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14. 昔って、いつのこと

 橘さんの誕生日から一週間が経った。

 やっぱり相変わらず、橘さんとの関係に変化はない。俺は答えを出していないし、橘さんも返事を求めてこなかった。むしろどこか……俺が答えを出すことを、怖がっている節さえあるように見えた。



 今日は土砂降りの雨だった。

 先日梅雨入りが発表されてからも晴れの日が続いていたのだが、ようやく梅雨らしい天気である。とはいっても朝は晴れていて、降り出したのは昼過ぎ辺りからなんだけど。天気予報が大当たりだ。

 ちゃんと予報を見ていたので、普通の傘にプラスして予備の折りたたみも持ってきた。こういう日って傘忘れる人もいるし、知り合いにそういう人がいれば貸すつもりで。



 少し長引いた六時間目が終わり、昇降口に向かう。そしたら傘も持たずに難しい顔で空を見上げる橘さんが見えて、あ、これは、と思った。

 橘さんが困っていれば傘を貸したり譲ったりしてくれる人はいるだろうけど、そこに下心が含まれていないほうが橘さんだって楽だろう。

 足を速めて声をかけにいこうとしたとき、橘さんは急に走り出した。――土砂降りの外に向かって。


「えっ」


 確かに俺たちのマンションまで走ればすぐではあるが、だからってこんな雨の中を傘もなしに走ったらめちゃくちゃずぶ濡れになる。

 俺は傘立てから自分の傘を引っ掴んで、慌てて橘さんの後を追った。水溜まりを踏んでしまってびちゃりと足が冷たくなったが、気にしている場合ではない。


「橘さん!」

「きゃっ!?」


 肩を掴み、橘さんの体が入るように傘を傾ける。びくりとした橘さんは、振り返って俺に気づくと目を丸くした。


「え、あっ、え、え、つ、つば、」

「やっぱりもうずぶ濡れ……あ、いきなりごめん、びっくりさせたよね。でも俺折りたたみもあるからこの傘貸す! あと、はい、タオルも。ちょっとの距離だけど、拭かないよりはマシだと思うから」


 雨の日にはいつもタオルを持ち歩いている。これはさすがに自分用だけど、今日の朝は降っていなかったから幸い未使用だ。

 押し付けるようにして渡したタオルを受け取り、橘さんはぽかんと俺を見ている。その髪の毛からは雫が滴っていた。早く拭いてほしいのに、彼女は一向に動かない。男友達相手だったら無理やりぐしゃぐしゃ拭いてるところだけど、橘さんにはさすがにな……。


 無言の間、雨は傘を打ち続けている。ばちばちとした重い音に、走りながらこれに当たったなら痛いくらいだったんじゃないか、とぼんやり思う。

 橘さんの首筋に張りつく濡れた髪からなんとなく目を逸らしつつ、怪訝な気持ちを込めて俺は名前を呼んだ。


「……橘さん?」

「……あっ、はい、ありがとうございます椿くん! タオルも傘もお借りしますね……!?」


 あわあわと髪の毛の水気を取り出した橘さん。その間彼女が濡れないように傘を差しながら、カバンから折りたたみを出す。

 橘さんが肌まで拭いたのを見てから、また口を開いた。


「この傘、ちょっと持っててくれる? 折りたたみ開きたくて」

「貸していただく立場ですし私が折りたたみ使いますよ!?」

「持っててくれると嬉しいな」

「……はい」


 しぶしぶ了承してくれた橘さんは、受け取った傘を俺のほうに傾けてくれた。その間になるべく早く折りたたみを開く。


「ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます」


 流れで一緒に歩き出す。お隣さんなのにここで先に帰るのも変だろう。

 ちょっとして、橘さんは俺の折りたたみ傘をちらりと見やった。


「……あの、どうして傘を二つも持っていたんですか?」

「今日の朝、雨降ってなかったでしょ。でも予報じゃ昼くらいから雨だったし、忘れた人がいたら貸そうと思って」

「あはは……()()()()()()()()


 橘さんはふっと笑う。……変わってないって、橘さんはいつのことを言ってるんだろう。

 ほんの少し眉根を寄せた俺に、橘さんははっとしたように「すみません、何でもないです」と言った。


「傘、本当にありがとうございます。短時間なら大丈夫かと思ったんですけど……」


 ばつが悪そうな笑顔を浮かべる橘さんに、「大分無謀だったね」と苦笑いを返した。

 そしてふと気づいてしまったことがあって、視線を橘さんでなく前へと向ける。


「……橘さん、そのタオル首にかけといて」

「へ? わかりました……?」


 わかっていない顔で素直に首にかけてくれた橘さんにほっとする。……透けていたのはキャミだったけど、濡れたシャツからはうっすら肌色も見えていて、目の毒なのは確かだった。

 数秒後、俺の言葉の意味がわかったらしい。じわじわ頬を赤く染めて、「すみません……」と謝ってきた。謝る必要があるとしたら俺のほうだ。

 橘さんはタオルを無意味にさわりながら、恥ずかしさを隠すようにほんの少ししかめっ面をした。


「椿くんは、こんなに好きにさせて私をどうしたいんですか?」

「え、えーっと……」


 こんなタイミングでまた告白を受けるとは思っていなかったのでうろたえてしまう。今の一連の行動に好きになるポイントがあっただろうか。

 橘さんは俺の反応に困ったように眉を下げて、また謝ってくる。


「すみません、たちの悪い冗談でしたね。いえ、その、本気なので冗談ではないんですが、タイミングが悪かったというか……」

「……ううん。上手く反応できなくてごめん」

「悪いのは私ですから、椿くんは謝らないでください」


 さらに下がった眉を見ていられなくなってしまった。


「……いつも同じ言葉で申し訳ないですが、今日も好きです、椿くん」

「……うん、ありがとう」


 なんとかお礼だけは返す。雨の音でかき消されていないか心配だったがちゃんと届いたようで、橘さんは目を見開いて、それからとても嬉しそうな、満足そうな笑顔を浮かべた。

 たったこれだけの言葉で、どうしてそんな顔をしてくれるんだろう。


 ――なんでそんなに、俺のことが好きなんだろう。



 雨音が、傘を伝って響いている。


「ねぇ。前も訊いたけどさ……橘さん、いつ、なんで、俺のこと好きになってくれたの?」

「……昔。すごく、優しくしてもらったんです」


 返ってきた答えは、以前と同じだった。


「ごめん、俺、全然覚えてないんだ」

「はい、知ってます」

「……だからできれば、どんなことがあったのか詳しい話を聞きたいんだけど。思い出したいんだ、そのときのこと」


 橘さんの目が、どこか遠くを見る。俺に戻された視線は、しかしやっぱり俺を見ていないようだった。



 揺れる瞳は、泣きそうで。


 小さな唇が、震えながら開く。




「――ごめんなさい。秘密にさせてください」



 それは間違いなく、拒絶だった。


「……そっか」


 他に、なんて言えただろう。

 ぽつぽつと会話をしていれば、マンションに着くのはすぐだった。また明日、と別れて家に入る。

 一応傘は差していたが、走ったりしたからか体は大分濡れていた。タオルで拭くよりはもう風呂に入ったほうがいいだろう、と湯船にお湯をため始める。

 濡れた体でラグにのるわけにもいかないので、俺はフローリングの上に腰を下ろした。


 橘さんと話すのは楽しいし、橘さんを可愛いと思う。

 一生懸命アピールしようとしてくれるところや、ストレートに好意をぶつけてくれるところ、ご飯をすごく美味しそうに食べるところ、俺の前でだけぽんこつが激しくなるところ。可愛いと思うところはたくさんある。

 ちゃんと知り合ってから、以前より視界の中ではっきり橘さんのことが見えるようになったけど、俺に気づいていない橘さんは挙動不審にもならないし、奇声も発さないのだ。明るい笑顔を浮かべて、色んな人と一緒にいる。

 けれど俺に気づいた途端、その笑顔がわかりやすいくらいに輝いて、そんな自分にはっとして、ちょっと恥ずかしそうにはにかむ。……そういうのも、可愛いな、と思う。


 それくらいの理由で、告白にうなずいていいのかな。


 普通なら、それくらいの理由でうなずくんだろう。わかる、わかってる。

 でもなぜか、それができない。()()()()()

 だからといって、そんな迷いを理由にきっぱり振るのも可哀想だった。可哀想だ、と同情することすら本来は身の程知らずのことだろうけど。

 恋愛初心者すぎる俺にとって、あまりに難しい問題だった。


 どうすれば一番、橘さんを傷つけずに済むんだろう。やっぱりもう、俺のつまらない迷いなんて捨てるべきか。でも友達として好きなだけなのに付き合うのって、橘さんを傷つけることに繋がったりしないだろうか。それともこれはもう、とっくに恋になってるんだろうか。恋なのだとしてもやっぱり、好きになってくれた理由がわからないことには迂闊な返事は……。


 うじうじぐるぐる、似たようなことを考えてしまう。

 ……せめて、俺を好きになってくれた理由を知れたらよかったのに。






 そして――翌日、俺はその理由を知ることになる。


「あんたが椿咲良サン?」


 橘さんと似たその女の子は、冷たい声で俺の名前を呼んだ。



「ちょっとツラ貸して」




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