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もう一つの能力

「あ、いや、その……」

 一番見られたくないところを見られてしまった。さあどうする私。隣にはどうしていいか分からないような表情の椿さん。目の前にはこれまた困惑している義人くん。私が話を切り出さなければこの気まずい状況は終わらない。冷や汗が伝うのが分かる。しかしいきなり真実を伝えても良いものだろうか。とりあえず、お互いに落ち着こう。

「分かった。赤羽くん、こっち座って」

「うん……」

 椿さんが慌てて席をよける。貴女よけなくても大丈夫でしょうに。私の隣に義人くんが座る。これはもう、覚悟を決めるしかない。でも、まだ心臓の鼓動は速い。真実を伝えることが、こんなに躊躇われるとは。

「あの、赤羽くん?」

「ああ、なに?」

 義人くん、昨日書いてたもんね? 私の言うことを信じるって。お願い。信じて。今から私の言うことに、全部イエスって応えて!

「確認、なんだけどさ」

「なに?」

「私の言うこと、本当に信じてくれる?」

「え? ああ、昨日のあれ? うん。大丈夫、だと思う」

 義人くん、しどろもどろだ。そりゃそうだ。幽霊が視える私が、実の母親と口論している場面を見てしまったんだから。いや、口論というよりは私が一方的に話していただけか。そんなことはどうでもいい。早く話さなければ。

「……私、赤羽くんのお母さんと話していた。私と赤羽くんがチャットしていたのも、私にくっついて見ていた」

「……マジ?」

「うん、マジ。女の子と話すようになったんだなって、喜んでた」

「そうだったんだ。ちょっと、いやかなり恥ずかしいな。だって井坂さんが言っていることが本当なら、俺とのやり取り全部見られていたってことじゃん?」

「うん。でも大丈夫。紫苑とのチャットは見られていないから」

「余計なこと言うなよ! 母さん近くにいるんだろ?」

 めっちゃ赤面している。こりゃ紫苑と何かありそうだな? そんなことより、思ったより私のことを受け入れるのが早い。というか早すぎ。一種のおとぎ話を聞いている感覚なのか? まあ、今までの仕打ちに比べたら天国だ。私はひたすら事実を話す。息子をガン見している椿さんにも、時々目を向けながら。

「というか、俺のこと分かってくれたのにまずびっくりしたよ」

「アプリのアイコンが本人だったから。すぐに分かった」

「そっか……」

「赤羽くんも、私にすんなり話しかけてくれたね。一人で怒鳴っていたのに」

「だって、俺の母さんの名前言ってたし、井坂さん、幽霊視えるって言ってたし。もしかしたら、母さんと話しているのかなって」

 なんだ、そういうことだったのか。最初から少しは信じていたのか。赤羽くんが純粋な心を持っていて本当に良かった。普通の人はこの時点で逃げ出すか、動画を撮ってSNSで晒し者にする。最悪、不審者として警察沙汰になるだろう。最初に会ったのが赤羽くんで本当に良かった。

「それで、本当にここに、母さんがいるの?」

「……うん。私の隣にいる」

 椿さんは私の隣に移動していた。視線は義人くんにしか向いていない。

「じゃあ、話したい。母さんと、少しでもいいから話したい!」

 さっきとは表情が全然違う。凄い真剣だ。

≪お願い! 少しでもあの子と話したいの!≫

 親子から懇願されては敵わない。よし、かくなる上は、あれを使うか。ちょっとやりたくないけど。今日はどうせ学校休みだし、ちょっとくらい体力使ってもいいだろう。私は椿さんの方を向く。

「椿さん、私の背中にくっついてください」

≪え?≫

「良いから! 早くしてください。もう少しで人が増えますから!」

≪わ、分かった。こうでいい?≫

「そうです。その状態で、私と一緒に10数えてください」

「あの、一体何を?」

「赤羽くん、もうちょっとだから静かにしてて! もう少し待てば、椿さんに会えるから!」

 人通りがないのをいいことに、私は「あれ」をしようとしている。本当、頭おかしいことしているようにしか見えない。赤羽くん、流石に困惑しているし。背中で椿さんの数える声が聞こえる。5、6、7、8、9……。

「うっ!」

 少しずつぼーっとしていく。この感覚、何回やっても慣れないんだよなぁ。そんなに回数やってないけど。やばい。眠くなってきた。あとは椿さん、よろしくお願い致します……。


※※※※※


 目の前の出来事を、僕は少し信じられなかった。井坂さんが母さん? に何か命令したと思ったら、10数えたらいきなり気を失った。僕は慌てて井坂さんを介抱して、ベンチに座らせる。今から母さんと話をさせてくれるって言っていたけど、一体これから何が始まるっていうんだ?

「ねえ、大丈夫? ねえ!」

 身体を揺さぶっても反応はない。息が荒くなって、目を固く閉じている。どうしよう。こういう時、何をしたらいいのか本気で分からない。周りを見ても誰もいない。

「ああもう、どうしよう……」

 もう少し待ってと言われたけど、倒れてからなかなか目を覚まさない。これ本当に大丈夫なのか? まさか、このまま永遠に起きないなんてことないよね? 少しだけ冷や汗が出てくる。だけど、段々呼吸が落ち着いてくるのが見て分かった。

 そして、大きく息を吸って吐いた。ようやく目を開けた。

「大丈夫? どうなることかと思ったよ!」

「……義人。義人なのね?」

「え?」

「私! 赤羽 椿! あなたの母親よ!」

「……え?」

 井坂さん、目を開けて何を話したかと思えば、自分が僕の母親? でも何かおかしい。井坂さん、こんなにはきはき喋っていたっけ? こんな喋り方だっけ? 一瞬でガラリと変わっちゃったから、何が起こったのか理解するのに少し時間がかかりそう……。

「どうしたの?」

「あ、えっと、話が見えないんだけど……」

「なんか一緒に数を数えたら、この子の身体の中に入ることができたの。そしてこの子の身体を借りて、こうして話しているわけ」

「は?」

 井坂さん、幽霊が視えるとは言っていたけど、こんなこともできるなんて話してなかったぞ? でも僕は、不思議と恐怖を感じなかった。ちょっと疑っているけど。そこで僕は、母さんや家族しか知りえない質問を投げてみた。

「ねえ、今から母さん? に質問します」

「なんで母さんの語尾が上がっているのか知らないけど、まあいいわ。受けて立ちましょう」

「じゃあいきます。僕の誕生日と産まれた時間は?」

「2006年5月15日午後4時18分! 分からないはずがないでしょう」

「……じゃあ、小学校6年生の運動会で僕は紅組だった? 白組だった?」

「白組! ついでに言うと義人は、100m走で3位だったし騎馬戦ではすぐに帽子を取られた。最終的に勝ったのは白組。どう? これで分かった?」

 ……うん。ここまで鼻息荒くできるなんて、今の井坂さんにはきっと無理だ。眼もキラキラしているし。僕は無言で頷くしかなかった。負けたよ、母さん。ここまでくると、信じない方がおかしい。なんだか笑えてきた。そしてなんでか分からないけど、鼻の奥がムズムズする。

「どうしたの?」

「ううん、やっぱり母さんだったんだって思った。それだけ」

「ようやく信じてくれたみたいね。嬉しい!」

「母さん、僕も、こうやってまた話せて嬉しいよ」

 声が震えてきた。お葬式で涙は全部出したと思っていたのに、また出てくる。母さんは笑顔で、僕を抱き締めてくれた。正確には井坂さんだけど、そんなことはもう関係なかった。


 少し気分が落ち着いた。僕はようやく、平常心で話すことができていた。

「勉強はどう? 高校、行きたいところは決まった?」

「勉強はまあまあ。姉さんよりは内申点低いけど。高校はまだ迷ってる」

「そう。貴方はやればできる子なんだから、簡単に諦めちゃ駄目よ? 真理も頑張って、第一志望の高校に合格したんだから!」

「うん。頑張るよ! 母さんは死んでから、うちに来たことある?」

「そうねぇ。1か月に2回くらい、顔を出したことはあったけど、誰にも気付かれないって分かってからは行ってない。なんか、虚しく感じちゃって」

 そうだ。僕らは井坂さんと違って、幽霊が視えないんだ。だから母さんがひょっこり姿を見せたとしても気付かないし、いつも通り生活している。いつしか僕たち家族は、母さんがいない生活が当たり前だと感じるようになっていたのかもしれない。仏壇に母さんの写真は飾っているけど、お供え物をあげるのはお盆の時くらいだし、そんなに頻繁に掃除をすることもなかった。

「そっか。仏壇とか汚かったでしょ? ごめんね」

「そんなことないのよ。それよりも義人。貴方の部屋」

「……散らかってるのばれた?」

「たまに覗きに行っては、真理の部屋と比べてがっくりきてたわ。私の仏壇よりも埃被ってるんじゃないの? もう。今日学校終わってからでいいから、しっかり片付けなさい」

「……はい」

「もう、そうやって笑って受け流さない」

「受け流してないよ」

 なんだろう。母さんが生きている時は、たまにだけど、小言がうるさく感じていたのに、今はそんなこと全然ない。寧ろすんなり受け入れられる。怒られるってことは、有難いことなのかな。それにしても、怒る時のイントネーションまで母さんだ。まあ、井坂さんに憑りついているから当然っちゃ当然だけど。まだまだ母さんの話は終わらない。

「学校は順調? クラス替えあったみたいだけど、友達はできた?」

「心配性なんだから。大丈夫だよ。友達もぼちぼちできてる」

「それと、一番気になっていることが」

「何?」

「紫苑? っていう女の子と仲良いらしいじゃないの。その子とはどうなの?」

「え……、やっぱりそれ聞く? 旗本さんのこと」

 ある程度予想はしていた。旗本さんとの関係を聞かれるっていうのは。思わず口が閉じる。視線が泳ぐ。それを母さんが見逃すはずもなかった。

「当たり前じゃない。義人に初めてできた女の子の友達なんだもの。どう? 変なことしてない? 女の子は特に大事にしなきゃ駄目よ? 母さん、それだけが心配」

「……大丈夫だよ。そんな大袈裟だな。何も心配いらないって」

 どうして親って、こういう話に首を突っ込みたがるのだろう。これを聞いているのが父さんだったら、すぐに話題を変えているところだ。ここは簡単に話して、早めに話題を切り上げよう。

「そりゃ、一緒に登下校するのは楽しいよ? 野球の話とか、乗ってくれるし。別に、特別意識しているわけじゃないし。友達として、色々尊敬できるところが、あるって、だけだから……」

「例えばどんなところ?」

「……いつも明るいところとか、勉強できるところとか。勉強なんて、教えてもらってばっかりでさ。ちょっと情けなくなることもあるよ」

 僕の話を聞いている母さんは、ただ笑顔でいた。落ち着け。何もやましいことなんてない。今はただ、旗本さんの話題を終わらせることだけを考えるんだ。

「本当にこれだけだから。信じて。ね?」

「……分かった。もうこれ以上は聞かないでおく。それと義人」

「まだ何かあるの?」

「意識しているわけじゃないっていう人に限って、物凄く意識しているものよ? 貴方、墓穴掘ったわね? あははは……」

 母さんが爆笑している。額を汗が伝う。これは暑さのせいだ。うん、きっとそうだ。顔が火照っているのも、目の焦点が合わないのも、全部暑さのせいなんだ! うん!


 ひとしきり笑うと、母さんは再び真面目な顔に戻った。

「もうそろそろ、幽霊に戻らなきゃいけない。これ以上、この子の身体を借りているわけにもいかないから」

「……仕方ないよ。また、会えるよね?」

「そうね。いつか会えるよ。大丈夫。私は、義人と真理のことはいつでも見守っているから!」

「……父さんは?」

「あの人は一人でも大丈夫そうだから」

「まあ、それはそうだけど……」

「義人、じゃあね。またね」

 そう言った母さんは、僕をもう一度抱き締めてくれた。さっきとは違って、凄く強い。僕もそれに応えるようにしっかりと抱き締める。

 数秒後、井坂さんは全身の力が抜けたように崩れ落ちた。

「大丈夫? 井坂さん」

「私は、大丈夫。ベンチに少し座ったら帰れるから。それよりも、お母さんと話してみてどうだった?」

「……うん。凄く良かった。泣いちゃった」

「それは良かった。ところで、どうしてこんなに汗だくなの?」

 どうやら井坂さんは、母さんが憑いていた時の記憶がないようだった。

「今日、暑いじゃん? 陽も出てきたし」

「そう? 私は何も汗かいてないけど」

「俺、暑がりなんだよ! 久しぶりに母さんと話してテンション上がったのもあるかな? そろそろ学校あるから、また。今日はありがとう!」

「いいえ。こっちこそありがとう。学校頑張って。それと、紫苑とも」

 ……は? まさかバレてる? 表情が引きつっているのを見られたくないから、僕は黙って手を振って、井坂さんの元を後にした。いや、きっと気づいていないはずだ。僕と旗本さんが友達だっていうのは、旗本さん経由で井坂さんに伝わっているはず。友達を大事にしろっていうニュアンス、のはず。でもどうしてだろう。井坂さんらしくない笑顔を見せていた。ああ、これ以上考えても仕方ない。最初は落ち着いて歩いていたけど、気づいたら走っていた。恥ずかしさで、どうにかなりそうだった。


 家に着く。姉さんが朝食の準備をしていた。汗だくの僕を見て、少し呆れている。

「義人、どこ行ってたの。朝ごはん冷めるよ?」

「ごめん、姉さん。実は、母さんに会ってきたんだ!」

「……は?」

「だから、母さんと話してきたんだ。絶対信じてくれないかもしれないけど……」

「母さん、なんて言ってた?」

 いつものように馬鹿にして一蹴すると思ったのに、姉さんは予想以上に食いつきが良い。食卓に向かい合うようにして座ると、僕は今朝あった全てを話した。姉さんはうんうんと相槌を打ちながら、一切質問もしないで僕の話を聞いていた。

「ふうん。いかにも母さんが言いそう。昔からそうだったよね」

「少しうざかったこともあったけどね」

「まあそれは仕方ないよ。母さん、昔から物凄く心配性だったから。私となんてさ、死ぬ直前まで将来のこと話してたし。ほんと、自分のことは二の次っていうかさ……」

 心なしか、姉さんの声が震えている。母さんは死ぬ直前、姉さんと買い物をしていたらしい。お米を持ち上げたらいきなり倒れて、それから目を覚ますことはなかった。だから姉さんは、看護師の道に進もうと、今を生きている。

「いけない。何しんみりしちゃってるんだろ。こんな姿、母さんに見せられない」

「そうだね。いつでも見守ってるって言ってたし。もしかしたら、後ろにいるかもよ?」

「変なこと言わないでよ! でも、それも良いかな? さ、食べよう」

 この日の「いただきます」は、いつもより大きかった。母さんに聞こえるように。元気にやっている姿を、しっかり見せられるように。



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