まさか、僕に…
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どうしよう。全然眠れなかった。夜中にいくら寝ようとしても、1時間もしない内に目が覚めちゃうんだもの。やっぱり僕はダメだ。どうしても旗本さんのことを意識してしまう。僕だけ、グループチャットに書いてないの、気づいてないかな。僕だけ直接メッセージ送ったこと、気づいてないかな。
そんな時、スマホに新しいメッセージが入る。見ると、井坂さんだった。
『おはよう。昨日、紫苑からメールが来たんだけど、今日からまた学校に行くんだって!』
そうか。井坂さんには個別に伝えないといけないのか。こんな朝早くからメッセージしてきたってことは、相当嬉しいんだろうな。
『おはよう。昨日、先生が言ってたんだ。もう1か月経つんだね。』
『もう起きてたんだ。そうだね。ようやく立ち直ってくれたんだね。』
『うん。旗本さんが帰ってくるって知って、あんまり眠れなくてさ。』
そう返すけど、僕の頭はこれほどまでにないくらい冴えていた。そして、緊張していた。
『私も、あれから全然やり取りしていなかったから、どうやって返せばいいか分からなくて。赤羽くんは、どうやって返したの?』
『僕は旗本さんとはクラスメイトだから、「待ってるよ」って。』
『待ってる、か。ありがとう! 私もすぐ返してみる!』
『どういたしまして。それじゃあ、そろそろ準備しなきゃ』
『まだ早いでしょ笑 はーい。頑張って!』
スマホを置く。普通にやり取りしていたけど、井坂さんって、こんなキャラだったっけ? なんかやけに、僕に対して積極的に接してきてくれているけど。
1階に降りる。あれだけ遅くまで勉強していた姉さんが、もう台所に立って朝ご飯を作っていた。僕の弁当は、もうできている。
「おはよう。早いね」
「姉さんも早いね。身体壊さないでね」
「私がいなきゃ誰がご飯作るっていうの?」
「そうだね。いつもありがとう」
「そんな寒気がするようなこと言わないで。ちょっと早いけど、今から朝ご飯食べる?」
「うん。姉さんは?」
「私も」
ハムエッグをトーストに乗せて、準備をする。人数分の麦茶をいれると、姉さんが食卓についた。席について早々、姉さんが少し驚いたような感じで聞いてくる。
「どうしてそんなに早いの? いつもだったら叩き起こしてもなかなか出てこないのに」
「一言多い。今日から旗本さんが戻ってくるから、ちょっと緊張しちゃって」
「義人の彼女?」
「か……! 違う! ただの友達!」
「分かりやすいなぁ。そうなんだ。あれからまだ1か月しか経ってないんでしょ? 本当に大丈夫なのかな」
姉さんには、周りに漏らさない代わりに、あの事件の全部を話した。あの時はぼこぼこに殴られて帰ってきたり、夜遅くに一人で家を出たりしたからしこたま怒られたけど、理由を話したら納得してくれた。
「そこは分からない。今は刺激しないように、少し距離を置くべきなのかな」
「うーん、難しいな。話してくれた方が安心できるのか、少し距離を置いて、慣れたら話しかけた方がいいのか……」
姉さんは結構真剣に考えてくれていた。今年の夏になってから、やけに僕に対して親身になってくれる人が増えた(姉さんが親身になってくれなかったとは言わないけど……)。井坂さんは、やっぱり何か持ってる。なんだかそう思えるようになってきた。
「ごめん。ここでは結論出せないわ」
「いいよ。僕もまた考えてみるから」
「でもさ、これだけは言えると思う」
「ん?」
「義人。あんたが似顔絵描いてなきゃ、犯人は捕まらなかったわけでしょ? そのことについて、旗本さんは凄く感謝してもしきれないと思うんだ。大げさかもしれないけど、あんた、命の恩人だよ? だから、別にこれまで通り話しかけてもいいんじゃないかなとは、少し思った。自信ないけど」
トーストを完食した姉さんが呟くように話す。命の恩人、か。本当の恩人は井坂さんなんだけど、そこは話がややこしくなるから言わないでおこう。
「そうなのかな? あの時は必死だったから……」
「そうだよ。他のクラスメートは何かした? 夜に事件現場行った時、知っている人はいた? 義人はどの子よりも、旗本さんのことを思っていたわけだから、やっぱり印象には残るよ。だから、自信持って良いと思う。男の子なんだから、しっかりしなさい! あ、これお母さんっぽかったかな?」
姉さんは僕の背中を叩いて、笑いかけてきた。やる気スイッチを押された感じがして、僕の中から活力がみなぎってきた。
支度を済ませると、姉さんはもう学校へ行こうとしていた。物置から自転車を出す姉さんの口からは、欠伸が出ている。
「姉さん」
「ん? どうした?」
「あのさ、さっきはありがとう」
「ああ、そう。力になって良かった。気を付けて行ってらっしゃい」
「うん。いってきます!」
「寄り道しないで帰ってきなよ!」
「分かってる!」
朝に姉さんとあれだけ話したのは、母さんと再会した時以来だと思う。それくらい、姉さんと話すことがなかった。それにしても、なんだか皆に助けられてばっかりだ。井坂さんには旗本さんを助けてくれて、姉さんは僕へ的確なアドバイスをしてくれている。でも僕だって、旗本さんを助ける手助けをした。少しは自分で動くことが出来ているのかな。
学校に着く。クラスメイトはぼちぼちいる程度で、旗本さんの姿はない。ダメだ、凄く緊張してきた。心臓がバクバクしているのが自分でも分かるし、なんだか寒気もしてきた。ん? 寒気? まさか母さんが心配して纏わりついているんじゃないよな? きっとそうだ。いつまでも子離れ出来ないんだから。緊張をほぐすために廊下に出る。
廊下はやはり騒がしかった。珍しく早く登校してきたヤンキーみたいな見た目の生徒と、その取り巻きと思われる人が大声で話していたり、女子の集団が人目も憚らず騒いでいたりしている。ああ、落ち着かない。集中できない! 少し早めに家を出たのが間違いだったかな……。スマホは使っちゃダメだから、暇つぶしも出来ない。教室と廊下を行き来するのは流石に周りから変な目で見られそうだから、こうやって意味もなく、廊下の壁にもたれかかるしかないのか……。
そうしているうちに、クラスの中にどんどん人が入っていく。どさくさに紛れて僕も入るけど、その中に旗本さんの姿はなかった。本当は、まだ怖いのかな。だからまだ学校に来れないのかな。あれだけ酷いめにあったから、仕方ないのかな。
8時30分。チャイムが鳴った。先生が入ってくる。
「おはようございます。朝のホームルームを始めます」
淡々と進められていく。まだ旗本さんはいない。目線は先生なんだけど、ホームルームの内容が頭に入ってこない。先生とか、委員会の人とか、何か色々話しているけど、殆ど聴こえない。集中しなきゃいけないのは分かっているんだけど……。
朝の読書の時間になった。僕は持ってきた本を机の上に出したけど、今は読む気にもなれない。適当にページを開いては、読むふりをする。始まってから5分でチャイムが鳴るんだけど、今の僕には、その5分が50分にも500分にも感じられた。本のページと、壁掛け時計を交互に見る。先生には気づかれていない。というか、周りも確認しないで読書に没頭してるし。流石は国語の先生。
下らないことを考えているうちに、とうとう9時のチャイムが鳴った。皆はだるそうに溜め息を吐いたり、最初の授業の準備をしようと鞄を漁ったりしている。旗本さんは、まだいなかった。
でも先生は、チャイムが鳴るとほぼ同時に廊下へ出て行った。いつもだったら、このまま授業が始まるはずなのに、少し慌ただしい。先生がいなくなったのをいいことに、教室がまた騒がしくなる。これが授業中も続くから嫌なんだよな……。
「1時間目から国語かよ。だりぃな」
「めんどくせー」
ネガティブな声が次々と聞こえてくる。こういう雑音に限って耳に入ってくるのは何なんだろう。止める術がないから、黙って俯いているしかなかった。と、先生がまた入ってくる。
「皆、お待たせ。旗本さんが到着した。皆で出迎えましょう!」
え? マジ? ああ、だから先生、急に慌ただしくなっていたんだ。納得。いや、こうしてはいられない。先生の言葉で、僕は急に汗が噴き出してきた。皆も、旗本さんが入ってくるのを今か今かと待っている。そして、扉が開いた。
「旗本さん、お帰りなさい」
「……はい」
皆が拍手で迎える。僕もつられて拍手していたけど、あまりの変わりっぷりに驚くことしか出来なかった。胸まで伸ばしていた髪は、男子と見間違うくらいばっさり切られていた。そして、男子と同じスラックスを履いている。ネクタイも、女子用の蝶ネクタイではなくて、男子用の結ぶ方式のネクタイに変わっていた。冗談抜きで、遠目からだと男子だ。
皆から言い寄られているけど、旗本さんは笑顔で粛々と応対して、自分の席に座る。こうやって僕の隣に座ること自体、かなり久しぶりだったから、僕の心臓は破裂しそうになっていた。ダメだ。やばい。嬉しさと恥ずかしさでどうにかなっちゃいそうだ。
「あ、旗本、さん……」
「久しぶり。赤羽くん。ごめん、早速なんだけどさ」
「え? 何?」
「国語の教科書、忘れちゃって。見せてくれない?」
僕が思っている以上に、旗本さんは平常心みたいだ。今までずっと緊張していた僕が馬鹿みたいじゃないか。いや、十分馬鹿だけど。
「……良いよ。はい、これ」
「サンキュー! 助かるわぁ。今日から学校だから、舞い上がっちゃって」
教科書を机と机の間に置く。それを見ようと、旗本さんが僕の方に顔を近づけてくる。今まではなんてことなかったのに、今は、身体が熱くなる。色んな気持ちがごちゃ混ぜになって、少し気持ち悪いくらい。こんな感じで、授業は特に波乱もなく(僕の心の中はとんでもないことになっているけど)進んで行った。
放課後。皆がだるそうに帰っていく中、僕は机に突っ伏して力尽きていた。あれから僕の心の中は休まることがなく、旗本さんとは授業中に数回しか話すことが出来なかった。僅かな力で首を持ち上げると、旗本さんは先生と話している。「はい」「大丈夫です」と繰り返し話しているから、きっと特に当たり障りのない質問でもされているんだろうな。
「じゃあ旗本さん、また明日。そろそろ帰りなさいよ」
「はい。今日はありがとうございました」
先生が教室から出ていく。これでこの中は、僕と旗本さんの二人きりだ。少し動けるようになった僕は、帰る準備を始める。
「赤羽くん、まだ帰る準備してなかったの?」
「あ、うん。今日凄く疲れちゃって」
「なんか疲れる要素あった? まさか、私が帰ってきたから緊張してた? そんな気遣わなくてもいいのに!」
「ち、違うよ! でも、そうかも……」
「何言ってるの、変なの。あ、そうだ! あのさ、赤羽くん」
冗談めかして笑うと、急に真剣な表情になって近づいてきた。僕のことを、真っすぐ見つめる旗本さん。
「な……、何?」
「1か月前のこと、覚えてる? 私を逃がそうとして、犯人に殴られたの」
「……勿論。僕がしっかりしていたら、こんな大事にはならなかったって、今でも思ってる」
「そんなこと言わないで! 自分を責めないで! 私、とっても嬉しかった。私なんかの為に、身体を張って助けてくれるなんて、正直、思わなかったから」
僕の頭の中で、旗本さんの言葉が反復する。僕の行動は、無駄じゃなかったんだ。姉さんの言う通りだったんだ。僕は急に恥ずかしくなって、俯くことしか出来なかった。
「だから、さ。ちょっと失礼……」
「え?」
僕に更に近寄ってくる旗本さん。そしてゆっくりと、僕の背中に手を回し始めた!
一瞬だった。何が起きたか分からないうちに、僕は旗本さんに抱き締められていた。あったかさとか柔らかさとか、そんな細かいことなんて考えられなかった。僕の目の前には、目を瞑って泣きそうになりながら抱き着いている旗本さんがいるんだ! とりあえず背中に手を回してはみたけど、どういう言葉をかけたら良いのか分からない。ああどうしよう。これ以上どうすればいいの! この状況をどうすればいいの! もしも誰かに見つかったらどうすればいいの! 教えて! 人生の先輩方!
と、僕の身体から旗本さんが離れる。時間は一瞬だったんだろうけど、目が回りそうな感じになっている。旗本さんは、笑っていた。
「赤羽くん、動揺しすぎ。めっちゃ心臓ドキドキしてたよ? 女の子と浮いた話聞かないから、仕方ないのかもねぇ」
「それよりも! なんで! 抱き着いたのか! 説明して!」
息も絶え絶えだった。今でも旗本さんの熱が、僕を包んでいるような感じがする。
「あれ? 1か月前に出来なかったから。お父さんとお母さん、そして真白ちゃんには、ちゃんと助けてもらってすぐハグしたんだよ」
「……ああ、そうだったんだ」
「何興奮してるの? まだまだ子どもなんだねぇ」
「そうだよ! 僕は子どもだよ!」
いつものようにいじられて、いつものようにツッコむ。そんな日常が戻ってきたように思えて、僕はいつの間にか泣いていた。
「大丈夫? 涙出てるけど。もしかして泣いてる?」
「うん! 大丈夫だから! 心配してくれて、ありがとう!」
「私こそ、1か月も心配してくれて、本当にありがとう。これからもよろしくね」
そういうと、旗本さんは鞄から封筒を取り出した。そこには丁寧な文字で、『赤羽くんへ』と書かれていた。涙を拭って受け取る。
「これ……」
「あー! ここでは開けないで! 流石に恥ずかしい。内容は帰ってから、一人で読んでね。それじゃ、私は帰る!」
「あ、良かったら一緒に……」
「それは無理かな。これから行き帰りは、お母さんが車で送ってくれることになってるから!」
「そっか……」
「それじゃまた明日! アディオス!」
僕が手を振る間もなく、小走りで去っていった。少し経ってから、封筒を鞄に入れて、学校を出る。少し歩くと、白い軽自動車が校門の前に停まっていた。すぐに走り去っていったけど、あれに旗本さんが乗っているのかな。
一人で帰る道は、どことなく寂しい感じがした。




