第一話 『五月は荒れ模様』
結論から言うと、おれが置かれている状況は転世前と比べて悪化した。
病院からまっすぐ帰宅しなかったことに加え、翌朝に帰宅するまで消息不明になっていたわけだから、両親の怒りはそれはもうすさまじかった。母親は悲鳴とも怒声ともつかない声で非難の言葉を浴びせ、親父は容赦なく鉄拳を浴びせた。おかげでおれは経過観察以外の理由でも通院することになった。
当然のことだが、両親はおれにどこで何をしていたんだと問い詰めた。あの世界のことを正直に話すわけにもいかず、どうしてもやらなければならないことがあったんだとひたすら繰り返し、何度も謝り続けた。もちろん二人は納得しなかったが、警察へ事情を説明しに行ったときにはおれと一緒に頭を下げ、消息不明だった時間については追及しないでほしいと頼んでくれた。
こんな事態になっても、両親はおれを信じてくれた。
そのことが、とてもうれしかった。
◇ ◇ ◇
学校生活のほうも、もちろん穏やかなものではなかった。しょっぱなの定期考査で全教科赤点という壊滅的な不滅の記録を打ち立てたことに加え、原因不明の意識不明状態におちいっていたことから、おれは校内でちょっとした有名人になっていた。同時に、中学時代のことも広まったらしく、どこからともなく『画伯(笑)』という声が聞こえるようになった。
まあ、おれはそんなことは気にしない。気にする余裕がない。勉強しなければならないからだ。
問題行動を散々起こした落とし前として、次の期末考査では総合順位十位以内をとれと両親に指令を下された。それができなければ即座に家から叩きだすと二人は言った。二人の目は、本気だった。
というわけで、おれは勉強漬けの日々を送っている。転世していた間の遅れを取り戻すのはなかなか容易ではなく、特に英語と数学、古典はさっぱりわからない。
それでも、やるしかない。この世界で生きていくために。
約束したのだから。
◇ ◇ ◇
あの世界で過ごした日々は、今でもちゃんと思い出せる。風景も、日の光も、星空の美しさも。
でも、なぜか人々の顔を思い出すことだけはできなかった。カイとクウの顔も、思い出せない。両手の紋様も消えていた。水面や鏡に映しても、何も見えない。もしかしたらと思い、スケッチブックを開いて鉛筆を手に取る。けれどだめだった。二人の姿を描き出そうとしても、手はまったく動かなかった。
でも、二人と交わした言葉と、誓った約束は覚えている。
だから自信をもって言える。
二人との絆は、消えていない。
◇ ◇ ◇
不思議なことに、ラトナの姿ははっきりと思い出せた。何度か話していたように、彼女はこの世界で高校生活を送っているとのことなので、同じ世界にいるから思い出せるのかもしれない。
家と学校を往復する日々の中で、それとなく彼女の姿を探してみる。しかし見つからない。最初に会った時と同じように、夜中なら出会えるのかもしれないけど、今はそんなことができる状況じゃない。
次の期末考査を無事に乗り切れたら、ラトナを探しに行こうと思う。
おれはまだ、彼女に感謝の言葉を伝えていないから。
あの世界が本当に実在したと証明できるものは、おれの記憶だけである。
なので、あの世界のことを誰かに話しても、ただの妄想と思われるだけだろう。
それでもおれは、あの世界は本当に実在したんだと断言できる。
また、昔みたいに、絵を描いてみたいと思えるようになったからだ。
評価されるされないなんて、そんなのはどうでもいいことだ。
自分のために、そして、誰かのために、心のままに絵を描きたい。
ずいぶん遠回りをしたけれど、おれはやっと自分の心と向きあえるようになった。




