第五話 『大聖殿』
少女に手を引かれ、おれは通路を歩き続ける。
少し進んだところで彼女は立ち止まり、通路の壁に備え付けてある燭台に手を当てた。すると燭台は壁の奥へと押し込まれ、重苦しい音と共に目の前の壁の一部が引き戸のように動き、隠し通路の入り口らしきものが現れた。
「おお! なんだこれ、すげえな」
「この大聖殿は遠い昔に建てられた砦を修築したものなのです。ですから、このような隠し通路もいくつかあるのですよ」
「まるでダンジョンみたいだ」
「だんじょん?」
「いや、なんでもない」
通路に入ると同時に壁は元の位置へ戻り、暗闇が広がった。
「お待ちください。今、明かりを出しますので」
そう言うと、彼女はなめらかな口調で不思議な響きの言葉をしゃべりだした。
今までの会話とちがい、その言葉の意味はわからなかった。おれが理解できる言葉には翻訳できない、この世界特有の言語なのだろうか。
彼女の言葉が終わると、目の前に片手で持てるくらいの大きさの光の玉が現れ、周囲を照らし出した。
「おお! まるで魔法だ」
「これは初歩的な光の霊術です。ご存じありませんか?」
「初めて知ったし、初めて見た。この世界には便利なものがあるんだな」
「それほど便利ではありません。自分の霊力を代償として自然界の力を利用しなければいけませんし、習得するには生まれつきの才能と相応の修練が必要なのです」
「なるほど。でも、そんなすごい力を使えるわけだから、君はすごい人なんだな」
彼女は「いいえ」と小さく首を振り、歩き出した。おれも彼女の後に続く。
「そうだ。ひとつお願いしたいことがあるんだけど、いい?」
「なんでしょうか」
「もし、服を乾かせるような霊術があれば使ってくれないか。さっきからずっと気持ち悪くて困ってるんだ」
わかりました、と言って彼女は首に下げていた黒い石を片手で握り、もう片方の手をおれに向けて広げ、さっきと同じように特殊な言語を発した。
その言語は、遠い異国に古くから伝わる歌の一節のようにも感じられた。
やがて温かな風が体に吹きつけられ、小さな竜巻のように渦を巻き始める。まるでドライヤーの温風を全身に浴びているようだ。
ほどなくして服は乾いた。なんて便利な力だ。
「本当にすごいな。おれと同い年くらいだろうに、こんな力が使えるなんて」
「たいしたことではありません。私の家は代々神官の家系ですので、霊術の才能が血の中に宿っているだけです。修練も一族の決まりとしてこなしているだけですし、親からはまだまだ半人前の未熟者と言われ、お役に立てるようなこともできませんし」
「でもおれは、君のおかげで色々と助かった。ありがとう」
そんな、と彼女は小さくつぶやき、歩き出した。
この通路はゆるやかな下り坂になっているらしく、おれ達は下へ下へと進んでいく。
「ところで、まだ君の名前を聞いてなかったんだけど、よかったら教えてくれないか」
「私の名は、ルシカと申します。ルシカとお呼び下さい、ソウタ様」
「わかった。でもさ、おれのことを様づけで呼ぶのはやめてほしいんだ。おれはただのガキなんだから、様なんてつけられるとなんか申し訳ない気分になるんだ」
それは、と言った時、ルシカは立ち止まった。どうやら出口についたらしく、正面にレバーのついた壁が見える。
ルシカがレバーを引くと、壁はさっきの仕掛けと同じように動き、出口が現れた。明かりが差し込むと同時に光の玉は消え、おれ達はそのまま外へ出る。
そこは地下牢のような場所だった。
松明の明かりに照らされた通路が正面と左右にのびていて、正面の通路の両端には鉄格子がはめられた独房が並んでいる。この大聖堂が砦だった頃の名残なのだろう。
しかし閉じ込められている囚人はいないらしく、物音は少しも聞こえなかった。
待てよ。
ならどうして、明かりがついているんだ?
まあいいか。こんないわくありげな場所からはさっさとおさらばしたい。
しかしどうしたことか、ルシカは前へ進もうとはしなかった。
「えっと……。まさかとは思うけどさ、ここが目的地なんて言わないよな」
「……、ごめんなさい」
その直後、左右の通路から慌ただしい足音がこちらに迫ってきた。
いかにも聖職者というかんじの黒衣をまとった連中がこっちに近づいてくる。
彼らは誰もが仮面をかぶり、仮面にはそれぞれ異なる紋様が刻まれていた。なんというか、カルト的なヤバさを感じる連中だ。そいつらがおれ達を取り囲んだところで、そのうちの一人が前に出る。そいつは太陽のような紋様が施された仮面をかぶっていた。
「神官長、転世者と思われる方をお連れしました」
ルシカはそいつに向かって恭しく言った。
「お前が最初につまらぬ失態をおかさなければ、このような手間をかけずにすんだのだ。二度と同じ失態をしないよう、肝に銘じておきなさい」
威厳とすごみのある、息苦しくなるような声だ。この人が神官長だとすれば、仮面をつけている他の連中は神官なのだろうか。
「申し訳ありませんでした。神官長」
ルシカは深々と頭を下げ、引き下がる。その姿は、どこかおびえているようにも見えた。
「貴様が転世者か」
神官長はおれと向かい合う。おれは声が震えるのをおさえながら言った。
「お、おお。そうだ! ラトナの力でこの世界に転世したんだ! な、なんだ、やんのか、コラ」
根が小心者だからだろう。ビビるとなぜか攻撃的になってしまう。おれの悪い癖だ。
「ラトナ……。ラトナ、だと?」
幸運なことに、相手はおれの態度ではなくラトナという名前のほうに注意が向いたようだ。
しかもどういうわけか、神官達はうろたえている。不穏などよめきが広がり、恐れおののく声が漏れ、ルシカにいたっては救いを求めるようにひざまずいて祈りを捧げていた。
なんだこりゃ。あいつは一体何をしたんだ。
「うろたえるな!」
神官長は一喝し、どよめきをおさえる。
「貴様が転世者かどうかは、後ほど審判を下す」
連れて行け、と神官長は神官達に指示を出し、去っていった。ルシカも神官長に同行する。
こちらに振り返ってくれないかと期待したけど、彼女は見向きもせずに去っていった。