ラエルの森 3
短めです
闇の向こう側の何ものかの気配は消えない。ただ、襲ってくる様子は見えない。
「ふむ。あれなら用心しとけば、大丈夫そうだ」
アレックスは剣の柄から手を離した。
「でも、くつろぐのは、無理そうですね」
エルザは肩をすくめる。
空には満天の星があり、森は静かだ。だが、周囲には危険が満ちている。
「まったくだ。こんな状態では、口説く余裕もない」
アレックスが呟く。
「え?」
エルザは聞き返そうとしたが、ちょうど対岸の方からガサッという音がした。
距離はそれほど遠くない。エルザは背負い袋に手をのばす。
「慌てるな、ウサギだ」
エルザの様子にアレックスが微笑する。
黒っぽい塊が夜の闇の向こうへと跳ねていった。
「警戒しすぎだ」
「夜の森は怖いんです」
エルザは口を尖らせた。
「まあ、怖くないって豪語する奴のほうが、ヤバいのは事実だが」
アレックスは頷きながら、火に新しい小枝をくべる。
「今晩は、交代で寝たほうが良さそうですね」
先ほどの気配は遠くなったような気がするけれど、油断は禁物だ。
「そうだな。じゃあ、エルザ、先に寝ろ」
「いえ、私が先に起きてます」
エルザは首を振った。
「なんで?」
「万が一にでも、あなたが私に気を使って、起こしてくれないと困りますので」
エルザはアレックスの方を見ながら、肩をすくめる。
「それ、困るのか?」
「困りますよ。だって、明日からが本番なんですから」
「まあ、そうだな」
アレックスは苦笑しながら頷いた。
「じゃあ、先に寝るわ」
ゴロンとアレックスは火の前に横たわる。ただ、剣は傍らに置いているし、皮鎧もつけたままだ。むろん、熟睡はできないだろうが、眠ることは大事だ。
「おやすみなさい」
エルザは声を掛け、背負い袋を自分の横に引き寄せる。
静けさの中、焚火の木がはぜる音が響く。
闇の向こうにたまに感じる、何かの気配。
ーーそれでも、不思議と安心ね。
すぐそばで眠るアレックスを見つめ、エルザはそっと微笑した。
結局、夜は何事もなくすぎ、朝となった。
朝食をとり、火の始末をして、二人は日がまだ低いうちに川を越える。
ここから先は湿地が多いため、道が悪い。足元に気を付けながら、バンパイアバインを捜さなければいけない。
バンパイアバインは、湿地に多く生息する。植物としては異例であるが、移動能力があり、しかも生物を捕らえて吸血するのだ。
基本的には蔓植物で、大地にのたうつようにして移動する。蔓について咲く花の花粉には、眠りの魔術があって、花粉を吸いこんだ生き物はたちまちに眠ってしまうのだ。
その昔、魔道の伝導効率の高さから、なんとか栽培できないかと研究されたが、街で育てると移動能力も魔道の力もない普通の蔦植物になってしまうらしい。どうやら、バンパイアバインは、このラエルの森でしか生きていけないようだ。
なぜ、ラエルの森でなければいけないのかは、まだ明らかになっていない。
「ここから先は気をつけろ」
前を行くアレックスが告げる。
道は獣道しかなく、ほんの少し足を踏み外せばぬかるみにハマる。
その狭い道を狙って、バンパイアバインは蔓を張り巡らしていることが多い。見通しは悪く、動物と違って動きが少ないので、先に発見するのはなかなかに困難だ。
やがて、大きく水が溜まって池になっている場所に出た。青空を映してきらめいて美しいのだが、それを楽しむ余裕はとてもない。
二人は、池のほとりを注意深く歩く。池の周りには丈の高い草が生い茂っており、アレックスは、草を剣で払いながら進んでいった。
不意に、風がざあっとふき、草が大きく揺れる。
アレックスは足を止めた。草が揺れると、正面の草を払っても、体に触れる。この辺りの草の葉は鋭く、皮膚に当たれば擦り傷ができてしまう。また、ほんの少し離れただけで、お互いを見失ってしまう可能性だってゼロではない。
草葉が揺れながら、大きな音を立てる。
「え?」
突然左足の自由を失い、エルザは思わず声を上げた。
何が起こったか把握する前に、すごい力で左足が引っ張られ、エルザは草の中へと引きずり込まれた。




