11. 優しいあなたなら
「……そういえば、返事はまだいらないって言ったのはなんで?」
食べながら訊いてみると、橘さんは少し困った顔をした。
悩むように視線を動かしてからスプーンを食器の上に置き、そうっと口を開く。
「すごく嫌な女だと思われることを覚悟で、正直に言いますが……私の容姿は恵まれています。それだけじゃなくて、私が他のことにおいても恵まれているということは、同じ学校にいたら耳に入っていたと思います」
……自覚、あったんだ。彼女ほどの人間だったら自覚がないほうが嫌味だけど、なんだか少し意外に感じてしまった。
橘さんは真剣な表情で続ける。
「でも、告白の返事をそういうことから判断してほしくありませんでした。椿さんご自身が私と話して、同じ時間を過ごして……それから、考えていただきたかったんです。友達としてのお付き合いがいいか、恋人としてのお付き合いがいいのかを。あるいは……その、一生私なんかと関わりたくないとか……そういうお返事でも、う、受け入れる、かく、ごは……」
「待って待って」
どんどん橘さんの眉が下がっていくのを見て、慌てて待ったをかける。どうしてそんなネガティブな方向にいくんだ……?
自分で言いながらもはや泣きそうになっている橘さんに、俺もフォークを置いて言葉を探す。食事中に切り出すような話じゃなかったな、と反省した。
「えっとね。俺も、会ったばかりの人に告白されてもちゃんと返事できなかっただろうから、ああ言ってくれて正直助かった、かな」
――でも橘さん、と続ける。
「一生関わりたくないとかは、絶対ないから」
え、と目を見開く橘さん。……恵まれているという自覚があるのに、自信は足りてないのか。
少しでも橘さんが安心できるように、できるだけ優しい笑顔を作る。
「橘さんと話すようになってまだそんなに経ってないけど、それだけでも橘さんがすごくいい子だっていうのはわかったよ」
「聞き耳を立てて登校時間を被せたり、隠し撮りしたりしたのにですか……!?」
「う、ううーん、ひとまずそこら辺は置いとこう」
それによって橘さんへの好感度が下がるとかはなかったけど、確かに一般的に見て『いい子』がすることではないだろう。とはいえ、ここでそれにも言及するのは話がややこしくなるのでやめておく。
それでも橘さんはなおも言い募る。
「椿さんは、椿さんの前にいる私しか知りません。それなのにいい子と判断するのは少し早計すぎます! 好きな人の前ではいい子でありたいなんて当たり前なんですから!」
早計、なんて普通の会話で使う人いるんだなぁ。……いや、橘さんがこんなに必死なのに、関係ないこと考えちゃ駄目だな。
「そう思うのは確かに当たり前なのかもしれないけど、皆がそれを実行できるわけじゃないよ」
「そうです。現に私は実行できていません。好きな人の前ですらちゃんといい子でいられない私を、『すごくいい子』なんて思うのは危ないですよ。椿さんは人が好すぎます」
真剣な顔で話す橘さんは、本当に自分のことをいい子じゃない……むしろ悪い子だと思っているような口ぶりだった。
……うーん、まあ確かに、まだちゃんと話すようになって一週間だ。たったそれだけで何がわかる、と言われたらそれまでだった。
でもやっぱり、こんな忠告をしてくれる子がいい子じゃないわけがないと思う。これを言ったら橘さんはさらに何かを言い返してきそうだけど。
今は言わないほうがいいか、と結論付けて、俺は橘さんの目を真っ直ぐに見つめた。
「それじゃあ橘さんがいい子かどうかはともかく、俺は橘さんのことを現時点ですでに、人として好ましく思ってる。一緒にいて楽しいし、もっと君のことを知りたいと思う。だからそういう最悪の想定はしないでいいよ。っていうか、しないでほしいな」
そんな想定されたら悲しい、というのは少し身勝手な言い分だろうから、口には出さないでおく。『人として』と言ったけど、俺はもう橘さんのことを友達だと思っているのだ。だからそんなふうに縁を切られる覚悟をされるのは悲しかった。
しかし、恋愛としての好意を抱いてくれている橘さんに、今友情としての好意を返すわけにはいかない。それをするのだとしたら、ちゃんと結論を出してからじゃないと駄目だろう。
俺の言葉に、橘さんはわずかにうつむいて黙り込んだ。視線が合わなくなってしまったのがちょっと残念だった。
その間に食べるのを再開、というわけにもいかなくて、じっと橘さんを見つめたまま静止する。……あ、これだと視線で圧をかけてる感じになるか。水の入ったコップに視線をずらして、橘さんの反応を待つことにした。
「……椿さ、くん」
いまだに慣れないのだろう、言い直しながら俺の名前を呼ぶ。それにつられて顔を上げると、またも橘さんは赤くなっていた。まさかこの言い方も駄目だったのか……?
「あの、その言い方は、ええっと、ちょっと、かなり告白っぽくてどきどきしてしまうので、よくないと思います……! いえ、お気持ちはとっても嬉しいですし、あえて『人として』と言うことで、私が勘違いしないようにという配慮までしていただいているんですが、でも、でもですね!? うっかり勘違いしてしまいそうになるので、気をつけてください!!」
「ご、ごめん……」
「いえ。いえ、いいんです……そうですよね。あなたが、もう一生関わらないでほしいなんて言うはずがありませんでした。失礼なことを言ってしまい、こちらこそすみません」
ごはん冷めちゃいましたね、食べましょうか、と橘さんは微笑んだ。その表情から不安が消えているのを見てほっとする。
……もっとちゃんとした場で話すべきことだったよなぁ。本当に申し訳ない。できれば返事の明確な期限も教えてほしかったが、今はもう訊かないでおこう。なんだか、橘さんはあえてそれを言っていないような気もするし。
すっかり冷めてしまったカルボナーラとオムライスを食べきり、店員さんに食後のパフェを運んでもらう。……あー、俺も何かデザート頼むべきだったか。今更失態に気づく。橘さんに気を遣わせちゃいそうだ。
「お待たせすることになってしまってすみません……」
「ううん、こっちこそごめん。俺も何か頼めばよかったなぁ。全然急がなくていいから、ゆっくり食べてね」
案の定謝ってきた橘さんに首を横に振る。次の機会があればこの反省を活かそう。
手持ち無沙汰になってしまったので、俺は頬杖をついて橘さんを眺めることにした。俺の視線に気づいていないのか、橘さんはパフェのソフトクリーム部分をわくわくした顔で口に運ぶ。そして口に入れた瞬間、ふわっととろけるような笑顔。ブラウニーやクリーム、フレーク、少しずつ食べ進めるたびに、橘さんの顔が緩んでいく。
可愛いなぁ、と思った。花が飛んでいる幻さえ見えそうな、幸せそうな顔だった。てっちゃんが言ってた『ほわほわ』の意味がわかった気がする。俺はこんな『ほわほわ』感出せる気しないから、お前らどっちも、って部分は理解できないけど。
「……あの、椿くん? あんまり見られると、ちょっと食べづらいです」
やっと視線に気づいたらしい橘さんが、スプーンを持ったまま恥ずかしそうに首をかしげる。
「ごめん、幸せそうに食べるなぁって思ってつい」
「……椿くんは、幸せそうに何かを食べる人が好きですか?」
「え、あんまり考えたことなかったけど……まあそうかな」
「そうですよね!」
橘さんはぱっと笑って、そのままパフェをまた食べ始めた。食べづらいって言われたから見ないほうがいいのか、それとも今の流れだと見ていたほうがいいのか、判断が難しかった。どっちだろう。
まあまた何か言われてからやめればいいか、と俺はそのまま、橘さんがパフェを食べ終わるまで眺め続けた。
ちなみにその後、どっちがお金を出すかで一悶着あり、結局別会計になってしまった。
* * *
さて。デート、というならせめて夕方くらいまではどこかでぶらぶらしたほうがいいのだろうか。
なんて思っていたのだが、「これ以上はキャパオーバーになりそうです」という橘さんの言葉でお開きとなった。キャパオーバーが早すぎないか……?
「じゃあね、また明日。今日はありがとう」
「あ、あの!」
家の前で別れようとしたら、橘さんに呼び止められた。橘さんはもじもじとためらった後、上目遣いで口を開く。
「……デート、楽しかったです! 私のほうこそありがとうございました! 今日も好きです!」
そしてすぐに、鍵を開けて自分の部屋に入ってしまう橘さん。
ばたんと閉じられたドアの音が、やけに耳に残った。
……せめて何かしらの反応くらいはさせてほしい! 言い逃げはずるすぎる。たぶんそうしないと橘さんも恥ずかしいんだろうけど、それにしたってもうちょっと、こう。
今日も親が仕事でよかった、と思う。そうじゃなかったらこんな赤い顔、からかわれるに決まってる。