さんは罵ったりしないだろうけど。


「あの、椿くん、私のことを泣かせたくないから付き合おうとか、もしそんなことを考えているならやめてくださいね」


 どことなく心配そうに眉を下げ、橘さんは釘を刺してくる。それは予想していた言葉だから、自信を持って首を横に振る。


「そうじゃないよ。結局は、橘さんの気持ち次第なんだ。俺は橘さんのことが好きだから、橘さんが笑っていられるなら、君との関係性はなんだっていい。恋人でも、友達でも……もう二度と関わりたくないなら、ただの他人でも」


 言いながら、前に橘さんも似たようなこと言ってたな、と思い出す。……あのときの橘さんも、こんな心境だったんだろうか。なんだっていいと言いながら、最後の選択肢だけは選んでほしくないと願ってしまう。

 きっとあのときの俺と同じように、橘さんは最後の選択肢をすぐに否定してくるだろう。その時間を与えないために、橘さんの名前を呼ぶ。


「橘さん」


 開きかけていた口を、橘さんは閉じてくれた。

 次に言うのは、本題のさらに本題だ。唾を飲み込んで、息を吸い、吐く。


「――橘さんが、彰彦さんじゃなくて俺のことを好きになってくれるなら……俺を俺として見てくれるなら、なんでもいいんだ。俺はその気持ちに応えたい」


 橘さんは目を見開いて、また固まった。その驚愕の表情が何を示すものなのかは、よくわからなかった。

 そこまで驚くことを言っただろうか。さっきの好きだっていう告白を聞いていたら、もうこんなことにはびっくりしないと思うんだけど……。

 何か言われるだろうか、と少し待ってみたが、橘さんは固まったままだった。ちゃんと聞こえているのか不安だが、とりあえず続ける。


「俺自身のことを好きになってもらうために……明日から少しずつアピールさせていただいても、よろしいですか?」


 初めて告白されたときに言われた言葉。さっきの台詞被りはたまたまだったが、こちらは意図的に被せた。なんとなく真似してみた、程度のことなのだが。

 返事をくれないと成立しない言葉を投げかけたおかげか、橘さんがはっと復活する。しかし彼女が次の瞬間放った言葉は、予想していたものとは真逆のものだった。


「よっ、よろしくないですよ!?」

「えっ」


 よろしくないの!?

 愕然としてしまったが、いや、と考え直す。いいですよ、と答えてくれると当然のように思っていたのが傲慢だったのだろう。あれだけ傷つけたのだから断られるのも当たり前で……でもそうなると、友達でいてくれようとした理由がわからなくなる、な。だったらどうして?

 結局、橘さんの説明を待つしかなかった。

 橘さんはぐっと両手の拳を握って、険しい表情を浮かべた。


「椿さんはご自分の魅力をわかってません! なんにも意識していない椿さんにも、私はもう、それはもう、すごくすごくときめかされているんですよ! これで意識してやられてしまったらどうなるんですか!? 怖すぎます!」


 ときめかせるようなことをしてきた覚えはないのだが、その熱い口調は到底嘘を言っているようには思えなかった。彰彦さんと似たようなことをする俺にときめいてきた、ということなんだろうか。

 そう訊くのはまた傷つけてしまいそうで、俺は困惑を顔に貼り付けたまま無言になるしかなかった。しかし俺の気持ちを見透かしたように、橘さんはきっぱりと言う。


「言っておきますが、そのときめきに彰彦さんは関係ありません。全部、椿くんへのときめきです」

「そう、なの?」


 この前とは違う、確固たる自信があるような言い方で。

 期待するのは怖いのに、思わず期待しそうになってしまう。

 橘さんは悔いるようにうつむいて、唇を震わせる。


「……私、あのときに椿さんと彰彦さんの違いを何も言えなかったのが、本っ当に悔しかったんです。後から考えたらすぐに、今の私が誰を好きなのかはっきりわかりました」


 顔を上げ、橘さんはキッと睨みつけるような視線を向けてくる。


「私はちゃんと、あなたが好きなんです!」

「……いや、でも、」

「遮って申し訳ないのですが、でもではありません」


 そこに関しての結論はこの前出されていたはずで、というようなことを言おうとしていたのに、口にするより先に否定されてしまった。


「ちゃんと椿くんのことが好きなんだって気づいても、あなたに否定されることや傷つけることが怖くて、何も伝えられませんでした。傍にいられるのなら友達でも十分だったんです。でもそんなことを言うなら、私はもう、遠慮なんてしてあげられません。今から言うことをよく聞いてくださいね」


 たじろぐ俺に、「よく聞いてください」ともう一度念押ししてくる。小さくうなずけば、橘さんは満足げに話し始めた。


「私は確かに昔、記憶の中の彰彦さんに恋をしていました。最初に椿くんに告白したのはそれが理由だということも、彰彦さんに似ているところを度々探していたことも、認めます」


 ですが、と橘さんは言う。


「本当にそれは、あくまできっかけに過ぎなかったんです。私が好きだと思うのは、可愛いと思うのは、もうとっくにあなたになっていました。前世の私と今の私が同一人物ではないように、彰彦さんと椿くんも同一人物ではありません。だから当然、似ているところも、違うところもあります。

 そのすべてを――椿咲良くんという人間のすべてを、私は愛おしく思うんです」


 この前はほんの少しも心に響いてこなかった言葉。今もまだ、信じられていないのは同じだけど……それでもなぜか、じくじくとした痛みを感じることはなかった。

 一言も、一息も聞き漏らさないように、俺は彼女の声に耳を傾ける。


「椿くんがくれた言葉や優しさは、椿くんがくれたものであって、彰彦さんとは何も関係がありません。そのことに気づいていなかったばかりに、椿くんのことを傷つけることになってしまって本当にすみません。

 引っ越しの日に心配してくれたのだって椿()()()で、そして、それを好ましく感じたのは()です。あのときにそれを『そういうところ』と表現してしまったこと自体は間違いでしたが、間違いだったのはそこだけです」


 自信に満ちあふれた表情。


「いきなりの告白にも真摯に向き合ってくれたのが、嬉しかったです。可愛いとか似合ってるとか、褒めすぎるほどに人を褒めるのは、正直もう許して! という気持ちにもなりますが、全部本心から言っているのがわかるので嬉しいですし、すごいなぁと尊敬します。人を褒めるのが好きだという、その心が好きです。

 その心は、椿()()()のものです。彰彦さんもよく人を褒めていましたが、椿くんほどではありませんでした。あなたが歩んできた道が、あなたをそうさせた」



「だから私はそれを、守りたいと思うんです」



 もしかして、と思う。


 橘さんは――あの日俺が否定した告白をすべて言い直して、やり直そうとしているんじゃないか。





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