ラエルの森 5
アレックスが荷物を取りに行って戻ってくると、日はだいぶ傾き始めていた。
野営地は、昨日と同じ。
既にエルザは貧血から回復しており、その気になれば夜までに森を出ることも可能だったが、ここは大事をとって休むことになった。
エルザを背負って歩き、また荷物のために往復した、アレックスの疲労も大きいだろう。日程にはまだ余裕があるのだから、無理は禁物だ。
昨日よりは風があり、少し冷えてきた。
「傷は痛むか?」
「いえ。平気です」
日が落ちる前に、火をつける。パチパチと燃える木から出る煙が目に染みて、エルザは涙目で答えた。
平気と言うには、少々説得力がない。
「見せろ。いい薬、持っているから」
アレックスに言われて、エルザは足に巻いていた布をとる。
足の傷からの出血は止まっているように見えるが、布は血の色をしていた。
「かなり細かい刺し傷だな」
バンパイアバインの蔓にある棘は針のように細いため、大きな傷ではないのだが、少々深いのと、一か所ではなくて、足首をぐるりと数か所、針穴が開いているような状態だ。
アレックスは背負い袋の中から、小さな入れ物を取り出した。
「刺し傷はこれが一番効く」
「あら。その薬、ひょっとして?」
その入れ物に見覚えがあった。
アレックスは、ふたを開け、軟膏を指で丁寧に傷に塗っていく。
「そうだ。エルザの薬だ」
アレックスが微笑む。
「なんか照れ臭いですね」
「照れることはない。お世辞じゃなくて、一番効くのだから」
アレックスの顔は真剣だ。
自分の薬をアレックスが常備していることに、エルザとしては、なんとなくこそばゆい思いがある。
「しっかり包帯も巻いておいた方がいい」
慣れた手つきで、アレックスは包帯を巻いていく。騎士だけに、手当の方法はよく知っているのだろう。
「ありがとう」
「いや、悪いのは俺だから」
アレックスは首を振った。
バンパイアバインの不意打ちを防げなかったことを言っているのだ。
「この程度のかすり傷、そんなに責任を感じることはないですよ。それに、この程度で済んだのはあなたがいてくれたからだわ」
エルザは首を振る。社交辞令ではなく、本当にそう思うのだ。大事に至る前に、蔓を切って助けてくれたのだから、護衛の役割は果たしている。
「エルザは、優しいな」
「優しくは、ないわ」
エルザは否定する。優しさでアレックスを許しているのではない。アレックスには非がないと本気で思っているのだから。それは、エルザが優しいということとは違う。
アレックスはプロの仕事をしたのだから、そこは自信を持ってほしいと、エルザは思うのだ。
「ところで、この蔓、何に使うんだ?」
回収してきた蔓の束をアレックスは指さした。
高価で売れるのは、もちろんアレックスも知っている。が、エルザが売るために取りに来たわけではないことは察して当然だ。
「魔道具の部品に使うんです」
「魔道具の?」
「ええ」
アレックスの問いに、エルザは頷く。
「とても古い魔道映像機の修理の仕事を受けたのです」
「へえ。話には聞いているけど、見たことないなあ」
魔道映像機は、貴族の、それもかなり上流貴族が作らせて楽しむものだ。庶民とは縁遠い道具である。
「私も、ほぼ見たことありませんもの」
エルザは苦笑した。錬金術師が見たことないのだから、アレックスが見たことなくても全然不思議ではないのだ。
「かなり珍しい仕事をいただきました」
「へえ」
アレックスはくすりと笑った。
「エルザは本当に仕事が好きだな」
「そうでしょうか?」
エルザには、取り立てて、仕事が好きだという自覚はない。ただ、仕事以外に何があるかと問われると、非常に困る。一人暮らしのエルザには、家族もなく、恋人もいない。趣味も仕事の延長線のようなものが多い。そう考えると、仕事人間には違いないのかもしれないとは思う。
「話をするとき、目が輝いている」
アレックスは眩しそうに目を細める。
「そんな……仕事をせずにすむなら、そのほうがいいんですけど」
エルザは思わず口を尖らせた。仕事人間であることは自覚しているけれど、他人に言われるとやっぱり抵抗を感じる。
「まあ、それはそうか。俺も仕事せずに遊んでいる方がいい」
空がしだいに暗くなり始め、焚火の炎の明るさが増したようだ。アレックスが空を見上げる。
「でも、休みの日に護衛の仕事をしていますよね?」
エルザは笑いながら、指摘する。
もちろん、エルザが頼んだことではあるのだけれど。
「仕事は仕事だが、俺は別にこれは仕事とは思ってない」
空を見ながら、アレックスは呟く。
「へ?」
エルザは思わず首をかしげた。
今回の仕事は、全然楽な仕事ではない。お友達だからと付き合えるようなことではないはずだ。
無論、エルザも相応の報酬を払うつもりでいる。
「逆に、そんなふうだから、へまをしたと言われたら、言い訳のしようもないけれど」
エルザの様子に、アレックスは苦く笑う。
「どういう意味なの?」
「残念ながら、今日は、それを説明する気にはなれないな」
アレックスはそれだけ言って、エルザから顔を背けて、地面に横になる。
焚火にくべた枝が、パチリと音を立てた。




