お礼を言いに
どれくらい歩かされただろう。私は遂に、一人で、あの幽霊屋敷の前に立っていた。正確には一人と幽霊一体だけど、そんなことはどうでもいい。出入口前まで来たが、変な汗が噴き出てくるのが自分でも分かる。
≪水治くんの車は……、ああ。大丈夫。駐車場にあるってことは、まだ部屋にいる≫
「あの、水治さん? って、昨日、観光客の対応をしていた男の人ですか?」
≪そう。町田 水治くん。私は水治くんって呼んでる。変態野郎を捕まえた人。まあ半分は私のお陰なんだけどねぇ≫
「まさか、金縛りって……」
私が言いかけると、階段から誰かが降りてくる音がした。緊張で背筋が伸びる。
≪おお来た来た、水治くん!≫
「あ、あの!」
「ああ、貴女は昨日の。昨日は本当に申し訳ございませんでした。僕がもう少し目を光らせておけばこんなことには……」
「いえ! 違うんです。悪いのは盗撮した犯人と、私、です。久し振りに友達と一緒に遊びに行って、凄く舞い上がっちゃって……。あの、その、なんというか……」
言葉が出ない。落ち着け。男の人が怖いのはあるけど、今目の前にいるのは、私を助けてくれた人なんだぞ。お礼の一つも言えないでどうする! 隣で緑さんが激励してくれている。なんだろう。これが俗に言う、『暖かい目』ってものなんだろうか。最初は小声で≪頑張れ≫なんて言っていたけど、徐々に声が大きくなってくる。
「あの、その……」
≪なんで固まってるの。これじゃ私が連れてきた意味がないじゃん! 勇気を出せ若人!≫
「ご、ごめん」
「……今、誰に謝ったの?」
「あ……! その、えっと」
しまった。ついいつもの癖で、緑さんの言葉に反応してしまった。それを聞いた町田さんの表情が変わった。さっきまで申し訳なさそうな顔をしていたのに、今はじっと私を見ている。まずい。こんなことしたら気味悪がられるに決まっている。どうしよう。ここは本当のことを言うしかないのか?
「君、名前は?」
「あ、はい。井坂 真白と言います……」
「もしかして、井坂さんもそういう体質?」
「え……? 体質って」
「うん。幽霊が視えているのかなって」
井坂さん「も」? この人は何を言っているんだ? 私は無言で首を縦に振るしかできなかった。
「じゃあ昨日、本当にあの女の幽霊が視えていたんだね?」
「女の幽霊……。緑さん、ですか?」
「そうそいつ! やっぱり視えていたんだ! 良かったぁ。俺の思い違いかと思った……」
「あの、町田さん?」
「ああ、信じられないかもしれないけど、俺も視えるんだ。幽霊」
驚きで何も話せなかった。まさか私だけじゃなくて、幽霊を視れる人が他にもいたなんて。しかも同じ市内に。こんな偶然あるか? 緑さんのことも、ちゃんと名前で言っていたけど。少し怪しくなってきた。
「すみません。ちょっと……、信じられないです」
≪そんなことないよ! 町田くんはしっかりと私のことが視えているし、何より私、町田くんの部屋に居候しているし≫
「え? 居候ですか?」
「そうなんだよ。最初は正直出て行って欲しかったんだけど、もう諦めた。というか緑、なんで外出てるんだよ」
≪暇なんだもん。それに昨日、犯人捕まえる手伝いしたの誰だっけ?≫
「犯人?」
≪あ、真白ちゃんにはまだ言ってなかったね。あの金縛り、私がやったの! 凄いでしょ!≫
今とんでもないことを聞いた気がするのは私だけだろうか。町田さんは日常のことのように真顔で窘めているし。
「あの。金縛り?」
≪そう。私の手にかかれば、10分でも20分でもいけるよ! かかってみる?≫
「いいえ! 結構です……」
「あの、話ずれちゃったけど、俺のこと、信じてくれた?」
「……もう信じました。緑さんとしっかり意思疎通できていますし」
「良かったぁ。このことは、周りの人には言わないようにしているんだよね。本当に幽霊屋敷だってことがばれたら、大人の事情的にとんでもないことになるし。ああ。ここで立ち話するのもなんだから、何処か別の場所で……」
「いえ、いいんです! 私はただ、町田さんにお礼を言いたくてここに来ただけなので!」
そうだ。すっかり忘れていた。私は昨日の件でお礼を言うんだった。なんか色々ありすぎて、頭の中がこんがらがっているような気がするけど。
「昨日は犯人を捕まえて下さり、本当にありがとうございました! これ、ささやかなものですが、召し上がってください!」
「そんな。緑の力が無かったら犯人取り逃していたのに。でも嬉しいよ。ありがとう」
≪年下の女の子から感謝されちゃって。町田くん、鼻の下伸びてない?≫
「いちいち茶化すな。お菓子、お供えしてやらないぞ?」
≪酷い! 私が食べられないの知ってるくせに!≫
「では、私はこれで。これからも大変だと思いますが、頑張ってください。幽霊屋敷なんて、きっと一カ月くらい経ったら話題にならなくなりますよ」
「ありがとう。井坂さんも気を付けて」
≪いつでも遊びに来て良いよ! 私待ってるから!≫
二人は手を振って、私を見送ってくれた。私は相変わらずぎこちない笑顔で二人に礼をして、ゆっくりと駅へ向かっていった。それにしてもなんだろう。この一仕事終えたような感覚は。
家に帰ると、お母さんが昼ご飯を作って待ってくれていた。
「おかえり。何処行ってたの?」
「幽霊屋敷」
「あそこ? なんか昨日、事件あったみたいだけど。真白、大丈夫だった?」
「うん。私は平気。それよりも、お昼ご飯もうちょっと後で良いかな? 水ばっかり飲んでたからお腹あんまり空いてなくて」
「そう。素麺、冷蔵庫の中に置いておくから、適当に食べていいからね」
「ありがとう」
私は自室に籠ると、ラジオをつけてベッドにダイブした。人に会うって、やっぱり疲れる。長く引きこもっていたツケがきたのか。クラスメートと話すのさえ大変なのに、昨日まで見ず知らずの、それも男の人に話しかけたのだ。今考えたら私、相当ぶっ飛んだことしたよな。でも、緑さんのお陰でなんとか会話が成立した。幽霊に会話を取り持って貰う時点でまだまだなんだろうけど。スマホには、紫苑からメッセージが届いていた。
『気分はどう?』
『なんとか大丈夫。さっき、昨日の男の人にお礼を言いに行ってきたよ。』
『男の人って、幽霊のことが視えるって言った途端に私たちを帰した人?』
『そう。町田さんっていうの。最初は少し怖かったけど、なんとかお礼言えた。』
『そうだったんだ。お疲れ様! ところで、町田さん? あの人絶対、視えてるよね。』
『いきなりどうしたの?笑』
『だってさ、真白が幽霊のこと話すまでは凄く冷静だったのに、口に出したら凄く焦ってたもん。これは絶対視えてる! 真白もそう思うよね!?』
『どうなんだろう? 周りを騒がせたくなかったとか?』
『そうかもしれないけど、私は違うと思うな! 私が住んでる市内に、幽霊が視える人が二人もいるって、凄いことじゃない?』
『そりゃ確かにそうだけどさ笑』
紫苑の根拠のない自信が、文章から伝わってくる。まあ実際その通りなんだけどさ。今は紫苑には黙っておこう。今は余計な波風は立たせたくなかったから。
しばらく幽霊トークを続けたら、紫苑は用事があると言って離脱した。あの子は本当に自由だ。色んな意味で身軽だ。あの子と話していると、普通の人に戻ったような錯覚に陥る。私もあの子のように普通の人の生活を送りたいと、毎日のように思っている。羨ましくて、涙が出てくる時もある。もし私が黒い髪で、幽霊に怯えない生活ができたらどんなに楽だろうと。
でも、現実逃避ばかりしても仕方がない。ラジオから流れる曲に身を任せて、私の日常に戻ることにした。悔しいけど、これが自分なのだ。受け入れるしかない。
大きく息を吸って、吐く。身体の毒素が抜けていくような感じがした。




