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お隣の橘さんは、どうやら前世で俺のお嫁さんだったらしい  作者: 藤崎珠里


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20. 大量のカスタードパイの消費方法

 一緒に過ごすことがなくなった俺と橘さんを、てっちゃんやクラスメイトは心配してくれた。とはいっても、直接何かを訊いてくる人はてっちゃん以外にはいなくて、少し遠巻きにされている感じがした。

 てっちゃんにも、テストが終わるまでちょっと距離を置くことにしたとだけ答えた。一応は納得してくれたが、テストが終わったら遠慮なく訊かれるだろう。


 その予想どおり。

 しばらくしてテストが終わり、張り出された順位も確認したところで、てっちゃんに腕をがっしりと掴まれた。


「で。テストが終わったからには、橘さんと仲直りすんの?」


 順位表を眺めていた周りが、ざわっとこっちを注目するのがわかった。……話題に出しただけでこれって、さすが橘さん。

 正確には、話題に出した『だけ』、というわけでもない。ここのところ橘さんの元気がないことは、学校中で噂になっていたのだ。その理由については、橘さんのファンが俺に嫉妬し、脅迫して二人の仲を引き裂いただとか言われているらしい。てっちゃんから教えてもらったときには、ええ? とめちゃくちゃ困惑した。いもしない犯人が作り上げられているのが怖い。


 とまあ、そんな噂が立っている中で俺に向けて橘さんの話題を出す人がいれば、そりゃあ注目するだろう。

 ……それでも、また今回も橘さんが学年一位なのだからすごい。俺もそう順位を落としたわけじゃないけど、気を抜くと自己嫌悪してしまって勉強に集中できなかった。


「喧嘩してるわけじゃないし、仲直りっていうのとは違うかな……あ、でももちろん脅迫とかでもないんだけど」


 この噂の厄介なところは、否定したところで脅迫されているせいだと思われてしまうところだ。本当に違うのに、信じてくれるのはてっちゃんくらいで嫌になる。大げさな噂のほうが好かれるんだろうけど、誰が流し始めたんだろうなこんな噂……。

 それにしても、こんな人目の多い場所でその話題とか、てっちゃんもひどい。


「ふーん? なぁ、今日お前んち行っても平気?」

「あれ、部活は? 夏休み前に公演あるんじゃなかったっけ」

「オレ今回は脚本と演出だから。今日の分は録っといてもらって後から見るわ」

「……いや、そういうのってやっぱり直接見てやったほうがいいんじゃない?」

「演出はもう一人いるし、大丈夫だよ」


 それ以上の断り文句は思いつかなかったので、了承するしかなかった。

 そして放課後、てっちゃんと一緒に俺の家へと向かった。橘さんは俺とは帰る時間を意図的にずらしてくれているようで(それも噂になっていた)、この二週間ほど帰り道に見かけることはなかった。今日も、橘さんの姿はない。

 家の中は熱気がこもっていて、急いで冷房をつける。まだ夏本番、という暑さではないが、たまに結構暑い日があるのだ。


 てっちゃんには俺の部屋で適当に座ってもらって、その間にお菓子とお茶を用意する。……今日のお菓子はストレス発散で大量に作ってしまった小さめのカスタードパイなので、少し出しづらいけど。

 まあたぶん、ストレス発散だとは気づかれないだろう。そもそもなんていうか、ストレスともちょっと違う、よな。とにかく余計なことを考えないで済むように、何かに没頭したかったのだ。

 なんて思っていたのに、てっちゃんはあっさり見抜いた。


「何個食わすつもり……? 作りすぎ。やっぱなんかあったろ」


 小さいから一人十個くらいはいけるかな、と持ってきてしまったのが間違いだったか。冷静に考えて、いくら小さくても十個のパイは重いな……。


「……いやでも、ナッツ混ざってるのとかチョコ混ざってるのとかもあって……味はそんな飽きないと思うから……」

「食うけどさぁ。自分だけで消費できねぇ量作んなよ。おばさんもおじさんも甘いものそんな好きじゃないんだし」

「う、はい……」


 嫌いとまではいかないが、母さんも父さんもこのパイだったら一つで満足してしまうだろう。てっちゃんだって、いつも美味い美味いと食べてはくれるが、別にそこまで甘いものが好きというわけでもない。

 ……熱々のときにいくつか食べたけど、まだ冷蔵庫に十個はあるんだよな。ここに持ってきてるのが二十個だから、ほんとどんだけ作ったんだよと自分でも思う。

 てっちゃんは仏頂面でパイに手を伸ばしたものの、ちゃんと美味しいとは言ってくれた。


「これ、橘さんにはあげた?」

「……いや、あげてないけど」

「あげたら喜ぶと思うぜ。どうせまだあるんだろ」

「あるけど、その……合わせる顔がないっていうか……」

「……喧嘩はしてねぇんじゃなかったっけ?」


 食べ途中のパイを一息で口に放り込み、呑み込んでからてっちゃんが訊いてくる。


「喧嘩ではない、と思う」

「じゃあ何」

「……橘さんとは付き合えない、って言っちゃった」

「え」


 てっちゃんは目を丸くして固まった。けれどその硬直はすぐにとけて、「あー」と唸るような声を上げて、お茶を飲む。

 苦虫を噛み潰したような顔で、てっちゃんは息を吐く。


「……ついにか。仲良さそうに見えたんだけどなぁ。そういう意味じゃ好きになれなかった?」

「そういうことじゃなくて……橘さんは、なんていうか、俺を通して別の人を見てたみたいで。俺を好きなわけじゃなかったんだ。だから、付き合えないって思った」

「なるほどなぁ? それはお前だったらそうなるわな。しゃあないわ。まあ……なんだ。お疲れ?」

「……うん、ありがと」


 ようやく少しだけ、気持ちが楽になった気がした。まだまだ自己嫌悪が続くことに変わりはなさそうだけど、ひとまず今この瞬間だけはマシだった。

 てっちゃんは「でも」とちょっと低い声を出す。


「そういうことじゃなくてってことはさ、椿、橘さんのこと好きにはなったってことだろ? ほんとにこれでいいのか?」

「……あー、そういうことでも、なくて……」


 実は、恋愛感情と友情の違いがわからないということはてっちゃんにも話したことがなかった。わざわざ言うようなことでもないし、そういう流れになったこともなかったし。あまり問題だと感じたこともなかったから、深く考えてみることすらしなかった。

 そのツケがきたんだろうなぁ、と思う。ちゃんとわかっていればもっと早く答えを出せて――いや、どうせそれでも、今みたいになってたか。杏奈ちゃんが前世の話を持ち出せば、結局は付き合えないという答えに行き着いただろう。

 黙り込む俺に何を思ったか、てっちゃんは少し考える素振りをして。

 そしてはっと顔を上げ、「あのさ……?」とおそるおそる切り出した。


「ちょっと思い出したんだけど」

「うん」

「椿って初恋もまだだったよな」

「……てっちゃんに言ってないだけかもしれないよ」

「いやその返しは確定だろ! なぁ、もしかしてなんだけどさ、お前……そういう好きがわかんねぇ、とか……言う?」


 びっくりするくらい察しが良すぎる。

 これ以上はごまかしようがないと観念して、俺は空笑いしながら小さく首をかしげた。


「……えーっと……恋愛感情と友情の違いって、どこにある、のかな」

「ウソだろ!!」


 残念ながら嘘じゃないのだが、てっちゃんにとっては衝撃的事実だったらしい。そこまでびっくりされることだろうか……わかってない人って結構いるんじゃないのかな……。

 てっちゃんはやけになったようにパイの一つをむしゃむしゃと食べ、その口へお茶を流し込む。


「……そっかぁ、そこも問題だったか。や、まあもともとそういう人もいるから問題っつーのもあれだな。そこは人それぞれ、としてもだ。お前色々ありすぎて、橘さんが可哀想になってきたわ」

「色々?」

「自覚無自覚合わせて、色々、だよ。今は関係ないからいちいち説明しねぇけど……はー、そかそか、そっか。どうしたもんかなー。人があれこれ言ってわかるようになるもんじゃねえしな、恋なんて」

「……そうなの?」


 てっきり、ここでてっちゃんの恋愛講義が開かれるのかと思っていた。そんなものが開けるほどてっちゃんも恋愛豊富なわけじゃないけど、中学時代には彼女がいたし、少なくとも俺よりは恋愛についてわかっているだろう。

 てっちゃんは、しょうがねぇなあ、とでも言いたげな顔で笑った。


「そうだよ。でもたぶんお前は、いつかわかるようになるから大丈夫」


 無根拠な『大丈夫』だった。でもてっちゃんが言うなら本当に大丈夫なんだろう――と簡単に思えるほど、俺もてっちゃんのことを信じきっているわけでもない。


「……わかる、かなぁ」


 それでも、ほんの少しだけ。

 ほっとした。


「大丈夫だって、な? だってお前……ん、まあいいや。それでさ、これはあくまでオレの意見なんだけど」


 何かを言いかけたのをさらりとやめて、てっちゃんはそう前置きする。


「お前と橘さんは、やっぱりお似合いだったと思うよ」

「……そう、かな」

「オレの意見つったろ。そんでー、咲良、ちょっとついてこい」


 てっちゃんはなぜか、まだパイがいくつか残ってる皿を持って立ち上がった。


「……どこ行くの?」

「いいからいいから。黙ってついてくる!」

「えぇ? やだよ、なんか嫌な予感する」

「うるせー、ついてこい」


 引く気がまったくないようなので、しぶしぶ俺も立ち上がる。てっちゃんが咲良って呼ぶときは大抵何か企んでるんだよなぁ。……ほんと、パイなんか持ってどこに行くつもりなんだ。まさかこの流れで橘さんちに行くとかはない、よな?

 てっちゃんの後を追い、家を出る。そのままてっちゃんはエレベーターに向かう――かと思いきや。


 ……ここでちょっと、説明しようと思う。いや説明ってほどの説明じゃないんだけど。

 俺と橘さんはお隣さんだが、位置としては橘さんの部屋のほうがエレベーターに近い。つまり、橘さんの部屋はエレベーターに向かう通り道にあるということで。

 ずんずん歩いていくと見せかけたてっちゃんは急に止まって、え、と思う間も与えない勢いで橘さんちのチャイムを鳴らしたのだった。


「――てっちゃん!?」

「文句は後で聞くからなー」

『……はい、え、っと……?』


 モニターを見たのか、すごく困惑している橘さんの声が聞こえた。

 それに対し、てっちゃんはにんまりと、わざとらしいほどに悪い顔で笑った。



「どーも、住吉です。いきなりごめんな、橘さん。お隣からちょっとお届けものがあるんだけど、受け取ってくれる?」





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