ラエルの森 6
朝になると、エルザの足の傷の痛みは、あまり感じなくなっていた。
野営の焚火を始末すると、帰り支度を始める。
エルザの体調を心配したアレックスが、エルザの荷物のほとんどを持ってしまったので、エルザの背負い袋は、非常に軽くなってしまった。
そこまでひどいケガではないとエルザは思うのだが、アレックスが譲らないため、甘えることにした。
復路は、往路に比べてさらにゆっくりで、しかも小休止を多めにアレックスがとってくれた。おかげで、エルザは足のケガの痛みをそれほど気にすることもなく森を出ることができた。
アレックスの過保護なサポートは森を出ても続き、近隣の農家に街まで送ってもらう交渉までしてくれた。
この辺りは、辻馬車が拾えるような場所ではない。
普通に考えれば、移動手段は歩くしかないところだ。
ただ、農家の人間は、街へ作物を運ぶために荷車を牛に引かせている。だから、この荷台を引いているのは、馬ではなく牛だ。農作業に牛は欠かせない動物だし、馬力は馬より大きい。スピードこそないが、牛は優秀な運び手だ。
御者台にはアレックスに頼まれた農夫がすわり、牛のたずなを握っている。
歩くのとそれほどスピードは変わらないが、足を怪我したエルザにはありがたい。
「今回は本当に助かりました」
荷台に座り、エルザはアレックスに頭を下げる。
座席ではなく、荷台なので、少し座りにくい。ゆっくりだから、怖いというほどではないが、ガタガタと揺れるので、不安定ではある。人が乗るようにはなっていないので当然と言えば当然だ。
「お休み中なのに、護衛を引き受けてくださってありがとうございます」
「いや……なんか、怪我させちまって、すまなかった」
アレックスは首を振る。怪我のことになるとアレックスの表情がそれとわかるほど、はっきりと曇る。そんなに気にするほどの大怪我ではないとエルザは思っているのだが、それはアレックスの仕事への責任感の強さなのだろう。
「これに懲りず、また誘ってくれるとありがたいけど」
アレックスの言葉はいつになく自信無さげだ。
エルザとしては、アレックスが引き受けてくれなければ、護衛を見つけられなかっただろうから、本当にありがたかったと思う。目的もほぼ最短日程で果たせて、これ以上、何を不服とするのか悩むほどだ。たとえ怪我をしたことをマイナスとするとしても、そのあとのサポートは完璧で、非の打ちどころはない。
「騎士さまに護衛を何度も頼めるとは思えませんけど、そう言っていただけるとうれしいです」
エルザは微笑む。
実際、護衛を頼んで材料調達に出たのは初めてではないが、何の不安も感じずにいられたのは、相手がアレックスだったからだ。それに、エルザが負傷したあとの対応は、護衛の仕事の域を越えているように思う。帰りの交通手段の手配までさせてしまい、申し訳ないくらいだ。
「護衛代は明日、お支払いいたします」
「いらないんだがなあ。でも、もらった方が、エルザの気持ちが楽か」
アレックスが苦笑いをする。
「じゃあ、千Gで」
エルザは目を丸くする。
「それは困ります。相場の半値じゃないですか。そんな安値では、かえって次を頼めなくなります」
そもそも、アレックスの実力を考えたら、もっと高くてもいい。
エルザの怪我のことを気にしているのかもしれないが、そんなに割り引かれたら、今後アレックスに頭が上がらなくなりそうだ。ビジネスはイーブンでなければならない。
エルザの表情にアレックスはひょいと肩をすくめた。
「じゃあ、半値に割り引く代わりに、焼き立てのパイを食わせてくれ」
「パイ?」
何の話かわからず、エルザは思わずきょとんとなる。
「エルザのミートパイ。すごくうまかった。焼き立てだったら、もっとうまいと思う」
「ミートパイ……」
野営の一日目のミートパイのことだと、ようやく気が付き、エルザは首をかしげた。
「私のパイなんて、平凡でたいしたことないですよ? 空腹で味が美化されていたんじゃないかと思うんですけど?」
「そんなことないさ」
アレックスが笑う。
思わずエルザの胸がドキリとした。
「俺の人生で一番うまかったかな」
「……褒めすぎです」
エルザは思わず、ぷいと横を向く。
仕事以外のことで褒められることなどめったにないせいか、顔が火照るのを止められない。
「騎士さまぁ、つきましたぜ」
御者台の農夫が前から声を掛けてきた。
「おおぅ。すまなかったな」
牛車は、商家が立ち並ぶ街並みに入る直前の広場に止まる。
ここまでくれば、エルザの家は目と鼻の先だ。
「どうもありがとうございました」
アレックスの手を借りて荷車を下りたエルザは、農夫に頭を下げた。
「いえ、こちらも気前よくお代をはずんでもらいましたんで、街で土産を買って帰れますよ」
農夫は嬉しそうだ。
「いや、こちらこそ無理を言った」
エルザの隣に立ったアレックスが礼を述べる。
たぶん、エルザのためになんとか足を確保しようとしてくれたのだろう。多少、過保護と言えなくもないけれど、その優しさはじんわりとエルザの心を温める。
「そろそろ日が傾いてきましたので、お気をつけてお帰り下さいね」
「姐さんも、パイといっしょに食べられないようにお気をつけて」
「え?」
農夫はにやりと笑って、牛車をスタートさせた。おそらく、さっきの話を聞いていたのだろうけれど。
「変なこと言うのね?」
エルザは思わず苦笑して、アレックスを見上げた。
「ま、気をつけろ」
アレックスはそれだけ言って、エルザから目を背ける。少しだけ動揺しているように見えたのは、エルザの気のせいなのだろうか。
石畳に落ちた影は、少しずつ長くなっていた。




