夕食 3
「それにしても、どうしてお二人ともこんなに親切にしてくださるのですか?」
フルーツティを飲み終えたリンが不思議そうに口を開いた。
「ハナザ村に帰れって言われても不思議はないのに」
「帰りたいなら、帰った方がいいと思うわ」
エルザは肩をすくめた。
「お母さまがご病気なのだし、帰れるなら帰るべきだわ」
リンは首を振る。
ここで帰るなら最初から、村を出たりはしなかったということなのだろう。
「正直、君のやっていることは無謀だ。たまたまエルザと出会ったからいいようなものの、帝都には、人買いを含め、悪い大人が数多い」
アレックスは諭すように話す。
「帝都の治安を守る騎士である俺が言うのも何だが、裏通りに入れば、盗みや殺人などがしょっちゅうおこる。特に女性は危険だ」
「……はい」
リンは素直に頷いた。
父を捜すのに必死で帝都にやってきた。決して帝都の危険を甘く見ていたわけではないだろう。
ただ、帝都の大きさを知らなかった。人の多さも、考えていたよりずっと多かったに違いない。
「なぜ、私があなたを助けたいかと言えば、私も街をさまよっていた時に義父に助けられたの」
エルザは苦笑した。
「あなたとは全然事情は違うけれど、ある意味、これは私の義父への恩返しなの」
「恩返し?」
リンは目を丸くする。
「そう。私の義父はもう亡くなって、返しようにも返せないから」
エルザに生きていくための仕事を教え、店と家を残してくれたひとはもういない。ひょっとしたら実の親より、エルザを愛してくれた。
「だから気兼ねしなくていいの。あなたが大人になった時、誰かに優しくしてあげてね」
それはエルザが義父から言われていた言葉だ。
「はい」
リンは目を潤ませながら頷く。
「君はエルザと出会えたっていうのは、相当運がいい」
アレックスは笑う。
「帝都でもエルザほど気風のいい奴は少ないからな」
「……何、言ってるんですか」
エルザは思わず口をとがらせる。照れもあるけれど、それほどたいしたことをやった覚えもないのだ。
「気風がいいというより、気の強いお節介の間違いじゃないですか?」
「そんなことないです!」
リンが叫ぶ。
「エルザさんは、とてもいいひとです」
リンは必死だ。
「やあねえ。そんなに気を使わなくていいのよ」
エルザとしては、別に褒められたくて助けたわけじゃない。エルザが認めてもらいたいのは仕事の腕であって、人間性とは別のものだ。
「お世辞じゃありません。それにエルザさんはとっても美人です。騎士さまもそう思いますよね?」
「え? あ、ああ」
突然、自分の方に降ってきた言葉にアレックスはうろたえたようだ。頷きながらも目が泳いでいる。
「リン、変なことを言って困らせないで」
「どうして困るんです? 美人を美人と言うだけですよ? 好きとか嫌いとか聞いているわけじゃないのに」
「え?」
リンの言葉に、アレックスの顔が朱に染まった。エルザ自身も、かあっと体中が熱くなってしまう。非常に気まずい。
「大人をからかって遊ぶな」
コホンとアレックスが咳払いをする。
「……からかってないのに」
リンは口をへの字に曲げ、不服そうだ。
とはいえ、もうその話題に戻るつもりはないらしい。
「エルザ、俺、そろそろ帰るわ」
ふうっと息を吐いて、アレックスが切りだす。
気まずさもあったのだろうけれど、確かに夜もだいぶ更けてきた。
「そうね。もうこんな時間だものね。これ、前回の報酬」
エルザは立ち上がって、金貨の入った袋をアレックスの前に置いた。
「……悪いな」
「ううん。むしろ、次から次へとごめんなさい」
前回はともかく、リンの父捜しは完全にボランティアだ。
もちろん、エルザとしてはそれなりにお礼を考えなければいけないと思うけれど、リンの前でそれを言うのは憚られる。
リン自身は報酬の手段を持っていない。成り行きで面倒を見ることになったエルザが、報酬の話をしたら、リンとしては恐縮するに違いない。
むろんアレックスは、エルザの気持ちもリンの気持ちも承知してはいるだろう。だからこそ、余計にエルザとしては心苦しい。
「気にするな。大したことじゃない」
アレックスは袋を受け取ると、軽く首を振った。
「俺がしてやれることは、とっかかりにすぎない。最後はこの子の運しだいだな」
「……そうね」
店の場所はわかっても、その先に手掛かりがあるかどうかはわからないのだ。
エルザやアレックスがどれほど手を尽くしても、糸が切れてしまったら手の貸しようがない。
リンは何も言わず、丁寧に頭を下げた。それがどんなに細い糸だとしても、ほかに方法がないことはリンもよく知っているのだ。
「お皿を水につけておいてね」
リンに後片付けをたのみ、エルザはアレックスを玄関まで見送る。
お礼をするために呼んだはずなのに、さらに厄介事を頼み込んでしまったことをエルザは詫びた。
「気にするな。それにエルザもあまり無茶するなよ」
アレックスは心配気な目でエルザを見つめる。
「ま。無茶するなって言っても、してしまうんだろうけどな」
「……そんなこと」
全てを察しているかのようなアレックスの言葉に、エルザは異を唱えた。今回はエルザのやれることはほとんどない。無茶しようにも、しようがないように思える。
「俺も出来る限り手を貸す。困ったことがあったら声かけろ」
アレックスの目に優しい光が宿っているのに気づいて、エルザの胸の鼓動が早くなってきた。
「俺は、エルザに頼られたいんだ。遠慮はするなよ」
アレックスの手がエルザの頬に触れる。
「……ありがとうございます」
頬が熱く感じるのは、アレックスの手が頬に触れているからなのだろうか。
エルザにはわからない。
アレックスに触れられるのは嫌じゃない。嫌じゃないからこそ、困る。
その手を常に求めたくなってしまいそうで、エルザは怖いのだ。
「じゃあな」
にこりと笑って去っていくアレックスを見送りながら、玄関の戸にもたれかかりながら、エルザは頭を振る。
ーー小娘じゃないんだから。
ほんの少し優しくされただけで、のぼせてはだめだ。
そんな浮ついた気持ちになってしまったら、今まで築いてきた信頼関係が崩れてしまう。
ーーなんにしても、後できちんとお礼をしないといけないわ。
エルザは大きく息をついた。
外はすっかり暗くなっている。
今は、アレックスへのお礼より先に、やらないといけないことがあるのだ。
「さて。リンのベッドを整えなきゃね」
食事を作るのに必死で、まだ、リンの寝室を作っていなかったことに気づく。
ーー義父のベッド、使ってもらうしかないわねえ。
掃除はしてあるけれど、随分と使っていないベッドだ。痛んではいないが、使用することもないので、ずっと処分しようかと迷っていた。
ーー捨てなくて良かったわ。
エルザは腕まくりをして、家に入る。やれることからやっていくしかない……そう思った。