夕食 1
リンは見た目の予想よりちょっと上で、十五歳だった。身体が華奢で、顔も幼顔だからなのかもしれない。
確かに言動は少し大人びているから、言われれば納得の年齢ではある。
料理の手伝いをしてもらったが、かなり手際が良い。包丁さばきもみごとなものだ。病気の母親を支えて、日々の家事をこなしているのだろう。
エルザは、オーブンに入れたパイの様子を見守るのをリンにまかせ、自分はスープとサラダを作り始めた。
誰かのために、そして誰かと一緒に料理を作るというのは、エルザにとっては久しぶりのことで、心が浮き立つような思いがある。
こんな経験は、養父が亡くなってから久しくない。
美味しそうな香りが部屋に充満しはじめる。
「お客さんって、どんな方なんですか?」
リンが興味深そうにエルザに尋ねる。自分の母の過去を調べてくれるかもしれない人物だ。その興味は当然かもしれない。
「騎士隊のひとよ」
エルザは、竈の火加減を調整しながら答えた。
竈の火は、薪を燃やす普通のもので、魔道具ではない。日々使うものはあまり魔術を必要としないものを使うというのが養父のポリシーだったからだ。
錬金術師は魔力を仕事で消耗してしまうことが多いからというのが理由だが、よくわからない。
魔道具のほとんどは魔石で動くので、都度魔力を消費することはないからだ。
一番の理由は、魔術に頼らない部分を生活に作ることで、ある意味気分転換していたというのが、本当のところだとエルザは思う。
エルザも養父の教えをある程度は守っている。もっとも、竈以外は、かなり魔道具を使うようになってしまったけれど。
「うちのお店の常連さんでもあるわ」
火吹き棒で火を煽って火力をあげると、エルザはスープをぐるりとかきまぜた。
「……あの、私、邪魔じゃないですか?」
「なぜ?」
リンの問いにエルザは首をかしげた。
リンの母親の過去を調べてもらおうというのに、リンがいなくてどうするのだろうと、エルザは思う。
エルザが代わりに話すより、リンが直接話した方が、間違いが少なくていいはずだ。エルザがそう話すと、リンはますます険しい顔になった。
「だって、その方、男性のかたですよね」
「そうだけど?」
リンが何を気にしているのかわからないまま、エルザはサラダの盛り付けを始める。
アレックスとの約束はもうすぐだ。そろそろ仕上げていかなければいけない。
「恋人さんじゃないんですか?」
「え?」
エルザは思わず手を止める。
不覚にもドキリとしてしまった。
リンは大きな目でじっとエルザを見つめている。
「ち、違うわよ」
ほんの少し顔が火照るのを意識しながらエルザは首を振った。
アレックスとは親しいけれど、恋人とかそういう関係ではない。ドキリとしたことがないわけではないけれど、それはあくまでもエルザの心の中だけのことだ。
アレックスはたぶんモテる。昔ならともかく、アレックスは今や騎士さまだ。もっと若い貴族の令嬢とだってつきあえる。まして遊びで女に手を出すような人物でもない。だから何もエルザのような年増の錬金術師を相手にする必要はないのだ。
「でも、普通、お店の常連さんをひとりだけ夕食に招待とかしないんじゃないですか?」
「そんなことはないと思うわ」
リンの質問を否定しながらも、確かに今の状況が『普通』じゃない気もする。
考えてみれば、相手がひとりであるとしたら、外のお店で食事をごちそうしたりするほうが普通かもしれない。
それに今まで常連客を自分の家の夕食に招待したことはない。そもそも、アレックスだって初めてだ。表面では平静を装いながらも、エルザは急に胸が騒ぎ始めるのを必死でこらえた。
もちろん、アレックスが望んだことだけれど、なぜ、自分は承諾してしまったのだろう。仕事のお礼とはいえ、一人暮らしの女が男を招けば、要らぬ誤解を受けても仕方がない。変な噂が立てば、自分はともかく、アレックスは困るだろう。どうしてそのことに思い至らなかったのか。
リンが不思議に思ってもおかしくない。
「この前、仕事でお世話になったお礼なの。深い意味はないわ」
「そうなのですか?」
リンは首をかしげた。
納得しきれないものがあるようだが、それ以上聞いても無駄だと思ったのかもしれない。
「帝都のひとって、そういうものなんですね……」
何がそういうものなのかわからないが、リンは頷いた。
「パイ、そろそろいいかもしれません」
「そ、そうね」
オーブンを覗き込んだリンに言われて、エルザは大きなミトンを手にはめた。
顔が熱いのは、きっとオーブンの熱のせい。
エルザは、そう思い込むことにした。
ひととおりの料理が完成した時間を待っていたかのように、アレックスはやってきた。
いつもの服で特になんの変りもないその様子に、エルザは少しほっとすると同時に、寂しいような気持が胸に広がるのを感じた。
リンに言われたことで妙に意識してしまったせいだろう。自分とアレックスの間はそういうものではないと、エルザは自分に言い聞かせる。変な勘違いは、関係をおかしくしてしまう。
長年の付き合いであるがゆえに、その関係が壊れるのは何よりも怖い。
「いい香りがするな」
何も知らないアレックスは、玄関に入ると鼻をひくつかせた。
「もう部屋中、この匂いで充満してしまって。窓を開けたほうがいいのかもしれませんが」
「近所を全部、腹ペコにするつもりか?」
「ならないですよ?」
エルザは苦笑する。さすがに褒めすぎだ。エルザは料理人ではないのだから。
「俺は、もう腹ペコだけど」
「良かったです。空腹なら、きっと美味しいと思いますよ。こっちへどうぞ」
エルザはアレックスを案内する。
アレックスは、いつもよりどことなく遠慮がちに見えた。店でなく、エルザの居住空間に入るのは初めてだからなのかもしれない。エルザとの距離を保ちながら、ゆっくりとついてくる。
ひょっとしたら、自分が言い出したこととはいえ、女の一人暮らしの空間に入るのにためらいがあるのかもしれない。
それならエルザの家に来る約束なんてしなくてもいいのにと、少し思う。パイが食べたいなら、アレックスの家に持っていっても良かったのだ。
「実は、今日は私ひとりじゃなくて、お客さんがいるのです。あなたに会ってもらいたいのですけど」
エルザは食堂へと案内しながら、アレックスに微笑んだ。
二人きりだと思っているから緊張しているのだろう。ほかに客がいるとなれば、アレックスの気も楽になるに違いない。少なくともエルザはそうだ。リンがいると思うと、胸が騒がずに済む。
「客?」
アレックスの目が見開いた。
「今日、店の前で体調を崩した女の子がいまして。訳ありなんです。それでご迷惑かもしれませんけれど、あなたに相談したいことがあるのです」
「……なるほど」
アレックスは頷いた。その表情は、少しがっかりしたような、それでいてほっとしたようにも見える。
「エルザらしいな」
知らない困った女の子を放っておけないのは、エルザが養父に救ってもらった人生だからだ。そのことをアレックスはよく知っている。
「偶然なら、予防線をはられたわけじゃないんだ」
「予防線?」
エルザは何を言われたのかわからず、思わず聞き返した。
「何でもない。それより飯、食べたいな」
アレックスはエルザの問いには答えず、にこやかに微笑む。
エルザは食堂の扉をゆっくりと開いた。




