第九話 『小さな英雄のありがたいおはなし』
地下の通路を走り、階段を上る。
いつの間に拾ったのか、シオンは憲兵が落とした槍をかついでいた。
「憲兵に見つかった時、これがあれば手っ取り早く片付くだろ」
「極力そういうことが起こらないよう祈ってるよ」
階段を上り終え、大聖殿の一階に出る。
イサオは立ち止まり、耳を澄ませるように目を閉じた。
「……神官の気配がない。おそらく神官長以外は都へ出払っているんだろう」
「そうなのか? てっきり儀式の警備にあたってるもんだと思ってたけど」
「この儀式は神霊を結界の核に取り込み、結界全体を補強するためのものだからな。颯太も都の各地に配置されている結界の法石を見たことがあるだろ。神官達はそこで儀式の補佐をしているはずだ」
「なるほど。そういうことか」
「つけ加えて、彼らは法石の水球を通じて儀式の様子を映している。儀式を完成させるためには人々の信仰心が必要不可欠だからな。都の人々のほとんどは水球を通じて儀式の様子を見守っているはずだ」
そう話すイサオに、シオンは皮肉たっぷりな口調で言う。
「ほーう、よくわかってんじゃねえか。二年前は見事にその信仰心を踏みにじったのにな」
「シオン。気持ちはわかるけど、今はおさえてくれ」
シオンは肩をすくめ、イサオはため息をついた。
「……世界樹の間へ行く通路は、憲兵が封鎖しているだろう。礼拝堂の隠し通路を使うぞ」
「礼拝堂って、ここからけっこう遠くないか?」
「ああ。憲兵に遭遇する可能性もある。だから、対策をとらないとな」
イサオは胸の紋様に手を当て、目を閉じ、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
すると彼の体は淡い光に包まれ、その姿は地下牢で出会った憲兵の兄ちゃんそっくりに変化した。
「すげえな。もしかして、それがイサオの神言なのか?」
「ああ。俺は望んだ姿形の幻をつくりだせる。その幻を他者に重ねることも可能だ」
イサオはシオンの頭に触れる。シオンの服は憲兵の制服に変わり、見た目も成人女性に変化した。続いておれの姿も憲兵に変化してもらう。
これはなかなか便利な力だなと思ったが、イサオの過去を知っているとなかなか複雑な気持ちになった。
望んだ姿に変化できる力を持つ彼が、自分を生み出した人の最もおそれる人の姿をしていたのだから。
礼拝堂へ進む途中、何度か警備中の憲兵とすれちがったが、彼らは特にこちらを警戒する素振りを見せなかった。なのでおれ達は無事に礼拝堂のすぐそばまでたどり着けた。あとは礼拝堂の地下にある通路を通って世界樹の間まで行けばいいのだが、ここで問題が起こった。礼拝堂へ通じる扉は閉じられ、その向こうから話し声らしきものが聞こえていた。どうやら中に誰かいるらしい。
周囲に憲兵がいないことを確かめ、そっと扉に耳を近づける。
聞こえてきたのは、エポラッテの声だった。
「えっへん! そーんなわけで、おいらは麗しき御主人様の命を受け、都の危機を救うべく、諸悪の根源たる邪悪な転世者『ドゲザエモン』にたった一人で立ち向かったのさ!」
芝居がかった口調でエポラッテは都合のいい英雄譚を語り始める。
「ああ、それはもう、つらく、苦しい戦いだったよ……。神官も憲兵もドゲザエモンに騙され、そそのかされ、利用されていた。神霊にいたってはその『ココロ』がドゲザエモンの悪しき意思に操られていた。ドゲザエモンは恐ろしい奴だ。自分はなんの力もない屑の分際で、転世者という立場を利用して、この都を着実に掌握していったんだ」
そんなことをした覚えなど一切ないが、奴には何を言っても無駄なんだろう。
「だからおいらは、数知れぬ多くの敵を相手に戦わざるをえなかった。そう、一人で。たった一人で! 弱くて小さなこのカラダで! でも、おいらはあきらめなかった。あきらめるなんて選択肢は最初からなかった。なぜかって? それはね、おいらには『ココロ』があったからさ。カラダは弱くて小さくても、ココロは強くて大きい勇気を宿している。おいらの勇気の炎はドゲザエモンごときゴミ屑の畜生に消せやしないのさ!」
拍手の音が聞こえる。それもかなり多くの拍手で、歓声を上げてるやつも何人かいた。
「ありがとう。皆の衆。ありがとう! こうして感謝の念を一身に受けられるんだから、あの苦しい戦いは無駄じゃなかったんだと実感できるよ。そう、それはもう、苦しい戦いだった。けれどおいらは戦った。勝利を目指して、都の未来を守るため、力の限り走ったんだ! そしておいらは世界樹の間にたどり着いた。そこにはドゲザエモンがいた。奴は卑劣にも神霊を操っておいらに攻撃させたんだ! 神霊の恐るべき力が、人の力を超えた脅威が、おいらの小さくてカワイイカラダに襲いかかる! うわああああああああ!」
エポラッテは寒気がするほどにわざとらしい悲鳴を上げる。
「つらい、苦しい、眠い! でも、おいらは負けない。おいらはやれる。まだ戦える。いける、いける!
そうさ。おいらが都を守るんだ。このエポラッテが、都を、みんなを、守るんだぁいっ! なにくそ! こんちきしょうめ! その一心でおいらはこの剣を奴の心臓にぶっ刺してやったのさ! ドゲザエモンは無様にのたうち回り、白々しい命乞いをして、なんとか逃げ延びようとした。でも、そうは問屋が卸さないぞ! おいらはわかっていた。奴はここで殺さなければいけないって。だからおいらは力を振り絞り、何度も何度も何度も奴に剣をぶっ刺した。そして奴はついに、この『小さな英雄』エポラッテに退治されたのさ! どぉんなもんだぁいっ! エポラッテだぁいっ!」
エポラッテが言うと、大勢の人間が声を合わせて「どぉんなもんだぁいっ! エポラッテだぁいっ!」と繰り返した。
なんというか、カルト宗教の集会みたいな雰囲気を感じるな。
「おい、ソウタ。今しゃべってた奴だよ。あたしにクウをさらえって依頼したのは」
「はあ? マジかよ、おい。ていうか、あんなあからさまに怪しい奴の口車に乗ってクウをさらったのか? ちょっとは警戒しろよ」
「いやだって、あんなに可愛い生き物が、人を利用したりだましたりするとは思えないだろ。さらう目的もクウを助けることだって言ってたしさ」
「あれのどこが可愛いんだ。どう見てもバケモノじゃねえか。この世界の人間の美的センスはどうなってんだよ」
「なんであれ、俺達三人にとって奴は因縁の相手なんだな」
イサオが言う。その声は底知れぬ怒りと憎しみに震えていた。
おそらく、イサオは今すぐにでも礼拝堂に殴りこんで、エポラッテの息の根を止めたいのだろう。
エポラッテはとてもごきげんな口調で話を続けた。
「エッポッポー! いいねいいねぇ。よぉし、そいじゃ今宵お集まりの皆々様にぃ、と、く、べ、つ、に、おいらのオドリを教えてやるよ! さあみんな、広場に出るぞー! エポラッテにぃ、ついてこーい!」
「ははー! 承知いたしました! エポラッテ様!」
聞き覚えのあるナイスミドルな声が聞こえた。議長の声だ。扉越しで見えないが、彼がエポラッテの腰巾着的なポジションにおさまって媚びへつらっている姿がありありと頭に浮かぶ。
ほどなくして、広場へ通じる門扉が開かれる音が聞こえた。外へ向かって歩く大量の足音が礼拝堂から遠ざかっていく。
足音が聞こえなくなったころ、おれはゆっくりと扉を開け、礼拝堂の中に入り、門扉に閂をかけた。
イサオは世界樹の彫像の前へ行き、手を当てた。すると彫像は淡い光を放ちながら宙に浮かび、その下に地下へと続く階段が姿を現した。
「よし、行くぞ」
と言った直後、外から門扉に何かが勢いよくぶつかったような、激しい音が聞こえた。
「やい! そこにいるのは誰だ! 人間じゃない力の気配を感じるぞ!」
エポラッテだ。
「出てこい、この卑怯者め! おいらの第一の下僕、ギチョーが相手になるぞ、こんちきしょうめ!」
卑怯者って、どの口が言ってんだ。まあそんなことはどうでもいい。
おれ達はすぐさま階段に入り、駆け下りて、秘密の隠し通路をすすんだ。
「世界樹の間にいるのは、おそらく神官長とルシカだけだろう。あの二人だけなら俺でも足止めはできる。余計な連中が乱入する前に、決着をつけるぞ」
やがて、出口の光が見えた。姿見の鏡のように、大きな長方形をした光の壁だ。
イサオはその手前で立ち止まり、おれとシオンの頭にそれぞれ触れ、神言による幻を解除した。
「二人とも、覚悟はいいな」
おれとシオンは声をそろえて「大丈夫だ」と答えた。
「よし。なら、行くぞ!」
イサオの言葉を合図に、おれ達は光の壁の先へ一歩踏み出した。




