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16. あなたに、信じてほしい

「……杏奈ちゃんは、俺にどうしてほしいの?」


 信じる、信じないを答えるよりも先に、まずそれを訊く。知っててほしかった、という部分に、何か目的があるような気がしたのだ。

 俺の問いに、杏奈ちゃんは嫌そうに顔をしかめた。


「ソレ、答えなきゃだめ?」

「……答えなくてもいいけど、答えてくれたら嬉しい、かな」

「はー、そういうとこ彰彦さんと似てんなぁ。私はただ――姉さんのことを全部知ったうえで、あんたに姉さんのことを受け入れてほしいだけだよ?」


 そううそぶいて、彼女はかすかに微笑んでみせた。

 嘘だ、と直感的に思ったけど、ここで指摘する意味もない。素直に答えてくれたところで、それによって俺が行動を変えることはないんだから。「そっか」とだけ返事をした俺に、杏奈ちゃんはつまらなそうに目を細めた。


「……信じるかどうかも、受け入れるかどうかも、橘さんと話してから決めるよ」


『信じられない』と『信じない』は違う。信じられなくたって、信じると決めたことなら俺は信じる。

 その答えを出すためには、橘さん本人との会話が必要だった。


「あは、マジメだぁ。ま、だと思った」


 ……彼女は、俺が『彰彦さん』ではないと言った。それなのに、だと思った、なんて。俺のことを『彰彦さん』としてみなしていなければ出ない言葉で、矛盾している。

 杏奈ちゃんの話が事実とするなら、俺は『彰彦さん』と姿形が違ううえに記憶もない。

 そんなのはもはや、彼女が言ったとおりまったくの別人だ。何か同じものがあるのだとしたら、魂とかそういう、ぼんやりとした曖昧なもの。


 橘さんは――()()()()()を信じて、俺に好きだと言ったのか。


 そう思ってしまって、違う、と強く否定する。

 違う、だめだ、そんなものなんて言っちゃいけない。違うんだ。そんなもの、じゃない。

 少なくとも、橘さんにとっては、すごく……すごく、大切な、ことで。


「あれー?」


 うつむく俺に、杏奈ちゃんがわざとらしく煽るような声音を出す。


「椿サンもしかして、ショック受けてる? そりゃあ姉さん、可愛いもんね? あんな可愛い子に好きだって言われたら浮かれちゃうのもしょうがないよね?」


 浮かれていたわけではない、とは言い切れなかった。どうしよう、と困ってはいたが、真っ直ぐな好意をぶつけられて嬉しかったのも事実だ。

 ……その好意が俺ではなく『彰彦さん』に向けられていたとわかって、少しショックを受けているのも、事実なんだろう。


「姉さんが好きなのがあんたじゃなくて残念だったね、椿咲良サン」


 否定も肯定もしないまま、俺はストローで一気にコーヒーを飲み干した。


「……飲み終わったし、俺もう行くね。おつりは気になるようだったら、橘さん経由で返して」


 二人分の会計として千円札二枚をテーブルに置き、荷物を持って立ち上がる。――と、杏奈ちゃんはその二枚を掴んで、素早く俺の鞄にねじ込んだ。


「奢るって言った」

「……いや、でも」

「拒否権はないとも言った」

「…………わかりました」


 しぶしぶ了承すれば、杏奈ちゃんは「ん」と満足げにうなずいた。ひらりと手を振った彼女に会釈だけ返して、喫茶店を出る。


 ……前世、か。

 無意識のうちに、ため息がもれる。信じたい気持ちと信じられない気持ちがせめぎ合って、何がなんだかわからない。頭の中はずっと混乱していた。混乱というより……なんだか、苦しかった。どうしてこんな気持ちになるんだろう。

 マンションの下に着き、人の邪魔にならなそうな場所で止まってスマホを出す。

 開くのは橘さんとのトーク画面。こんな状態で話せるのか不安ではあったけど、でもこの問題を先送りにもしたくなかった。


『もう帰ってる?』


 即座に既読がついた。俺から送ったメッセージには、本当にすぐに既読がつくことが多い。

 通知音とともに、画面に返信が表示される。


『はい、帰ってきてますよ!』

『どうかしましたか?』


 首をかしげるペンギンのスタンプ。少しだけ悩んだ後、結局考えていた文面を送る。


『ちょっと確認したいことがあるんだけど、今から会える?』

『急でごめん』


『大丈夫ですよ!』

『椿さんは今おうちですか?』


『ううん、マンションの前にいるよ』


『それならとりあえず、下に降りますね』


『お願いします』


 ……ゆっくり話すのに適した場所はどこだろうか。

 ファミレスとかファストフードの店とか、ざわざわしている場所はあまり好ましくない。さっきの喫茶店はいい場所だったが、またあそこに戻る気にもなれなかった。

 となると……近くの公園とかどうだろう。屋根付きのベンチがあるし、幸い今日は気温も高くない。すでに座ってる人がいたらそのときにまた考えることにしようかな、などと考えているうちに、エントランスから橘さんが出てきた。


 学校が終わってからしばらく経つので当然だが、橘さんが着ているのは制服ではなく私服だった。グレーのシャツブラウスに、ゆったりとした黒いショートパンツ。

 いつもなら可愛いと褒めていただろうが、そういう気分にはなれなかった。……思っていた以上に、杏奈ちゃんの話にダメージを受けているのかもしれない。

 駆け寄ってきた橘さんは相当急いで来たのか、サンダルのかかとのストラップが上手く足にはまっていなかった。俺の視線で気づいたのだろう、はっとして恥ずかしそうに履き直す。


「お、お待たせしました……!」

「ううん、全然待ってないよ。急にごめんね。公園のベンチで話そうかなって思ってるんだけど、大丈夫?」

「は、はい!」


 なんとなく緊張と不安の滲む顔で、橘さんはうなずいた。


「……あの、その、確認というのがお返事の件なら、まだ早いんじゃないかと、思うんです、が」

「……返事にも関わることではあるけど、返事そのものではないかな」

「あっ、そうなんですね!」


 あからさまにほっとした橘さんに、ほんの少しの罪悪感を覚える。……話次第では、今日答えを出すことになるんだから。


 近所の公園は、そこそこ大きい。遊んでいる子どもはいたが屋根付きのベンチには誰も座っていなくて、この分なら静かに話ができそうだった。

 ちょっと考えて、橘さんをベンチに座らせてから自販機まで走る。場合によっては橘さんにいっぱい喋らせてしまうかもしれないし、飲みものはあったほうがいいだろう。

 無難にお茶を買って渡せば、「すみません、いくらでしたか?」と申し訳なさそうな顔で財布を取り出す橘さん。


「いいよ、急に呼び出しちゃったしそのお詫びってことで」

「……そう言われたら、ただ受け取るしかないじゃないですか」


 不服そうながらも橘さんは財布をしまってくれた。

 俺が隣に座ると、「にょっ……!」と奇声を上げてベンチから落ちるぎりぎりまで遠ざかる。そ、そこまで距離近かったわけじゃないんだけどな……歩いてるときの距離感とそう変わらないのに、歩いてるのと座ってるのじゃ何か違うんだろうか。

 橘さんは小さく謝って深呼吸をすると、ゆっくりそろそろとまた元の位置に戻った。お茶のペットボトルを開けずに両手で持ち、何事もなかったかのように「それで」と首をかしげる。


「確認ってなんでしょうか……?」


 今さっきの橘さんの真似というわけではないが、一度深呼吸をする。それから橘さんと真っ直ぐに目を合わせると、彼女の顔がじわじわと赤くなる。


 橘さんがこんな反応するのは――誰に対して、なんだろう。


「……前世で俺たちが夫婦だったって、ほんと?」


 ひゅ、と息を呑む音が聞こえた。

 顔の赤味は嘘のように消え去り、むしろ血の気が失せている。もともと白い肌が更に白くなっていて、倒れてしまうんじゃないかと心配になってしまうほどだった。……そんな顔をさせたのは俺だから、心配する資格すらないんだろうけど。

 浅い息をして、橘さんはぎこちなく笑みを作った。


「……な、何を言ってるんですか?」


 動揺を隠しきれていない。


「前世とか、そんなのあるわけないじゃないですか」


 震える声には、どうかそれで納得してほしい、という懇願が込められているような気がした。杏奈ちゃんよりよっぽど嘘が下手だ。……かわいそうだけど、その嘘にのってあげることはできない。


「杏奈ちゃんに聞いたんだ」


 橘さんは何かに助けを求めるように、視線を泳がせた。


「あんなちゃん、に? うそ、なんで、え、だって、杏奈ちゃんは、」

「橘さんのことを全部知ったうえで、俺に橘さんのことを受け入れてほしいって言ってた」


 おそらく嘘だろうとは思うけど、橘さんにはそう言っておく。

「なんでそんな」と泣きそうに顔を歪める橘さんに向けて、俺はつとめて淡々と、言葉を紡いだ。


「ずっとわからなかったんだ。なんで橘さんは俺なんかを好きになったんだろうって。『昔』っていつのことだろうって。橘さんくらい可愛い子、普通忘れないと思うんだ。少なくとも、会ったときのことを話してもらえればたぶん思い出せるのに……なんでそのときのことを話してくれないんだろう、って。

 でも、思い出してほしくない理由があるんだとして、それがその『前世』に関わることなら、全部納得できるな、と思った」


 このよくわからない苦しさは、きっと、そう思ってしまったから、だった。

 俺が杏奈ちゃんの話をすぐに信じられなかったのは、()()()()()()と思ってしまったからなのだ。さっきまで自分でも気づいていなかったけど……納得を、受け入れたくなかったから、なのだ。


「本当に橘さんは、前世の記憶があるの?」


 橘さんの瞳が揺れる。答えあぐねているようだった。俺はあえて何も言わずに、彼女の答えを待った。

 耳に届くのは、風が木を揺らす音や子供たちの遊び声、車の走る音。そんな中で橘さんの声を聞き逃さないようにと、俺は耳を澄ませる。

 数分にも感じる数秒の後、橘さんは口を開いた。


「あるって言ったら……」


 そこで区切って、ほんの小さく首を傾ける。



「椿さんは、信じて、くれるんですか?」



 その顔に確かに見えるのは、期待の色。



 ――信じてほしいって、思ってるんだなぁ。


 それがわかって、苦しさが増す。じくり、と胸のどこかが変な音を立てた気がした。


「信じるよ」


 見開かれる目。徐々に歓喜の色が混じっていくその表情を、静かに見つめた。

 橘さんが俺に期待したように、俺も、橘さんに期待してしまっていたんだろう。前世なんて関係なく、()()()のことを好きになったんだと言ってくれることを。


 でも、この反応はきっと。

『彰彦さん』を(彰彦さん)に認めてもらえたことを、喜んでいるのだ。

 こんな顔をされてしまったら信じるしかなかったし、答えを出すしかなかった。





「――だから、ごめん。俺は君とは付き合えない」





 橘さんを絶望に突き落とす、答えを。







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