昼食
しばらく滞在することになったリンは、エルザの手伝いをしながら、父親を捜すことになった。
なんにせよ、リンの母親は病気だ。アレックスの返事を待ち、店に話を聞きに行ったら、父親が見つかろうと見つかるまいと、家に帰らないといけない。
実際に見つかるかどうかは別として、日中は自分でも捜したいというリンをエルザは止めることは出来なかった。
エルザとしても本当なら、自分も手伝ってやりたいところだが、自分の仕事もある。
特に、バンパイアバインの蔓は痛みやすい。請け負った仕事の期限もある。それにアレックスの手を借りてやっと手にした品を、無駄にするわけにはいかないのだ。
エルザは丁寧にバンパイアバインの蔓の表皮を削る。必要なのはこの表皮の部分で、中の芯の部分ではない。一定の長さにそろえて削った表皮をひもで縛り束ねる。
バラバラにしておくと後の作業が面倒になるから大切な工程だ。
「さて、一段落ついたわ」
エルザは、大きくのびをした。かなり根を詰めた作業だったので、肩が痛い。
バンパイアバインの表皮の繊維は、非常に魔力を通しやすい。バンパイアバインそのものが魔力を持つ魔物だからなのかもしれない。
ただ、表皮のままだと非常に固いので扱いが難しいのだ。
「エルザさん、パンを買ってきました!」
リンが大きな袋を抱えて部屋に入ってきた。
「パン?」
「はい。とってもおいしそうだったので。そろそろお昼ですし」
「あら、もうそんな時間?」
根を詰めて作業をしていたせいだろう。エルザはすっかり時間感覚がなくなっていたようだ。
「じゃあ、サラダだけ作って、食事にしましょうか」
「サラダなら、私が作ります」
「あら、じゃあ、お願いするわね」
昨日、台所の配置については説明をしたので、簡単なものならなんとかなるだろう。
エルザは、食事の準備をリンに任せ、店をいったん閉める。
作業中、一人も客が来なかったけれど、そういうことはよくあることだ。
「出来ました!」
エルザが食堂に入ると、テーブルにはパンとサラダが用意されていた。
「あら。白綿堂のパンね。ここのパン大好きなの」
「はい。お店で、エルザさんがいつも買っていくパンを教えてもらいました」
「まあ」
白綿堂は、素朴だがとても美味しいパンを置いている。リンの買ってきたパンは見た目はシンプルだが、とてもふかふかで柔らかいものだ。
「それで、エルザさんの話もいっぱい聞きました」
「私の?」
エルザはパンに手をのばしながら首をかしげる。
「はい。エルザさんのお店は、みんなに頼りにされているんですね」
「錬金術の店は珍しいから」
エルザは苦笑する。
頼りにされているというより、ほかの店が少ないというのが正しい。
「腕が良くて、しかも頭もよくって。優しいひとだって、言ってました」
「まあ、またパンを買いに行かないといけないわね」
なるほど。と、エルザは思う。
リンは、さりげなくエルザの評判を聞いてきたのかもしれない。確かに、リンとしては、行き掛かり上、エルザの助けを借りることになったけれど、もともとは赤の他人だ。
最初親切なふりをしていても、のちのち豹変する人間だっているのだ。多少、周囲の人間の評判を知りたいと思っても不思議はない。
「白綿堂はこの街でも古いパン屋さんなの。私がここに来る前からあるお店で、今のマルクは三代目なのだそうよ」
「へええ」
リンは興味深そうに聞いている。
「マルクはね、最初パン屋を継ぎたくなかったらしいんだけど。彼の奥さんのルーザがね、白綿堂のパンの大ファンだったの。お店に来ていた彼女に一目ぼれしちゃって、そこから本格的に修行を始めたのよ」
「わぁぁ」
リンの目が輝く。
年頃の女の子だ。恋の話はきっと興味がある頃だろう。
自分もそんな時期があったなと、エルザは思う。
いつの間にか、他人の恋どころか自分の恋にも興味がなくなってしまった。今の生活を守るのに精いっぱいで、それ以上のことを考えることができなくて。
周囲の同世代の女性のほとんどが既婚だ。もともと、エルザはこの街出身ではなくて親しい友人はそれほどいないから、気にならないけれど、そうでなければ、それなりに焦っていたかもしれないとは思う。
「随分詳しいんですね」
「ちょっと、協力したことがあったの」
くすりとエルザは笑う。
「私、ルーザと知り合いだったから。彼女と一緒に、パンの試食会に呼ばれたの」
「試食会?」
リンは身を乗り出して聞いている。本当にこういう話が好きなのだろう。
「修行の成果を見てほしいって頼まれて。ルーザ一人誘うのは難しいから、ついでに私が呼ばれたってわけ」
正直、エルザとしては面倒だったけれど、店を継いで苦労をしているエルザとしては、マルクが本気なら協力してやりたいと思ったのだ。
「もっとも、当時はルーザを誘いたいって下心に全然気づいてなくて、純粋にパンの試食に呼ばれたって、私は思っていたんだけど」
結局、ダシに使われたようなものだったけれど、別にそのことを怒っているわけではない。人付き合いの少ないエルザにしては、珍しい出来事だったから、よく覚えているだけだ。
「ただ、まあ、二人の雰囲気見てたら、ああそうなんだって、すぐわかったんだけど」
「エルザさん、他人の恋愛には鋭いんですね」
リンは感心したように頷く。
「へ?」
「あ、なんでもありません」
リンの言う『他人の恋愛には』、とは、どういうことなのだろう。単なる言葉のあやなのか。
「昨日の騎士さま、カッコいい方でしたね」
突然にこにことリンが笑う。
「そうね。多分モテると思うわ。さすがにリンからみたらおじさんだと思うけれど」
同世代のエルザから見れば二枚目でも、十五歳のリンから見ればおそらく恋愛の対象には難しいと思う。たぶん、リンの父や母とエルザたちは同世代なのだろうから。
「……随分と他人事なんですね」
リンは不思議そうに首をかしげる。
「どういう意味?」
「なんだか私、騎士さまが気の毒になってきました」
ふーっとリンがため息をついて、残念なものを見るかのようにエルザを見つめる。
エルザは思わず苦笑した。
「変な誤解をしているみたいだけど、私とアレックスはなんでもないのよ」
「はーい。では、そういうことにしておきますね」
妙に大人びた口調でリンが頷く。
エルザとしては、反論したい気分だが、なぜか二回りも下のリンにまったく勝てる気がしなかった。
エルザの方が人生の荒波を随分と渡ってきたはずなのに、不思議な話だ。
「さてと。午後からまた仕事しないといけないわね」
食べ終えた皿を重ねて、エルザはごまかすようにのびをした。




