話をしよう!
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旗本さんが帰ってから数十分、ようやく俺は平常に戻ることができた。クッキーは殆ど手付かずだった。こんな寒気がするんじゃ、味なんて感じることもままならない。せっかく今日は観光客(という名の邪魔)が来なかったのに、奴のせいで台無しだ。少し女の子と話していただけなのにこの仕打ちだ。俺はタオルをソファーに置くと、奴を探す。
「いるのは分かってるんだ。何処だ!」
その声に反応したのか、奴は天井から降りてきた。
≪どうしてこんなにカリカリしてるの。あの女の子が、町田くんの為に作ってくれたクッキーでも食べて落ち着いたら?≫
「あのな、お前は程度っていうのを分かってるのか? あんなことする必要あったか?」
≪あー、あれね。注文通りにやっただけだけど?≫
「そうだったか、ありがとう。お陰で今までにないくらい命の尊さを知ったよ! あれじゃ寒さがまとわりつくレベルを超えてる!」
身体から熱が吸収されていく感覚。自然と意識が朦朧としていく、あの感じ。本当にヤバかった。幽霊って、その気になれば人を殺すことなんて造作もないんだな。つくづく恐ろしい存在だ。それにしても、奴はやけに感情的だ。怒っている? いや、それにしてはあんまり見せたことのない顔をしている。
「何が気に食わないんだよ。俺はただ、あの子から話をされてそれに答えただけだぞ?」
≪昨日もそうだった。生きている女の子がお礼を言いに来ただけで、だらしない顔になって! 鼻の下伸ばして雑談なんかしちゃって。このロリコン!≫
「は? まさかお前、嫉妬してるのか? あの二人に」
≪そんなわけない! だけど、そうかもしれない……≫
そう言うと、奴は俺の隣に座った。
≪だって、私、幽霊だから。一生こういうこと出来ないんだよ? 異性と話すなんて。生きている間でも、お付き合いなんて数えるほどしか無かったんだから≫
「だから俺はそういうつもりであの子たちと接したわけじゃ……」
≪私、町田くんに会わなかったらどうなっていたんだろうって、今でも時々考える。当てもなく周辺を彷徨って、たまに通行人に悪戯して。その繰り返しになっていたんだろうなって。誰とも話せず、ましてや異性となんて夢のまた夢。死んだら何も良いことないよ! 正直、町田くんが羨ましい!≫
奴がしみじみと、そしてやけに感情を込めて、俺の話も聞かずに心情を話している。このモードに入ってしまったら、俺は聞き役に徹することにしている。しかし、奴が異性との関係でこんな話をするなんて初めてのことだ。ここは一つ、面倒臭がらずに話を聞いてやろう。奴の気が済むまで。いい時間潰しになるし。
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幽霊屋敷の件から数日が経った。私はフリースクールの帰り、緑さんと初めて出会った駅で一人座っていた。制服の中に短パンを履いている。最初はごわごわした感じがして違和感があったけど、もう慣れた。寧ろ自衛の為に出来る、考えられる限り一番簡単な方法だったのに、なんでこうしなかったんだろうとさえ思っている。
人通りはまばらだ。まだ本格的に混み合う時間じゃない。コンビニで買ったお茶を飲みながら、暑さと疲れを癒していた。それにしてもどうしてこんなところに、あの人は私を呼び出したんだろう。
時計を見る。5時になろうとしていた。お母さんには6時には帰るって伝えてたんだけど、どうなるかな。帰れるか不安になってきた。自分で待ち合わせ時間を決めておいて、あの人はまだ来ない。どうしたんだろう。マイペースだってのは初めて会った時からなんとなく察したけど。このままずっと同じ場所にいるのもあれなので、あの人が来るまでふらふらしていよう。
と、急に背中が重たくなる。まさか……。私は多目的トイレに駆け込むと、鞄を下ろした。
「ようやく来ましたか。遅いですよ」
≪ごめんよ。ちょっと用事が立て込んでいてね……≫
私を呼んだのは、緑さん。なんで呼ばれたのか、私もよく分かっていない。
そもそものきっかけは、昨日、フリースクールの帰りにあの公園を通った時のことだった。そこではいつものように幽霊が井戸端会議している。私はたまに、椿さんと近況を話す位で、長居をするわけではない。
そこで私は、偶然見てしまったのだ。緑さんが、他の若い幽霊数人と井戸端会議をしていた所を。
≪緑ちゃん、また悪戯したの? 懲りないね≫
≪悪戯じゃないもん! 社会貢献!≫
≪盗撮犯ってさ、女の敵だよね。まだ生きてる私の友達も、電車の中でされたって!≫
≪何処にでもいるんだね。本当参っちゃうよ≫
何やら、あの事件のことを話しているらしかった。今でもあの親父の顔が思い浮かぶ。緑さんとまた会えたことは嬉しいけど、今は関わりたくない。今日は椿さんもいないし、黙って帰ろうと思っていた。
でも、緑さんはそんな私を見逃さなかった。立ち去ろうとする私の背後から抱き着いて離れない。背中がひんやりして、身体が重たく感じる。なるほど。これが金縛りというものか。初めての感触にびっくりする間もなく、緑さんが話しかけてきた。
≪また会ったな。白髪の少女よ。名前はえっと……≫
「井坂 真白です。離れてもらってもいいですか?」
≪なんだ、やけに塩対応だな≫
「聞いてましたよ、お話。あんなこと聞いたら気分が落ちるに決まってるじゃないですか」
≪そっかー。それは済まなかった≫
「ところで、帰っていいですか? 夕飯作らなきゃいけないので」
≪いいけど、一つだけ言づて≫
「なんですか」
≪明日の午後5時、真白ちゃんと初めて会った場所にいて。話したいことがあるの≫
「明日じゃなきゃダメですか?」
≪うん! ちょっと時間かかるかもしれないから≫
今まで沢山の幽霊と接してきたけど、幽霊から誘われたのは初めてだ。それも場所と時間を指定されて。意図はどういうものなのかは分からなかったけど、悪さはしなさそう。ここは一つ、話に乗ってみるか。
「いいですよ。でも私も用事があるので、手短にお願いします」
≪助かる! じゃあ、もう行っていいよ。また明日!≫
背中から剥がれ落ちた緑さん。ふっと軽くなった感じがした。他の幽霊仲間と手を振って見送ってくれたけど、怪しまれないように、私は振り向かないで家に帰った。
そして今、私は緑さんと話すために駅の多目的トイレにいる。こうやって、改めて面と向かい合って話そうとすると緊張する。幽霊は邪魔者だと思って扱っていたから、真剣に取り合うということをしてこなかった。それなのに、今は幽霊の誘いに乗って、直接話そうとしている。
「それで、お話というのは?」
≪あのさ、男の人のことってさ、どう思う?≫
……ん? 何を聞かれるのかと思えば、そんなこと? いや、聞くからには何か意図があるのだろう。そう思いたい。そうじゃなかったら時間を返してほしい。
「もっと具体的にお願いします」
≪えっと、あの時、町田くんにお菓子、渡したじゃん。それはさ、感謝以外の意味があったのかなって≫
「特にありません」
≪わお、即答≫
「あの人にはとても感謝しています。私の尊厳を守ってくれました。でも、これ以上は本当にありません。本当ですよ?」
私は自分の気持ちを正直に伝えた。私はこれまで、男の人についてはいい思い出がない。髪の色が白いだけで小学校からからかわれたり、幽霊が視えると言っただけで中学校でいじめられた。それに私は、お世辞にもスタイルが良くない。男子からは陰口を言われて、女の子からは名指しでからかわれる。正直、地獄だった。赤羽くんみたいなのは本当に希少なんだ。今でもたまにやり取りしているけど、本当に分け隔てなく接してもらっている。
≪……分かった。ありがとう≫
「正直、男の人とはろくな思い出がないですし、彼氏なんて作りたいとも思わないです。今までどれだけ酷い目に遭ったことか。男の幽霊にもお風呂覗かれたり……」
≪分かった分かった! そんな鬼気迫る表情しなくて良いから!≫
「あ、すみません……」
≪謝ることじゃないけどね≫
いつの間にか、凄い顔になってしまっていたようだ。息も荒くなってるし。こうやってすぐカッとなるから、いいようにからかわれるんだ。分かってはいるんだけど、なかなか治るものじゃない。
≪それにしても、良かったぁ≫
「私があの人に惚れたと思っていたんですか? それはないですよ。断じて」
≪うん、本当に良かった≫
「もしかして、緑さん。町田さんのことが好きなんですか?」
≪え? そんなことないよ。長く一緒に住んでいるから、なんかほっとけなくて。ただそれだけ≫
放っておけない? 私には良く分からない感情が、緑さんの口から出た。どういうことなんだろう。好きってことと何が違うんだろう。そんな私の気持ちを察するかのように、緑さんは話す。
≪私、2年前にこの近くで殺されちゃって。気付いたらこんな感じで幽霊になってたの≫
「え、殺され……」
≪それから1年くらいかな? ずーっと孤独だった。実家に帰っても、家族なんか私の存在に気付いてくれないの。当たり前だよね。真白ちゃんみたいに視える人たちじゃないし≫
笑いながら話してくれているが、私は笑えなかった。どうしてここまで笑っていられるんだろう。時が忘れさせてくれるとはとても思えない。やっぱり、幽霊っていうのは孤独な存在なんだ。私は椿さんに激高した時のことを思い出していた。生きていながら孤独っていうのも辛いけど、誰とも話せないのはもっと辛いんだ。
≪ねえ、どうした? さっきとは全然違う顔になってるけど≫
「あ、すみません。ちょっと色々衝撃的で……」
≪そうだよね。我ながらそう思うよ。というか誘っておいてなんだけど、ここに長居するのもあれだから、別の場所行かない?≫
そういえば、多目的トイレにずっと居座っている。私は無言で頷くと、トイレから出た。幸い、待っている人は誰もいなかった。
≪何処にしようか≫
「じゃあ、あの公園で」
≪やっぱそうなるよね。良いよ。真白ちゃんもそろそろ門限なんでしょ?≫
「ええ、まあ。でも何とかなりますよ」
スマホを開いて、お母さんにメッセージを送る。事前に言っておけば、大抵のことは許してくれるから。これで心置きなく緑さんの話を聞ける。私への慰めにならないことは分かっていたけど、どうしてもあの人の本音を聞きたかった。
『ごめんなさい。あと30分くらい時間かかります』




