突然のお誘い
8月になった。ウィルスの感染者は日に日に減っていっているみたいで、私が住んでいる地域では徐々に外出規制が解除されている。でもどうせ、私は自宅と『学校』の往復なのであまり関係はない。はずだった。
『学校』が終わった金曜日。帰ってからシャワーを浴びると、いつものようにスマホを見ていた。今日は夕飯を作らなければいけない。そして来週は精神科の定期受診日だ。色々面倒だな。その時、緑のSNSに新着が入った。紫苑だった。
『お疲れ様! 今暇?』
『お疲れ様。大丈夫だよ。』
最近、やり取りしていなかったななんて思いながら、何気ないけど楽しいチャットをする。紫苑や赤羽くんとチャットしているうちに、SNSって楽しいんだって、思い始めるようになった。距離は離れていても、直接話しているように感じられる。
『昨日のおはようテレビ、観た?』
『ううん、見てない。何かあった?』
おはようテレビは、平日朝6時からやっている情報番組。多分、私が産まれる前からやっている。イケメン俳優とか可愛いアイドルがよく特集されるから、10代に人気がある、らしい。そういえば今のクラスメートも、アイドル好きな人が多いな。いつもおはようテレビの話題で持ち切りだ。因みに私は寝覚めが悪い時に時々観ている。というか紫苑って、こういうの観るんだ。意外。
『そこでうちの中学校の近くのアパートが特集されたんだよ。』
『そうなんだ。なんで?』
『なんと、幽霊屋敷!』
幽霊屋敷? 私にとっては全く新鮮味のない単語だ。だって、そこら辺に幽霊は住み憑いているし、部屋に勝手に上がり込んでくることもある。でも視えない人たちにとっては、凄く新鮮なことなんだろうな。その感性のままでいたかった。
『それだけ言われても何のことだか分からないんだけど……』
『なんでも、誰もいない部屋の電気が勝手に点くとか、周辺住民が金縛りに遭うとか、そういうことで持ち切りらしいよ!』
『そうなんだ。不思議なこともあるんだね。』
電気が勝手に点く? 金縛り? 私はそんなの体験したことないぞ? 私の周りにいる幽霊は、そんな派手なことはしてこない。私が視えるから、下手なことできないのかもしれないんだけど。
『興味あるの?』
『もちろん! そこでお願いなんだけど、一緒に行かない? 幽霊屋敷に!』
え? と声に出た。いきなりのお誘い。このご時世に距離を取らなくても大丈夫なんだろうか。そもそも、視えないのにそういう場所に行って楽しめるのか。いや、視えないからこそ楽しめるのかも? 私みたいに何でも視えるとつまらないし、恐ろしいし。それにしてもどうしよう。こういうことは中学校入ってから全然なかったから、どう対応していいか分からない。でも、せっかく紫苑が誘ってくれたんだ。断るなんてできない。
『良いよ! 久しぶりに一緒に話したかったから!』
『嬉しい! じゃあ明日の10時に、駅で待ち合わせね!』
やり取りが終わってしまった。なんだか疲れてしまった。人とのやり取りは色々あるが、誘われるのは苦手だ。そして誘うのはもっと苦手だ。今までならば、色々余裕がなさ過ぎて、他人からの誘いはほぼ全部断ってきた。
でも赤羽くんとの一件だけは、どうしても見過ごせなかった。『学校』に通い始めて心に余裕ができてきたのかな。それとも、初めて男の子と話して舞い上がっていたからなのかな。あの時は本当に、私らしくないことをした。でも、赤羽くんの笑顔を見れたのは本当に良かった。私の能力で笑顔になってくれるのは、紫苑だけじゃなかったんだって思えた。
いけない。今から簡単に準備しておかなきゃ。私服とかお洒落なものなんかないし、どうしたものか……。
※※※※※
仕事から帰って、俺はテレビをつける。俺が住んでいるアパートが、幽霊屋敷扱いされている? マジかよ、とはならなかった。理由はある程度察しているから。
なんだか最近、お隣さんや下の階の人が続々と退去していると思ったら。カーテンから下を覗くと、汚い身なりのおっさんたちが、勝手にスマホを向けているのが見える。どうやら最近のメディアの拡散力は凄まじいらしく、緊急事態宣言解除も相まってか、この『幽霊屋敷』見たさに人がひっきりなしに訪れる。勘弁してくれ。こっちはこれから少し遅い夏休みを満喫しようとしていたってのに。ようやく有給休暇を取れたってのに! おちおち昼寝もできないんじゃないか?
そこに、インターホンが鳴る。ここの大家さんだった。
「町田くん、下にいる人たちを追い払ってくれないか」
「また私ですか?」
「頼むよ。この時間にいるのは君しかいないんだ」
俺は渋々、階段を下りて『観光客』の対応をする。今回は幸い、あっさりと引き下がってくれる人たちばかりでホッとした。でもそのうち、過激な連中が出てくるんだろうなと思うと気持ちが沈む。5分くらいで下にいた連中を退去させると、ホッとした表情をして大家さんが下りてきた。
「いつもすまないね。じゃあ私はちょっと出かけてくるから」
「はい、分かりました」
ということは、道端に落ちているこの吸い殻も俺が片付けなきゃいけないのか。大家は良いよな、楽で。今日もパチンコだ。緊急事態宣言が解除されてから毎日行ってるような気がする。いや、解除される前から外出していたような……。そんなことを考えているうちに、大家は車に乗っていつもの道を走っていった。
用具箱から箒とちり取りを出して、吸い殻や諸々のごみを片付ける。なんで俺がこんなことやらなきゃいけないんだ。これ以上酷いようだったら、張り紙でも作って警告してやろうかな。
ごみをまとめて、指定された場所に捨てる。本当に勘弁してくれ。自室に入ると、さっきまで点いていなかったテレビが点いていた。しかも映っていたのは、昨日観ていたチャンネルとは違う。また奴の仕業か。
「隠れてないで出てこい。篠田 緑!」
俺が名前を呼ぶと、奴はすぐに現れた。いつもの白装束で。
≪どこ行ってたの? 町田 水治。あんまり暇すぎたからテレビ点けちゃった≫
「お前のせいで、俺はさっきまで外にいたんだよ! というかなんでフルネームで呼ぶんだよ」
≪私のことをフルネームで呼んだから≫
俺は奴のことが視える。こいつはここに住み憑いている幽霊で、俺は生まれつき、幽霊が視えるのだ。そして今更説明不要だが、このアパートが幽霊屋敷なんて呼ばれるようになったのは、他でもなく奴の仕業だ。
俺が仕事で不在にしていると、奴は勝手気ままに活動を始める。テレビを観るのは勿論、最近はチャンネルまで変えられるようになりやがった。お陰で月の電気代は半端ないことになっているし、周辺住民から通報されたこともある。そして最近はここでの生活に慣れてきたのか、外に出て周辺を散歩しているとか言い出した。多分、金縛りはこういう時に起こっているんだろう。
「いいか、一から説明してやる。最近、うちのアパートが幽霊屋敷扱いされているんだ。勝手に電気は点く、散歩していた人たちが金縛りに遭う。一体誰のせいなんだろうな?」
≪私?≫
「そう、お前。この際だから言っておく。せめて、事態が収束するまで、何もしないでくれ。平日だろうと休日だろうと、暇な連中が押し寄せてきて、俺は何もしていないのに、無理矢理対応しているんだ。大家はパチンコ店に逃げるし、もう最悪なんだよ!」
≪そういうことになってたんだ。なんかごめん≫
最後はただの愚痴になってしまったが、奴は少し深刻そうな表情をしていた。しかし他人事な物言いは変わらない。
「本当に分かってるのか? 下手したらお祓いされるかもしれないんだぞ?」
≪お祓い? それだけは絶対に嫌だ! 死んでも案外居心地良いんだもん!≫
「なんだよ居心地良いって……。このアパートにいたかったら、俺の言うことを少しは聞いてくれ!」
≪うん、分かった。町田くんが不在の間はテレビ観ないし、通行人に金縛りかけたりしないから!≫
いよいよ焦っているようで、奴は俺に縋り付いてきた。ああ、手がヒンヤリする。しかしこれからどうなるんだろう。本当に除霊の依頼とか来なければいいんだが……。
≪じゃあ私は一足先に消えるね。おやすみなさい≫
「まだそんな時間でもないけど、くれぐれも大人しくしといてくれよ?」
奴は宣言通り、俺の目の前から消えた。本当、神出鬼没なんだよ。シャワー浴びている時に入ってこられたことあったし。しかしこれで、休日を少しだけ落ち着いて過ごせるかな? 暇人が集うのは変わらなさそうだけど。俺は夕飯の準備をするために家を出た。まだ献立決まっていなかったんだ。すっかり忘れていた。
外に出ると、念のため俺の部屋の窓を見る。カーテンから電気は漏れていない。本当に自粛してくれているんだな。やればできるじゃないか。車に乗って、スーパーへと向かった。