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13. チーズケーキと三本の薔薇

 そのまま別れようとしたのだが、直前で橘さんが「あ、そうだ!」と声を上げた。


「ちょっと待っててください!」


 ばたばたと家に入っていった橘さんに、首をかしげる。なんだろう。

 ほどなくして出てきた橘さんは、小さな袋を持っていた。半透明の袋から見えるのは、赤いさくらんぼ。


「これ、親から送られてきたんです。美味しいので、よろしければどうぞ!」

「……親御さんからの誕生日プレゼントの一つ、とかではない?」

「あまり日持ちしないのに、私の好物だからってどっさりもらってしまって……それなら早めに、美味しく食べたほうがいいと思うんですよね!」


 否定はされなかった。う、うーん、誕生日プレゼントのお裾分けをもらっていいのか、とは思うけど、確かに早めに食べてしまったほうがいいのは確かだろう。

 それにつやつや輝く赤いさくらんぼは、見るからに美味しそうだった。……橘さんの親が送ってきたものなら、きっと高級さくらんぼだし……橘さんと同じくさくらんぼ好きの身としては、どうしても惹かれてしまう。


 数秒悩んだ末、ありがたくもらうことにした。でもたった一分なでただけでこれをもらってしまうのはなんだか申し訳ない。

 何かお返しに、と考えて、すぐに思いついたものはあった。

 ……あった、けど。ちょっとどうかな、とも思う。かといって今すぐお返しできるものはそれくらいしかないし。


「……橘さんも、ちょっと待ってて」

「えっ、あ、お気遣いなく! むしろ食べるお手伝いをしていただいて助かるくらいなので!」

「そんな大したものじゃないからさ」


 察して断ってくる橘さんにそう笑って、鍵を開けて家に入る。

 このさくらんぼ、は冷たさからいって冷蔵保存してたんだな。あまり温度変化を出さないために、手を洗ってから冷蔵庫にしまう。それから冷蔵庫からあるものを取り出して……少し考えた後、切り分けて小皿に載せ、ラップをかける。

 それをそのまま持って玄関を出れば、皿の上のものを見た橘さんは、瞳をきらきら輝かせた。


「チ、チーズケーキ!」

「うん、チーズケーキです」


 俺の手作りの――というのは言わないでおく。

 このベイクドチーズケーキは俺が昨日、なんとなく食べたくなって作ったものだった。

 お菓子作りが趣味とかそういうことではないが、気晴らしになるうえにそこそこ美味しいものが食べられるのは一石二鳥だ。料理もまあ楽しいけど、いつもしていることだからわくわく感が足りない。

 だから時々こうやって、そのときに食べたいお菓子を作るのだった。


 手作りというのは見たらわかるかもしれないが、言わなければきっと母さんの作ったものだとか勘違いしてくれるだろう。

 さすがに……その、誕生日に手作りのケーキをあげるっていうのは……期待を持たせてしまう行為だと思うし。迂闊なことは言わないほうがいい。

 なんて思っていたのに、である。


「それ、もしかして椿さんが作ったものですか!?」

「えっ」

「やっぱり!」


 確信を持ってぶつけられた問いに動揺すれば、あっさりバレてしまった。……いやいやいや、なんでバレるの。おかしくない?

 呆然としつつも「お返しってほどいいものじゃないんだけど」と皿を差し出せば、橘さんは満面の笑みでそれを受け取った。


「……椿さんの、チーズケーキだぁ……」


 どうしてここまで喜ばれるんだ……?

 俺が作ったものだから、なんだろうけど、それだけじゃない気がして頭が混乱した。確かにチーズケーキは比較的作る頻度が高くて、レシピを確かめる必要もなく作れるくらいだから味には自信があるけど……橘さんがそれを知るはずもないし。

 戸惑う俺に気づかない様子で、橘さんは「あの!」とはしゃいだ声で話しかけてくる。


「よければこれ、椿さんと一緒に食べさせていただけないでしょうか」

「一緒に? ……それって、うちでってこと?」

「はい。それか、うちでも。もちろんご迷惑でしたら一人で食べます……! ですがその、少しだけ、一人で食べるのが寂しいなぁと思ってしまって」


 少し、びっくりした。橘さんのアピールはたまに大胆だけど、大抵は控えめだ。それに大胆っていっても、実行している橘さん自身だって恥ずかしそうにしているのだ。

 だけど今、橘さんの顔から羞恥心は一切読み取れなかった。


「……家で二人っきりっていうのはなぁ。何もする気はないけど、何かあってからじゃ遅いから、ごめんね」


 そのお願いは、了承したくなかった。

 ちょっと頭が固いんじゃないか、古いんじゃないかと言われても、付き合ってもない男女が二人きりでどちらかの部屋に、なんて――いや。これは単なる、建前なのかもしれない。もちろんそういう考えも込みで言ったけど、本当の理由は別にある。

 といってもそれは……上手く、説明できないのだが。

 なんだろう。


 ……橘さんは()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして俺は、俺がそこまでの信頼に足ることをした覚えがない、から?


 胸がざわめく。正体不明のざわめきだった。

 なんだろう。


 なんなんだろう、これ。


「あ……そ、そう、ですよね、すみません、はしたないお願いを……!」


 今更顔を赤くして、橘さんは謝った。


「食べたらお皿、洗って返しますね!」


 あたふたと部屋に入っていく橘さんの背中を見送って、俺は息を吐いた。ため息、とも呼べない軽い息。



 ……橘さんって、ほんとになんで俺のことなんて好きなんだろう。はっきりとした理由も言ってくれないし、理由のわからない好意は――正直、少しだけ怖い。

 最初の告白のときに、「そういうところが好きなんです」とは言われたけどどういうところかわからなかったし……きっかけの出来事を何も覚えていないから、納得もできない。

 もちろん、本人にも言ったように俺は橘さんを人として好ましく思っているし、友達だと思ってはいるのだ。でもそれとこれとは話が別だった。


 人として好ましく思ってるなら、もう付き合っちゃえばいいじゃないか、と大抵の人は思うかもしれない。だって相手は橘さんだ。欠点らしい欠点なんて何もない、とても可愛い女の子。

 そんな女の子から告白を受けたら、彼女や好きな人がいない男ならオーケーするだろうし、人によってはいたとしてもオーケーするかもしれない。それくらい、橘さんは可愛い。俺だってそれはわかってる。


 でも、何か引っかかってしまうのだ。

 好きになってくれた理由を教えてもらわない限り、きっと俺は返事を出せない。出してはいけない気がした。まあ、橘さんに語るつもりがないなら、そんなことも言ってられないんだけど。

 返事を求められたときにちゃんと答えられるよう、考えておかなくてはいけない。


 ……そもそも、実のところ。()()()()()()()()()()からしてよくわからないんだよなぁ。わからないまま、答えを出さなくちゃいけなくなったらどうしよう。

 今度こそため息をつきながら、俺は自分の家のドアを開けた。





 しばらくして、橘さんからメッセージが送られてきた。『いただきます!』という言葉と、一枚の写真。

 写っていたのは、アンティーク風のお皿に移されたチーズケーキと、それを彩るように置かれた赤い薔薇だった。三本の薔薇が入っている花瓶は透明で、控えめだが上品なデザインである。

 ……俺があげたのって、すっごい庶民的な普通のベイクドチーズケーキなんだけどな。こういうふうに撮ってもらうと、なんだかお高いホテルで出てくるようなケーキにも見える。


『すごいおしゃれに撮ってもらえて光栄です。ありがとう!』


『いえ!椿くんのケーキにふさわしい写真になっていたらいいのですが…』

『あっ、椿くんのおうちのお皿が駄目だとかそういうわけではなく』

『よく考えたら椿くんと同じ食器を使うというのが少し恥ずかしくて!』

『あとつい赤い薔薇を買ってきてしまいましたが、他意はないので気にしないでくださいね!!』


 どことなく急いだように送られてきたメッセージに、目を瞬く。

 同じ食器が恥ずかしい、というのはともかくとして。……薔薇を買ってきた? わざわざ?

 確かにただセッティングしただけにしては、別れてから時間が経っている。近所のお花屋さんで、急いで花を見繕ってきてくれたってことか。――俺に見せる写真を撮るためだけに。


 その突飛さと心遣いがくすぐったくて、つい笑ってしまう。さっきまでの胸の中のもやもやが、すっとなくなった気がした。

 ……また同じようなことを感じてしまうことは、きっとあるんだろうけど。

 だけど少なくとも今だけは、それを頭から追い出そう。こんな心遣いを素直に喜べないなんて、申し訳ないから。


 ふと悪戯心がわいて、少し意地悪なメッセージを送ってみる。


『花言葉には詳しくないけど、赤い薔薇の花言葉ならなんとなく知ってるよ』


『ちがいまふ』

『たいはなくて』

『ただこのチーズケーキに似合うと思ってですね』

『本数とかも別に何も関係ないので!』

『気にしないでください!!』


 想定以上の焦りように、ますます笑ってしまった。

 きっとお隣で、橘さんはいつもみたいな奇声を発したはずだ。聞けなかったのがちょっとだけ残念。

 これ以上焦らせるのも可哀想だから、『うん、わかった笑』と送って本数の意味は調べないでおく。調べたら俺も照れちゃいそうだし。……今の時点でじわじわ照れてきてるし。


 確かに今日は口頭での告白は受けてなかったな、と思って、俺は写真をもう一度見直す。

 みずみずしい真っ赤な薔薇は、それだけでめいっぱいの愛を伝えてくるようだった。





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