16,終わりの≪来航の善≫(ライラ視点)。
──ライラ──
ハラワタが煮えくり返る、とはこのことだ。
もちろん、トラヴィスのことで。
ライラは考える。
なぜ受付嬢などスカウトして、肝心の私はスルーなのかと。
しかも≪渚の剣≫本部内で、私の顔を見たというのに。
そこはヒーラーを欲しがるところだろうに。そのかわりに連れていったのは、元アタッカーの受付嬢とは。
この出来事だけでも腹立たしいというのに──
「つ、突かれた! 頼むライラ! 回復魔法をかけてくれ!」
「馬鹿かぁ、ダン! お前の負傷なんかたいしたことねぇだろ! ライラ、このオレから治癒してくれぇぇ!」
ここはロッコ洞窟の第3深層。
採取クエストのため潜ったのが2時間前のこと。
そして今──
戦闘で負傷したダンとビーバが、悲鳴を上げている。
敵は、小山のような大きさの鋼鉄蜘蛛。
それなりのモンスターだが、以前の≪来航の善≫ならば倒せる相手だった。
ところがいまはどうか。苦戦どころではない。すでに敗走状態。
陣形は崩れ、各々が好き勝手に動いている。
撤退戦で殿を務めるはずの盾使いジョーはどうなったか。
鋼鉄蜘蛛の子蜘蛛たちが群がって、美味しそうに食べているところだ。
冒険者に死は付き物だが──≪来航の善≫に初の死者が出た。
ジョーのことが嫌いだったライラも、やはり心は痛む。
だが──それ以上に、この悲惨な状況への腹立たしさ。
「なぜだ! なぜこんなことに!」
ボーンは半狂乱だ。
みなを落ち着かせ立て直させねばならないリーダーが、このザマとは。
なぜなのかは明らか。
攻撃力が足りない。騎士ダンの攻撃スキルは、鋼鉄蜘蛛の外皮を破壊できなかった。
以前の戦いでは、破壊できたのに。
防御力も足りない。鋼鉄蜘蛛の《貫く牙》を、ジョーは防御しきれなかった。
以前の戦いでは、防御できたのに
また回復魔法も足りない。
致命傷だったジョーを、ライラは回復させようとした。しかしライラのヒールでは治し切れず、そこを子蜘蛛が群がり食べ始めた。こうなってはもう助けられない。
ジョーの負傷も、以前のライラだったら治癒できたというのに。
では『以前』と『現在』の違いは何か。
バッファーが違う。
新たなバッファーであるアーロン。
フェアに言うならば、アーロンは使えないバッファーではない。身体強化、攻撃力強化、防御力強化。一般的な強化スキルをそつなく使える。
だがそこまでだ。
結局、どこまでいっても補助の領域は越えられない。
トラヴィスのように、パーティ全体のレベルを引き上げるには到底いたらない。
実は現戦力でも鋼鉄蜘蛛には勝てたのだ。ちゃんと戦術を練り、慎重な戦いかたをしていれば。
ところがボーンたちは何も考えずに突撃した。
【エコ領域】の恩恵があったころなら、それでも勝てた。しかし今は違う。
ボーンたちは自分たちの力を過信し、今までの力が【エコ領域】に与えられていたのだとは信じなかった。
そのツケをいまこうして払っている。
ライラが、ハラワタが煮えくり返るのは──
なぜこんな事態になる前に、自分はパーティを脱退しなかったのか。
判断を誤ったとしか言いようがない。
ライラはもちろんパーティを抜ける気だった。しかし昨日のトラヴィスの仕打ち。それに腹を立てていたところ、このロッコ洞窟の採取クエスト。
油断してしまった。そのときは第2深層までしか行かないというから。
第2深層ならば、鋼鉄蜘蛛が出現することもないし。だからライラは同行したのだが。
ところがボーンの間抜けが、「せっかくだから第3深層まで降りて、そこの夜鋼草も採取しておこう」などと言い出したのだ。
さすがに無口なライラも、この時ばかりは止めに入った。ところが。
「ライラは心配性だな。いまの俺たちはAランクパーティにも引けを取らないんだ。鋼鉄蜘蛛が出ても、余裕だよ余裕」
この時点まで、モンスターと遭遇しなかったのも不運だった。
一度でもモンスターと戦っていれば、自分たちが『弱体化』していることに気づいただろうに。
『弱体化』といっても、ようは【エコ領域】から外れ元通りに戻っただけだが。
かくして──いまこうして≪来航の善≫は滅びようとしている。
ライラはヒーラーとしての義務を果たし、ダンに回復魔法をかけていた。
ビーバはもうダメだ。右足を切断され、大動脈から血が噴き出している。
トリアージもヒーラーの大事な仕事だ。
ふと見上げると、鋼鉄蜘蛛の8個の単眼が見下ろしていた。
「あ……」
殺される。
刹那。風が吹いた。
次の瞬間には、鋼鉄蜘蛛が真っ二つにされていた。
「な──!」
鋼鉄蜘蛛の死体の上には、女の剣士が立っていた。
右手には無造作に、棒切れが握られている。
何の冗談か。
この女剣士、棒切れで鋼鉄蜘蛛を一刀両断にしたらしい
そこでこの女剣士の正体に気づいた。
≪空の芙蓉≫ギルドに属するSランクパーティ≪死滅の上弦≫のアタッカー。
剣聖候補の一人であるリディアか。
それなら棒切れで鋼鉄蜘蛛を瞬殺したとしても、『通常』だ。
リディアはどうでもよさそうに尋ねてきた。
「探索クエスト中にね、君たちを見かけてさ。苦戦しているようだったから、手を出してしまった。悪かったね」
ライラは頭を下げた。
「た、助かりました。ですが、なぜあなたほどの人がこんなところに?」
「通り道だったからね」
それもそうだ。まだ探索されていない第30深層よりも潜るには、第1深層から順に降りていくしかない。
「君らは──おや、≪渚の剣≫ギルドの≪来航の善≫の者たちか」
ライラは意外に思った。別ギルドのBランクパーティなどのことを、なぜ≪死滅の上弦≫の剣聖候補が知っているのかと。
するとリディアは、ふいにライラたちに興味を抱いたようだ。
全員を眺めまわしてから、おやっという顔をした。
「君たちのバッファーはどうしたんだい? 砂色の髪をしたバッファーだが」
「トラヴィスなら……辞めました」
「辞めた? へぇ、それはいいことを聞いた。うちのブラッドが喜ぶ」
ブラッド。≪死滅の上弦≫のリーダーで、勇者候補の男か。
現役では最強の冒険者とも言われている。
ライラは嫌な予感がした。Sランクパーティには目利きがそろっている。
偶然見かけたトラヴィスのユニークスキルに目を付けていてもおかしくない。
しかし≪死滅の上弦≫がトラヴィスを欲しがっても、まずライラは欲しがらないだろう。
≪死滅の上弦≫にトラヴィスを取られた時点で、ライラのSランクパーティ成り上がり計画も潰える。
(これは──急がないと)
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